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【完結】狭間で俺が出会ったのは、妖精だった  作者: 紫羅乃もか
第5章 美しきスミレ花の上で
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妖精の姉妹

 夜明け前の、まだ冷たい空気が部屋を包んでいた。

 カーテンの隙間から射し込む、淡い光の筋。

 その中で、スミレは静かに座り込んでいた。

 顔を伏せ、肩を震わせながら──彼女は、自分の記憶と向き合っている。

 蓮が隣にいる。そのことが、彼女には救いでもあり、痛みでもあった。

 何も言わず、ただそばにいてくれる。

 その優しさが、胸を締めつける。

 優しくされるたび、自分の罪が、よりはっきりと突きつけられる気がして。

 けれど、もう──言わなければならない。

 自分がしてしまったことを、すべて。


「……私は──」


 かすれた声。喉が詰まり、涙がにじむ。

 それでも、スミレは絞り出した。


「私は……あの日……確かに、この手で……イシュタルを……焼いたの……」


 その言葉は、彼女にとって、最も重く、最も苦しい告白だった。

 蓮は息を呑み、真剣なまなざしで彼女の声に耳を傾ける。


「……あの頃、私はまだ子どもで……母や父、イリアに構ってほしくて……寂しかったの。どうしようもないほど……ただ、少し驚かせたかっただけなの。覚えたての火魔法で、ほんの……小さな火遊びのつもりで……」


 幼かった彼女には、それがただのイタズラに思えた。

 けれど、小さな火種は瞬く間に広がり──すべてを飲み込んでいった。

 家も、友達も、家族も。

 大切なものを、炎は何もかも奪っていった。


「……私……」


 スミレは、拳をぎゅっと握りしめた。

 誰にも気づかれないまま、孤独と怒りを心の底にため込んでいた。

 そして無意識のうちに、その感情は暴走し……炎となって溢れ出た。

 続きを口にしようとしたときーー蓮の手が、そっと彼女の肩に触れた。


「……スミレ」


 優しいけれど、確かに届く声だった。


「もう、十分だよ。……スミレのこと、ちゃんとわかってる。だから──俺は、お前を離さない」


 言葉だけじゃない。

 そっと重ねられたその手が、蓮の存在そのものが、スミレにとっての救いだった。

 スミレは、涙でぐしゃぐしゃになりながらも、ほんのわずかに、微笑んだ。その目に、かすかな光が宿る。


 ──その静寂を破るように、扉が軋む音が響いた。


 現れたのは、イリアだった。

 涙の痕を残した顔に、それでも確かな意志が宿っている。

 スミレは震える手で自分を抱きしめながら、イリアから目を逸らさなかった。

 イリアは、静かに歩み寄り、スミレの前に立つ。

 その瞳には、冷静さと、姉としての深い愛情が混ざっていた。


「……マリア。あなたのしたことは、きっと誰にも……簡単には、許されない」


 その言葉は、鋭くも、ただ責めるだけのものではなかった。


「でも……だからこそ、逃げることだけは、絶対に許さない」


 イリアの声には、揺るぎない強さがあった。


「生きて。生きて、償い続けなさい。──あなたは、私の妹なんだから」


 その言葉が、スミレの胸に深く、強く響いた。


「……生きて……」


 その響きが、かすかな希望となって、彼女の中に芽吹いていく。

 スミレは嗚咽をこらえきれず、涙を流しながら声をしぼり出した。


「ごめんなさい……イリア……ごめんなさい……っ」


 イリアは、スミレの小さな肩をぎゅっと抱きしめ、震える彼女の髪を優しく撫でた。


「マリア。あなたがどんな地獄を歩こうと……私は、あなたのお姉ちゃんよ」


 その声は、温かくて、どこまでも強かった。


「あなたを、最後まで愛してる」


 スミレはイリアの胸に顔を埋め、涙をこぼしながら呟いた。


「……イリア……あなたが生きていて、よかった……」


 その想いは、まだ形にならない。

 けれど、イリアの言葉は確かに、スミレを前に進ませる力になっていた。


 部屋の中に、静寂が訪れる。

 しばしの間、二人は何も言わず、ただ寄り添っていた。

 蓮もまた、言葉を飲み込み、その時間を壊さぬように目を伏せる。

 カーテンの隙間から射す朝の光が、床に淡い輪を描いていた。

 その中で、三人は、過去の痛みと、これから背負うものの重さを噛みしめていた。

 しんとした空気のなか、誰もが胸の奥で、何かを受け止めようとしていた。


 ──そのとき、再び扉が軋んだ。


 入ってきたのは、ホクトだった。

 その瞳には、厳しさと、そして確かな温かさが宿っていた。

 ホクトは三人を見つめ、静かに口を開いた。


「……お前たちに、伝えなければならないことがある」


 その一言に、スミレも、イリアも、蓮も、息を呑む。

 少しの沈黙のあと、ホクトは重く言った。


「──お前たちの母親……アンネは、五大悪魔の一人だった」


 空気が凍りついた。


「……お母様が……?」


 イリアが、震える声で問い返す。

 ホクトは、静かに頷いた。


「そうだ。アンネは、サタンの血を宿していた。そして──その血は、お前たちにも流れている」


 重く、逃れようのない真実だった。

 三人とも、言葉を失って立ち尽くす。

 ホクトはスミレを見つめたまま、言葉を続ける。


「……シェリー。炎の中で泣いていたお前の姿を、今でも覚えている」


 その声は穏やかで、どこか切なさを孕んでいた。


「俺は……その姿を見て、お前を匿うと決めた」


 ただ事実を語る声だった。


「……お前の内に眠るサタンの力が、無意識の怒りと悲しみによって目覚めた──そのことを、知っておいてほしかった」


 スミレの瞳が揺れる。

 イリアもまた、苦しげに顔をしかめた。


「……どうして……?」


 スミレが問いかける。

 ホクトは少しだけ目を伏せ、それからまっすぐに彼女を見つめて言った。


「お前は生きている。その命で、何をするか──それを選べ」


 その言葉は、静かに、確かに響いた。

 誰もが息を潜めていた──そのときだった。

 空気が一瞬、揺らいだ。


「ようやく……ここまで辿り着いたかい」


 どこか柔らかく、それでいて底知れぬ声。

 振り返ると、そこに──白銀の髪を揺らす女が立っていた。

 その瞳に宿るのは、深い深い闇。

 ラミアだった。

 蓮が息を呑み、立ち上がる。


「……お前……あの時のっ……!」


 ホクトも険しい顔で睨みつける。


「やはりここは……お前の住処だったか、ラミア」


 ラミアは微笑みを崩さず、ゆっくりと視線をめぐらせる。


「久しいな、ホクト。我に会えて、嬉しかろう?」


 ホクトは何も言わず、意味ありげに目を細める。

 蓮は、彼らが以前から面識があったことに気づく。

 そして、ラミアの視線は、スミレとイリアへと向かう。


「……アンネのことが、知りたいかい?」


 その声に、スミレの肩がぴくりと震えた。

 イリアも、一歩前に出る。


「お母様は……生きているの?」


 問いに、ラミアは首を横に振る。だが、笑みは消えなかった。


「……死骸は、見つかっていない。誰も見ていないのさ──彼女の“最期”を」


「それって、どういう意味……!」


 蓮が詰め寄るが、ラミアは楽しげに目を細める。


「“まだ”終わっていないのさ。彼女の物語も……お前たちの物語も」


 意味深な言葉。けれど、ラミアはそれ以上を語らない。

 ホクトが低く問う。


「アンネは、どこだ」


 ラミアは、ふと目を伏せる。


「……我も、今探しておる。まあ、そう慌てるでない」


 空気が、さらに重く沈んだ。

 ラミアは小さく息をつき、蓮に視線を戻す。


「すぐにわかることじゃ。──また、すぐに会おう」


 その体が、うっすらと霞んでいく。


「──それまで、生き抜いておくれ」


 その声を最後に、ラミアの姿は風に溶けるように消えていった。

 ただ、そこにいたという余韻だけが、冷たい空気のように残されていた。


「……消えた……?」


 イリアがつぶやく。

 蓮もまた、喉の奥に何かを詰まらせながら、ただその場に立ち尽くしていた。


【お知らせ/2025.6.29】

本編に登場するキャラクター《美穂》のスピンオフを連載することになりました!


タイトル:「ハーフエルフは、一人で歩く。」

本日より連載スタートです!

全6話の短編連載を予定しております。


美穂の過去に少しでも興味がある方、ぜひ覗いていただけたら嬉しいです。

(読後に本編がより深く読めるようになっていたら……作者冥利に尽きます)

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