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【完結】狭間で俺が出会ったのは、妖精だった  作者: 紫羅乃もか
第5章 美しきスミレ花の上で
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懺悔

 ──これは、夢の中だった。


 焼け落ちる街。

 鼻をつく焦げ臭と、遠く響く悲鳴。

 空は黒煙に覆われ、赤い光が、瓦礫の隙間からじわじわと滲んでいた。


 その中で、誰かの声がした。

 かすかに、震える、細い声。


「……だれか……」


 振り返った先に、少女がいた。

 しゃがみ込み、顔を両手で覆い、声を殺して泣いている。


 ──スミレだった。


 蓮の胸が、締めつけられる。


「スミレ……!」


 叫んで駆け出そうとした——その瞬間、視界が、ゆがんだ。

 黒い影が、にじむように立ちふさがる。

 その輪郭は女の形をしていた。青白い顔、底知れぬ瞳、薄く笑う口元。

 ──ラミア。

 だが、それは現実の彼女ではない。

 蓮の中に巣食う“恐怖”そのものだった。


「お主には、彼女を守れぬ」


 その声はやわらかく、だが凍えるように冷たい。


「お主の中には、まだ眠るものがある……ふふ……もうすぐ、目覚めようぞ」


 耳の奥で、心臓が狂ったように打ち鳴る。

 頭が割れそうだった。足がすくむ。叫びたいのに、声が出ない。


 ——誰か……誰か、止めてくれ……。


 蛇の這うような音が、地面を這う。

 足元に伸びた影が、蓮の足を絡め取る。動けない。逃げられない。


「さあ、おいで。我と共に、真実の世界へ」


 ラミアの冷たい指が、蓮の頬に触れようとした——そのときだった。


 背後から、声が響いた。

 低く、確かで、あたたかい。


 風が吹き抜けた。

 剣を構えた男が、闇の中に立っていた。


 赤い髪。隻眼。

 まっすぐに伸びた背中。迷いなく、蓮の前に立ちはだかるその姿に、胸がざわめいた。


「離れろ」


 静かだが、鋼のような威圧を帯びたその声。

 ラミアの笑みが、ぴくりと歪む。


「ほう……お主が、ここまで入り込んでくるとはのう」


「……蓮は、渡さない」


 男の声が、蓮の意識を強く引き戻す。

 一歩、近づく背。

 振り返ることなく、ただその背中で蓮を守る。


 その姿に、蓮はどこか──懐かしさを覚えていた。


 ──誰なんだ。

 ──なぜ……こんなにも、安心するんだ……? 


 ラミアの姿が、ふっと霧のように崩れていく。

 闇が渦巻く中、男が蓮に手を伸ばし——


「もういい。目を覚ませ、蓮」


 耳元に、その声がはっきりと響いた。


 ──そして、意識が浮上した。


 背中を貫いていた激しい痛みは、嘘のように消えている。だが、どこか、重たく痺れるような違和感が残っていた。

 ぼやけた視界の先に、誰かの姿が見える。ピントが合うにつれ、その輪郭がはっきりしていく。


「……ホクト、さん?」


 掠れた声が漏れた。

 混乱する意識の中で、蓮の胸が、ぎゅっと締め付けられる。


 その瞬間だった。

 背中が、ぞわりとざわついた。

 あの冷たい感覚。

 皮膚の内側から、異物がうねるように膨れ上がっていく。


 ──竜化が、始まっていた。


「っ、あ……!」


 蓮の身体が震える。

 理性とは裏腹に、熱を帯びた血が暴れ、形を変えようとする。


 抑えられない。


「蓮、落ち着け。呼吸を整えろ」


 ホクトが一歩近づく。

 その瞳はまっすぐに、迷いなく蓮を見据えていた。


「いいか。最初から翼が生えていたと思え。イメージしろ。それは《《自由自在》》に出し入れできる、と」


 落ち着いた声が、蓮の動揺する心をつなぎとめる。


「ゆっくり息を吸え。深く吐け……その翼を、自分の意志で仕舞うんだ」


 蓮は必死に呼吸を整える。

 震える指先を握りしめ、頭の中で何度も何度も繰り返す。


 ──これは、自分の一部なんだ。


 背中で暴れようとしていた熱が、徐々に引いていく。

 皮膚の奥に、力が戻っていく感覚。


 ──翼が、収まった。


 蓮が安堵したのも、束の間だった。


「……ッ、うっ……!」


 胃の底から突き上げるような吐き気。

 堪えきれず、膝をつき、その場で嘔吐した。


 汗が滲み、視界が再びにじむ。

 それでも、しばらくして、蓮はなんとか顔を上げた。


 目の前に、ホクトがいた。


 何も言わず、ただそこに──静かに、立っていた。


 耐えられなかった。

 もう、誤魔化すことも、目を逸らすこともできなかった。


「──父さん、なの?」


 震える声だった。

 確信と、恐れと、願いが滲んでいた。


 ホクトはわずかに眉をひそめ、静かに答えた。


「未彩は……元気か?」


 そのひと言で、すべてが、確定した。

 堰を切ったように、蓮の目から涙がこぼれた。

 止まらなかった。

 声にならない嗚咽が、ただただ、こぼれていく。

 ホクトは、何も言わずにそこにいた。

 どんな言葉よりも、「そばにいる」という選択で。


 だがそのとき、蓮の脳裏に──もう一人の大切な存在がよぎる。

 蓮は、はっと顔を上げた。


「……スミレは……!?」


 掠れた声で、必死に問う。


「今すぐスミレに、会わなきゃならないんだ!」


 蓮はふらつきながら立ち上がる。

 ホクトが静かに答えた。


「──別室にいる。だが今はイリアが──」


 その言葉を最後まで聞くより早く、

 蓮は駆け出していた。


 涙を拭う暇もない。

 頭の中には、スミレのことしかなかった。


 ──今すぐ、スミレの元へ。


 ***


 木のきしむ音と、誰かのすすり泣く声が、静かな家の中に微かに響いていた。


 蓮は荒い息を整えながら、重い扉を押し開けた。


 ──そこに、いた。


「……スミレ」


 思わず、声が漏れた。

 部屋の片隅で、スミレが膝を抱えて座り込んでいた。

 肩を震わせ、顔を伏せ、痛ましいほどに小さくなって。

 そして──その前に立っているのは、イリアだった。


 スミレの名前を呼んだ蓮を一瞥もせず、イリアはただ、スミレを見つめていた。

 その表情は、哀しみと、怒りと、愛情と、絶望がないまぜになっていた。

 スミレが、嗚咽混じりにかすれた声を漏らす。


「……ごめんなさい……っ、私……わたし、思い出したの……」


 震える声に、蓮は胸を締めつけられる。

 スミレの細い背中が、泣きながら必死に言葉を搾り出していた。


「私が……イシュタルを……

 ……全部、焼いたのは……私だった……

 ……父さんも……母さんも……全部……私が……っ……!」


 イリアの顔が、引きつった。

 スミレの告白に、イリアは一歩、後ずさった。


「やめて……!」


 震えた声が、部屋を裂くように響く。


「やめてよ……!!」


 イリアの頬を、大粒の涙がつたった。


「私……ずっと……奇跡だと思ったの……! 

 あなたが、生きていたって、知ったとき……夢みたいだって……!」


 こぼれる声は、もはや叫びだった。


「でも……! 私が、ずっと探していたその相手が……父さんと、母さんを殺した……妖精国を焼き尽くした……全部──あなた……だったなんて……!!」


 イリアは、目を見開き、スミレを見下ろした。

 そして、震える唇で、か細く言った。


「……なんで……生きてたの……?」


 その言葉に、スミレの顔がくしゃりと歪んだ。


「ごめんなさい……ごめんなさい……!」


 嗚咽とともに、スミレが地に額をつく。

 その手は、爪が食い込むほどに床を掴んでいた。

 蓮は、思わず駆け寄りそうになった。

 けれど、ぎりぎりで足を止めた。


 ──今、これは、俺が入るべきじゃない。


 歯を食いしばり、拳を握り締める。

 イリアもまた、必死で何かを押し殺すように、肩を震わせた。

 小さな声で、震えるように呟く。


「……私は……あなたを憎みたくない……

 でも……っ、今は……っ……!」


 絞り出すような声だった。

 イリアの瞳が震える。

 口元を手で押さえ、堪えきれず一歩、後ずさった。


「私……どうしたらいいかわからないの……マリア……」


 震えた声と共に、イリアは踵を返した。

 泣きそうな背中を、無理やり遠ざけるように、部屋を飛び出していった。

 扉が激しく閉まる音が、部屋の空気を震わせた。


 ──静寂。


 残されたのは、ただ泣きじゃくるスミレと、立ち尽くす蓮だけだった。

 スミレは、音もなく崩れ落ちた。

 指先を床に押し付け、肩を震わせ、嗚咽を必死に飲み込んでいた。


「わたし……わたし……どうして、生きてるの……」


 絞り出すような声。

 すべてを責める声じゃない。ただ、自分を責める声だった。


「もう、許されない……あの国も、家族も、みんな……わたしが……」


 呼吸が浅くなる。

 視界がにじみ、世界がぐにゃりと歪む。


「死んだ方が、よかったのに──」


 その瞬間。

 すっと、蓮の手がスミレの体を包んだ。


「スミレ──」


 名前を呼んだ声には、震えがあった。

 スミレはびくりと体を震わせたが、抵抗することなく、蓮に身を預けた。


「ごめん……ごめんなさい……蓮……私……っ……」


 スミレは蓮の胸に顔を押しつけながら、必死に謝り続けた。


「私……死んだほうがよかったのに……っ

 こんな……私……」


「違う」


 蓮は、強く言った。


「スミレが生きててくれて……本当に良かった。

 何があったって、それだけは絶対に変わらない」


 腕に、ぎゅっと力がこもる。

 スミレの体は、壊れそうなほど細く、

 泣き声は、途切れ途切れだった。


 それでも、蓮は離さなかった。


「一緒に背負おう。

 一人で苦しまないで……スミレ」


 胸の奥から溢れ出すような声だった。


「これからは、俺がいる」


 自分の心臓の鼓動が、スミレに伝わるくらい近い。

 蓮は、スミレの涙も、震えも、すべて受け止めるように、そっと背中を撫でた。


 どれだけ泣いてもいい。

 どれだけ苦しんでも、もう、ここにいる。

 ──二人で。


 スミレは、ぐしゃぐしゃに泣きながら、

 ただ、かすかに、蓮のシャツを握り返した。


 言葉はなかった。

 けれどその温もりだけが、痛いくらいに、確かだった。


 静かに、静かに、夜が更けていった。


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― 新着の感想 ―
あぁ〜成程。 ホクトとの繋がりで竜なんですね。 最序盤の頃、未来の姿と予想したのは大きくは外れていなかったのかw (´ε`) にしても、スミレの背負う業が重いですね……。 蓮が少しは負担を肩代わりで…
ええええええ!?!?!?!? ホクト……!?!? 蓮……!?!!?!? スミレ……????! 前回に続いて、衝撃展開の連続で情緒がまったく追いつきません……!!!はあ...読み返します
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