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【完結】狭間で俺が出会ったのは、妖精だった  作者: 紫羅乃もか
第5章 美しきスミレ花の上で
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蛇の巣穴

 蓮の目の前に立つその存在は、異様だった。

 銀の長い髪は、月光に溶けるように光を帯び、背中に流れている。

 瞳は、深い深い紅。まるで地の底から湧き上がったかのような、底知れぬ輝き。

 そして──その足元から、無数の蛇が這い出していた。

 黒く、艶めいた鱗が蠢き、地面を這うたびに、ぞっとするような音を立てる。


 蓮は一歩、後ずさった。

 体の奥が本能的に、警鐘を鳴らしていた。


「怖れることはない」


 彼女──ラミアは、静かに微笑んだ。

 その微笑みは甘く、肌を撫でるどころか、じわりと蓮の心に絡みつく。


「我は、お主を傷つけには来ぬ。……お主を、迎えに来たのじゃ」


 その声は、蜜のように甘やかだった。

 だがその甘さの奥底には、抗いがたい毒が潜んでいる。

 まるで、今すぐこの声に身を委ねれば、二度と戻れない場所へ引きずり込まれてしまうかのように──。


「……どういう、意味だ。お前は……誰なんだ?」


 問いかける声が震えたのは、冷たく湿った空気のせいだけではなかった。


 ラミアは微笑みを深める。

 その美しくも禍々しい存在感は、まるで、肉体を持たぬ幻想のように異質だった。


「我が名はラミア──この世界の神に匹敵しよう存在。いずれ、そのすべてが明かされよう。そのためにも、まずは……」


 彼女は、蓮へと一歩、近づく。

 蛇たちも彼女の足元にまとわりつき、ひとつの波のように動いた。


「お主自身を、知るがよい」


 ラミアは妖しく微笑み、蓮の頬に指を這わせた。

その指先はひどく冷たく、それでいてどこか甘やかな熱を孕んでいた。


蓮の心臓が、不意に跳ねた。

指先が触れた一瞬、彼女が何かを見透かしたような感覚が走る。

目を逸らしたくても逸らせない。何か、もっと根源的なところを見られている──そんな錯覚。


そして、静かに紡がれる声が、脳に直接響いた。


「……本来、人間から翼が生えるなどあってはならぬことじゃ」


 動けない。逃げることも、抵抗することも、全てが無駄に思えた。

 ただ、ラミアの冷徹で美しい微笑みに視線を奪われ、心の奥で恐怖が蠢いていた。


「ーーそれでも、お主の背からは確かに翼が生えておる。それも、竜族の、立派な翼がのう」


 それはただの言葉ではなかった。

 ラミアの言葉は、蓮の体の奥深くまで届き、揺さぶりをかけてきた。

 蓮はふと、自分の背中に手を当てた。その感触──骨のように硬く、鱗のようにざらざらしたものが広がっている。


「つまり、今のお主は限界を超えている状況なんじゃ。本来起きることがない、異常な状態が身体で起きていることになる───」


 背筋を貫くような違和感が次第に大きくなっていく。

 蓮は目を見開いた。


「……まさか」


 その瞬間、背中に激しい痛みが襲った。

 体内の臓器が乱れるような、想像を絶する激痛が背中から内臓へと伝わっていく。

 雷に打たれたような衝撃が、全身を駆け抜け、蓮はその場に倒れこみそうになった。


「うぐっ……! 痛いっ!」


 目の前がぼやけ、意識が途切れそうになる。

 蓮はその場にひざまずきながら、必死に意識を保とうとした。


「背中がっ……! 痛い……! 痛い痛い!」


 声にならない叫びが漏れる。

 背中の奥から湧き上がる激痛は、体を支配するすべての力を奪い取ろうとしていた。

 その苦しみの中で、蓮はようやく悟った。


 ──自分の中に、眠っていた力があったのだ。


 だが、それはただの力ではない。

「竜族の血」と呼ばれる、古き存在が目覚める瞬間だった。


 ラミアの笑みが、今まで以上に深く、冷徹に広がった。


 その笑顔は、今や恐ろしいものに感じられた。

 まるで蓮がどんなに苦しんでも、彼女の計画の一部でしかないかのように。


「その痛みが、覚醒の証。お主は、もう元の姿には戻れぬ」


 その言葉が、蓮を震え上がらせる。

 彼の体は、自分の意思ではどうしようもないくらいに変わろうとしていた。

 意識が遠くなりそうになる中で、蓮はただ一つ確かなことを思った。


 ──自分は、この世界において、ただの人間ではない。


 その瞬間、背中から広がる翼が強く震えた。

 鱗がひとつひとつ、音を立てて膨らみ、翼の形を成していく。

 激しい痛みに耐えながらも、蓮はその変化を見守ることしかできなかった。

 ラミアの目が、その変化をじっと見守っている。その目は、冷徹でありながら、どこか満足そうに見えた。


「目覚めよーー」


 その声は、蓮の耳に届くことなく、夜空に溶け込んだ。

 そして、目の前に立つラミアの姿が、いっそう曖昧に、そして恐ろしいものに感じられた。

 その不可解さに、蓮の中で沸き上がった不安と恐怖が膨れ上がった。


 それでも、あまりの痛さに意識が遠のく。

 脳裏にスミレが浮かぶ。

 ──スミレ、! 

 蓮はそのまま意識をなくした。


 ***


 空は混沌に包まれていた。


 完全変異を遂げたザイラスが、猛る獣のように咆哮しながら暴れ回る。

 その周囲には、彼に呼応するかのように無数のサタンたちが蠢いていた。


 その中央に立つのは、ホクトとイリア。

 二人は背中合わせに立ち、迫りくる敵を睨み据えた。


 黒き翼を広げたザイラスの姿が、空の向こうに揺らめく。

 ──かつて誰より信じた男の、変わり果てた姿。


 イリアの目がわずかに揺れた。

 けれど、その震えを押し込めるように息を整えると、唇を引き結んだ。


「ホクトさま……」


 彼女は静かに、だが強く言葉を紡いだ。


「さっそく、中立宣言のもと、共に戦わなければならないようですわね」


 わずかに唇を吊り上げ、イリアは笑う。

 その顔には、覚悟と、かすかな憂いが滲んでいた。


 ホクトは短く頷いた。


「……無論だ」


 剣を肩に担ぎ直し、視線をザイラスへと向ける。

 イリアもまた、魔力を練り上げながら、ふとホクトを見た。

 その瞳は、戦いの熱に煌めきながらも、どこか切実だった。


「この戦いが終わりましたらーーマリアを……彼女に、会わせてくださる?」


 一瞬、ホクトの眉がわずかに動いた。

 だが、すぐに静かに応じた。


「……ああ」


 イリアはそれだけで、満足げに微笑んだ。

 そして、両手に光の弓を生み出すと、目前の敵へ向けて矢を放った。


 怒りに狂ったザイラスが、黒く染まった翼を広げ、突進してくる。


 ホクトはその爪を、真正面から受け止めた。


「ぐぅ……っ!」


 重い衝撃が、骨まで響く。

 だが、退かない。


「姫、押すぞ!」


「ええ!」


 息を合わせた二人の一撃が、ザイラスの動きを一瞬止めた。

 その隙を逃さず、イリアが光の鎖を放つ。

 鎖はザイラスの四肢を絡め取り、空中に縛り付けた。


「ぐあああああああ!!マリアを、よこせぇぇえええ!!!!」


 激しく暴れるザイラスを、ホクトが大剣で抑え込む。

 その姿は、空の要塞のようだった。


 だが──周囲のサタンたちは、なおも数を減らすことなく押し寄せてくる。


 イリアが短く息を呑んだ。


「まずいわ……!」


 ホクトも状況を即座に見極めた。

 このままでは、ザイラスの拘束を保ちながら全員を捌くことは不可能だ。

 ましてや、蓮とスミレの安全も確保しなければならない。


「──一時撤退だ」


 低く、しかし揺るぎない声で、ホクトが告げた。

 イリアも即座に頷く。


「了解ですわ!」


 二人は拘束したザイラスを光の結界に封じ込めると、残る敵の群れを切り裂きながら後方へと退いた。

 空に、銀と金の光の軌跡が閃く。


 その刹那──

 ホクトの瞳には、蓮たちが墜落した森の方角が、はっきりと映っていた。


(待っていろ、蓮──)


 彼は剣を握り直し、イリアと共に、疾風のように空を駆けた。


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― 新着の感想 ―
なんと⁉️ 竜族だった‼️ しかも神のような存在と対峙することになるとは……。 色々と急展開で震えます。 (。ŏ﹏ŏ)
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