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【完結】狭間で俺が出会ったのは、妖精だった  作者: 紫羅乃もか
第5章 美しきスミレ花の上で
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助っ鳥

 四人が走り続ける中、道の先に闇の気配が立ち込め始める。

 風が急に冷たくなり、街路の灯りが震えるように揺れた。


「……何」


 リリスが短剣を握り直し、周囲を警戒しながら呟く。


「嫌な予感がする」


 タオも鋭く周囲を見回す。


 その時、突如として、一陣の暴風が街を駆け抜けた。

 風が渦巻き、そして──


「……出たな」


 ミネルが一歩後ろに退きながら、冷静に言葉を放つ。


 その瞬間、暗闇の中から──

 巨大な黒い影が現れた。

 それはただの「影」ではなく、目の前に現れるものが人の姿をしているわけではなく、まるで無形の力が具現化したかのような存在。


 蓮の心臓が一瞬で止まったかのような感覚に襲われる。


「サタン!?」


 タオが低く唸り、リリスも短剣を構えたが、すぐに一歩後ろに下がった。


「先に行け! 俺たちはここで引き止める!」


 タオが鋭く言った。

 リリスも無言で頷き、二人はサタンの魔力が渦巻く空間に立ち向かう準備を整えた。


「ああ──ありがとう!」


 蓮が叫ぶと同時に、二人は完全に戦闘態勢に入った。蓮はその背中を見送る間に、サタンの気配が徐々に強まるのを感じた。何かが、急激に形を成し始めている──それは、ただの魔力の波ではない、異常な圧力が広がっていくのを感じる。


 視界が、だんだんと歪んでいく。


 その時、目の前に広がる空気の変化に気づいた。天気が急に荒れ始め、風が強く吹き荒れる。突然、空が揺れ動き、魔力の渦が空中に現れる。渦の中からは、激しい力が溢れ出し、まるで世界そのものが歪んでいくかのようだ。


「イシュタルだ──」


 ミネルの声が冷徹に響く。蓮はその言葉に、確信を覚えた。足元が揺れ、地面が震える。まるで、この世界の秩序が崩れそうなほどの力が渦巻いている。


「渦が──イシュタルに向かっている」


 その言葉を聞き、蓮の心は一瞬で焦りを感じた。視界に映る渦は、目を離すことができないほど強力だ。


「行こう!」


 蓮は何の迷いも見せず、イシュタルへと駆け出そうとした。だが、その背に呼応するように、ミネルの低く鋭い声が飛んだ。


「待て。歩いて向かうには時間がかかりすぎる」


「でも、他に手段なんて──」


 その言葉を遮るように、背後から風がざわめいた。吹き抜けるというより、舞い降りる。耳を撫でる風音はまるで囁きのようで、木々が葉を震わせるよりも静かだった。蓮が振り返ったその瞬間、目に映ったのは“落ちてくる”のではなく、“降りてきた”存在だった。


 少女がいた。


 淡く光を帯びたような濃いピンク色の肌は、陽を受けるごとにしっとりとした艶を増す。風に揺れる髪は新芽のような柔らかな緑。瞳の色もまた同じ黄緑で、だが底知れぬ奥行きと透明さが宿っていた。背と耳からは、透き通るような翼が広がっている。それは装飾のようなものではなく、空そのものを写し取ったかのような、実体ある美しさだった。


 彼女は地上すれすれでふわりと浮かび、まるで足元の大気と一体化しているようだった。地に降りているのに、まったく重さを感じさせない。


「……困っているようね」


 その声は、風の音と区別がつかないほど静かだった。だが不思議と、心の奥にまで染み込んでくるような響きがあった。


「あなたたち、人間にしては珍しい風を纏っている。特に、そこのあなた──」


 少女の視線がミネルに向いた。じっと、まるで目の奥を覗き込むように見つめる。


「鳥人族……か?」


 ミネルは一歩前に出て、警戒心を滲ませたが、少女はくすっと笑った。柔らかな風が微かに巻き起こる。


「そんなに警戒しないで。イシュタルに向かうのでしょう? 手を貸してあげる。……あなたたちの行く先に、ただならぬ気配を感じたから」


 その言葉に、ミネルは数秒の沈黙を挟んでから、目を細める。


「……借りを作るつもりはない」


「構わないわ。ただ、いつか私たちの“願い”も聞いてくれると嬉しいのだけど──ふふ、今はまだその時じゃないかしら」


 カリュアはそう言って、風に揺れる髪をかき上げた。

 その仕草は不思議と年齢を感じさせず、幼さと大人びた気配が同居している。まるで時間の流れそのものから切り離された存在のようだった。

 足元の空気が微かに波立つ。彼女の周囲だけ、重力すら違っているような錯覚すら覚える。

 ミネルでさえ、次の言葉を見失ったようにじっと彼女を見つめていた。


 そして、ふと肩をすくめるようにして、カリュアは柔らかく微笑んだ。


「カリュアって呼んで。空に住んでるの。よろしくね」


 少女──カリュアはそう言いながら、翼を一度ゆっくりと広げた。


 そして、天を向けて手を軽く掲げる。その指先に呼応するように、空が震えた。風が彼女のまわりに集まり、目に見えない糸を紡ぐように旋回を始める。重力が、彼女の意志で書き換えられていく。


「掴まって。風が支えてくれるけど、念のために私がちゃんと力を加えるから」


 彼女のその言葉に、蓮とミネルは顔を見合わせる。

 突然の出会いだった。

 ──彼女を頼るしかなかった。


 彼女は自然に二人の元へ歩み寄り、片手ずつ蓮とミネルの腕を取った。驚くほど細い指先なのに、その握りにはしっかりとした芯があった。


 そして、次の瞬間──


 足元が、ふわりと浮いた。


「──っ!」


 風が渦を描き、彼らを持ち上げる。だがそれは暴力的な上昇ではなく、まるで水面から浮かび上がる泡のように静かな浮遊だった。重さは確かにあるはずなのに、それすら風がそっと預かっているかのようだった。


 そしてカリュアの背にある翼が羽ばたいた。風の流れが一変し、彼らの身体がゆっくりと、確実に空へと舞い上がる。


「……すごい……」


 蓮が思わずこぼした言葉は、音になった瞬間すら風に溶けるようだった。


 地上が遠ざかる。雲の層を抜けた先に広がる空は、かつて下から見上げたものとはまるで異なる世界だった。澄み渡った青の中に金色の陽光が射し、アーラ山脈の峰が凛として空を切り裂いていた。


 「空を渡れる者は、この世界にそう多くないわ。鳥人族はその数少ない例外」


カリュアが穏やかな声で告げる。


一拍の間があった。風が少しだけ変わる。


「……あなたも、少し変わっているわね」


その視線は、再びミネルへと向けられた。

 好奇心とも敵意とも違う。ただ、どこか……探るような、遠い記憶を探し当てようとする視線。


 ミネルは視線を逸らし、沈黙を貫いた。風を切るその横顔は、いつものように冷静で無表情だ。

 けれど蓮の胸には、なにか微かなひっかかりが残る。


(……ミネルは人間じゃない。あれは“人の形をした機械”だ。それは知ってる)


 だが──今のカリュアの目は……それだけじゃない、何かを感じ取ってたように見える。


(やっぱりミネルは只者じゃない……)


 そんな時、不意に疑問が浮かび、蓮はカリュアに問いかけた。


「……あの、どうしてカリュアさんは、あんな場所にいたんですか? 地上なんて、鳥人族には珍しい場所なんじゃ……」


 カリュアは少しの間、何かを思案するように黙り込んだ。そして、ふっと微笑む。


「たまたまよ。風が少し騒がしかったの。……とても懐かしい気配が混ざってたから、気になってね。降りてみたの」


 その言葉の奥に、淡く張り詰めたような気配が混じっていた。

 蓮はそれ以上は聞けなかった。けれど、自分たちが何かを巻き込んでしまっていることだけは、確かに感じた。


「……まあ、運命ってやつかもしれないわね」


 そう言うと、カリュアは翼を一閃させた。


「しっかり掴まって。スピードを上げるわよ」


 その瞬間、世界が音を立てて流れ出した。風が巻き起こり、空気を裂く。蓮は思わずミネルの腕にしがみつく。


「それより──ミネル! 一緒に動くの、試練以来だよな! お前には聞きたいことが山ほどあるんだ! ひと段落ついたら……絶対、話せよ!」


 風を割って、蓮は笑い混じりに叫ぶ。


 ミネルはちらとだけ振り向き、口元をわずかに緩める。


「……気が向いたらな」


 それだけを告げて、また前を向いた。


(……気が向いたら、か)


 蓮はその横顔を見つめながら、ゆっくりと息を吸い込んだ。

 ミネルが何者なのか、本当に知る日は──まだ少し先のようだった。


 青空を割る一対の翼は、まるで光を編んだようにきらめき、見下ろす大地を呑み込んでいた。

 森、山、湖……すべてが絵のように後ろへ流れ、やがて──


「……この速さなら、間に合う」


 ミネルがぽつりと呟く。


 高空から見下ろせば、かつて数日かけて越えたアーラ山脈が、ただの一筋の影のように広がっていた。

 少し先には、湖上都市メモリアの白い建物群が、水面に映して揺れている。


「……信じられない、もうここまで来たのか」


 蓮は風を切る中で呟いた。


 そんな時、カリュアが大気を蹴った。

 一気に高度を下げ、目にも止まらぬ速さで地上へと降りていく。


 視界の先に、白銀に輝く塔群と、堅牢な石造りの王都が広がっていた。

 イシュタルだ。


「──見えた!」


 そしてそこからさらに北へ──

 一面、紫色の花畑が風に揺れている。

 その中心にそびえ立つ巨大な樹木の幹は、以前見た時よりもさらに黒く、まるで時間すら呑み込んでしまいそうに異様に膨らんでいる。

 ──北区画。

 今ならその場所が何を意味するのか分かる気がした。

 樹木の頂上から、ゆらりと黒い渦が渦巻いているのが見えた。

 まるで暗い影が漂い、渦の中には何かが眠っているようだった。

 その渦の中から、わずかにかすかな……誰かの気配が感じられる。


 ──スミレだ。


 蓮は胸の奥で強い震えを感じた。

 その渦が示すもの──それが彼女だと、直感的に確信した。

 だが、何かがそれを邪魔している。今はそれを確かに捉えることができない。

 ただ、あの渦を見つめることで、無言のうちに何かが近づいている予感がした。


「カリュア──あそこに降りて!」


 蓮は叫び、しがみつく手に力を込めた。


「了解。……でも、気をつけて。あれは“闇”じゃない。もっと……深い何かが呼んでる」


 カリュアの翼が大きく羽ばたき、三人の身体が一気に滑空に入る。


 風を裂き、光を貫いて──彼らはスミレの待つ地へと、まっすぐに降下していった。


 もう、止まることなどできない勢いで。


 樹木へと降下し、その巨大な幹にかろうじて着地した。

 その背に乗った蓮は、地を蹴った瞬間──

 幹の奥深く、絡みつくように伸びた枝に、ぐったりと拘束されたスミレの姿を捉えた。


「スミレ!!」


 叫びながらカリュアの背から飛び降りる。


「私が手を貸せるのは、ここまで!」


 そんなカリュアの声を背に──着地した瞬間、世界が、ぐにゃりと歪んだ。


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― 新着の感想 ―
ミネルは随分と久しぶりな感じですね。 謎が多いですし、ミネルの話も気になるところです。 (*´ω`*)
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