リリスVS美穂 タオVSミネル
訓練広場の片隅で、白い吐息が静かに宙に溶けていく。
対戦を待つ少女の影が、淡い朝陽に照らされて伸びていた。
リリスは少し緊張した面持ちで、美穂の前に立つ。
戦いの場ではあるが、敵意はない。むしろ、ようやく正面から言葉を交わせる機会に、どこか不思議な高揚感すらあった。
「美穂ちゃん、こうしてちゃんと話すのって初めてかもね」
短剣の柄を軽く握り直しながら、リリスが静かに口を開く。
「ティナがいなくなって、あたしの力も変わった。だから、今日は全力でいくよ」
美穂はじっとリリスを見つめ、ほんの僅かに頷いた。その目は冷静で、けれどどこか優しい。
「わかった。私も手は抜かない。あなたのこと、まだ多くは知らないけど……今日で何か見えるかも」
「あたしだって、美穂の魔法、気になるんだ」
リリスが短剣を振ると、刃先に淡い青の鬼火が灯った。ゆらりと揺れる光は、彼女の内にある揺れを映しているようにも見えた。
「気になるのは魔法だけじゃない……美穂ちゃんのその強さと冷静さ。たまに怖くなるけど、今日はぶつかり合いたい」
美穂は腕を組み、じっとリリスを見つめたまま言う。
「怖さってのは、相手をよく知らないから感じるものだと思ってる。今日、少しは減るかもね」
「……ふふ、かもね」
リリスは笑った。だがその笑みの奥には、失ったものと、それでも進む意思が確かに宿っている。
「なら、行くよ」
美穂は片手を掲げ、空間に魔法陣を走らせる――だが、それだけではない。
風を巻き起こすように足を踏み出し、もう片手で地面をなぞる。氷の棘が地中からせり上がり、戦場に陣を築く。
「お互い、負けられないってことだ」
短剣の鬼火が激しく揺れ、魔法の光が訓練広場を照らす。
「第2試合──リリスVS美穂!」
笛の音が鋭く響いたその瞬間、リリスは地面を蹴った。
風を切り裂く音とともに、一閃。
青く燃える刃が、美穂に迫る。
美穂は後退することなく、両手を広げた。
片方では宙に氷の盾を瞬時に形成、もう一方では足元から光の杭を立ち上げ、リリスの進路を封じる。
「速い……でも、その程度」
声は冷静だが、指先の魔法は決して手を抜かない。
リリスはその余裕に、むしろ火をつけられた。
「今のは様子見。次は本気でかかる!」
リリスが短剣を旋回させると、刃から鬼火の幻影が放たれ、分身のように宙を舞う。
まるで複数のリリスが同時に襲いかかってくるような錯覚を与える攻撃だ。
美穂はその幻影をすべて視界に収め、宙に三重の魔法陣を浮かべた。
一つは防御、一つは重力を操る拘束、もう一つは雷撃を込めた反撃用。
「……逃がさない」
雷の矢が幻影を一掃し、次いで重力の魔法がリリスの足元を捉える。
だがリリスは地面に足をつけることなく、跳ねるように飛び上がった。
「惜しいね、美穂ちゃん!」
空中で一回転しながら、美穂の横をすり抜け――短剣の刃先が、彼女の髪をかすめた。
髪が一房、ふわりと宙を舞う。
「今の、いいじゃない」
美穂が初めて、僅かに口元をほころばせる。
リリスは地面に着地すると、苦しげに息を整えながらも、目の輝きを失わなかった。
「まだ終わらない……あたしは負けない」
その言葉に、美穂は静かに首を振る。
「でも、終わらせるよ。あなたがその想いを背負ってるなら、こっちも本気で応える」
そして次の瞬間――
彼女の足元から無数の氷柱が走り、リリスの周囲に閉じた結界を作る。
その氷の檻が形を成すと同時に、美穂の指先から鎖が放たれた。
「──氷縛連鎖」
リリスの四肢を、光と氷が絡め取った。
「──っ!」
必死に短剣を振るうも、氷の鎖は硬化し、びくともしない。
「動けない……」
悔しさに滲む目が、美穂を見つめる。
美穂はゆっくりと歩み寄り、そっと告げた。
「無理よ。力だけじゃ越えられない壁もある。だけど、あなたなら超えられると思う」
リリスは目を伏せ、短く息を吐いた。
「……負けた」
その言葉には、確かな悔しさと、それを認める強さがあった。
「今日は私の勝ち。でも、あなたの力はこれからもっと伸びる。だから……次はもっと強くなって来て」
リリスは鎖に縛られながらも、わずかに微笑んだ。
「うん。ありがとう、美穂ちゃん」
二人の間に、戦いを超えた絆が生まれていた。
***
リリスが観戦席に戻ってきたのは、それから少ししてからだった。
まだ息が上がっていて、肩も僅かに揺れている。だが、目は澄んでいた。
「おかえり。……惜しかったな」
蓮が声をかけると、リリスは肩をすくめながら席に腰を下ろした。
「うん、ボロ負け。あれはやばい。完全に手の内、読まれてたって感じ」
「でも、最後よかったよ。ちゃんと……届いてたと思う」
「届いてたのは鎖だけよ」
自虐っぽく言いながらも、その口元は少し緩んでいた。
悔しさの奥に、なにか納得したような、それでいて吹っ切れたような表情が浮かぶ。
「でも、ちょっと嬉しかったんだ。あんなふうに言ってくれるなんて。
……あたし、もうちょっと強くなれる気がする」
その横顔を見て、蓮は「そうだな」とだけ返した。
昼を過ぎた訓練広場に、また一つ静かな緊張が走る。
観戦席に座った蓮が、ふと隣を見る。
「タオとミネルって、同期か? あいつらが一緒にいるイメージがなくてさ」
問いかけに、リリスが小さく笑った。
「ミネルの方が少し早かったと思う。あたしらが正式に団員になった頃、ミネルはもう仕事を選んで動いてたからね」
その視線は真剣だった。見据える先は、もちろん試合場に立つタオの背中だ。
「二人とも群れるタイプじゃない。だからこそ、余計に気になる」
「気になる?」
「……あの二人、似てないようでどこか似てるんだよ。根っこの強さとか、孤独を力にしてるとことか」
そんな会話を背に、広場の中心には静寂が降りる。
風も止み、観客のざわめきも遠くなる。
タオは軽く首を回しながら、向かいのミネルを一瞥した。
「やる気あんのかってくらい静かだな、お前は」
ミネルは何も言わず、剣を抜くだけで応える。
その無表情な顔には、感情の一切が浮かばない。
――笛が鳴った。
第三試合はミネル対タオ。
異色のカードに観客席がざわめく中、二人は静かに構えた。
ミネルは身体を包む軽装の防具の下、魔力の気配すら感じさせずに構える。
対してタオは、飄々とした雰囲気を崩さず、重心を低くして――
その爪先がわずかに動いた瞬間、砂が舞った。
静かな咆哮のような殺気が、辺りに広がる。
「……開幕から出し惜しみ無しか」
リリスが小さく呟く。
ミネルが先に動く。手のひらから放たれた風が、鋭利な刃のようにタオを襲う。
だがタオはすでに動いていた。
風をすり抜け、獣のような跳躍でミネルの側面に回り込む。
肉弾戦。爪と牙。タオの真骨頂だ。
「……やっぱ速ぇな、あいつ」
蓮が目を見張る。
だが――
届かない。
ミネルはわずかに身体を傾け、タオの攻撃を完璧に避けた。
まるで一瞬先の未来を見ているかのように。
「……なんだと!?」「おいおい!?」
観客席が騒然とする。
「ミネルとはアーラ山脈の迷宮試練で一緒に戦ったことがあるんだけど……あの時はまた違った術式を見せてくるんだな」
蓮がぽつりと呟く。
リリスは頷きながら、視線は戦場に釘付けだ。
「ええ……無魔力無属性のミネルだけれど、彼には“魔法適性能力”があるの。属性魔法じゃないけど、知識と学習で再現してる」
「ま、まじかよ……」
(魔力ゼロで魔法を使えるとか……どんだけ理不尽なんだ)
試合中、ミネルが左手をかざした。
見えない“波”のような衝撃が、空気を揺らす。
「っ……!」
タオの動きが一瞬、止まった。
脳にノイズが走る。視界が、時間が、ズレる。
その隙にミネルが詰め、剣の峰でタオの腹部を叩いた。
ドンッという重い音。
「うわ! タオ、痛そー……」
蓮の声に、リリスは冷静に返す。
「正反対に、ミネルは痛みを感じない。かなりタオが不利ね」
そして続ける。
「もう蓮も知ってるでしょ? ミネルが人型ロボットだって。誰が何のために作ったのかは、あたしにもわからないけど……今は仲間よ」
その声には、確かな信頼が宿っていた。
タオは倒れながらも立ち上がり、口元を拭った。
「……ちっとだけ本気出すぜ?」
目が鋭く光る。
次の瞬間、咆哮のように疾走するタオ。
その牙と爪は、まさに風を裂いた。
だがミネルは――
まったく表情を変えず、剣を振るい、また思考干渉を放った。
視界が歪み、時間が狂う。まるで現実にノイズが走ったかのような錯覚。
「っ、視界が――っ……!」
タオがよろめく。
ミネルは静かに構え直す。
「お、おい! このままじゃ……」
「さあ――どうかしらね。タオは頑固だから」
リリスが口元に指を添えながら言う。
「ミネルは精密な使い方をする。魔力の量じゃなくて、質で攻めてるの。無駄がない」
リリスが見た、タオの目が細まった。
無表情に見えて、それは“楽しくなってきた”目――
(この顔になると、タオはもう止まらない)
次の瞬間。空気が揺れた。
タオの気配が、一段階跳ね上がる。
飛んだ。地を裂き、風を斬るように。
ミネルがそれを読み、再び後方へ跳ぶ――が。
タオは、あえて読み通りに動いた。
そして、ミネルの“次の行動”を先に読む。
「読まれてるって、わかってて外したよ――!」
沈んだ体勢から、逆方向に捻った爪が閃く。
その軌道はミネルの死角。
装甲が裂け、金属音が広がる。
ミネルが膝をついた。
審判の旗が上がる。
「勝者、タオ!」
歓声が広がる中、タオは肩で息をしながら、ニヤリと笑った。
「……お前に勝ってみたかったんだ」
静かな言葉だったが、それは確かに届いていた。
ミネルはゆっくりと立ち上がり、黙って剣を収める。
そして、ようやく口を開いた。
「……タオの力は部品を傷める。……もう勘弁だ」
無表情な顔で、どこか淡々と。けれど、その言葉に妙な“体感”がこもっていた。
タオはさらに歯を見せて笑う。
「へっ、そいつは光栄だな」
そのやり取りに、観客席が再びざわついた。
けれど、二人の間にはもう言葉は必要ないのであった。




