巨人族の暮らし
グラーズが一行を乗せて歩きはじめてから、まだ数十メートル。
辿り着いた先にあったのは、岩に囲まれた不思議な空間だった。
中央に、なにやら巨大な“鍋”のようなものが据えられている。
「……嫌な予感しかしない」
蓮がぽつりとつぶやいたその時、グラーズの声が響いた。
「よし、儀式を始めるぞ! あの鍋で体を清めてこい!」
ドン、と足踏み一つ。大地が揺れた。
「大地の洗礼を受けるのが、このへカトンの決まりだ。
魂を巨人の大地とひとつにする、神聖な儀式なんだぞ」
「さあ、誰が行く?」
一瞬の沈黙のあと、皆の視線がいっせいに――蓮を向いた。
「……え、俺!?」
まるで台本にあるかのような、完璧な“全員一致”だった。
蓮が鍋に視線を落とす。
それは車一台がすっぽり入りそうな巨大な鍋。
中には、泥のような、あるいは濃いお茶のような――何とも形容しがたい、ぬるんとした色の液体がたっぷり。
ぶくぶくと泡まで立っている。
「蓮、男気を見せる時だよ」
グリンダがにっこりと笑う。
「ふふ……無事だったら、感想聞かせてね」
美穂が口元に手を当てて、くすりと笑った。
「蓮、応援してるわ」
スミレまでが、まるで卒業式のような表情で微笑んでいる。
「よし、決まりだな」
グラーズが蓮の返事も待たずに、がしっとその体をつまみあげた。
「ちょっ、ちょっと待って、ちょっと、ちょっとちょっとぉ!!」
蓮が手足をバタつかせるが、まったく意味がない。
むしろ小さな魚が水揚げされたかのような光景である。
そして次の瞬間、巨人の手の中からポーンと放られた蓮の体は――
どっぽーん!!
ものすごい水しぶきを上げて、鍋の中に吸い込まれた。
「………………ッッ!!!!!」
しばし沈黙。鍋の中から蓮の断末魔のような声だけが響き渡った。
「……ってええええええ!? これ、熱くはないけど冷たくもねえ!!ぬ、ぬるい!?ぬるぬるする!?うおおお目に入ったあああ!!」
外から鍋を見上げていた三人は――
「ふふっ」
「ぷっ……」
「がんばれ、蓮……!」
肩を揺らしながら笑いをこらえていた。
***
無事に鍋から引き上げられた蓮は、全身ぬるぬるとした粘液まみれで、何とも言えない不快感に包まれていた。
べっとりと重たいそれが肌にまとわりつき、少しでも動くと、ぬちょ……と音を立てる。ひとまず“清め”とは名ばかりの試練は乗り越えたのだが、その代償は大きかった。
何より腹立たしいのは、鍋のふちで肩を震わせながら大笑いするグリンダの姿だった。
「っははは! あっははは!! それはなかなか立派な洗礼だったねぇ! いやあ最高、最高!」
「笑いすぎだろ……」
地面にへたり込みながら、蓮は恨めしげに唇を尖らせた。
そんな蓮をよそに、儀式を終えた一行は次の目的地へと案内された。
向かった先は――巨人族たちが集う、大地の宴の場だった。
「さあ、遠慮せずにどんどん食べろ」
グラーズが広げた手の先には、巨岩を組んだような長テーブルがずらりと並び、その上に山のように積まれた食材が置かれていた。
炙り焼きにされた巨大な獣の足。
ドラム缶ほどもある器に盛られた“根菜の煮込み”。
山ほどの干し果実、岩塩をまぶした硬そうなチーズ、そして何より、ひと抱えあるパンがどっさりと置かれていた。
「……すげえ。何から食べればいいんだ、これ」
蓮が見上げるようにパンを見てつぶやく。
「グラーズ、お父さん……これ、どうやって食べるの?」
美穂が指を差した先には、大地色のどろりとしたスープのようなもの。巨大な鍋から湯気が立ち上っている。
「それは“石のポタージュ”だな。石じゃないぞ、石の下で育つ根っこや菌を煮込んである。ほら、これで飲め」
グラーズが手渡してきたのは――丼サイズのスプーンだった。
「で、でか……」
「あら、意外と良い香り」
スミレがそっと器に口をつける。
「……あ、うん。いける。ちょっと土っぽいけど、身体が温まる感じ」
「いただきまーす」
美穂がさっそくパンをちぎってスープに浸していた。見慣れぬ食材でも臆することなく楽しむ姿に、さすがの度胸を感じる。
蓮も渋々ぬるぬるのまま席につき、「……いただきます」と手を合わせた。
ただし、巨人たちの視線はまだ止まない。
蓮が口を開けば、もぐもぐ食べるたびに、チラチラと向けられる複数の目線。
「……あの、俺、そんなに珍しい?」
「蓮、まるで見世物みたいになってるわよ」
スミレが小声で囁いた。
「食われないよな……?」
「食材には見えないけど、祭りのマスコットには見えるかも」
美穂がくすっと笑った。
どうやら“清めの儀式”を乗り越えた蓮は、今や歓迎ムードの顔役にされてしまったらしい。
宴は陽気に、そして豪快に進んでいった。
***
宴が終わる頃には、蓮の身体についたぬるぬるもすっかり乾き、今度はべたべたとした違和感が肌に残るようになっていた。
「さて、次は風呂だな」
グラーズの一声に、蓮はほっと息をつく。
「風呂!それ!それ待ってた!!」
「こっちだ。へカトンの“清め湯”は格別だぞ」
彼に案内されて進んだ先にあったのは――
巨大な露天の泉だった。
夜の空の下、月明かりが水面に反射して揺れている。
周囲は自然の岩で囲われ、まるで秘境の中にある楽園のような風情。
池と呼ぶには綺麗すぎて、温泉と呼ぶには開けすぎている。だが確かに、温かい湯気がほんのりと立ち上っていた。
「でかっ……!」
「ここの地熱を利用してるんだ。浅いとこも深いとこもある。好きなとこ入るといいよ」
グリンダが岩の上で服を脱ぎながらさらっと言った。
「ちょっ、まっ……! えっ!?」
蓮が目を剥いた。
「なに?あんたも入るんでしょ?あたしは慣れてるよ、ここ」
「いやいやいやいや!そういう意味じゃなくて!普通に男女分かれてとかそういう……!」
美穂も眉をひそめて蓮を一瞬見たあと、グリンダに小声で抗議した。
「私は……ちょっと抵抗あるかも」
「あ〜、まあそう言うと思って、ちゃんとこっちに“女子向けの奥の湯”あるよ。岩で仕切られてて見えないし、遠くて声もあまり届かない。あたしはそっち行くから!」
「最初からそう言ってちょうだいよ!」
スミレが思わずつっこむ。
「わたしもそっちがいい」
美穂も即答だった。
「俺は……こっちで……っていうか一人!?」
蓮が指差した広すぎる湯船には、巨人族の男たちがもうすでにのんびりと浸かっていた。
「蓮、こっちのほう来たら許さないからね」
美穂の目が光る。
「あなたなら見ないと信じてるわ。でも、油断はしないで」
スミレも釘を刺す。
「見ねぇよ!?誰が見るか!!」
グリンダが湯に入る前に笑いながら振り返った。
「蓮、平気平気。ここの泉、見ようと思っても何も見えないよ〜。湯気がすごいし、夜だし、距離あるし。……でももし、見ようとしたって分かったら、あたしも殴るからね?」
「だーかーらー!!俺、風呂に入りたいだけなんだってば!!」
結局、蓮は月夜の露天湯で孤独に浸かることになった。
大地の温もりを感じる泉は極上だったが――
「……落ち着かねぇ……」
静かに湯に揺られながら、蓮は夜空を見上げてため息をついた。
湯に浸かってしばらく経つと、蓮の気持ちも少しずつ落ち着いてきた。
お湯は心地よく、遠くで星が流れ、風が岩をなでていく。
「……ふう、まあ、こういうのも悪くないな」
思わず口に出たその言葉が、水面に溶けていく。
すると、その湯の奥――岩を隔てた向こうから、声が聞こえた。
「ねえ、スミレって、昔からそんなに……あったの?」
美穂の声だ。やや控えめに、でもはっきりと。
「え? な、なにを……!」
スミレが慌てている。けれど、美穂は追撃する。
「ほら、スタイルとか……あきらかに差があるじゃない?ねえ、グリンダも思わない?」
「ん〜まあね〜。あたしはあたしで自信あるけど、スミレはすごいよ。腰のラインも綺麗だし」
「んぅっ!ちょっと、急に触らないの……!」
「羨ましいなあ〜、わたしももう少しあったら……蓮が驚くくらいには……」
「もうっ、美穂ちゃん!」
「え? だって、気になるでしょ?男子って結局そういうの……」
(……やばい……聞こえてる……)
蓮は真っ赤な顔で、湯の中に頭まで沈みかけた。
聞こえてるなんて言えるわけがない。ていうか話題が爆弾すぎる。
(俺、ここで動いたら誤解されるやつ……っ!!)
全力で「気づいてないフリ」に徹するしかなかった。
「……まあ、蓮は顔に出やすいから、わかりやすいけど」
「ふふ、たしかに」
「だよね。あとでチェックしてみよっか」
(チェックって何!?なんで俺がチェックされる流れになってんだ!!)
蓮の心の叫びが空に消えていくそのとき――
「よぉ!若造!」
突如、蓮のすぐ横で、ドボォン!という水音が響いた。
「!?!?」
横を向くと、そこには上半身裸の巨人族のおじさんが浸かっていた。
肩幅だけで畳三枚分はありそうだ。
「ここは初めてか?清め湯ってのはなあ、湯と会話を楽しむ場所でもあるんだ。語るなら今のうちだぞ」
(いやいや今は語れねえよ!!)
その声はもちろん、岩の向こうにも届いた。
「あっ、誰か来た?」
「え、なに?他の人いるの?」
(頼むから今だけは黙っててくれ……!!)
蓮は必死に湯に沈み込みながら、声を殺して願うしかなかった。




