迷宮の守護者
だが、その安堵はほんの一瞬だった。
薄暗い空間に、鈍く響く金属音。
ギィ……と何かが軋むような音が耳を打つ。
視界の先──広間の奥に、ゆっくりと姿を現したのは、巨大な鎧に包まれた異形の存在だった。全身を黒鉄の甲冑に覆われ、顔は兜の奥に沈み込んで見えない。右手に構えた大剣が、まるで意志を持つかのように唸りを上げた。
「……あれが、守護者だ」
ホクトの声が低く響く。
鎧の巨体が一歩、また一歩と前に出るたびに、床石がきしみ、細かな砂埃が舞い上がった。
そして、守護者の動きに呼応するように、広間の周囲に潜んでいた影たちがざわりと揺れる。
不気味な静寂が、圧のように押し寄せる。
「構えろ……分身する」
ミネルの冷静な声が響いた瞬間、影が割れ、同じ姿をした守護者が次々と現れる。
「四体……!」
美穂が呟くと同時に、分身の一体が猛然と彼女へと斬りかかった。
魔力を展開し、ギリギリで盾を展開する美穂だが、手元が痺れるような重さに顔をしかめる。
「これ、単なる幻じゃない……攻撃も本物!」
「まるごと実体化してるってことか!」
蓮は剣を引き抜き、迫る分身体に一閃を加えるが、その身は分厚い鎧に守られ、剣が弾かれる。
「数が増えたなら、各個撃破しかないな。俺は右の分身体をやろう」
ホクトが声をかけると同時に、大剣を振り抜いた。圧縮された魔力が剣の軌跡に沿って奔り、分身体のひとつを弾き飛ばす。
「ミネル、左から来るぞ」
「了解。目を見て……同期完了」
ミネルが分身体の視線を捉えた瞬間、その動きが鈍る。彼女はその隙に肩口へ一撃を叩き込み、機械の腕が火花を散らす。
「美穂、援護頼む!」
蓮が叫び、剣を構えて突撃する。美穂はすかさず呪文を紡ぎ、雷の槍を生成する。
「穿て、雷槍!」
閃光が分身体の胸部を貫き、鎧が焦げ付く。その隙に蓮が滑り込み、剣を突き立てた。
「三体倒した……! でも、まだ本体が……!」
四体目の分身が霧のように崩れ、中心にいた本体が姿を現す。だが、その鎧の胸元から、赤く脈打つような魔力が噴き出していた。
「本気でくるぞ。ここからが本番だ」
ホクトの声が低くなる。
守護者は、魔力を圧縮し、巨大な黒の双剣を具現化させる。その刃先からは空気が震えるような重圧が広がっていた。
「俺が引きつける」
ホクトの背に、うっすらと銀の鱗が浮かぶ。両眼は金に染まり、瞳孔が細く尖った。
「ホクトさん……その姿……!」
蓮が息を呑む。
(まさか……いや、でもこの鱗……金色の目……)
人間界にいた頃、古書で読んだ竜の姿──伝承で語られる“竜人”と、今のホクトの姿が重なって見えた。
信じられない、けれど確かにそこに在る。
──ホクトの変異型は……竜人なのか?
ホクトが一歩踏み込む。瞬間、大地が砕け、大剣を握る腕から爆発的な魔力がほとばしる。
魔力を纏った一撃が、守護者の斧と激突し、雷鳴のような衝撃音があたりに轟いた。
「今だ、全員で畳みかける!」
ホクトの叫びに、三人が呼応する。
ミネルが跳躍。空中から目くらましの閃光を炸裂させ、守護者の視界を奪う。
美穂の放つ火炎魔法が、立て続けに着弾し、鎧の脚部を焼き裂いた。
蓮は剣で動きを封じつつ、一気に距離を詰めていく。
「これで──終わりだッ!!」
振り抜いた剣が、守護者の胸を深々と貫く。
一瞬の沈黙のあと──
巨体が、崩れた。
鎧の破片が音もなく砕け、光の粒となって宙に舞う。
荒く息を吐きながら、四人はその場に立ち尽くしていた。
倒した。全員で。
誰一人欠けることなく──試練を、乗り越えたのだ。
「やった……! やったやった!」
蓮が声をあげる。
美穂が安堵したように胸を撫で下ろし、ミネルは変わらぬ表情の中に、ほんのわずか達成感をにじませる。
そしてホクト──彼は少し離れた場所で、静かに仲間たちを見守っていた。
戦いの熱が冷めていく中、蓮はふとホクトの背中を見る。
銀の鱗はすでに消えかけていたが、あの異質な輝きと金色の眼は、脳裏に強く焼きついている。
少しの逡巡の後、蓮は意を決して口を開いた。
「ホクトさんは──竜人、なんですね?」
ホクトはわずかに目を細める。
否定する様子も、驚くそぶりもなかった。ただ、どこか懐かしさすら感じるような静かな声音で答える。
「……ああ。そうだ」
「でも、どうして今まで……」
「言わなかっただけだ。聞かれなかったからな。竜人であることは、“お前たちと共にいる理由”には、関係ないだろう?」
その言葉に、蓮は何も言い返せなかった。
けれど、それで十分だった。ホクトの覚悟と優しさが、言葉の奥ににじんでいたから。
そのとき、ミネルが前方に視線を向けた。
「迷宮の出口。開かれたようだ」
石壁に覆われていた先が、光を帯びて開きはじめる。
裂けるように伸びる光の道。空気はやわらかく、外の世界の気配が満ちていく。
「ようやく……抜けられるんだな」
蓮が小さく呟いた声に、美穂が頷いた。
ホクトも歩き出し、四人は自然と肩を並べて進み出す。
光に満ちた出口へと、一歩、一歩。
試練の迷宮を越えた先に、また新しい旅が待っている。
けれど今はただ、この瞬間を胸に刻むように、仲間たちは前を向いた。




