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【完結】狭間で俺が出会ったのは、妖精だった  作者: 紫羅乃もか
第3章 魔法の光は過去を映す
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試練 対峙

 暗闇。何もない。何も感じない。静寂の空間。

 ミネルは、ただ立っていた。

 光も、色も存在しない。情報も、目的も、ない。そんな中──耳の奥で、何かが揺れる。ノイズのような、かすかな音。


「お前は、ただの機械だ」

「心など不要だ。効率だけを求めろ」

「それが、お前の存在意義だろう?」


 低く響く声。どこか懐かしい。だが、それが“誰”の声なのか、彼女には分からなかった。

 続いて、別の声が届く。優しく、けれど泣いているような声だった。


「頼む、戻ってきてくれ……お願いだから……」

「君がいなくなった世界で、俺はずっと……」


 記憶の断片。滲んでいく、誰かの手。

 伸ばしても届かない、“かつての何か”。


 ──分からない。

 彼女には、まだ“感情”の輪郭が掴めない。

 それでも。


「……私は、命令では動かない」


 ミネルの声が、空間に響く。


「記録は不完全。感情も理解できない。だが、私は──選んだ」


 蓮、美穂、ホクト。

 彼らと共に戦うことを。共に進むことを。


「それが、最も合理的で、最も……正しい選択だ」


 淡く、空間にひびが入る。

 試練の帳が崩れ始める。


 ミネルの目に、一瞬だけ浮かんだ“揺らぎ”は、光のようでもあり、ノイズのようでもあった。

 光が差し込み、空間が割れる。

 試練の闇が崩れ、現実の迷宮の空気が流れ込む。


 ミネルは静かに立っていた。

 衣服は乱れておらず、傷もない。

 けれど、その背には、どこか疲労のような影が滲んでいた。


「……ミネル!」


 蓮が駆け寄る。

 不安げに彼女の顔を覗き込むが、ミネルは目を伏せたまま、わずかに首を傾けただけだった。


「何があったんだ?」


 しばしの沈黙。

 ミネルは、迷うような間を置いて、ぽつりと答える。


「……誰かの声が、聞こえた」


「声?」


「正体は不明。記録にも一致しない。ただ……“私に戻ってきてほしい”と、そう言っていた」


 蓮は黙ってミネルの言葉に耳を傾ける。

 彼女の言葉はいつも淡々としている。それでも、そこには確かに“迷い”があった。


「だが、私は選んだ。ここに残ると」


「……なんで?」


 問いに、ミネルはほんのわずかだけ顔を上げる。


「合理的だから」


 それは、どこまでもミネルらしい答えだった。

 けれど、その声には確かに、自分の意思で決めたという強さがあった。

 蓮は、それ以上何も言わなかった。ただ、小さく笑ってうなずく。


「うん、ミネルらしいね」


 空気は、張り詰めたままだった。

 むしろ、次の“波”が押し寄せてくる気配が、肌をひりつかせるほど濃くなっていた。


「次は……誰だ?」


 蓮の言葉に答えるように、今度は美穂の足元に、ふわりと霧が立ち上がる。


「っ……!」


 美穂が一歩下がると、霧はまるで彼女を誘うようにまとわりつき、その輪郭を包んでいく。


「待って、美穂!」


 蓮が声を上げるが、美穂は小さくかぶりを振った。

 その瞳はどこか、覚悟を決めたように澄んでいた。


「大丈夫。……たぶん、避けては通れないやつだと思うから」


 そう言って微笑む彼女の表情には、どこか諦めに似た影があった。

 だが、それを見届ける間もなく──霧が彼女を呑み込んだ。


 次の瞬間、美穂の意識は、白い虚空へと沈みこんでいった。


 ──空間が揺れる。冷たい風が吹いた。


 気がつけば、美穂は霧の中に立っていた。

 どこか懐かしい匂いがする。けれどそれは、決して心地よい記憶ではない。


 広がるのは、ノワル研究区画。

 誰もいない、白い廊下。閉ざされた部屋。どこからか聞こえる、魔力の爆発音。悲鳴。命令。冷たい評価の声。


 美穂の視線が、ある一つの扉で止まる。

 その扉の向こうに、誰かが立っていた。


「……ママ?」


 小さな背中。見覚えのある髪の色。あれほど会いたかった人が、そこにいる。

 だけどその顔には、表情がない。ただ、冷たい声が響く。


「あなたはまだ足りない。弱すぎる。だから、置いていくしかなかったの」


 胸が苦しくなる。

 違う。そんな言葉が聞きたかったんじゃない。

 でも、美穂は気づいていた。

 ──これは母の言葉じゃない。自分の心が作り出した“恐れ”の声だと。


「怖いのよ。私は──自分の魔力が」


 その瞬間、空間が歪む。美穂の周囲に、黒い影が現れる。

 それは彼女自身の魔力が形を変えたもの。制御を失い暴走する、恐怖の象徴。

 息を呑み、杖を構える。

 けれどその手は、ほんのわずかに震えていた。


 そのとき、誰かの手が肩に触れた。

 振り返ると、そこに蓮が、ミネルが、ホクトがいた。

 どこから現れたのかではなく──“今ここにいる”ことが、大事だった。


「怖がるな、美穂。俺たちは、お前を見捨てたりしない」


 ホクトの言葉が、光のように届く。


「私は、ただ強くなることに執着してきた。でも、本当は怖かった。力も、自分自身も……ママに、なにを残せばよかったのか、ずっと分からなかった……」


 黒い魔力の影が、美穂を包もうとした瞬間。


「それでも──私は、“私を愛してくれた”ママを信じたい」


 そう叫び、彼女は杖を振るう。

 その一撃は、影を裂いた。

 闇が晴れ、母の幻が、微笑むように消えていく。


「あなたが生きているだけで、満足よ」


 ──それは、本物の母がかつて言った言葉だった。


 空間が静かに砕ける。

 美穂の目の前に、仲間たちが立っていた。


 美穂が戻ってきたとき、彼女は静かだった。

 ほんの少し、呼吸が荒い。それでも強くあろうとするその姿に、誰も何も言えなかった。


 そして、次に動いたのは──ホクトだった。


「……俺が行く」


 その言葉は、誰の誘導も必要としないものだった。

 まるで最初から分かっていたかのように、彼は一歩前へと進み出る。


「ホクトさん……!」


 蓮が言いかけた言葉を、ホクトは手で制した。


「これは俺だけで解決する」


 その背中が、かつての英雄のようにまっすぐだった。

 彼の周囲に、炎のような赤い結界が立ち上がる。情念とも呪縛とも言える、熱を孕んだ魔法領域。


 彼は、その中へと静かに歩を進めた。


 誰にも頼らず、誰の助けも受けず──

 それが、彼が選んだ“罪滅ぼし”の在り方だった。


 暗い空間。

 その中で、ホクトはひとり、無数の影に囲まれていた。


 影は人の形をしていた。

 かつて共に剣を振るった仲間たち──そのはずだった。今ではただ、彼を“裏切り者”と呼ぶ声だけが、耳を刺してくる。


「なぜ抗った」

「なぜ俺たちを見捨てた」

「お前だけが、生きている意味はあるのか?」


 ホクトは、目を閉じたまま黙っていた。

 胸に突き刺さる言葉は、すべて過去の自分が問うていたものだ。

 それでも──彼は、口を開く。


「……生き残ったのは、俺の意志だ。死ぬことも、堕ちることもできた。だが、選ばなかった」

「お前たちの無念も、失敗も、後悔も。俺がすべて、背負っていくと決めた」


 握った拳が、静かに震える。

 目の前の影が、剣を抜く。かつての“仲間”が、敵として襲いかかる。


 ホクトは剣を抜かない。

 真正面から、その影を受け止める。


 一閃──

 刃ではなく、気迫で、圧で、心で打ち払う。

 影が砕ける。空間が揺れる。


「俺はもう、“誰かのために戦う”と決めた……裏切り者で構わない。だが──俺は、もう迷わない」


 影たちが静かに霧散していく。

 最後に残った一人の影だけが、振り向かずに言う。


「……ならば、進め。お前の道を」


 それが仲間だった者か、自分自身の幻かは分からない。

 だがホクトは、何も言わずに背を向け、歩き出した。


 迷いのない瞳。

 背筋はまっすぐ、ただ“前”だけを見据えていた。


 ホクトは、霧の帳を割って現れた。

 その無骨な足取りと、揺るがぬ背中。姿を見せた彼は、何も語らず、自然に仲間たちの隣へと立った。

 ミネルはわずかに肩を上下させながらも、変わらぬ無表情で立ち尽くしている。

 美穂は静かに、それでも確かな眼差しで前を見据えていた。

 そして三人は、揃った──それぞれが、自らの試練を越えた者として。


 試練は、確かにそれぞれを揺さぶった。


 過去、罪、そして自分自身の弱さ──。

 それでも彼らは、乗り越えたのだ。心の闇を、己の手で。


 蓮はその光景を、黙って見つめていた。胸の奥に何かがじわりと滲んでいく。安堵、敬意、そして……焦り。


「……残るは、お前だけだな」


 ホクトの声が、静かに響いた。まるで重石のように、背に落ちる。低く抑えられたその声音には、期待と信頼、そしてほんの僅かな憂いが混ざっていた。


 蓮は背を向けたまま、小さく頷いた。


「うん……わかってる」


 どこかで、ずっと気づいていた。この迷宮がただの空間ではないことを。

 ここは試される場所。力ではなく、心の在り方が問われる場所。


 ──選べ、と。


 それが誰の声でもなくても、蓮の中には確かに響いていた。胸の奥で、何かが答えを待っていた。


 そのときだった。足元に、黒い波紋のような影がゆらりと広がり始めた。まるで意志を持つかのように、じわじわと空間を侵食していく。


「……蓮」


 美穂が、不安を滲ませた声で名を呼ぶ。

 ミネルが、警戒の眼差しで一歩踏み出しかけた。


 だが蓮は振り返り、ゆっくりと微笑んだ。

 その笑顔は、どこか寂しげで──けれど確かに、強かった。


「大丈夫。俺も──ちゃんと向き合ってくる」


 それだけを告げて、彼は目を閉じた。


 次の瞬間、世界が沈んだ。


 色が消え、音が消え、温度が消える。

 まるですべてが“無”になるような、深い静寂。ここは、意識と意識の狭間。試練の入り口。


 蓮はその中心で、静かに息を吐いた。


「……選ばなきゃいけないんだろ? 俺も」


 誰にともなく呟いたその言葉は、まるで鍵のように空間に響き、そして──扉を開けた。


 ***


 気がつくと、蓮は“あの日”に立っていた。


 淡い光が差す、春の街並み。遠くからは部活帰りの声が聞こえ、教室の窓には西陽が差し込んでいる。

 そこは、蓮がかつて過ごした人間界だった。あの頃、何気なく笑い合っていた、何もかもが平和だった日々。


 そして、目の前には──


「蓮、こっちに戻っておいで」


「なあ、あの変な世界より、こっちのがいいに決まってるだろ?」


 声の主は、はな美と快人だった。

 親しげな笑顔で、まるで昨日の続きのように話しかけてくる。

 はな美はいつもの明るさで笑い、快人は手をポケットに入れたまま、どこか気怠そうに、それでも優しげに言った。


 ──懐かしい。

 胸の奥がきゅっと締めつけられるような感覚。ずっと追い求めていた光景が、そこにあった。


 だが、その声の奥には……ほんのわずかに、違和感が混じっていた。

 柔らかな空気のはずなのに、どこか“誘導するような”圧を感じる。

 まるで、この世界に引き戻そうとする“意思”が、ふたりを借りて囁いているかのように。


 蓮は立ち止まり、静かに教室を見渡した。


 そこには確かに、戻りたかった日々があった。

 それでも──彼は、ふっと息を吐いた。


「……違うな」


 その言葉は、自分自身への確認だった。


「たしかに、俺はずっと人間界に帰りたかった。いまだって、帰れるなら帰りたいって思ってる。でも──」


 顔を上げる。想いが、胸の奥から溢れ出す。


「架空界で出会った大事な仲間がいる。あの世界にも、守りたいものがあるんだ」


 その言葉に呼ばれるように、蓮の心にふと浮かんだのは──スミレの顔だった。

 笑ってこちらを見る、いつもの表情。

 胸の内をなかなか見せてくれない彼女だけれど、ときおり見せる照れたような仕草や、黙って寄り添ってくれる優しさ。

 そんな彼女に、蓮は何度も救われてきた。


 そして彼の脳裏には、次々と仲間たちの姿がよみがえってくる。

 訓練場で共に汗を流した騎士団の仲間たち。

 ぶっきらぼうでも面倒見のいいタオ。冗談を飛ばして場を和ませるリリス。

 不安な夜に、何気ない会話で笑わせてくれた他の団員たちも。


 ──あの世界には、もう“日常”がある。

 確かに、あそこには自分の帰る場所があるのだ。


「人間界だって、架空界だって……俺にとっては、どっちも現実だ」


 言葉が放たれた瞬間、教室の風景がわずかに揺らいだ。

 友人たちの笑顔が、じわりと歪み始める。


「お前は戻ってくるべきだ。全部忘れて、最初からやり直せる」


「向こうの世界なんて、幻だ」


 囁く声が重なっていく。耳元に、脳裏に、心の隙間に。

 ──違う。

 蓮は、強く目を開いた。光の揺らめきを振り払うように。


「俺は欲張りなんだ。どっちも、選んでみせる」


 その瞬間、教室が崩壊を始めた。

 床が裂け、壁が砕け、空が破れる。現実の殻が、偽りの仮面を剥がされていく。


 視界が闇に染まり、風景が霧散していく。


 ──お前は、それでも後悔しないか。


 誰とも知れぬ声が、虚空から問いかける。

 けれど、蓮は一切ためらわなかった。


「後悔してるヒマがあるなら、前に進む。俺は、そういう生き方を選ぶって、決めたんだ」


 言葉は、断ち切るように明確だった。

 霧が晴れゆく。

 そして、現実の空気が戻る。

 静けさの中に、仲間たちの気配が確かにある。


 ミネル、美穂、ホクト──。


 四人の姿が、再びひとつになる。


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― 新着の感想 ―
全員乗り越えましたね。 しかし、人間界が久しぶりすぎて誰も名前を覚えていませんでした(苦笑) 序盤を読み返さないとですね〜。(・–・;)ゞ
ミネル、、、美穂、、、ホクト、、、そして蓮、、、!!!! 全員が“自分の弱さ”とちゃんと向き合って、それでも「進む」って選んだの、ほんとに尊すぎて感情ぐちゃぐちゃ……(´;▽;`) 蓮のセリフ最強にか…
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