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【完結】狭間で俺が出会ったのは、妖精だった  作者: 紫羅乃もか
第3章 魔法の光は過去を映す
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試練 共闘

 その頃──ホクトと美穂の目の前には、霧のように漂う瘴気の奥、黒々とした魔物が現れていた。岩のように隆起した体躯に、木の根のように絡まり合う両腕。蛇のようにのたうつ尾が地を這い、地面を抉っている。

 目は三つ、裂けた口からは不快な唸り声が断続的に漏れ、その気配だけで空気がざらつくようだった。


 美穂は一歩後ろへ引き、すっと杖を構える。指先は微かに震えていたが、それは恐れではない。集中による制御。

 呪文は唱えない。呼吸を整え、空気の流れと魔力の波を読み込む。


 隣で、ホクトが一歩前へ出た。重厚な足音が、迷宮の奥に低く響く。

 その背に宿る気迫に、美穂は一瞬だけ、記憶の中の「彼」を重ねた。

 彼の鎧の隙間から覗く肌──それが一瞬、鱗のように光を返したように見えた。


「この魔物、だいぶ硬そう」


「お前の魔法、通るか?」


「試してみる」


 たった数語。それで十分だった。

 ずっと昔、積み重ねてきたものがある。


 魔物が、けたたましい咆哮を上げて飛びかかってきた。意外にも俊敏で、尾がしなり、鞭のように振るわれる。


「速い!」


 美穂が呟くよりも早く、ホクトが踏み込んだ。尾が振り下ろされた瞬間、彼は膝を折って滑り込み、手にした大剣を振り上げた。

 剣が尾をかすめ、鋼のような表皮に火花が散る。


 硬い。


「ちっ……」


 ホクトがわずかに目を細める。その横を、美穂の魔力がすり抜けた。

 淡い青の光が彼女の掌に集まり、弾丸のように魔物の頭部へと放たれる。

 直撃。頭が仰け反った──だが、崩れはしない。


「再生してる……」


「核があるな」


 ホクトの低い声は、喉の奥から響くようだった。まるで、人の声ではないような──深い、獣の音色。


 魔物が吠える。それに応えるように、ホクトが地を蹴った。跳躍。

 その影は、天井近くまで一気に舞い上がる。まるで羽があるかのように。

 ほんの一瞬、彼の背から淡く揺らめく“膜”のようなものが広がったように見えた。

 美穂は、それを知っている。


(……その翼。まだ、隠してるつもり?)


 魔物の背に着地したホクトが、怒り狂う咆哮を受けながら剣を振り下ろす。

 しかし、背の装甲は分厚く、斬撃は浅くしか入らない。


「こいつ……心臓どこだ」


「左胸の奥。視線がそこに集中してる」


 美穂の即答に、ホクトが小さく笑った。


「相変わらず、よく見てるな」


 その言葉と同時に、美穂は足元に魔法陣を滑り込ませる。

 魔力の糸が迷宮の石床を這い、魔物の足元を絡め取る。

 一瞬だけ、動きが止まった。


 ホクトが剣を高く掲げる。再び、彼の背に薄く光の膜が瞬いた。

 力が──集中する。

 振り下ろされた一撃は、風を裂き、魔物の背を深々と断ち切った。

 肉が裂け、血ではない黒い瘴気が吹き出す。魔物が絶叫を上げた瞬間、


「今よ」


 美穂の第二波が放たれた。鋭く光る魔力の刃が、裂けた肉の奥に潜り込み──心臓部を正確に貫いた。


 魔物が崩れる。肉体は煙のように溶け、瘴気とともに迷宮の床に吸い込まれていった。

 迷宮の空気が、重たい幕を一枚はぐように、すっと静かに落ち着いていく。

 その中に、戦いの余韻と、二人の過去がじんわりと滲んでいた。


 美穂は息を吐きながら、ゆっくりとホクトを見上げた。

 その瞳には、かすかな揺らぎがあった。


「……やっぱりホクトは、あの頃と変わらない」


 ホクトは剣を背に収め、音もなく振り返る。

 視線だけが美穂をとらえた。

 それは微笑みではなかったが、どこか優しさの匂いを孕んだ、柔らかな目だった。


「美穂、お前もな。ノワル研究区画でお前を初めて見た時から、強さは知っていたよ」


 ──ノワル研究区画。

 魔法都市ノワルが国家の管轄で設けた、選ばれた者だけの育成機関。

 才能と資質を見定めるための訓練は、時に過酷で、時に非情だった。

 ホクトはその立場上、ネイトエールの代表として一時的にそこに関わっていたことがある。


「……思い出したくない」


 美穂がぽつりと呟く。


「あそこは、育成機関なんかじゃない。ただの実験場でしょ」


 ホクトを真っ直ぐ見据える彼女の瞳には、怒りとも、悲しみともつかない、にじむような感情があった。

 それは、過去に向けた感情であると同時に、今この瞬間に立っている自分自身への確認でもあった。


「ホクトが私にしたことも、許してない。私が魔法使いになれたのは……私自身の努力だから」


 ホクトは短く息を吐き、静かに言葉を返す。


「ああ、それでいい」


 間を置かずに、美穂が話題を切り替える。だが、その声には鋭さが残っていた。


「それより……あなた、()()()のこと隠してるの?」


 ホクトの動きが、わずかに止まる。

 気まずさとも、警戒ともつかない空気が一瞬だけ流れた。

 そして彼は何も答えず、ポケットからタバコを取り出して咥える。火をつけずに、それをくわえたまま言った。


「隠してるんじゃない。言う必要もなければ、それを明かす場面もないだけだ」


「そんなこと言って、気にしてる。中立王都ネイトエールに竜人族がいることがそんなに問題? むしろ、中立を示すには、いい兆しだと思うけど」


 ホクトはそれに対して、何も言わなかった。

 ただタバコの端を指で弾き、ゆっくりとくわえ直すだけだった。


 美穂はそれを見ても、なお言葉を止めなかった。


「まあ、いいけど」


 そしてふいに声を落とし、少しだけ表情を和らげる。


「それともう一つ……これはずっと。初めて出会った時から、言おうと思ってた」


 その言葉のあと、美穂はほんの少しだけ目を細める。

 感情の起伏はない。声色も変わらない。ただ、静かに、核心を突く。


「──あなた、悪魔の血が流れてるでしょう?」


 沈黙。

 その言葉に、ホクトは口元をゆるめた。

 皮肉とも諦めともつかない、けれど確かに「肯定」に近い、そんな笑みで。


 そして──その笑みの意味を、まだ知る者はいない。


 ***


 霧はまだ、完全には晴れていなかった。

 それはまるで、何かが目覚める前の“まどろみ”のように、迷宮全体を静かに包み込んでいる。

 淡く漂うそれが、迷宮全体を白く煙らせる。冷たく、静かで、不気味なほどに音がない。


 迷宮の別の区画。蓮とミネルは、足元の濡れた石を踏みしめながら奥へと進んでいた。

 深く、重たい沈黙が、迷宮の回廊に広がっている。


 ミネルはふいに立ち止まり、瞳を細める。

 空間の“歪み”を感じ取るように、片手を静かに空へ伸ばした。


「……奇妙だ。魔力の波動が……急に、消えた」


 ミネルは顔をしかめる。静かに手を空へ伸ばし、霧を払うように指先を滑らせる。


「まるで、誰かがこの空間そのものを“切り離した”みたい」


「消えた?」


 蓮が歩を緩める。


「どういうことだよ、それ」


「さっきまで、この先から強い力が感じられたのに。誰かが、強制的に“場”を閉じた。

 魔法……もしくは、魔法以上の力かもしれない」


 まさにその瞬間、音もなく霧が割れるように消えた。

 まるで誰かが“舞台”の幕を上げたかのように。


 視界の奥に、二つの人影が浮かび上がる。

 ホクトと美穂が、静かに佇んでいた。


 二人とも傷一つない──

 けれど、その静けさは、“何かを燃やし尽くした後”のような、不自然な静寂だった。


 ホクトは動かず、ただ視線だけでこちらを見る。


「……遅かったな」


 低く、短いその声には、感情の揺れがまったくなかった。

 それが逆に、違和感を際立たせる。


 ミネルの視線が、美穂に向く。

 目を細め、その雰囲気の変化を読み取ろうとする。


「この空間は一体なんだ」


 だが、美穂はそれに答えず、ただ杖の先を地面にコツンと突く。

 音が微かに響き、霧がわずかに揺れた。


「蓮、無事でよかった」


 美穂の声は、いつも通り柔らかく、どこか穏やかだった。その中で蓮は、美穂の表情に一瞬の違和感を覚えた。


 あの微笑みに──何かを、隠している気配があった。


「こっちはもう、済んだから」


 その「済んだ」の意味を問う前に、ミネルが何かを言いかけた。


 だが──その瞬間、空間がふっと揺れた。


 まるで“帳”が引かれるように。見えない幕が、世界を包むように。


「……ここから先が、本番だ」


 ホクトの声に、ミネルが小さく首を傾ける。


「本番とは、戦闘の予兆か?」


「いや……たぶん違う。剣じゃなく、“心”を試される類のものだろう」


 ホクトの言葉に、美穂も頷いた。


「また空気が……変。魔力の流れが交差してる感じがする」


 蓮は無意識に、拳を握りしめていた。

 自分たちがこれまでくぐり抜けてきた戦いとは、明らかに違う何かがここにある。


「……みんな、油断するなよ。たぶん、バラバラにされる」


 言葉が終わるより早く、蓮の視界がにじんだ。


 最初は気のせいかと思った。

 けれど、まぶたの裏に、見覚えのある風景が浮かんでくる。


 懐かしいはずの、それでも今は“遠い場所”。


「……っ!」


 蓮が思わず眉をひそめた瞬間、彼の視線の先で、美穂がわずかに微笑んだ。

 その笑みは、どこか優しくて、懐かしい──けれど、触れたら崩れてしまいそうなほど、脆かった。


「美穂……?」


 違和感。それはほんの一瞬の、微細な揺らぎだった。

 だが、言葉にするよりも早く、蓮の視界は暗転する。


 音が消える。重力も消える。

 残されたのは、ただの“無”。


 闇の中に、ひとつだけ、確かな存在があった。

 誰よりも静かに、誰よりも孤独に、“それ”はそこに立っていた。


 ミネル――

 心という未知と、向き合おうとする者。


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― 新着の感想 ―
じ、実験……凄い因縁があったんですね。 元カレカノの予想は盛大に外してしまい、恥ずかしいです。 (。ŏ﹏ŏ) この試練は力や技の強さより、心の強さこそが求められているのですね。蓮も成長しているのでき…
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