墜落の王宮 後編
第2章最終話です!
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その瞬間──
風が鳴った。
「──っ!」
リリス=ティナの足元から黒い影がせり上がり、まるで生き物のように渦を巻く。
青白い魔力の塊が、唸りを上げながら蓮たちに向かって放たれた。
「くっ……!」
タオが咄嗟に動こうとした瞬間、その前に立ちはだかったのはスミレだった。
「任せて──!」
スミレが手を掲げる。
彼女の周囲に花弁のような火の魔法が舞い、咲き乱れ、炎の奔流となって闇にぶつかる。
赤い炎と青白い鬼火が空中で激しくぶつかり合い、空間が悲鳴を上げるように歪む。
一瞬、赤が押し返したかに見えた。
だがすぐに、冷たい鬼火が炎を呑み込み、空気が凍りつく。
希望と絶望がせめぎ合っている。
タオはその光景に、思わず目を背けそうになった。
だが、背を向けてはならないと、必死に自分に言い聞かせた。
「だ、ダメだ……やめてくれ……リリスが……ティナがいるんだ……」
震える声が漏れる。
目の前の敵に、かつての仲間の面影が重なり、心が裂けそうだった。
「タオ! あなたがやるのよ!」
スミレの叫びが、戦場に響いた。
背中を押すその声に、タオははっと顔を上げる。
(……俺が?)
その問いは、すぐに心の奥で答えに変わる。
スミレは、信じている。蓮も、あの時、俺の剣を信じてくれた。
だったら今度は──俺が、ティナとリリスを信じたい。
タオは、深く息を吸い込んだ。
暗く沈んだ瞳に、静かに火が灯る。
ティナ=リリスが再び鬼火を放つ。
それを遮るように、美穂が杖を掲げ、空に光の盾を展開した。
「──っ、美穂!」
鬼火が盾にぶつかり、眩い光が辺りを染める。
「ナイスだ、美穂!」
蓮が叫び、だがすぐには剣を抜かない。
彼は、横目でタオを見る。
タオの目に、もう迷いはなかった。
「タオ……行こう」
蓮はようやく、剣に手をかける。
その手に宿るのは、ただの戦意ではない。共に歩んできた時間への、揺るがぬ覚悟。
タオが小さく頷く。
二人の間に言葉は要らなかった。
盾が砕ける音と同時に、二人は地を蹴る。
吹き荒れる冷気を裂き、ただティナ=リリスへ向かって。
ティナ=リリスが鬼火で迎撃する。
タオの剣が、蓮の剣が、燃えるような想いと共に、その青白い炎を切り裂く。
それでも敵は退かない。
再び放たれた鬼火が蓮の足元に炸裂する。
「ぐっ……!」
身体が軋む。けれど、蓮も止まらない。
タオの決意に、もう迷いはない。
「うおおおおっ!!」
二人の叫びが重なる。
剣が、ティナ=リリスへ──。
かつての仲間を、今度こそ取り戻すために──振り下ろされた。
その一閃に、ティナ=リリスの瞳が大きく見開かれる。
「……タオ……?」
刹那、その声が漏れた。
鋭い鬼火のオーラが一瞬揺らぎ、ティナ=リリスの体から漏れる気配が不安定に乱れる。凍てついたようなその目に、かすかにリリスの面影が戻った。
「……やめて、タオ……お願い……」
リリスの声だった。
タオの手が、震えながら止まる。
「リリス……! 今の、お前は……!」
タオが目を見開き、剣先をかすかに震わせる。
──その一瞬の迷いが、命取りだった。
「ウソつき」
低く冷たい声が返る。
リリスの顔が瞬時に歪み、再びティナの冷酷な笑みに変わる。
「どうして邪魔をするの? やっと一つになれたのに」
次の瞬間、鬼火をまとったティナ=リリスが飛びかかってきた。
鋭い爪が、タオの胸元をまっすぐ狙う。
「っく!」
咄嗟に剣を構えたが、間に合わない──そう思った瞬間、タオの体が赤黒い光に包まれた。
「……ッ、ぐうううああああああ!!」
骨が軋む音と共に、タオの体が激しく変異する。
長い毛並みと鋭い牙を備えた、狼人の姿へと変貌した。
血のように赤い目は、それでも理性を失っていない。
怒りと哀しみの混じった咆哮をあげ、タオはティナ=リリスに飛びかかった。
「タオ……!」
蓮がその背中を追って駆け出す。
美穂もすぐに杖を掲げる。
「〈光の盾・結界〉!」
美穂の魔法がタオの周囲に展開し、鬼火の猛威を最小限に抑え込む。
スミレも炎を生み出し、ティナ=リリスの動きを牽制した。
「蓮、今よ!」
「行くぞっ!」
蓮はタオの隣に並び、剣を構える。
ふたりは息を合わせ、ティナ=リリスへ突進した。
ティナ=リリスは、苦しげに顔を歪める。
「どうして……! どうしてわたしを壊してくれないの……!」
悲痛な叫びが響く。
二つの魂が争うような苦悶が、声に滲んでいた。
「助ける! リリスも、ティナも!」
蓮の叫びがティナ=リリスの耳に届く。
彼女の体が一瞬、硬直した。
だが、すぐに冷徹な光が戻る。
青白い鬼火が舞い上がり、鋭く変形した槍となって蓮たちに降り注ぐ。
「くっ、美穂、スミレ、援護!」
「任せて!」
スミレが火の盾を生み出し、いくつかの鬼火を焼き払う。
美穂は結界を広げ、仲間たちを守る。
それでも、すべてを防ぎきることはできない。
青白い鬼火が蓮の肩をかすめ、焦げた匂いが漂った。
「ぐっ……!」
「蓮! 下がれ!」
タオが咆哮を上げ、再びティナ=リリスに突進する。
鋭い爪が振るわれるが、ティナ=リリスは軽やかに身をかわした。
もはやかつての彼女の面影はなく、冷酷で痛々しいほどに変わり果てていた。
「これが……サタンの力か……」
蓮が剣を握りしめ、心の中で呟く。
(このままじゃ……倒せない。二人を取り戻すには、何か……!)
そのときだった。
ティナ=リリスの瞳に、かすかな揺らぎが生まれた。
タオがその目を捉え、跳躍する。
血のように赤く燃える目で、ティナ=リリスを見据えた。
「……やめて、タオ……やめてってば……!」
またリリスの声が漏れた。
だが、タオはその声に惑わされない。
全身に宿った確かな意志が、彼を突き動かしていた。
「……ごめん。俺は、止めなきゃならない」
タオは、狼の爪を鋭く振り上げた。
その一撃がティナ=リリスに届いた瞬間──
蒼白い鬼火が弾け、黒い瘴気と共に二つの気配が引き裂かれる。
爆風の中、蓮たちはただ立ち尽くす。
「が……ああああああっ!!」
魂を引き裂くような叫びが響く。
ティナ=リリスの体から、ふたつの存在が地面へ崩れ落ちた。
目を閉じたリリス。
血のような瞳を開いたティナ。
「……ティナ……?」
リリスは苦しげにうめきながら、もう一人の自分を見つめた。
ティナは、かすかに唇を動かす。
「……やっと……リリスと、ずっと一緒に……いられると、思ったのに……」
その呟きに、リリスの胸が締めつけられる。
「なに、それ……勝手なこと言わないでよ……」
リリスの目から、涙があふれた。
ティナの体には、再び鬼火がまとわりつき始める。
彼女の瞳は、虚ろに揺れていた。
「僕は……ずっと……リリスになりたかった。だから、全部壊してでも──」
叫ぶティナに、リリスは一歩ずつ近づく。
タオが動こうとするが、蓮がその肩を押さえた。
「……大丈夫だ」
「でも──!」
「きっと、リリスは分かってる。何をすべきか……何を、終わらせなきゃいけないか」
蓮の拳が、強く握られる。
リリスは涙を浮かべながら、鬼火を指先に灯した。
そして──そっと、ティナの胸元に手を伸ばす。
「あたしもね……ティナと、ずっと一緒にいたかったよ。だから……」
リリスは微笑んだ。
かつて見せた、優しく、そして哀しい微笑みで。
「ありがとう、ティナ。……大好きだったよ」
震える手で、リリスは光を放つ。
「さよなら、ティナ」
──光が、ティナを包んだ。
「い……やだ……」
ティナは、かすれた声を最後に、静かに息を引き取った。
鬼火が消え、静寂が訪れる。
リリスは、その場に膝をつき、肩を震わせた。
「これで……いいの……?」
小さな声に、誰も答えられなかった。
ただ、静かに風だけが通り過ぎていく。
ティナは、もういない。
だが──リリスは、ここに残った。
罪と想いを背負いながら、未来へ向かうために。
ふらりと力なく揺れたリリスを、タオが狼の姿のまま抱きとめた。
荒い息を漏らしながらも、彼は鋭い爪を立てることなく、ただ彼女を守るようにその大きな体で包み込んだ。
「……大丈夫だ、リリス……」
その声がタオの唇から静かに漏れると、彼の体が微かに震えた。
変異した体は、彼自身の意志に従うように、ゆっくりと元の姿へと戻り始める。
狼の爪が引っ込み、骨が軋む音がわずかに響き、毛並みが消えていく。
それはまるで、長い時間が流れたかのように感じられたが、実際にはほんの数秒の出来事だった。
タオは完全に人の姿へ戻ったあとも、リリスをしっかりと抱きしめたまま、目を閉じた。
彼女の温もりを確かめるように、そっと顔を埋める。
──音も風も、すべてが消えたかのような、二人だけの世界。
その静寂を破ったのは、リリスのかすれた声だった。
「タオ……ごめんなさい……あたし……本当に、ごめん」
リリスの言葉に、タオの胸が締めつけられる。
その声があまりにも切なくて、彼は目を閉じたまま、リリスの体をぎゅっと抱きしめた。
彼女の肩が震えるのを、腕の中で感じる。
そして──タオもまた、涙を流した。
頬を静かに伝うのは、失いかけた痛みと、再び守れた安堵の涙だった。
しばらく、二人の間には言葉がなかった。
時間がゆっくりと流れ、ただ心だけが、深く繋がり合っていた。
美穂は静かに問う。
「……あなたは……リリスなの? それとも……ティナなの?」
現実に引き戻されるようなその声に、リリスはそっと目を閉じ、深く息を吐いた。
その表情には、まだ拭いきれない葛藤の色が残っていた。
「……あたしはリリスよ——ティナは、ここにいる」
静かに、けれど確かに放たれたその言葉。
リリスは胸に手を当て、ティナへの深い愛情と、自分自身への誇りを胸に、静かに息を吐いた。
「ティナは、もう私の一部。だから──どこにいても、あたしはティナを忘れたりしない」
小さく震える声。
それでもリリスは、しっかりと前を見据え、目を開く。その瞳には、今までにない強さが宿っていた。
過去を抱えたまま、それでも新たな一歩を踏み出すために。
「でも、これからはリリスとして生きるよ」
その言葉は、吹き抜ける風のように場の空気を変えた。
リリスが、自分自身の道を歩み始めようとしているのが、はっきりと伝わった。
彼女はゆっくりと両手を上げ、白い手袋を外した。
長く身に着けていたそれは、かつての自分を封じ込める仮面のようだった。
しばらく見つめたあと、リリスは小さく笑い、手袋をそっと風に放った。
空中で舞ったそれは、やがて地に落ちる。
「……もう、隠さない。これは、あたしの手。ティナの痛みも、罪も、全部……背負っていくから」
その声には、確かな覚悟が宿っていた。
晒された手の甲には、かすかに残る古い傷跡。
それを、彼女は恥じることなく、誇りをもって見せていた。
タオは、何も言わず彼女を抱きしめ続けた。
その温もりを胸に、静かな確信を深める。
──リリスは、ティナに支配されることなく、自分自身を取り戻したのだ。
静かな時間が流れる中、二人は言葉を交わすことなく、ただ互いの存在を感じ合っていた。
——けれど、その時、ひっそりとした足音が背後から忍び寄る。
闇の中から一人の影が現れた。巨大な体躯を誇るその姿は、獣人族の熊そのものであり、肩幅が広く、筋肉が盛り上がっていた。皮膚はごつごつとした獣のような質感を持ち、眼光は冷徹で、まるで全てを計算しているかのように鋭く輝いていた。暗闇の中で、彼はまるで影そのもののように静かに現れた。
「ふん……タオ、お前は本当に面白い」
低く冷徹な声が響く。その姿勢には獣人族としての風格が漂い、まるで獲物を見定める獣のような冷徹さを感じさせる。口元には意味深な笑みが浮かんでいた。
「どんなにもがいても、結局お前も俺の仲間になる運命だ」
その言葉は、無慈悲な運命を告げるように空気を切り裂いた。言葉を残した者は、何の音も立てずにその場を去った。その足音さえも、時間の中で完全に消え、まるで初めから存在していなかったかのように静寂が戻った。
その言葉を聞く者はおらず、ただ二人はお互いの存在に集中し、世界が再び二人だけのものとなった。静寂がその空間を包み込んでいった。
《第2章 人物紹介》
ヌト
マアト村の村長。背が低い羊の年寄り。 タオ、リリス、ティナの育った孤児院の管理人。ミーニャとクロネの師匠でもあるらしい。
グリンダ
ドワーフ族の女旅商人。ドワーフ族にしては珍しく背が高く、スタイルがいい。弓矢を使った狩りが得意。デールの相方。
デール
ドワーフ族の旅商人。ガタイがよく世話好き。グリンダと美穂を最高のパートナーだと思っている。
雪緖美穂
人間と妖精族のハーフの魔法使い。水色の髪と小さな背丈が特徴的。見た目は子どもだけど100年以上生きていると噂も。母を探す旅に出ることを決意し、蓮について行くことに。
ウィル
王都ネイトエールに身を隠す情報屋。フクロウの見た目をしている。相手の記憶と引き換えに情報を集めることができる。月明かりの下で暮らしている。
リリス
ネイト騎士団員の一人。ティナと双子。
かつて自分を失っていた彼女は、自らの名を「ティナ」と名乗り二重人格状態になっていた。しかし墜落の王宮でティナ本人との衝突を経て、自らの名前と存在を取り戻した。
ティナ
リリスと双子。孤児院時代に行方不明になり死亡されたと思っていたが、サタンを引き連れて姿を現す。墜落の王宮でリリスと一緒になろうとするが、その願いは儚く散った。
タオ/シャク
ネイト騎士団員の一人。孤児院時代の名前はシャク。
リリスとティナの幼馴染でもある。体を変異させて戦う変異型で、時には暴走気味にもなるが理性を保って戦っている。




