再会 前編
煙草の匂いが充満した部屋に、蓮は思わず深く息を吸い込んだ。あの懐かしい匂いが、胸の奥に静かな波紋を広げる。
無造作に散らばった書類や灰皿、そしてほんのりと黄ばんだカーテンが、ホクトらしい雑然とした空気を漂わせていた。
何も変わらないこの空間に、蓮はどこか安心感を覚えたが、それと同時に心の中に少しの不安が湧き上がる。ホクトがいる場所では、決して楽な時間など流れないのを、蓮は知っていたから。
灰皿から立ち上る煙がゆっくりと天井に向かって昇る様子を見つめていると、ホクトが無造作にもう一本煙草を取り、口元に咥えた。
その動作も、どこか冷徹で無機質だ。火を灯した煙草の先から赤く光る小さな火花が、彼の目を一瞬だけ反射した。
それでも、ホクトの目は常に冷徹で、どこか遠くを見つめているようだった。
「それで? 任務の方はどうだった」
ホクトの声は低く、無表情だった。尋問のように響くその言葉に、蓮は少しだけ息を呑んだが、すぐに冷静を取り戻した。
「任務は成功しました。マアト村の畑を荒らしていたのはオークで、無事仕留めました」
蓮が冷静に答えると、ホクトは一度も目を合わせることなく、さらに追及する。
「それで? どうしてこんなにも日がかかる?」
「それは……道に迷ってしまって。テルヴァンで馬車を借りて、ここまで送ってもらいました。横にいる彼女は、そこで出会った魔法使いです」
ミホはぺこりと頭を下げるが、その様子にホクトは目もくれない。ホクトは何も言わず、蓮をじっと見つめ続ける。その目は言葉以上に重く、蓮の心を次第に押し潰していくようだった。
「そんなことはどうでもいい。タオはどうした」
その一言が、蓮の胸を打った。ホクトの声には感情が感じられなかったが、何かを求めるような冷たい圧力が込められていた。それは蓮の心に、氷のような冷たさをもたらす。
「タオは——」
言葉が思い浮かばず、蓮は一瞬言葉を失う。隣でミホが、そっと彼の手を握った。
その小さな温もりに、蓮は一瞬だけ落ち着きを取り戻すが、すぐにホクトの冷徹な視線が再びその胸に突き刺さる。
「タオは、マアト村に残りました。ホクトさん、報告があります。聞いてください」
蓮は自分を落ち着かせるように深呼吸をし、これから話す内容を整理する。
そして、すべてを吐き出す覚悟を決める。
彼は、目の前の男に何度も助けられてきたが、今、その男に答えるべき時が来たのだ。
ティナがリリスとの二重人格であったこと。死んだはずのティナがサタンを引き連れて現れたこと。ティナ(リリス)が拐われたこと。そして、タオとティナ、リリスの過去のこと——。
そのすべてを話し終わった後、ホクトは一言も発しないまま煙草を吸い続ける。その煙が室内に漂い、言葉と共に深い沈黙を作り出した。
蓮はそれが苦しくてたまらない。ホクトがどう受け止めるのか、全くわからなかったからだ。
しばらくの沈黙の後、ホクトがようやく口を開く。
「分かった。もう戻っていい」
その言葉に、蓮は思わず肩の力が抜ける。だが、次の瞬間、蓮の心に再び疑問が湧く。
「待ってください、タオは、ティナやリリスはどうなるんですか?」
ホクトは答えなかった。その無言が、蓮にとっては一番恐ろしいものだった。
「ホクトさん、お願いです。大事な仲間なんです、俺に助けるチャンスをください」
その時、ホクトはゆっくりと立ち上がり、冷ややかな目で蓮を見つめた。
「好きにしろ。だが、一つ忠告する。仲間だからと言って殺すことを躊躇うな。選択を誤れば、仲間が仲間を殺すことだってある」
その言葉に、蓮は言葉を失った。ホクトの目の奥に見える何かが、蓮の胸を締め付ける。まるで、彼が過去にその選択を迫られたことがあるかのような気配を感じる。そして、その過去に蓮は触れてはいけないことを感じ取った。
蓮はしばらく黙っていたが、最終的に何も言い返せなかった。自分の無力さを痛感するばかりだ。
部屋を出る直前、ホクトがミホに向かって言った。
「お前、俺とどこかで会ったことがあるな」
ミホは少し驚いたようにホクトを見上げ、そしてわずかに顔をしかめると、軽く睨んで言った。
「そうだった? ごめん、覚えてない」
その言葉には微かな含みがあり、ホクトに向けた視線にも何か不思議なものが込められていた。それに、彼女のその言葉遣いは、威圧感のあるホクトを前に、何も恐れていないかのようだった。
蓮はその様子を見て、二人の間に何かがあることを感じ取る。
「まあいい、この話はまた今度だ」
ホクトはそれだけ言うと、無表情のまま煙草を再び口にくわえ、ゆっくりと煙を吐き出した。その煙は部屋の空気をさらに重くし、それを遮ることなく、蓮とミホは黙ってその場を後にした。
***
ホクトの部屋を出てすぐ、蓮は肩の力を抜くように深く息をつき、気を紛らわせるように小声で尋ねた。
「ミホ、もしかしてホクトさんと知り合いだった?」
ミホは一瞬、考え込むように顔を歪めると、蓮の方を見つめ、複雑そうに答えた。
「ごめん、今はまだ、何も言えない」
その言葉に、蓮はしばらく黙って彼女を見つめた。ミホの表情には何か隠しきれない感情が漂っていたが、それをどうしても引き出せる気がしなかった。彼女が口にしなかった事情が、きっと深刻であることを感じ取ったからだ。
蓮は彼女が今何を抱えているのかを少しでも知りたかったが、無理に聞くことはできなかった。それに、彼女が抱えているであろう重荷を、今すぐに解こうとすることが正しいとも思えなかった。だからこそ、蓮は無理に問い詰めることなく、ただ頷き返した。
「うん、分かった」
その言葉を掛けることで、少しでもミホが楽になってくれることを願っていた。それから、蓮は一つ軽く息を吐くと、場の空気を変えるために話を振った。
「もうこんな時間か。今夜は宿に泊まる? 俺の部屋は少し狭いし……」
軽く笑いながら、蓮は城の中を歩きながら言った。その声には、少しでもミホの気持ちを楽にさせたいという意図が込められていた。
ミホも、その心遣いを受け取るように感じていたが、少し悩むように歩みを遅らせ、わずかに顔をしかめながら蓮に従った。
彼女の歩調がぎこちないのは、何か消化しきれないものがあるからだろうか。それとも、ただ単にホクトとのことが心に引っかかっているのだろうか。
蓮はそのことを気にしながらも、無理に声をかけることはせず、自然に歩調を合わせた。




