双子の未来
翌朝、蓮とタオは、魔物を倒したことを伝えるためにヌトの家へと向かっていた。朝の光が静かに村を照らし、空気はまだ少しひんやりとしている。歩みを進める蓮とタオの足元には、朝露に濡れた草の感触が心地よく広がっていた。
ヌトの家の前にたどり着くと、蓮は勢い任せに戸を開けた。すると、茶を味わっていたヌトが二人を見つけ、思わず吹き出して言った。
「シャクに蓮! ノックをせんか!」
ヌトの突然の言葉に、蓮は少し驚き、思わず肩をすくめた。
それに対しタオは、「ん? ああ、悪い。それよりヌト、魔物を倒したぞ」と簡潔に伝えた。
タオは、言葉を短くしながらも、どこか無感情で、そしてどこか少し得意げな表情を浮かべていた。
ヌトはその言葉を聞いて目を見開くと、驚きと共に、腰を抜かすように一瞬ふらついた。
「なんと、一晩で魔物を倒してしまったというのか!」
ヌトの声は高く、驚きがそのまま言葉になって漏れた。
「蓮がやってくれたさ。死体は焼き払っておいた」
タオは淡々と答え、そのままヌトの前にあぐらをかいて座った。タオは表情を変えずにその場に立つ。
「なんということじゃ……。蓮、お主は勇敢じゃ!」
ヌトは咄嗟に蓮の手を握り、まるで神に祈るようにその場に跪いた。その動きには、深い尊敬と感謝が込められているのがわかる。
「有り難き幸せじゃ……。蓮──いや、蓮様! どうか好きなだけマアト村で休んでいっておくれ」
ヌトの熱い思いに、蓮は少し戸惑いながら、照れくさそうに頭をかいた。
「そ、そんな大袈裟な。蓮でいいですよ」
照れ隠しのように笑う蓮を、ヌトは優しく見守っている。
「そうじゃ、孤児院に寄って行ったらいい。子どもたちもきっと喜ぶに違いない」
ヌトの提案に、タオは不快そうに眉をひそめて言った。
「俺は子どもが嫌いなんだ。それに、あんなところ思い出したくもない」
タオは顔をしかめ、無愛想なままで立ち上がると、足早にヌトの部屋を出て行った。その足音が部屋の中で響き、すぐに静寂が戻る。
「すまんのう、蓮。シャクは気難しい性格でのう。わしは小さい頃から、彼をよく怒らせてしまうんじゃよ」
ヌトは少し申し訳なさそうに笑いながらも、茶を口に含み、蓮に向かってにっこりと微笑んだ。茶の香りが漂い、部屋の中の空気が少し和んだ。
「タオはきっと孤児院に顔を出すと思います。なんだかんだで世話焼きなんですよ」
蓮は少し微笑みながら、その言葉を返すと、タオの後を追うように部屋を出て行った。外の風が少し肌に冷たく感じ、足音だけが静かな朝に響く中、蓮は静かに歩きながらタオの行く先を追っていた。
***
「なあタオ、これからどうするつもりだよ」
蓮の声は、元気な子どもたちの声にかき消されそうだった。マアト孤児院から響く賑やかな声が、まるで蓮とタオの会話を遮るかのように耳に入る──その様子をタオは柵越しにじっと眺めていた。
「ティナがどこにいるのか手がかりを探す。もしかすると何かわかるかもしれねえ」
タオは視線を下に向け、寂しげな瞳でそう言った。まるでその言葉が、心の中の何かを抑え込むような静けさを帯びていた。
「手がかり……かあ。ティナが好きだった場所とか、行きそうな場所とかに心当たりないの?」
蓮は無意識に芝生の上に大の字で寝転んだ。空は晴れ渡り、太陽の温かさが心地よく、風がふわりと頬を撫でる。そんな平穏な時間が流れる中、蓮の問いかけが静かに空気を裂く。
「お前は本当に呑気だな」
タオは蓮を横目で一瞥すると、無言でその隣に座った。周囲の風景は、昼間のマアト村の色彩がとても鮮やかに感じられた。風車が風を受けて回り、畑からは土の香りが漂い、水車が音を立ててゆっくりと水を循環させている。まるで田舎町のように、穏やかな自然を全身で感じることができた。
タオは大きく深呼吸をして、静かな声で言った。
「好き……だったかどうかは分からない。でも、孤児院は俺たち三人が育った場所だ。ここで待てば、またあいつが来る気がするんだ」
タオの目は遠くを見つめているようだった。何かを思い出すように、少し寂しげに目を閉じる。その姿に、蓮は言葉を失った。静かな風が、二人の間を静かに行き交っていた。
蓮もそれにつられて目を閉じようとしたその瞬間──
「あ……いたいた! 探したんですよ、二人とも!」
目の前には、兎の耳を生やした男──ティナが、心配そうにこちらを眺めていた。
「ティナ? どうしてここに?」
タオは警戒するように、ティナの動きをじっと観察していた。蓮には、目の前にいるのが本当にティナなのか、確信が持てなかった。ティナがどうしてここに現れたのか、その理由が全く分からなかったからだ。
「どうしてって、タオが呼んだんじゃないですか! マアト村でサタンが襲撃してきたから援助を頼む──って。もう、すごく心配したんですよ?」
ティナの言葉には、どこか軽さと無邪気さが混じっていた。しかし、その中にひっかかるものがあった。タオの目は、少しずつ鋭さを増していった。蓮はちらりとタオの方を見ると、彼は微かに首を横に振った。
「え! そうだったの?」
蓮は驚きと混乱の入り混じった表情を浮かべた。だがその時、タオは再び首を横に振った。蓮が感じた違和感は正しかった。
「とにかく、無事でよかったです。さあ、ネイトエールに戻りますよ。シェリーが心配してます」
ティナはそれを言うと、蓮とタオの腕を引いて歩き出した。その優しげな仕草が、どこか異常に見えた。蓮は目を見張りながら、心の中で警鐘を鳴らしていた。
「ま、待ってティナ! 実は忘れ物しちゃって。タオと取りに行ってくるから、ここで待っててもらえる?」
蓮は思わずタオの腕を引いて小走りで距離を取ると、木の陰に隠れるようにして息を呑んだ。
「ど、どういうこと!?」
その心臓は早鐘のように激しく打ち鳴り、喉が詰まる感覚が広がった。何かが間違っている、何かがうまくいっていない。蓮は焦りを感じながら、タオの反応を待った。
タオは目を閉じ、息を呑んだ後、低く早口で言った。
「落ち着け。なんの目的かは知らないが、おそらく、誰かが俺になりすましてティナ(リリス)をここに呼び出したんだ。あいつは明らかに俺たちに敵意を見せていないし、ティナ(リリス)本人で間違いない」
タオは周囲を警戒するように、耳をクイッと動かした。少し前に進んで、周りの空気を敏感に感じ取っている。蓮もその言葉に、理解と不安が入り混じった。
「とにかく、お前は今すぐティナ(リリス)を連れてネイトエールに戻れ。あいつがここにいたら、まずい」
蓮は黙ってうなずき、深呼吸をした。胸の中で不安が膨れ上がるのを感じたが、それを打ち消すように、必死で冷静さを保とうとした。
急いで戻ると、ティナ(リリス)はフェンス越しにじっと孤児院を眺めて立っていた。その視線は、まるで時間が止まったかのように孤児院に向けられており、目の前にいるはずの蓮たちに気づく様子はなかった。
「ごめんティナ、おまたせ。ネイトエールに帰ろう」
蓮は心の中で何度も言い聞かせながら、ティナ(リリス)に近づいた。だが、返事はない。ティナはただ静かに、無表情で孤児院を見つめている。時折、微かに震えているように見える手を蓮は気づかずにはいられなかった。
「懐かしいですね。よくここで、三人で遊びました」
ティナ(リリス)はふっと笑い、振り返ると、小さな声で言った。
「すみません、少しぼーっとしてしまいました。帰りましょうか」
その言葉に、蓮はますます不安が膨れ上がってきた。その瞬間──
「ちょっと待ってよ、リリス。僕とあーそーぼっ!」
背後から響いた声が、蓮の体に冷や汗をかかせた。嫌な予感が、胸の中で膨らんでいく。瞬間、蓮は振り返り、剣を抜こうとした。しかし、それはもう遅かった。
「おっと、怖いなあ。僕はただ遊びたいだけなのに」
その声が、耳に響いた。目の前に現れたのは、死んだはずのティナ。彼が、ティナ(リリス)を抑え込んでいた。
「この野郎!」
タオは怒りに身を震わせながら、変異を始めた。低い唸り声を上げると、すぐさまティナに向かって突進していった。
「おっと危ない、やめてくださいよシャク。これじゃあリリスまで怪我しちゃうじゃないですか」
ティナは、ティナ(リリス)を抱えたまま、空高く上に飛び上がった。その姿に、蓮は言葉を失い、ただ見上げることしかできなかった。地上からは、ティナ(リリス)が息を荒げ、苦しそうに目を見開いているのがわかった。
「まて、ティナ! やめろ!」
タオは怒りのまま、二人を追いかけようとするが、彼らはすでに宙を舞い、追い付くことはできない。ティナの声が空から響いた。
「ふふふっ! どうです? リリス。上から見る景色、最高でしょう?」
ティナ(リリス)の目は空間を彷徨い、何かを掴もうとしているようだった。手が震え、指が小刻みに動く。それが恐怖の証であることを、蓮はすぐに理解した。
「苦しいですか? 可哀想に。双子の僕が、今助けてあげますよ」
ティナは笑いながら、自分の剣を抜くと、自らの腕にそれを突き立て、血を垂らした。
「さあリリス。飲んでください。僕と、一つになりましょう」
ティナは血を滴らせ、ティナ(リリス)の口にその血液を注ぎ込んだ。その瞬間、ティナ(リリス)は大きな悲鳴を上げ、体が痙攣し始めた。それは不規則で激しく、呼吸すら支配されているかのように見えた。
「僕はティナ。僕はティナ。僕はティナ。僕はティナ。僕はティナ僕はティナ僕はティナ僕はティナ僕はっ!!!! 僕は──ティナ?」
ティナ(リリス)の目は焦点が合わず、ただ空間を彷徨っているようだった。彼女の呪文のような言葉が、まるで自分自身の世界に閉じ込められたかのように響いていた。
「リリス! 気を確かにしろ!」
タオの呼びかけにも、ティナ(リリス)は反応しない。彼女はただ、虚ろな目で、手を伸ばし、ティナの手を握る。
「リリス。あの狼は僕らの敵です。さあ、僕と行きましょう」
ティナ(リリス)は、まるで操り人形のように動き、こくりと頷くと、ティナの手をしっかりと握りしめた。
「まて! ティナ! リリス!」
タオは再び叫ぶ。しかし、その声が届くことはなかった。ティナ(リリス)は、もはやその場にいないかのように、ティナと共に消えていった。
「シャク、また遊びましょう。今度は三人で」
ティナは笑いながら、渦を巻いて空間から姿を消した。
「くそっ!!! クソクソクソ!!!」
タオは激しい怒りと悔しさに満ちて、地面を蹴った。その後、膝をついて顔を伏せ、手で頭をかきむしる。荒い息が漏れ、その姿からは深い怒りと無力感が滲み出ていた。
「なにも、何も出来なかった! 俺がもっと早く気づけたら! 俺がもっと強かったら!!」
タオの声は震え、目を閉じて何度も自分を責めている。顔は歪み、息が荒く、怒りを抑えきれない様子だった。
「タオ、一度ネイトエールに帰ろう。ホクトさんやネイトの皆んなにも、このことを話そう。何か策が見つかるかもしれない」
蓮は静かに言ったが、タオはその言葉に耳を貸さなかった。
「俺の何が悪かった? いつどこで間違えた? ティナは、リリスはどうなる? 俺のせいで! 俺のせいであいつらは死ぬ! 俺がもっとっ!」
タオは叫び、唇をぎゅっと噛んだ。肩が震え、言葉が途切れる。しばらくの沈黙が続く中、タオの心の中の痛みが、言葉にならずに押し寄せてきた。タオは目を上げることなく、ただその場に崩れ落ちたように静かに座り込んだ。後悔、怒り、無力感が交錯する中で、彼は立ち上がれなくなった。
蓮はゆっくりと息を吸い込み、タオの背中に手を置いた。優しさと同時に、少しの力強さも感じるその手のひらに、タオは無意識に肩を震わせた。
「大丈夫、まだ二人とも生きてる。絶対にまた俺らの前に現れるはず。それまでに策を練ろう」
蓮の声は静かだったが、その中には確固たる信念が込められていた。それでも、タオはその言葉を心から受け入れることができず、怒りと悔しさがそれを覆い隠していた。少しの間、蓮の手を感じながら、タオは目を閉じた。心の中で再び葛藤が始まる。
「悪い、少しだけ、一人にしてくれ」
タオは短くそう言うと、立ち上がることなくその場に残った。目の前の景色がぼんやりと霞み、彼の視界は徐々に曇っていった。唇がわずかに震え、拳を固く握りしめるその手は、もう何もできないことへの深い無力感を物語っていた。




