星霧のあとで -タオとリリス-
「団長! 仕事です!」
朝の鐘が鳴り響く王都ネイトエール。
門兵たちが慌ただしく行き交う中、ひときわ元気な声が響いた。
振り返ったタオは、寝癖のまま髪をかきあげる。
「うるせぇ……朝から騒ぐな」
「また寝坊? 団長のくせに」
軽い口調で声をかけてきたのは、白い髪を風に揺らすリリスだった。
片手に書類を抱え、もう片方の手にはパンを二つ。
「ほら、朝ごはん。市場で買ってきた」
「……お前な、俺を子ども扱いすんな」
「してないよ。子ども扱いするなら、ちゃんと寝かせるでしょ?」
「…………」
リリスの悪戯っぽい笑みに、タオは頭をかく。
――ホクトがいた頃は、ただ命令を受ける側だった。
けれど今は、自分がその立場にいる。
ホクトを失い、仲間を守るために帰還したあの日――
ネイトエール王・トーカルから、騎士団長の座を任されたのだった。
あのときは実感も湧かなかったが、今になってようやく分かる。
背負うということが、どれほど重いかを。
それにしても、団長になってからというもの、毎日が慌ただしい。
それでも、タオは背負うと決めた。
あの夜、星霧の中で心に誓った通りに。
リリスが机に書類を置きながら言った。
「バステトの使者、もう城門に着いてるって。行こ、団長」
「おう」
外へ出ると、王都の通りは人々の声で満ちていた。
露店の匂い、鍛冶屋の槌音、笑い声。
ほんの数年前まで戦火と歪みに覆われていた街とは思えないほど、穏やかな朝だった。
「……変わったな」
タオが呟くと、リリスが横で笑う。
「いい意味で、でしょ?」
「ああ」
広場には、新しく植えられた樹木が並んでいた。
かつてホクトが剣を振るった場所。
戦の痕は、今や花で覆われている。
「ホクト団長、見たら何て言うかな」
リリスがぽつりと言う。
タオは少しだけ目を伏せ、息を吐いた。
「たぶん、“掃除が行き届いてねぇ”って言う」
「……らしいね」
二人の笑い声が、朝の空に溶けた。
やがて、王城の鐘が鳴る。
タオは肩を回し、真顔に戻る。
「バステトとの会談、俺が出る。今回はお前は休め」
「え、なんで?」
「昨日まで徹夜してただろ」
「うそ、なんでわかるの?」
「朝方顔を見た時から、バレバレだ」
リリスが不満げに唇を尖らせる。
「じゃあ、あとで市場の視察くらいは一緒に行って」
「……考えとく」
「それ、“絶対行く”のタオ訳だよね」
リリスが微笑み、タオも小さく笑った。
***
夜が明けきらない空の下、街はまだ眠っていた。
屋根の上を渡る風が、白く霞んだ月光を揺らしている。
あの日見た星霧の名残が、薄く漂っている気がした。
その中で、タオは静かに息を吐いた。
「……終わったんだな」
見上げた空は、もう何も映していない。
あの光も、声も、もう届かない。
それでも胸の奥では、まだどこかで脈打つように、誰かの笑顔が残っていた。
足音が近づく。
振り向けば、リリスが腕を組んで立っていた。
風に揺れる白い髪の先に、月光が淡く溶けていく。
「また夜中に起きてるの? ほんと落ち着かないね、タオ」
「ん、寝れなかっただけだ」
素っ気なく答えると、リリスはふっと笑った。
その笑みには、寂しさよりも、どこか安堵が混じっていた。
「それにしても……静かだね」
リリスの言葉に、タオは「ん」とだけ返事をした。
少しの沈黙のあと、ぽつりと呟く。
「この空さ、星霧の夜に似てるんだよな。
俺、あの時、ずっと気持ち悪かった。
綺麗すぎて、あのまま吸い込まれて……お前も俺も、死ぬかと思ってたんだ」
「なにそれ、死ぬわけないでしょう」
リリスはくすりと笑い、タオの肩に軽く手を置いた。
「笑い事じゃねえ! お前あの時、星霧に呑まれそうになってたろ。
それなのに俺の背中を押して――」
「うん、そうだね。でも、タオはあたしを助けてくれた」
冷たい風が吹いて、リリスの兎の耳が揺れた。
頬はほんのり色づいていて、きっとこの光景をずっと忘れないのだろう。
「タオ、ありがとね」
ああ、ずるいな。
そんな一言で、胸の奥が全部ほどけそうになる。
「……あいつら、ちゃんと行けたと思うか?」
「バカね。行ったわよ、とっくに。あの子たちが迷うわけないじゃない」
リリスはそう言って、夜明け前の淡い光の中を歩き出した。
その背を追いながら、タオはゆっくりと空を仰ぐ。
もう星霧は消えた。
けれど、この世界のどこかに、まだあの光が残っている気がした。
そして、きっとまた――誰かの空に昇る。
スピンオフ第1弾は、タオとリリスの物語です。
タオというキャラクターは、登場初期から“頑固な一匹狼”として描くつもりでした。
プライドが高くて不器用だけれど、守りたいもの、心に決めた思いは誰よりも強かったと思います。
そして、その思いの中心にはいつもリリスがいたのだと思います。
一方のリリスは、強く見えるけれど、実はとても繊細で、甘えん坊な一面を隠しています。
その“強さと弱さの同居”が、初期の「二重人格」という設定の名残にもなっています。
ふたりの距離感は本編では描ききれなかった部分が多く、こうして改めて綴ることで、少しでも彼らの“その後”を見せられた気がします。
いつか、もっと素直に笑い合うふたり、
そんなイチャイチャ編も書けたらと思います。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。




