表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
117/129

セラティスの神殿 後編

 イゼナに導かれ、蓮たちは神殿の奥へと歩みを進めた。

 高い柱が続く回廊は、静寂に包まれながらもどこか荘厳で、踏みしめる足音すら場違いに思えるほどだった。


 ふいに、蓮が口を開いた。

「……イゼナ。どうしてここに?」


 イゼナの足取りは止まらない。だが、その声だけが静かに返る。

「言うのが遅れましたね。私は“案内人”です。ラゼーラとセラティスを行き来し、こうして迷い込んだ者たちを導く役目を持っています」


 ミネルが眉をひそめる。

「迷い込んだ者……私たちのことも、最初から?」


「ええ。あなたたちもまた、行き場を失った旅人。ここに辿り着いた時点で――セラティスに選ばれたのです」


 その声音には、哀れみとも諦観ともつかない響きがあった。




 やがてたどり着いたのは、巨大な円形の扉。

 イゼナが掌をかざすと、青白い光が水面のように広がり、扉は静かに開いていった。


 現れたのは、天井までそびえる書架の森だった。

 光る貝殻を埋め込んだ壁が淡い光を放ち、そこに収められた無数の巻物や石板を照らしている。

 水の都セラティスが、ただの都ではなく「記憶の器」でもあることを、蓮たちは一目で悟った。


「ここは……書庫?」


 美穂が目を見張る。

 イゼナは振り返らず、書架の奥へと進んでいく。


「セラティスに残された記録のすべて――ラミアのことも、我らの罪も、ここに刻まれています」


 ミネルが眉をひそめた。

「ラミアの……記録だと?」


 イゼナは立ち止まり、一本の古びた巻物を手に取った。

 その表紙には、淡く輝く「器」の紋章が描かれていた。


「……ラミアは、血をばらまいた怪物ではありません」

 静かに語る声は、広大な書庫に澄んで響いた。


「彼女は“歪みを正すための器”を作ろうとしていた。けれど……その試みは失敗し、後に五大悪魔と呼ばれる存在を生んでしまったのです」


 スミレの手が小さく震え、蓮の袖を握り締めた。


 イゼナは巻物をそっと棚に戻し、振り返る。

 その瞳は、静かに決意を宿していた。


「けれど……まだ終わってはいません。ラミアが遺した“核”が、この都のどこかに眠っています。それを見つけることができれば――セラティスは再び器として目覚め、歪みを正すことができるかもしれない」


 彼女の言葉に、蓮たちは思わず息を呑んだ。


「だが――」


 イゼナはわずかに目を伏せる。


「核に触れるということは、代償を伴います。それは器を継ぐ資格を持つ者……つまり、ラミアの血を受け継ぐ者でなければ」


 イゼナの言葉は、重い余韻を残して書庫に沈んだ。

 誰もすぐには口を開けなかった。


「代償……」

 蓮が小さく呟く。

 けれどイゼナはそれ以上を語らず、静かに首を横に振った。


「今は深く知る必要はありません。

 ――ただ、心しておくことです」


 淡く光を放つ書架の森が、ざわりと水の底のような静寂を返す。

 その空気に呑まれそうになった時、イゼナはゆっくりと息を吐き、振り返った。


「……少し休みましょう」

 その声は先ほどまでの張り詰めたものとは違い、どこか人間らしい温度を帯びていた。


「セラティスは、そこに立っているだけであなたたちの神経を削ぎ落とします。核を探すには、体力の温存が必要ですから」


 スミレが小さく頷き、美穂も胸を押さえるようにしてため息をついた。

 たしかに、ここに入ってからずっと、体の芯が冷たい水に浸されているような感覚が続いていた。


 イゼナは踵を返し、別の回廊へと彼らを導いた。

 しばらく進むと、広いホールの奥に小さな宿のような空間が現れる。

 水晶の壁が柔らかな光を放ち、貝殻を編んで作られた寝台が並んでいた。


「ここなら、しばし心を休めることができるでしょう」


 イゼナは振り返り、淡い微笑を浮かべた。


 蓮たちは互いに顔を見合わせ、ようやく緊張を解くように頷いた。

 案内された部屋は、静かな水の巣のようだった。

 天井からは淡い光を放つ水晶が垂れ、壁には薄い水の膜が流れ落ちている。

 その奥で小さな貝殻の寝台が四つ並び、青白い光が波のように揺れていた。


「……ここで、休んでください」

 イゼナが言い残し、静かに扉を閉じると、部屋はさらに静寂に包まれた。

 その静けさはまるで、海の奥に沈んでしまったかのような圧力を帯びていた。


 スミレは、指先で寝台の縁をなぞりながら、ゆっくりと息を吐いた。

 美穂は部屋の隅に立ち、壁に流れる水を見つめている。


「……なんだか、溺れてしまいそうな場所ね」


 彼女の瞳は、光る水面に惹き込まれるように瞬きをしていた。


 ミネルは黙ったまま、ベッドに腰掛け、視線を伏せている。

 その横顔には、いつもの冷静さとは違う翳りが宿っていた。

 ラミアの名を聞いてから、ずっと言葉を失っているようだった。

 尊敬してきた存在が、追放されたという事実。

 知りたかった真実が、今や痛みを伴って迫ってくる。


 蓮はそんな三人を見渡し、ひとり、水面に映る自分を覗き込んだ。

 そこに映った顔に、一瞬、鱗のようなものが走る。

 頬から首へ、細かな青銀の紋がちらりと現れては消えた。


「っ……!」

 蓮は慌てて頬に手を当てる。

 その瞬間にはもう、何もなかった。

 ただ冷たい感触だけが残っている。


 スミレがそっと近づいた。

「……蓮?」

 その声は小さく震えていて、でも目はまっすぐに彼を見ていた。


「大丈夫だ。……いや、大丈夫、なのか?」

 曖昧な言葉を返しながら、蓮は視線を逸らした。


 スミレはその横顔を見つめ、自分の掌をそっと握りしめる。

 翼はもうない。

 けれど、何かできることがあるはず――そう思わずにはいられなかった。


 部屋には波の音のような微かな響きが漂い、四人はそれぞれの思考に沈んでいった。

 誰もが疲れていたが、その夜はなかなか眠れそうにない空気があった。


 そして夜の帳が降りる。



 寝台の上、三人の呼吸が静かに重なっていた。

 美穂は腕を組んだまま壁に凭れ、ミネルは深い影を纏うように眠りについている。

 スミレは、蓮の近くで小さく丸まり、浅い眠りに身を委ねていた。


 だが――蓮の瞳だけは冴えていた。

 水晶灯の青白い光が、眠れぬ瞳に映り込む。

 胸の奥がざわめく。

 顔に浮かんだ鱗の記憶が、脈打つように離れない。


「……俺は……」

 声に出しかけて、蓮は首を振った。


 音を立てぬように身を起こす。

 寝台を抜け出し、扉の方へ歩み寄る。

 振り返ると、スミレの肩がわずかに上下していた。

 その姿に一瞬迷いがよぎったが、蓮は静かに扉を押し開けた。


 廊下は深い水底のように静かだった。

 水晶灯が並ぶ回廊を歩きながら、蓮は無意識に拳を握りしめる。

 その先に――気配を感じた。


「……眠れぬか」

 声は背後から届いた。

 振り返ると、そこに立っていたのはイゼナだった。

 淡い光を纏う衣の裾が、水のように揺れている。


「……イゼナ」

 蓮は一歩近づき、問いを飲み込んだ。

 なぜ彼女がここにいるのか――いや、それよりも。

 なぜ自分がここへ導かれるように足を運んだのか。


 イゼナは目を伏せ、小さな微笑を浮かべた。

「あなたの目には、もう見えているのでしょう」

 その言葉に、蓮の心臓が強く打つ。


「……俺の身に、何が起きてる」

 声が震えていた。


 イゼナは蓮を見つめ返し、ゆるりと首を振った。

「答えを急ぐ必要はありません。ただ……恐れるな。変化は、器である証。――あなたが選ばれた理由でもあります」


 蓮は息を呑んだ。

「俺が……?」


 イゼナの瞳は、海よりも深い色をしていた。

「いずれわかることです。けれど、あなたが怖れているものは……あなたひとりで背負うものではない」


 その言葉が、胸に重く沈んだ。

 気づけば、蓮の拳はほどけていた。


 イゼナは振り返り、廊下の奥へ歩き出す。

「――来なさい。まだ見せていない場所があります」


 蓮は、呼吸を整えながらその背を追った。

 静寂の回廊に、二人の足音だけが響いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
蓮、、!? えっえっ!?!?  身体に色んな異変が起きてて心配すぎます...器って!?!?!  今後の展開こわすぎてドキドキします...
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ