海底都市セラティス
星霧の夜を突き抜けた瞬間、視界がぱっと開けた。
まるで長いトンネルを抜け出たように、目の前に広がる光の奔流。闇に慣れた目には、白金の輝きが刺すほど眩しかった。
「――っ……!」
思わず目を細めた蓮の前を、巨大な影が横切る。
空を裂く轟音。風圧。目を見開くと、それは翼を大きく広げた竜だった。
鱗は光を反射して煌めき、星の残滓をまとったように尾を引く。
言葉を失う蓮の横で、美穂が息を呑んだ。
「……これが……セラティス……?」
その先に広がる光景は、街とも大地とも呼び難い。
下を見れば、青く透き通った海のよう。
上を仰げば、逆さまに浮かぶ神殿群が天を覆う。
境界は曖昧で、空と海と街が溶け合っていた。
「天も地も、分からなくなりそうね……」
スミレの声は小さく震えていて、けれど畏怖よりも感嘆が勝っていた。
ミネルは唇を引き結び、じっと前を見据える。
「……神々の座に相応しい。ここに、真実が眠っているのか?」
蓮はただ立ち尽くしていた。
見上げても見下ろしても、世界がひっくり返るような光景。
足元の大地すら幻に思える。
――俺たちは、本当にこんな場所へ足を踏み入れたのか。
そのとき。
「来客は珍しい」
声が響いた。澄んでいるのに底知れず、耳ではなく胸に直接届くような響き。
蓮は思わず周囲を見渡した。すぐ近くにいるはずなのに、姿は見当たらない。
次の瞬間、頭上の空が水面のように揺らめいた。
そこから、人影がゆるやかに沈むように降りてくる。
頬から首筋にかけて淡い鱗を宿し、ひれのような耳を揺らす女だった。
人魚を思わせる容貌。だが腰から下は人の姿で、白い衣をまとった足でしなやかに大地へと降り立つ。
その姿を見た時、蓮たちは直感的に彼女がマーレ族と呼ばれる種族であると感じた。
濡れているはずもないのに、滴る雫が地に落ちるたび、淡い光の波紋が広がった。
透きとおる青の瞳が、真っ直ぐに蓮たちを見据える。
「ようこそ、セラティスへ。神々の座に足を踏み入れし者たちよ――さあ、私についてきなさい」
そう告げると、彼女は大地へと身を投じた。
触れた瞬間に地面が波打ち、海のような水しぶきを上げる。やがて波は形を変え、奥へと続く水のトンネルを穿った。
「ちょっと待ってくれよ!」
気づけば、蓮は一歩踏み出していた。
「待って――蓮!」
スミレが腕を掴み、引き止める。
「スミレ、どうした?」
「違うの……蓮、その目……」
訝しみながら水面に視線を落とす。
そこに映った自分の瞳は――真紅。
反射越しでもはっきりわかるほど、鮮烈な赤に染まっていた。
「ホクトの瞳に……そっくりだ」
ミネルが低く言い残し、迷いなくトンネルの奥へ進む。
「ちょっ……お、おい!」
慌ててその背を追った。
不思議なことに、トンネルの奥はひどく鮮明に見える。
水の層を隔てているはずなのに、視界は澄み渡り、遠くにいる彼女の姿まで鮮明に見通せた。
「……見える」
呟いて、自分の目に触れる。
確かに俺の身に、何かが起きている。
けれど――それでも進まなければならない。
足を踏み入れた瞬間、周囲の世界は静まり返った。
水の壁に囲まれたトンネルは、外界のざわめきをすべて閉ざし、ただ自分たちの呼吸音と足音だけが響いている。
頭上を魚の群れが泳ぎ抜け、尾びれが光を散らして消えていく。その光が道を照らす灯火のように瞬き、蓮たちを導いていた。
「……すごい……」
スミレが思わず吐息を漏らす。
その横で、美穂は顔をこわばらせたまま、振り返って蓮を見る。
「ねえ、蓮……本当に大丈夫?」
「……ああ」
言葉にした自分の声は、どこか自信を欠いていた。
それでも立ち止まることはできない。
スミレはしばらく黙って俺を見つめたあと、柔らかく笑った。
「だったら、私も信じる」
そう告げて隣に並ぶ。
美穂はまだ不安を拭えぬ様子で唇を噛み、けれど何も言わず、蓮の反対側に立った。
ただ一人、ミネルだけは無言のまま前を歩いていた。
迷いも恐れもなく、まるでこの道の先を知っているかのように。
やがて、トンネルの先に強い光が差し込んでくる。
水面を透かした輝きは次第に大きくなり、やがて目も開けていられないほどの白光となった。
その光を抜けた瞬間、視界が再び開ける。
そこにあったのは――天を衝くようにそびえ立つ巨大な神殿だった。
純白の柱が幾重にも並び、屋根には黄金の装飾が瞬く。
水の都の中央に鎮座するその建物は、ただそこに在るだけで威圧感を放ち、蓮たちの存在がちっぽけに思えるほどだった。
「……ここは……」
思わず息を呑む。
神々の座に招かれた者を試すかのように、その扉は閉ざされたまま、荘厳に蓮たちを待ち構えていた。
蓮は一歩、また一歩と足を進める。
背後では仲間たちが無言で見守り、その視線が確かな支えとなっていた。
――これが最後の門。
この扉の先に、答えと結末が待っている。
扉の前に立ったのは、先導してきたマーレ族の少女だった。
彼女は振り返り、一行に柔らかな微笑みを見せると、両の手を扉へとかざす。
「どうか、恐れずお進みください。ここが、セラティスの心臓――」
低く響く音とともに、扉はひとりでに開いていった。
白い光と潮風が流れ込み、蓮たちの頬を撫でる。




