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【完結】狭間で俺が出会ったのは、妖精だった  作者: 紫羅乃もか
第6章 機械仕掛けの記憶と罪
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馬車に揺られて

 海底都市セラティス──

 それは、伝承の中でしか語られてこなかった、架空界でももっとも幻に近い都市。

 今やその存在を信じる者など、ごくわずかだ。けれど、あの一瞬。


 ミネルに宿ったラミアの記憶。

 全員が垣間見た、水に浮かぶ光景。

 そして、ラミアの言葉──。


 それらは確かに、南を指し示していた。



 会議室の空気を、タオの低い声が破る。


「海底都市セラティス、か。……本当に、たどり着けるのかよ?」


 テーブル越しに腕を組んだ彼の声には、半ば疑いと、半ば戸惑いが滲んでいた。

 伝承によれば、セラティスはネイトエールから遥か南、深海の底に存在するという。


「……簡単にはいかないだろうな」


 ホクトが静かに答える。淡々とした口調だが、その眼差しには覚悟が宿っていた。


「だが、託された道があるとすれば──今はそこしかない」


 そう言って、ホクトは懐からタバコを取り出す。火をつけようとした瞬間、ローレの手が伸びた。


「おいおい、女子もいるんだ。今くらい禁煙しろ」


 ホクトは苦い顔をして、渋々タバコをしまい込む。


「……まあ、策がないわけじゃない」


 ホクトは言葉を続けた。


「このネイトエールから南下した先に、“ラゼーラ”という港町がある。……かなり昔に耳にしただけだがな」


「ラゼーラ……?」


 リリスが小さく首を傾げ、続いて美穂が言った。


「聞いたことない町ね。記録にも、地図にも載っていなかったはず」


「そこに、何か手がかりがあるんですか?」


 蓮が前のめりで問うと、ホクトは肩をすくめて答えた。


「分からん。だが、セラティスの伝承で語られる“聖なる海”に最も近いとされているのが、その町だ。……何かあるかもしれん」


「ははん、つまり……行き当たりばったりってやつだな」


 ローレが半笑いで片眉を上げる。


「だが、何も知らずに海に飛び込むよりは、いくらかマシだろう」


 ホクトが苦笑を浮かべた。


 こうして、一行は、地図にもほとんど記されていない“忘れられた港町ラゼーラ”を目指すこととなった。

 かつて、海底と地上を繋ぐ“古の航路”が存在した──

 そんな朧げな伝承の中に、唯一その名が残されていた町。


 今はもう、その場所も存在も、誰の記憶からも消えかけている。

 それでも、一行は信じていた。


 ……すべての鍵が、そこに眠っていると。




「で、ラゼーラまで……どうやって行く?」


 ぽつりとタオが漏らす。


「地図にすら載ってない町だろ? しかも、“世界の底”に通じる場所だ。転移や飛行魔法はリスクが高すぎる」


 スミレが静かに頷いた。


「狭間の歪みが空間にまで影響してる以上、安全なのは──陸路ね」


「つまり、馬車だな」


 ホクトが即答した。


「静かに進めるし、魔力の揺らぎも抑えられる。足は遅いが……確実だ」


「じゃあ、馬車二台用意するか」


 ローレが地図を睨みながら言う。


「全員一台じゃ無理があるし、分けて動いた方が何かと融通も利く」


「馬車、あるんですか……?」


 蓮が少し驚いたように訊くと、ホクトが呆れたように言った。


「……王都だぞ? 馬車の一つや二つ、あるに決まっている」


 蓮は目を瞬かせた。これまでの任務での旅は、基本的に徒歩。

 毎度筋肉痛で死にかけていた記憶が蘇る。


「ど、どうして今まで使わなかったんだよ!」


 憤る蓮に、ホクトはきっぱりと答えた。


「体力作りだ」


 ……何も言い返せなかった。


「蓮、スミレ、タオ、リリスの四人で一台。もう一台は、美穂、ローレ、ミネル、そして俺が乗る」


 ホクトの指示に、ローレがニヤリと笑う。


「ナイス分け方だな。若いのは若いので勝手にやってろってこった」


「私も若いんだけど」


 美穂がむっとした顔で言い返す。


 ローレの口元がピクリと上がる。


「ああん? 魔力の匂いで分かるんだよ。てめえ、俺らの世代だろ? 

 それとも何か? 若い連中に混ざって舐められたいとでも?」


「舐めないで」


 ビリビリと火花の飛ぶようなやり取りに、リリスが小さく笑った。


「……若手チームとベテランチームってことね」


 タオがむすっとした顔で何か言いかけたが、蓮に肩を叩かれて口をつぐんだ。


「まあ、旅の空気がちょっとは和むかもね」


 スミレは黙っていたが、どこか楽しそうに目を細めていた。


 こうして──

 セラティスを目指す、静かで確かな旅路が、いま始まろうとしていた。


 ***


 馬車の車輪が、ざらついた地面をゆっくりと転がっていく。

 昼を過ぎたばかりの空は高く澄んでいるというのに、車内にはどこか重たい沈黙が漂っていた。


「リリス、よく寝れるよなあ……」


 蓮がぽつりと漏らすように言う。

 空気をやわらげようとして、けれどどこか所在なげな声音だった。


「疲れてるのよ、最近ずっと任務続きだったし……」


 スミレが静かに答える。

 視線の先には、揺れる車内で窓にもたれながら眠るリリスの姿があった。

 その寝息は穏やかで、まるで別世界の空気を吸っているかのように安らかだった。


 ……だが、残された三人──蓮、スミレ、タオの間には、言葉にしづらい空気が流れていた。


 タオがふと視線を逸らし、しばらく沈黙してから、ぽつりと口を開いた。


「……なんつーか。まだ、実感わかねぇんだよな」


 その声は乾いていて、少しだけ投げやりだった。


「俺たち三人とも……ラミアの血が流れてる。……血縁者ってやつか。冗談きついぜ、マジで」


 誰にも向けられていないその言葉に、蓮もスミレも黙ったまま耳を傾けた。

 馬車の軋みだけが、静かに響いている。


「おかしいとは思ってたんだよ。

 五大悪魔の誰かが親? そんな都合よく集まるわけねーってさ。

 でも……違った。最初から全部“仕組まれてた”。ラミアの、あいつの……手のひらの上だったってわけだ」


 タオは視線を外の景色に向けた。

 どこまでも続く風景が、ただ遠くへ遠くへと流れていく。

 進む馬車の振動が、まるで過去や感情までも揺さぶっていくかのようだった。


「……タオ」


 蓮が、そっと声をかける。


「罠でも、運命でも。……それでも俺は、お前と出会えてよかったって思ってる。

 選ばされたんじゃなくて、俺が“選んで”出会ったって、そう信じたいんだ」


 タオは黙ったまま、風に髪をなぶられながら佇んでいる。

 その横顔を見つめながら、スミレが柔らかく言葉を重ねた。


「私も……正直、動揺してるわ。でも、それで私たちの関係が変わるとは思ってない。

 血に縛られない絆だって、あるでしょう?」


 タオはゆっくりと振り返り、少しだけ眉を上げて、小さく笑った。


「……お前ら、ほんと放っとけねぇな。……ちゃんとついてこいよ。置いてくぞ?」


 蓮がくすっと笑う。

 タオの背は、兄のようで、弟のようで──どこか、頼もしかった。




 そのとき、リリスが身じろぎをした。

 やがてゆっくりと起き上がり、眉間にしわを寄せて頭を押さえる。


「うぅ……なんか、頭が割れそう……」


 突然の呻きに、三人が一斉に振り返った。


「おい、リリス、大丈夫か?」


 タオが思わず身を乗り出し、リリスの肩を支える。

 彼女は顔をしかめながら、ふらりと前かがみになった。


「……え、三人とも平気なの?」


 リリスは不思議そうに問いかける。


 確かに空気の妙な重さや気配はあったが、蓮たち三人には体調の異変は感じられなかった。

 顔を見合わせて、揃って小さく頷く。


「……やっぱ、ラミアの血ってやつが関係してんのか?」


 タオが低く唸る。


「空気がざらついてんの、分かるし。進めば進むほど景色がゆがんでる。……俺でも感じるくらいだ、リリスの方がヤバいかもな」


「兎の五感は鋭いのよ……ずっと誰かの声が聞こえてたの。知らない“音”も……。

 これ、絶対に普通じゃない……この先には、何かがある」


 その言葉に、スミレが思いつめたように呟いた。


「……セラティスが近づいているのかもしれない。

 狭間の歪みと繋がって……何かが呼んでる」


 その瞬間だった。


 馬車の下──地面が、かすかに()()()()


「……!」


 蓮の視界に、突如として鮮烈な映像が焼きつく。


 水底のように静かで、どこまでも澄んだ蒼。

 そのなかに浮かぶように佇む、美しく幻想的な都市。


 それは夢か、記憶か、あるいは──誰かの記録か。


 だが、確かにそこに在ると、本能が叫んでいた。

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