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【完結】狭間で俺が出会ったのは、妖精だった  作者: 紫羅乃もか
第6章 機械仕掛けの記憶と罪
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五大悪魔 前編

 翌朝。

 蓮の身体には、甘く、柔らかい倦怠感が残っていた。

 鉛のように重たい四肢。けれどその重さすら、愛おしかった。


 昨夜のすべてが、まだ肌に、胸に、残っている。

 隣には、布団にくるまって静かに眠るスミレの姿。

 その寝顔を見つめるだけで、胸がじんわりと熱くなる。


「ん……蓮……?」


 視線を感じたのか、スミレがゆっくりと瞼を開いた。

 その瞳がまっすぐ蓮を見つめる。

 奥深くて、どこか寂しげで、それでもやわらかく笑っている。

 ──あの日と同じ瞳だった。初めて出会った、あの朝の。


 蓮はスミレの髪を優しく撫でる。

 そしてそっと、唇を重ねた。


 二人は、ふと目を見合わせて、照れたように笑った。


「覚えてる? 初めてスミレに会って、城下町の家に泊めてもらった日のこと」


 蓮の問いかけに、スミレは蓮の胸に顔をうずめながら、小さく笑う。


「ええ、覚えてるわ。あの朝も、あなたが見つめて起こしてくれたのよね?」


「……そうだったっけ。でも、あのときからずっと……スミレに触れたかったんだ」


「ふふっ……触れてもよかったのに」


「初対面でそんなことしたら、ぶっ飛ばされるだろ……」


 二人の笑い声が、朝の静けさに溶けていく。


 やがてスミレは、目を伏せてぽつりと呟いた。


「今思えば、あのときからずっと……私はあなたに救いを求めてたのかもしれないわ」


 言葉の端に、切なさがにじむ。


「ずっと、寂しかった。誰かに寄り添ってほしかった。……こうして、あなたと目を覚ます朝が、ただそれだけのことが……どれだけ恋しかったか」


 そう言って、スミレは蓮の背に腕を回す。

 ぎゅっと抱きしめるその腕が、震えていた。


「蓮……私を救ってくれて、ありがとう。本当の私を、探してくれて……愛してくれて、ありがとう」


 蓮は、こみ上げる涙をどうにかこらえながら、そっと彼女の額に口づけた。


 しばらく、ただ寄り添う時間が流れた。


「……そろそろ、騎士団本部に向かわないといけないわね」


 スミレがぽつりと言う。

 けれど、蓮はまだ腕を緩めなかった。


 ああ、嫌だな。

 このまま、時間が止まってくれたらいいのに──

 そんな想いを胸にしまい、蓮はようやく、スミレの身体から腕を外した。


 スミレはそっと身体を起こし、ベッドに腰かける。

 足元に置かれた衣服の中から、淡い色の下着を手に取った。


 肩紐に腕を通したあと、蓮に背を向けて言う。


「蓮……留めてくれる?」


「ん」


 短く返事をして、蓮は背後に手を伸ばした。

 下着の留め具をそっと留めると、自然と指が彼女の背中をすべっていく。


 白くて滑らかな肌。

 しかし、その中心に刻まれた、二本の大きな痕が目に入る。


 ──翼を、もがれた跡。


 妖精としての証を奪われた、痛ましい痕跡。

 それでも彼女は、生きて、ここにいる。


 蓮は、彼女の背にそっと額をあずけ、そして唇を押し当てた。


「……蓮、くすぐったい」


「ごめん。でも……もうちょっとだけ、こうしてたい」


 蓮はスミレの腰に腕を回し、そっと抱きしめる。


 小さくて、か弱くて、けれど強い──

 そんな彼女の背を、胸を、腕の中で確かめるように。


 心の奥で、叫びそうな想いがあった。


 ──行かないで。

 まだ、そばにいてくれ。


 けれどそれを言葉にしないまま、蓮はただ、彼女の温もりを抱きしめた。そしてキュッと唇を噛んだ。


 ***


 ーー会議を始める。


 ホクトの低く響く声とともに、ネイト騎士団の正式な会議が始まった。

 場を包むのは、重く張り詰めた空気。誰一人、無駄な言葉を発しない。


 蓮は、テーブルを囲む仲間たちを見渡した。

 並ぶのはネイト騎士団の主要メンバー、そしてローレ。


 全員が揃った正式な会議は、どこかいつもと違っていた。

 胸の奥で、言葉にならない不安が膨らんでいく。


 ほんの今朝まで、スミレのぬくもりがそこにあった。

 指先の感触、優しい声、匂い。すべてが身体に染みついている。

 だけど今は、それをしまい込む時だった。


 ここから先が、本当の戦いになる。


「アウライアでの事案は、すでに解決に向かっている。伝令鳥もじきに復活するだろう――問題は次だ」


 ホクトの声が、静寂を断ち切った。

 その鋭い視線が、出席者一人ひとりをなぞっていく。


「今までお前たちには、サタンの抑制と五大悪魔の調査を任せてきた。……それも、もう終わる。

 残る五大悪魔は、俺とローレだけだ」


 その言葉に、かすかな安堵が空気に混ざった。

 けれど蓮はすぐに違和感を覚える。


 空気は、軽くならなかった。

 むしろ、沈黙が深くなる。まるで、何かを飲み込んでしまいそうな重さ。


「だが――それでも世界は治まっていない」


 ホクトの言葉が、その理由を告げる。


「“残り香”のような悪魔の影が、各地で確認されている」


「……影?」


 思わず口をついて出た問いに、美穂がそっと頷いた。


「形はないの。でも、確かにそこに“いる”。

 放っておけば誰かに取り憑いて、新たな災いを生むわ」


「つまり……五大悪魔を倒しても、終わってないってことか」


 タオの深刻そうな声が響く。


「そうだ」


 ホクトは短く、はっきりと言い切った。


「サタンは抑えられたが、その根本は完全には消えていない。それを正すには、もっと根源に近づく必要がある」


 沈黙が深く、重く降りてくる。


「ラミアだな」


 ローレの呟きに、ホクトが頷く。


「ああーーそれが、最後の鍵になるだろう」


 ホクトのその言葉に、全員の意識が一点に集中した。


「で……その“最後の鍵”の居場所に、見当はついてんのか?」


 ローレが問いかける。

 唇の端に微かに緊張が走っているのが、蓮の位置からでも分かった。


 ホクトがわずかに目を伏せ、低く答えた。


「残念だが……ラミアの住処は不特定に出現するうえに、境界がない。森に住処を置くこともあれば、廃墟のそばに置くこともあるーーいわば狭間に近い性質だな」


「つまり、おとぎ話の中に住んでるってわけか」


 ローレが自嘲気味に呟いた瞬間だった。


「うむ……線はいいのう」


 その声は、誰のものでもなかった。


 蓮は反射的に隣を見る。

 スミレは目を見開き、息をのんでいる。

 誰も、喋っていない。今の声は――どこから?


 不意に、ミネルの口元に目が留まった。

 彼女の唇が、ほんのわずかに動いている。


「……ミネル?」


 蓮がそう呟いたときには、もう空気が変わっていた。


 重たい沈黙。

 静かすぎる静寂。

 皮膚の下の血が重くなるような、奇妙な“圧”。


 誰も声を出せない。

 剣に手を伸ばす者すらいない。いや、伸ばせない。


「久しいな……我が子どもたち。元気にしておったかい?」


 ぞわり、と背筋に何かが這い上がる。

 蓮は息を止めた。

 ミネルの体が、ぐらりと揺れる。


 そのまま、糸が切れた人形のように膝をつき、崩れ落ちた。


「ミネル!」


 スミレとリリスが駆け寄る。だが、間に合わない。


 血が逆流するような感覚に襲われる。


 ミネルの足元から黒い“影”のようなものが溢れ出す。

 そしてその影が、静かに形を成す。


 現れたのは、一人の女だった。

 銀灰の髪、異様なほど白い肌。

 そして何より、その下半身──うねるような鱗に覆われた蛇の尾が、床を這っていた。


 蓮は知っていた。この女を。

 下半身が蛇で、銀灰の髪を持つ――あの時、あの森の家で出会った“悪魔”のような女。


 ラミア。


 場の全員が、息を呑んだ。

 ただ一人――ローレだけを除いて。


 ローレが立ち上がる。

 怒りに燃える瞳をラミアに向け、叫ぶ。


「……てめぇ、いつから入り込んでいやがった!」


 その怒声にも、ラミアは微笑むだけ。

 けれどその微笑は、どこか哀しげでさえあった。


「ラミア……またお前から現れるとはな」


 ホクトの低い声が空気を震わせる。

 ラミアは、まるで懐かしむように首を傾げた。


「“母上”と呼べ、とあれほど言ったろう、ホクト」


 蓮は、喉が詰まるような感覚に襲われた。


 “母上”……?


 聞き間違いかと思った。だが、誰も否定しない。

 むしろ、ローレが苛立ちをあらわにホクトを睨みつける。


「……まさかとは思ってたが。てめぇ、本当に黙ってるつもりだったのか」


 ホクトは、答えない。眉をわずかに動かし、目を伏せている。


 ローレが一歩前に出る。

 声には怒りと、皮肉と、どこか焦燥が入り混じっていた。


「もういいだろ、隠すな。ここにいる全員、もう聞くべきだ。五大悪魔の“真実”を」


 ホクトは、何かを噛み殺すように唇を閉ざした。


 蓮の心臓がどくどくと音を立てる。

 嫌な予感が、頭の奥で警鐘のように鳴っていた。


「……父さん?」


 蓮が呼びかけた。だがホクトは、返事をしない。


 ただ、拳を握り締めたまま目を閉じて――そして、ゆっくりと口を開いた。


「……墓場まで持っていく。そう決めていた。けれど、もう……」


 静寂。


 ホクトは顔を上げる。

 その瞳には、確かな覚悟が宿っていた。


「ラミアは……五大悪魔の生みの親。

 俺とローレを含む、五人すべての“母親”だ」


 刹那、時間が止まったようだった。


 蓮の思考が、急激に混乱し始める。


 母親……?

 五大悪魔……?


 ということは――

 スミレも、タオも、そして俺も……?


 蓮の視界がぐらりと歪んだ。


 何かが崩れた音がした。

 それが世界の“歯車”だったのか、自分自身の“常識”だったのか――

 蓮には、もう分からなかった。


祝 蓮童貞卒業!

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