第89話 彼の真意
お化け屋敷を出て、ふらふらとしているうちに文化祭は終了した。
本格的な片付けは振替休日明けにすることになっているので、軽く整理だけして教室前で解散する。
その際にクラスメイトからさんざんからかわれたが、悪感情は向けられなかったので本当に良かった。
そして放課後、本来ならばすぐに家に帰るのだが、人気の無い校舎裏に向かっている。
「家に帰らないんですか?」
やはり愛梨は疑問に思ったようで、首を傾げて不思議そうな顔をした。
「事後承諾になって悪い。後一つだけ頑張ってくれないか?」
「頑張るですか? 湊さんが居るならいいですけど……」
「それは大丈夫。頑張るのは俺もだからな」
「はあ……」
疲れきっているにも関わらず、愛梨は文句を言う事無く許可してくれた。
この用事は湊にも関係する事だと告げると、彼女はきょとんとした表情になる。
ここまでしか湊も伝えられないので、それ以上何も言う事無く目的地に着くと彼が居た。
「やあ、待っていたよ」
湊は愛梨と待ち合わせしてから来たので、谷口の方が先に着いていたようだ。
意外な人物が居る事に愛梨は目をぱちぱちさせて驚いている。
「どうして谷口先輩が居るんですか?」
「俺が九条君に頼んでね、放課後二人と話がしたいってことで来てもらったんだ」
谷口のお願いというのはこの事だ。
湊、もしくは愛梨と二人きりで話をしたいと言うならまだしも、両方というのは予想外だった。
とはいえ午前中助けてもらった事もあり、無茶な要求でも無かったのでお願いに応えることにしたのだ。
だが、この三人で仲良く話が出来るとは思っていない、なにせ彼の真意が分からないのだから。
余計な世間話など要らないので、早速用件を聞くことにする。
「それで、話ってなんだよ」
「単刀直入に言うよ。二人は文化祭を一緒に過ごして、かなりの視線を浴びたね。それに対して何か思う事は無いかい?」
「嫉妬や値踏みの目線だろ? それがどうした。愛梨と一緒に居る以上覚悟してる事だ。そんなものをどれだけ向けられても離れるつもりは無い」
この二日間、湊達を見る視線の多さは相当なものだった。
だが既に分かっていた事だし、それでも前に進むと決めたのだ。今更それで怖気づくことは無い。
谷口の目を見ながらその意思を込めてハッキリ言うと、彼が爽やかな笑みを浮かべて視線を愛梨に移した。
「二ノ宮さんはどうかな?」
「私達の事を見た目の釣り合いだけで否定する視線は不快ですし、余計なお世話だと思いますが、そんなもの無視します。もちろん湊さんと離れるつもりも無いです」
その言葉を聞いて、谷口の瞳に火が灯ったように見えた。
だがそれは清いものではなく、怒り、もしくは憎しみのように感じる。
「……俺達には視線が集まる。『その見た目に相応しい行動を取るべきだ』という身勝手な視線が。九条君と一緒に居るなら、これから更に増えるんだよ?」
「そうですね。それが何か?」
愛梨はそんな事など既に十分理解している。その上で共に苦しもうと約束したのだから。
彼女が冷ややかな声色で疑問を口にすると、更に谷口の目に熱がこもった。
「彼らはそれを遠慮なくぶつけてくる。自分では届かない見た目だからこそ、俺達には理想であれという嫉妬にまみれた視線をね。それを君が分からないはずが無い」
「そうですね、良く分かりますよ。そんな視線が嫌だからこそ私は他人を遠ざけていたのですから」
愛梨の言葉を受け、谷口は顔を曇らせて「分からない」という風に首を横に振る。
「……なのに君は九条君と一緒に居ようとするんだね。それほどまでに彼は君の隣に居るのに相応しいと思っているのかい?」
その質問は湊がずっと思っている事だ。
どんなに頑張ったところで湊の見た目は変わらない。他人から見て愛梨の隣に立つのに相応しいとは思えないだろう。
それを言われる事は覚悟していたので、ほんの少しだけ胸が痛んだが顔には出さない。
これに耐えられるようになってこそ湊は自信を持って彼女の隣に立てるのだから。
愛梨はその言葉を聞いた瞬間に、最近ではほぼ見なくなった絶対零度の目で谷口を睨んだ。
「ええ、相応しいですよ。見た目が釣り合わないというのは第三者の勝手な理想の押し付けです、はっきり言って邪魔なんですよ。当人達が納得していればそれでいいでしょうに。……というか私の人間関係に口を出さないでくれませんか?」
「それはそうだね、でも良く考えて欲しい。これから君の嫌いな視線を浴び続ける事になるんだ。何度も言うけど、本当にそれでいいのかい?」
「いいですよ。湊さんが傍に居てくれますし、そんなものなんていくらでも耐えられます。それでも一緒に居たいと思ってますから」
愛梨がきっぱりと放った言葉は予想していたものではあるが、いざ言葉にされると改めて湊の存在を認められているように感じて、嬉しさで胸が温かくなる。
それを受けて、谷口は意外そうに「ほう」と言葉を発した。
「じゃあ君は何を基準にして近くに居る人を分けてるんだい?」
「谷口先輩とは違って私をしっかり見てくれている事……もちろん外見ではなく私の心をです」
「では心を見てくれる人なら誰でもいいんじゃないか? それこそ九条君よりも顔が良く、君の心に寄り添ってくれる優しい人は居るはずだ」
「お断りします」
これ以上の問答など必要無い、と言わんばかりの冷たい声が愛梨から発せられた。
「私は顔の良し悪しでは人の評価を決めません。そして、彼より優しい人がいる? ……ふざけないでください」
冷たい声に怒りがこもった。
「誰もが私の外見をとっかかりにして話し掛けてきました、私が外見を褒められる事を嫌悪しているにも関わらず。……でも彼は違います。私が何を言われて嬉しいか、何が駄目なのか、ちゃんとそれを理解しようとしてくれました。少なくとも私にとっては、彼より優しい人は居ません」
「……そうか、それが君の基準なんだね。俺とは大違いだな」
そう零す谷口の目は、理解出来ないものを見るような遠い目をしている。
「違って当然でしょう。そもそも谷口先輩のように人を見た目で判別する人は嫌いです」
愛梨は突き放すような言葉を紡ぎ、それを受けて谷口は苦笑を浮かべた。
「そんなにおかしな事かい? 見た目が良いという事はそれだけ努力をしているという事だ。それを維持する努力はもちろん、周囲からの一方的な理想の押し付けに耐える努力を。あと一応言うけど、見た目が良い人を全肯定してる訳じゃ無いし、それ以外の人の中にも評価出来る人はいる。顔の良さだけで付き合う人を選んではいないからね」
その言葉は拓海から聞いた情報と違っており、思わず驚きに目を見開く。
そんな湊の態度を予想していたのか、谷口が苦笑を深めた。
「とはいえそれはほんの一握りだ。ただひたすらに劣等感で蹲り、自分勝手に俺達に期待する人とは違って、それでも前を向ける人は稀なんだよ。その点、九条君は凄いと思う。俺やこの文化祭中に言われた言葉に折れなかったんだから」
「だから俺の良い噂を流したり、今日俺を助けるような事をしたのか?」
「ああ、悪感情の視線に負けない姿を見せてもらったからね。やはり折れずに前を向き、努力出来る人こそ素晴らしいと思う。……残念ながら、それが出来るのは見た目が整っていて自信のある人が多いのさ」
どうやら谷口の中の自分と一緒に居て良い人の基準とは、努力を出来る人というものらしい。
最初に会った時に彼に一歩も引かずに言い返した事がこういう結果になるとは思わなかった。
(それにしたって極論すぎる)
人はそう強くは無い。彼のように努力をし続けられる人というのはほんの僅かだろう。
普通は劣等感等の感情で動けない事や、俯く事があるのが当たり前だ。それを弱くて情けない人と判断して下に見る事はあまりに残酷ではないのか。
ましてやその基準の一つが顔の良さなど極端すぎると思う。
隣の愛梨も同じことを思ったのだろう、不快そうに眉を寄せている。
彼女とて自分を弱い人間だと自覚しているのだから、その言葉は気持ちの良いものではないはずだ。
「残念ながら、私は今まで自分の見た目を整っているとは思っても自信に思った事などありません。湊さんに認められて初めて受け入れる事が出来ましたので」
「意外だね、二ノ宮さんの見た目は様々な人を惹きつける。けれど、その誰もが君の基準に満たなかったから遠ざけたのだと思ったんだけど」
谷口が心底驚いたように目を見開いた。
愛梨は彼の口から放たれた言葉を聞きたくないかのように首を横に振る。
「そんな傲慢な基準などありません。それに谷口先輩は勘違いしています」
「勘違い? 何をだい?」
「劣等感なんて誰にでもあります、目を背ける事や逃げる事もあるでしょう。それは私だって同じです。
そして、皆が先輩みたいに強くはあれません。それを他人に強要するのはあまりにも酷じゃないですか?」
「なるほど、そういう考えもあるのか」
「ええ、弱い事の何がいけないんですか? それの何が駄目なんでしょう? 弱いからこそ私は湊さんに支えてもらってますし、彼が弱った時は私が支えます。そうやって私達は一緒に居ると決めたんですから」
「……そうか、分かったよ。じゃあ最後に九条君に聞くよ。君はこれからも二ノ宮さんと一緒に居るのであれば、沢山の非難の言葉を言われるだろう。それに負けない覚悟はあるかい?」
その質問に対する答えは既に決まっている。
真っ直ぐに、目を逸らさず谷口を見つめて口を開く。
「ああ、俺は愛梨の隣に居る。誰に、何を言われてもだ」
「……ありがとう、話はこれで終わりだ。それじゃあね」
満足そうに淡く笑って谷口は湊達の傍を通り過ぎた。
その背中にまだ言っていなかった言葉を掛ける。
「お前が俺の良い噂を広めてくれたから、今日までそんなに大変じゃなかった。ありがとう」
「別にお礼を言われる事じゃないさ。俺は俺の考えに従ってやった事だからね」
そう言う谷口の背中は寂しそうに感じた。
おそらく他人を寄せ付けない愛梨を自分と同じタイプの人だと思ったのだろう。
彼女の在り方は自らに釣り合うに相応しいくらいの努力をしなければ誰も認めない、という風に見えてもおかしくは無い。
けれど二人の価値観は全く違っていた。だからこそ彼は遠いものを見るような目をしていたと思う。
(あいつがそういう考えになってしまった理由が何かあるんだろうか……。いや、今考えても仕方ないな)
余計な事を考えてしまったと首を振って気分を切り替える。
互いの考えが違ったのだから、これ以上関係を持つ事も何かを言う事もすべきでは無い。
愛梨は必ずこの手を取ってくれると信じ、静寂を破って差し出した。
「愛梨、帰ろうか」
「はい」
柔らかく微笑む愛梨が湊の手を握る。
この一ヵ月、いろいろな事があったが、ここからが本番だ。
沢山の非難の言葉を、悪感情を向けられた。けれど覚悟は示せたと思う。
であれば、隣で笑みを浮かべる愛しい少女に、この胸の中にある大切な想いを伝えよう。




