第87話 二人の力関係
「楽しみだなぁ」
「俺は気が重いんだが」
百瀬の言っていた通り喫茶店は回転率を良くしているらしく、そこまで長い時間待たずに入る事ができた。
向かいに座っている拓海は今まで見た中で一番の笑顔をしているものの、反対に湊の気は進まない。
昨日から愛梨との関係を隠さないようにしているが、だからといって仕事中の彼女に変に話し掛けて迷惑になるような事は避けるべきだ。
それに周りの客も見ていたが、店員と長く会話している人は居ない。であれば大した事は起きないだろうと楽観的に考えていると、美しい店員が銀色の髪を靡かせて湊達のところに来た。
すぐに湊と同席している拓海に目を向けたが、「心配無い」という意味を込めて小さく首を振ると、彼女は僅かに頷いて視線を湊に戻す。
「いらっしゃいませ。ご注文はいかがなさいますか?」
いつも家に居る時のような柔らかな微笑みをしつつ、鈴を転がすような声で愛梨が尋ねてきた。
やはりウェイトレス姿は素晴らしいと断言できるし、合わせて可愛らしく小首を傾げているのも似合っているのだから狡い。
そして、彼女はそんな仕草など今まで一度もしていなかったのだろう。周囲の客に店員までもが硬直している。
拓海すら固まっているが湊は見慣れているので、ここは引っ張らなければならないと口を開く。
「アイスコーヒーを一つ。拓海はどうする?」
「え!? ああ、僕も同じので」
動揺せずに注文し拓海を促す。彼は硬直が解けたのか同じものを頼んだ。
注文を持ってくる店員まで愛梨になるとは思えないので、これで彼女と店内で話す事は無いはずだ。何も起きなくて良かったとホッと一息吐く。
すると、そんな湊の態度が気に食わなかったのか、愛梨の表情が悪戯っぽいものに変わった。
(あ、これは何かやらかす気だな)
おそらく、愛梨からは湊が会話を早く打ち切りたいと思っているように見えてしまったのだろう。
間違いではないのだが、ここで大事になるのは堪らない。弁解の為に口を開こうとしたが既に遅かったようで、彼女が先に言葉を紡ぐ。
「では、アイスコーヒーを二つですね、かしこまりました。……『ご主人様』?」
「な!?」
湊ですら見た事の無いウインクをしながら、注文の最後にぼそりと周囲に聞こえないようにして愛梨が呟いた。
おそらく前に湊が言っていた、「メイドは憧れだ」という会話から引っ張ってきたのだろう。
それにしては悪戯の質が高すぎて見惚れてしまった。
(それは卑怯だろ……)
あまりに綺麗に、そして自然な感じで行うのだからアイドル顔負けだと思う。心臓がどくどくとうるさいし、頬が熱い。
そんな湊の顔を見れて多少は溜飲が下がったのか、してやったりと意地悪な顔をして彼女が厨房に引っ込んでいく。
その後ろ姿が機嫌良さそうに見えるのは気のせいではないはずだ。
「うん、これは想像以上だね。爆発してくれないかな?」
暫く店内が愛梨の魅力的過ぎる姿で静まり返っていたが、徐々に元の空気に戻っていく。
拓海も硬直から解けたらしく、開口一番に文句が飛んできた。
あれはほんの少しくらいしか湊に責任は無いので、ムスッとした顔で応える。
「俺に言うなよ。愛梨に言え」
「でも、あれが二ノ宮さんの素なんだろう? それが湊だけに向けられるんだから、やっぱり爆発して欲しいな」
「否定はしないが、爆発言うな」
先程の愛梨の態度は完全に家で湊をからかう時のものだった。
家に居る時より大胆だったのは、それだけ湊の態度が頭に来たのか、単に周囲にそんな関係であるとアピールしたかったのか。
後者であって欲しいと思いながら拓海の意見を肯定すると、苦笑が返ってきた。
「昨日の情報から二ノ宮さんがかなり表情豊かとは聞いていたけど、百瀬さんが言ってた通りだったね。あんなの予想の斜め上どころの話じゃないよ。……それと、周囲の嫉妬の視線が辛いんだけど」
「お前が一緒に入りたいって言ったんだから、大人しく受け入れろ」
当然ながら愛梨が湊にだけ表情豊かなところを見せたので、周囲からは嫉妬の視線が向けられている。
それこそ視線で体に穴が空きそうなくらいなので、居心地が悪そうだ。
だが強引に話を進め、湊と愛梨のやりとりを見たいと言ったのは拓海なので謝罪はしない。
彼もその事は分かっているようで、渋々と頷いた。
「まあ、自業自得だよね……。仕方ない、特等席でバカップルのやりとりを見れたから良しとするよ」
「バカップルじゃない」
拓海の文句に応えていると、湊達の注文が届いた。
持ってきたのは先程湊をさんざん動揺させて満足したのか、にこやかな笑みを浮かべているウェイトレスだ。
「お待たせいたしました、アイスコーヒーです。どうぞごゆっくり」
「……どうも」
「そんなに拗ねないでくださいよ。可愛いですねぇ」
完全に遊ばれているので唇を尖らせてお礼を言うと、湊と拓海にしか聞こえない音量で愛梨にからかわれた。
あまり悠長に話していると目立ってしまうので、短く文句を言う。
「……後で覚えておけよ」
「ふふ、何をされるんでしょう。楽しみです」
「はぁ……。さっさと行け、怪しまれるぞ。……それと、頑張れよ」
「はぁい」
流石に冷たい対応だけして追い返したくはないので、最後に小さく言葉を送ると愛梨は顔を綻ばせて上機嫌に去っていった。
疲れたと項垂れていると、拓海の呆れた風な声が掛かる。
「ねえ湊、今の会話だけで二人の力関係が分かったんだけど」
「……そういう事だ、何も言うな」
おそらくこれから先も湊は愛梨にからかわれ続けるのだろうなと、ミルクとガムシロップで甘くなったアイスコーヒーを飲みながら思った。
「ありがとうございました!」
店内に居ていい時間は限られていたので早々に喫茶店から出た。
レジは別の女子だったので、これ以上大事にならなくて良かったと溜息を吐いていると、拓海が口を開く。
「じゃあ僕はこれで。悪かったね」
「別に気にしてない。それとさっきも言ったけど、言いふらすなよ?」
「分かってるって、秘密は守るさ。……というか、もうバレバレなんだけどね」
やれやれという風に拓海が首を振る。
そもそも昨日から湊達の事は噂になっているようだし、あんなに人が居る所で親密過ぎる態度を取ったのだ。
もはや秘密にするも何も無いと思うが、それでもあの会話内容を周囲に知られたくはない。
「そうだけど、頼む」
「ごめんごめん。じゃあね」
「ああ、またな」
拓海に何の用事があるのかは聞かない。友人といっても踏み込まれたくないところはあるだろう。なのであっさりと別れた。
まだ交代の時間まで少し時間があるので、喫茶店から離れて一人でぶらつく。
あまり人の居ない敷地の隅で屋台で買った飯を食べていると、外部の高校生だろう、数人の顔の整った男子から話しかけられた。
「お前だよな? さっきの喫茶店で可愛い子と仲良かったの」
「ああ、そうだ」
わざわざパッとしない湊を呼んで先程の喫茶店の話を持ち出すのだから、「可愛い子」というのは愛梨の事で間違い無いだろう。
目の前の男子の言葉を肯定すると、彼らがへらへらと妙に気安い笑みを浮かべながら近付いてきた。
「なあ、あの子紹介してくれよ。どうやって知り合ったんだ?」
やはり彼らは愛梨に取り入ろうと距離を詰めてきたようだ。
その言葉は湊が予想していたものであり、あまりにピタリと当たって内心で呆れてしまった。
その露骨に下手に出ている表情も湊を不機嫌にさせないように浮かべているだけだと思う。
「俺は普通に話しかけただけだ。話したければ自分で話してくれ」
「そう言わずにさぁ。いいだろ?」
「断る。友達を売るつもりは無い」
愛梨の情報など何一つ話すつもりは無いとキッパリと言うと、彼らの顔がほんの少しだけ歪んだ。
とはいえ、ここで事を荒げると愛梨に接触出来ないと判断したのか、彼らは何とか会話を繋げようと表情を取り繕った。
「なんでさー、そんなケチな事なんて言ないでくれよ。減るもんじゃないだろ?」
「友達の情報を勝手に話すのは信用に関わる。さっきも言ったが俺は友達を売らない」
何度聞いても湊の態度が変わらない事に彼らはついに苛立ったようで、今までの気安い笑みを引っ込めて湊を睨んでくる。
「別にそれくらいいいだろうが。それとも何だ? 取られるとでも思ってんのか?」
「愛梨がお前らに取られる訳無いだろ」
おそらく彼らは愛梨の嫌いなタイプだろう。なので彼女が靡くとは欠片も思っていない。
湊があっさりと対応した事で、彼らがますます不快そうに顔を顰めた。
「じゃあ紹介してもいいだろうが。冴えない奴が見栄を張るなよ」
「断ると言ってるだろ」
見た目の違いなどここ一ヶ月で何度も悩んだ事だ。何を言われても譲るつもりは無いという意思を込めて彼らを見据える。
彼らも彼らで、大人数で詰め寄っても折れない湊にどんどん苛立ちを募らせているようだ。
(どうするかな……。折れるつもりは無いけど、このままじゃ大事になる。騒ぎを起こしたくは無いしなぁ)
人が少ない場所とはいえ、全く居ない訳ではない。湊達が不穏な空気になった事で周囲はざわつきだしている。
このままでは本当に大事になってしまうので、どうこの場を収めるか頭を悩ませていると――
「そこまでだよ」
これこそイケメン、と言える顔立ちが湊達の間に割って入った。
一度会ってから今日まで何も接触をしてこなかったが、このタイミングで来るとは思わなかった。ましてやその言葉から湊の味方をしているように感じる。
湊も驚いたが、それよりも彼らの方が驚いており、割って入った人物に詰め寄った。
「何だよお前、こいつの味方をするつもりか?」
「そうだよ。同じ学校の人が絡まれてるんだ、味方をするに決まってるだろう?」
「俺達の所為じゃねえ。冴えない見た目のくせして、口を割らないこいつが悪いんだ」
別に口を割る事に顔の良さなど関係無いと思う。
仲裁に入った人物――谷口もそう思うのか、その言葉に首を傾げた。
「そこは何も関係無いはずだ、それに騒ぎになってる。問題になりたいかい? 間違いなく君たちの学校に報告が行って指導されるよ?」
「……それは」
流石にそれは困るのだろう、彼らの顔が曇った。
勢いが衰えた瞬間を逃がさないとばかりに谷口が口を開く。
「どちらが悪いか分からないかい?」
「……ハイハイ、分かったよ。皆行こうぜ」
余程指導されるのが嫌なのか、それともこの場で一番顔が整っている男に諭されたからなのか。彼らは不満気な顔を隠そうとはしないものの、驚くほどあっさりとこの場を去った。
周囲の人は湊達の騒動が収まった事で散っていき、この場に彼と二人きりになる。
なぜ谷口が湊の味方をしたのかは分からない。だが、彼が居なければ大事になったのは確かなので頭を下げた。
「ありがとう、正直どう切り抜けようか悩んでた」
「別にいいさ。目の前で騒動を起こされて見て見ぬふりは出来なかったし、ましてや九条君なら尚更だ」
「……何が目的だ?」
谷口が再び湊の味方をするような言葉を口にしたので、疑惑を通り越して不信感すら抱いてしまう。
彼とは仲が良くは無いし、初めて会話した際には割と険悪な雰囲気だったはずだ。
警戒して思いきり睨むと、谷口は初めて会った時と同じ爽やかな笑顔を浮かべた。
「九条君に用があったのさ。さっきの場を収めたお礼という事で聞いてもらえないかい?」
「内容によるな。感謝はしてるけど、無理難題を言うなら断るぞ」
「そんな無茶な事は言わないさ。じゃあ早速――」
「……は?」
谷口の口から出た言葉は湊の予想出来なかったものであり、思わず呆けた声を出してしまった。




