第85話 親しい関係とは
昼も過ぎて午後の自由時間になった。
午前中と同じく愛梨を迎えに行くと、既にある程度噂が広まったのか結構な数の人が湊をじろりと見てくる。
そんな視線を無視し、客引きの店員に愛梨を呼んでもらった。
「午後もよろしくお願いしますね」
「ああ」
「待ってくれ」
自由時間はあまり多くないのですぐに歩き出したのだが、数人の男子生徒が湊達の行く手を遮った。
行動を邪魔された事が嫌なのだろう、愛梨は先程までの人の温度を感じさせる魅力的な笑顔を引っ込めて彼らを見据える。
「何か用ですか?」
「なあ二ノ宮さん。九条とそんなに仲が良かったんだな」
「ええ、そうですね。それが何か?」
「何がおかしいのか分からない」というように、不思議そうに愛梨が首を傾げる。
そんな態度が彼らの気に障ったのか、愛梨に詰め寄ろうとしたので湊が前に立つ。
彼女と話すのは構わないものの、大人数で問い詰めるのは駄目だろうと思っての行動なのだが、それが不快だったようで彼らの顔に嫌悪が浮かんだ。
「なんだよ九条、二ノ宮さんと話すらさせないってか?」
「いいや。でも大人数で女の子を囲むのは駄目だと思わないか?」
「……そうだな」
「納得してくれてありがとな。じゃあ愛梨」
どうやらしっかり分かってくれたらしい。強引に愛梨に詰め寄る事は無さそうだ。
であれば湊の出番はこれで終わりだと判断し、彼らに感謝を伝えて一歩引いた。
彼女はしっかり湊の意志を汲み取ってくれたようで、入れ替わりで口を開く。
「はい。それで、私が湊さんと親しくしているのに何の問題があるんですか?」
「……親しいって、どんな感じなんだ?」
「こんな感じです」
そう言いながら愛梨は湊の手を握った。
恋人繋ぎではないものの、湊以外のほぼ全員が彼女が異性と手を繋いだところを見た事が無く、周囲から悲鳴が上がる。
「あの二ノ宮さんが男子と手を繋いでる!」
「えぇ、マジか。そこまでする関係なのかよ」
「信じられねえ……」
家では何度も触れ合っているので心臓が跳ねはするが、繋いだ事に戸惑ったりはしない。
周りの反応が凄まじいなと他人事のように思いながら彼らを見ると、啞然とした表情を浮かべている。
「午前中の噂は本当なんだな……」
「どんな噂かは知りませんが、私が誰と親しくなろうと他の人に文句を言われる筋合いはありません。それだけですか?」
「……ああ、引き留めてごめん。九条も悪いな」
「いいよ、気にすんな。じゃあ行こうか、愛梨」
ここまで愛梨が積極的な事をするとは思わなかったが、よほど効果的だったのだろう。彼らが沈んだ表情を浮かべて廊下の端に行った。
非難の言葉を言われてはいないので、謝罪に対して気にしていないと返して愛梨の手を引く。
彼女はすぐにふわりと柔らかな笑みを浮かべ、上機嫌に隣に並んだ。
「はい。午後も楽しみです」
午前中はほぼ屋台を物色して腹を膨らませることだけで終わったが、午後はそんな心配は無い。
ふらふらと二人でうろついた中で愛梨の興味を引いたのは――
「ダーツか。得意なのか?」
愛梨は運動が出来るというのは知っているが、こういう物が得意だとは聞いていない。
そもそも普段するような事では無いので尋ねてみると、彼女がふるふると首を横に振った。
「いいえ、初めてですよ。運動系を何かやってみたかったので、ちょうどいいかなと。野球のボールを投げるものもありましたが、流石にあれはスカートでは出来ないので……」
「なるほどな。あれに関しては多分俺がやらせなかっただろうけど、納得だ」
苦笑気味に零された言葉は確かに納得出来るし、それ以外となればここにするのは分かる。
同意を示すと、愛梨がほんのりと嬉しそうに微笑んだ。
「でしょう? それで、湊さんはした事あるんですか?」
「いいや、俺も無いな。……なあ、これって何か投げ方とかあるのか?」
湊達が分からないのであれば、企画した側に聞くしかない。
そう思って呆けた目で湊達を見ていた女子生徒に尋ねると、まさか話しかけられると思っていなかったのか慌てだした。
「ああ、えっと、一応あるにはあるけど、そこまで気にしなくていいかな」
「折角ですし、湊さんにいい所を見せたいんです。教えていただけませんか?」
「え!? う、うん、分かったよ、じゃあ――」
愛梨の性格であれば妥協はしないだろうなとは思っていたが、湊の前だからと張り切っているようだ。
男女の立場が逆になっているような気がして苦笑する。
(こういう時って男が恰好つける場面だと思うけどなぁ……。まあ愛梨が楽しければいいか)
実際のところ運動については愛梨に逆立ちしても適わないし、意気込んでいる彼女を邪魔したくはない。
急に愛梨に教える事になって、嬉しさでニヤついている女子の投げ方をひっそりと盗むべく湊も見ていた。
「――こんな感じかな」
「ありがとうございます。さあ湊さん、勝負ですよ」
「は? いや待て、おかしくないか?」
確かに女子の投げ方を見ていてある程度は真似出来るとは思っているが、まさか勝負になるとは思わなかった。お礼を言われた女子生徒もびっくりしている。
これでは完全に湊が不利ではないかと愛梨を睨むと、意地の悪い笑顔が返ってきた。
「お互いに一度もやった事が無いものでも、初めから勝てないと逃げるんですか? それに投げ方をじっと見てましたよね?」
「……バレてたか。そこまで煽られたら引けないな、勝負を受けようじゃないか」
想い人からのあまりにも露骨すぎる煽りを受けて黙っていられるほど、湊は穏やかな性格ではない。
投げ方を盗んでいる事をしっかり把握されているし、愛梨にいい所を見せたいという気持ちもあるので、ここは乗せられておく。
「そうこなくては。じゃあ負けた方は勝った方の言う事を一つ聞くというのはどうですか?」
「いいだろう、後で後悔するなよ?」
ダーツに運動神経が関わって来るかどうかなど分からない。仮に負けても愛梨の無茶振りはもう受け止められる。
湊が勝っても文句を言うなと挑戦的な笑みを向けると、普段は絶対にしない勝気な笑みを彼女が浮かべた。
「私から言ったんですし、撤回はしませんよ。湊さんこそ後でやっぱり無しとか言わないでくださいね?」
「もちろんだ」
そうして、二人してやる気を漲らせてゲームを開始する。
「……あれ二ノ宮さん、だよね? 別人かと思った。完全にカップルじゃん」
二人共熱くなっており、女子生徒の呆れたような声には反応しなかった。
「ふふっ、私の勝ちですね」
「おかしいだろ。俺と同じで初めてなのに、何でそんなに上手いんだよ……」
湊が勝っていたのは最初の数本だけで、それ以降は愛梨がコツを掴んだのか、とても初心者とは思えない点数を叩きだした。
どうやら彼女の運動神経はこういう所でも発揮されるらしい。あるいはゲームの異常なセンスが出たというのも有り得る。
やはり愛梨には適わないのかと呆れ気味に愚痴を零すと、彼女がにんまりとした笑みを浮かべた。
「さあ、敗者は勝者に従うものですよ? 何にしましょうかねぇ」
「程々で頼むぞ」
「うーん。じゃあ今日の残りの自由時間は手を繋いでください」
「なんだ、それくらいお安い御用だ。ほら」
ここに来るまで手を繋いでいたし、その光景を多くの人に見られている。であれば、これからずっと手を繋いでいても何も変わらない。
愛梨の罰ゲームにしては軽いものだったと彼女に手を差し伸べると、嬉しそうに顔を綻ばせて湊の手を握ってきた。
「ふふ、ありがとうございます」
「じゃあ行くか」
「そうですね」
手を繋いで店を出ようとしたところ、中にいる多くの人達から生暖かい視線を向けられているのを感じた。
愛梨も気が付いたのか、真っ白な頬にさっと朱が入り、もぞもぞと恥ずかしそうに体を揺らす。
ゲームの途中から全く意識していなかったが、ここまでとは思わなかった。とはいえ店から出るしかないので、さっさと立ち去ろうと出口に向かう。
すると、湊達に投げ方を説明してくれた女子生徒がじっとりとした目を向けてきた。
「お幸せに。……いちゃつきすぎだよ、バカップルめ」
「……すまん」
非難というよりはやれやれといった感じの女子に謝り、店を出る。
どうやらはしゃぎ過ぎたようだと愛梨と二人して頬を染めながら笑い合った。
もう特に見たい物は無いとのことで体育館に移動し、ステージの出し物を壁際から眺めている。
今はバンド演奏をやっていて館内は薄暗いが盛り上がっており、湊達が一緒に居てもあまり目立たなくなるので助かっている。
とはいえ申し訳ないとは思うが演奏の内容そのものは頭に入って来ない、結構上手いなと感じるくらいだ。
「何と言うか、正直拍子抜けでした。もっと大勢の人から問い詰められると思ってたので」
愛梨が意外そうに呟いた。
彼女の言う通り、湊達が露骨に親密なやりとりをしているので大勢の人から詰問される可能性も考えていたが、ほんの数人だけだった。
とはいえ、まだ楽観視は出来ない。
「俺もだ、もっと文句を言う人が居ると思ってたんだがな。けど明日もあるから覚悟しておくよ」
「そんな人が居たら私が怒りますから、心配しないでくださいね」
「俺の威厳が無くなってる……」
上下関係をつけるつもりは無いが、頼られないとなるとそれはそれで辛いものがある。
ましてや湊が非難された時には愛梨が庇うと言われたので、情けなさが溢れてきた。
落ち込んでいると、彼女が握った手の力を強める。
「ちゃんと頼りにしてますよ。貴方が居なければこんなに頑張ろうと思いませんでしたから。忘れないでくださいね?」
「悪かった。ちゃんと覚えておくさ。今日はもうすぐ終わりだけど、明日もよろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いしますね」
文化祭初日はなんとか無事終われるだろう。
問題があるとすれば今日の事が広まり、さらに一般の人も入ってくる明日だが、それでも何も心配はいらないと手に伝わる温もりを感じながら思った。




