第83話 文化祭前日
「皆お疲れ様だ。明日から本番、頑張ろうぜ!」
文化祭の準備を終え、明日はいよいよ本番だ。
一真が音頭を取り、わいわいと盛り上がりながらクラスメイトが帰っていく。
あれから湊を非難したクラスメイトとは一言も会話していない。
あちらは湊を見ると気まずそうに避けているし、湊もわざわざ話す用事が無い。
問題さえ起きなければそれでいいだろうと思っていると、ここ一ヶ月で特にお世話になった幼馴染が近づいてきた。
「ついに文化祭だな。時間は調整はしたから頑張れよ」
軽く肩を叩いて一真が励ましてくる。この明るい笑みに助けられた。
負けじと湊も肩を叩いてニヤリと笑う。
「分かってる、しっかりやるさ。俺の事は気にしないでお前は彼女といちゃついてこい」
「もちろんだ。けど何かあったら言えよ。どんなになっても俺達は幼馴染だ、紫織も入れてな。それを忘れんな」
「ああ、本当にありがとな。百瀬にも伝えておいてくれ」
こうして力を貸してくれた一真には感謝しかない。
もちろん百瀬もだ。彼女がいなければ、夏休み中に愛梨とこれほど距離を詰めることが出来なかっただろう。
改めて感謝を伝えると、一真はひらひらと手を振って、いつも通りの軽い笑みを浮かべた。
「あいよ、伝えておくさ」
「ねえねえ、明日は湊と二ノ宮さんの姿を見れるんだよね。楽しみだなぁ」
一真に代わって今度は拓海が話しかけてくる。
その顔は喜色満面と言った感じで今までと何も変わっておらず、その好奇心に若干引いてしまった。
「……何と言うか、その思いは変わらないんだな」
「そうだね、湊にはお世話になったからさ。恩人には幸せになって欲しいと思わないかい?」
「恩人? 俺が何かしたか?」
拓海と話すようになったのは二年生になってからだ。
しかも世間話をするだけだったので、何かした覚えは無い。
何を恩に感じているのだろうかと首を傾げると、いつも通りの穏やかな笑みを向けられた。
「湊からすると、僕は話し相手が多い人っていう印象だろうから分からなかったと思うんだけど、これでも余計な事に首を突っ込む奴って非難されることはあったんだよ。でも湊はいつも、何も変わらなかった。それに感謝してるのさ」
「生憎と個人個人で顔を入れ替えれるような器用な性格じゃないんでな。感謝される事じゃない」
湊の普段の学校の態度を誰かに感謝される日が来るとは思わなかった。
大した事はしていないのに褒められる事がむず痒くて、ぶっきらぼうに言い返すと拓海はやれやれと首を横に振った。
「湊は変わらないねぇ、まあこれからもよろしくって事で一つ」
「ああ、そうだな」
付き合いそのものは長い時間では無いものの、拓海とハッキリと友人と言える関係になれたことは嬉しく思う。
話も一段落して二人が帰っていき教室を締め出されたので、愛梨を待つためにゆっくりと校舎内を散策する。
すると、ここ一ヶ月で関わることが増えた人に会った。
「どうも、センパイ」
「雨宮。……今のお前にはこの空気はキツイか」
「ですね。自業自得ではあるんで誰かを責めるつもりは無いんですが、辛いものは辛いっす」
爪弾きにされた雨宮には文化祭の賑わいは確かに辛いだろう。その表情は苦しそうに歪んでいる。
慰めるつもりは無いので、別の話題を口にする。
「多少は耳に入ってるけど、迷惑を掛けた人に謝ってきたか?」
「……少しずつですね、自分がここまで弱い人間だとは思いませんでした」
「誰だって強くはないだろう、俺だってそうだ。……いや、居るには居ると思うが、全員がそうなれはしないさ」
雨宮自身が撒いた種であるが、おそらく相当な言葉を浴びせられたのだろう。であれば傷つくのも納得できる。
一人で立てるような、傷つかず強い人間などそうそう居ない。
それは愛梨が居なければ周囲からの負の感情を受け止める覚悟が出来なかった湊もそうだし、彼女も自分の心を守る為に他者との積極的な関わりを拒絶していたのだ。
今でこそ多少改善されているようだが、それも湊が傍に居たからだと言葉と態度で示されている。
それがこの約半年で良く分かったとしみじみと思っていると、雨宮に頭を下げられた。
「センパイ、ありがとうございます」
「……なんだよ、急に」
なんだか今日は励まされたり感謝されたりという事が多い。
思わず眉を顰めると、顔を上げた雨宮は苦笑を浮かべてこちらを見た。
「こんな俺と話し相手になってくれて、正直救われました。多分センパイが居なければもっと酷い状態になっていたと思います」
「話した回数なんてほんの何回かだろうが。それにお前を励ました事なんて一度も無い」
雨宮とは本当に数えるくらいしか話していないし、励ましの言葉を送った事など一度も無い。
だが、彼は湊の言葉を首を横に振って否定した。
「それでもですよ。誰かがいてくれるというのは有難いことだと身を持って知りました。明日から、頑張ってください」
「……お前に言われるまでもない。でも、ありがとな」
雨宮は今年の文化祭を一人で過ごすのだろう。
それに対して湊が出来る事など何もないし、すべきではない。けれど湊を応援してくれたことは確かなので、感謝を伝えて別れる。
そして下駄箱に足を向けると、薄い暗がりの中でもはっきりと分かる、魅力的な少女が湊を待っていた。
「二ノ宮、帰るか」
「はい」
湊が面と向かって非難の言葉をぶつけられたあの日以降、問い詰められる事は何回かあったが、それでも折れる事無く今日を迎える事が出来た。
そのたびに愛梨に慰められたが、思い出すと心臓に悪いので止めておく。
そして今、いつもと変わらず湊の隣でくつろいでいる彼女に、伝えなければならない事がある。
「なあ愛梨、文化祭一緒にまわろうな」
この期に及んで本題を切り出せず、遠回しな言い方になってしまった。
今更な事を言われたことで、愛梨が訝し気に湊の顔を見る。
「そんなの当たり前じゃないですか。何度も言っているでしょう? 他の誰ともまわるつもりは無いと」
「……そうだな」
次に何を言えばいいか分からずにいると、そんな態度を不審に思ったのか、愛梨が心配そうに湊を見つめた。
「どうしたんですか? 苦しくなったら頼ってくださいよ。まさか一人で抱え込むつもりでは無いでしょうね?」
「そんな事しない、その時はちゃんと頼るさ」
「じゃあ一体どうしたんですか?」
「何でも言ってください」という風に穏やかに笑う愛梨を見て、ようやく決心がついた。
彼女を見ながらしっかりと言葉を紡ぐ。
「文化祭最終日の放課後、俺に時間をくれないか?」
「ええ、別に構いませんが。特に予定は無いですし、打ち上げも断ったので」
愛梨の根っこは変わらない。いくら外づきあいが多少良くなったからといって、男子との接触は極力避けているし、過剰に女子との距離も詰めていない。
今はその在り様が有難い、こうして遠慮なく誘えるのだから。
「というか、湊さんを優先するのは当たり前でしょう? 予定があっても断りますよ」
「当然だ」とでも言いたげに愛梨が微笑むので、そこはしっかり訂正しておかねばならない。
「いや、そこは予定を優先してくれ。俺を優先した結果、愛梨の人間関係にヒビを入れるのは無しだ」
「むぅ、別に――」
「愛梨、頼むよ」
「……はいはい、分かりましたよ。全く、過保護なんですから」
湊以外は全て不必要だという判断はして欲しくは無い。一番に優先されたいという感情はあるものの、世界は湊と愛梨だけで成り立っている訳では無いのだから。
いざ他人に力を借りなければならない時に、誰も頼れなかったら終わりだ。そうなって欲しくは無いので碧色の瞳を見つめながら言うと、やれやれと首を振って湊の言葉を受け入れてくれた。
「どうやっても他人とは関わるのであれば、きちんと周囲も大切にするべきだという事は分かってますよ。とはいえ『私は私が認めた人しか受け入れない』というのは変わりませんが」
「それでいいさ」
頭の良い愛梨なら湊の言う事はしっかり伝わったはずだ。
話が結構逸れてしまったので、軌道を修正する。
「改めて。最終日の放課後、愛梨に伝えたい事がある。聞いてくれるか?」
夏祭りの日に約束した、愛梨の隣に立つ為に頑張るという行動は文化祭で示せるだろう。
その時に、この心の中の温かく、とても大切な思いを伝えようと決意したのだ。
その為に文化祭まで頑張ってきた、それはきっと愛梨にも分かっていたのだろう。言葉ではなく態度として。
アイスブルーの瞳を蕩けさせ、はにかむ彼女が言葉を紡ぐ。
「もちろんですよ、聞かせてもらいますね。それと私からもあります、聞いてくれますか?」
「ああ、聞くさ。当然だろ」
愛梨の想いは既に知っている。今更勘違いなどするつもりはないし、そんな余地も無いくらい彼女は湊に近づいてくれた。
ハッキリと意志を示した言葉を肯定すると、笑みを深くした愛梨が頭を膝に乗せてきた。
「明日からの文化祭で、私達は相当疲れる事になります。その為の元気をもらっていいですか?」
「もちろん。俺からも元気をもらっていいか?」
「はい、どうぞ」
片方の手を繋ぎ、空いた手で愛梨の頭に触れる。彼女の空いた手は湊の服を摘まんだ。
愛梨は目を閉じて完全に身を委ねており、その体勢のまま口を開いた。
「ふふ、なんだか私だけが癒されてるように感じます」
「いいや、俺も十分癒されてるよ」
好きな子がこうして無防備に体を委ねているのだ。そうしても良いと信用されている人であることが喜ばしい。
これだけでも十分に想いは伝わってくるし、癒しになる。
「湊さん、文化祭、頑張りましょうね」
「ああ、頑張ろう、一緒にな」
きっと話題になり、視線を集めるだろう。心無い言葉を言われる事もあるかもしれない。
それでも良いと思えるようになった。それでも前を向けると思った。であればもう怖い物は無いと、甘えてくる少女の頭を撫でながら思った。




