第81話 ぶつけられる悪感情
週明けから文化祭の準備が始まっており、校内が慌ただしくなっている。とはいえ準備そのものは順調なので焦ってはいない。
だが、それ以外の所で湊の心配していた事態が起こった。
(用件は予想してる事だろうなぁ……)
今日の分の文化祭の準備が終わり、帰ろうとしたところで昔のクラスメイトに呼び出された。
話しかけられた時点で友好的な態度とは言いづらかったし、湊の前を歩くその姿は不機嫌さを隠していない。
そうして人気の無い校舎裏に着くと、数人の男子が居た。
顔を見たことのある人も居れば覚えの無い人もいる。そして、全く話したことの無い同じクラスの人すら居るので居心地が悪い。
全員が湊を見た瞬間に睨んできた事で、予想は確信に変わった。
「九条、呼び出された理由は分かるか?」
今のクラスメイトが先陣を切るかと思ったが、湊をここまで連れてきた男子がムスッとした表情で湊に尋ねてきた。
湊と同じクラスの男子はここに集まった人たちの中で一番遠くから視線をぶつけてくるので、相当な思いがあるようだ。
それはとりあえず置いておいて、質問には応えなければならない。
「ああ、分かってるよ。二ノ宮だろ?」
拓海達が杞憂だと言っていた事が現実になったのだ。
いくら湊や愛梨に文句を言っても無駄だと分かっていても、納得のいかない人は必ず出てくる。
湊とて全校生徒に彼女と親密な関係になる事を認められるとは思っていない。全ての人に良い顔など出来ないことは十分理解しているつもりだ。
ハッキリと言葉にすると、男子達の視線が一層険しくなった。
「ここに集まったのは二ノ宮さんに文化祭で一緒にまわる事を断られた奴らだ。お前は二ノ宮さんとまわるんだろ?」
「ああ、そうだ」
ここで嘘をついた結果当日になっていざこざが起き、愛梨と一緒に過ごせなくなるというのは嫌だ。
なので正直に応えると思いきり不機嫌な顔をされた。流石に大人数の悪感情は辛いが、逃げるつもりは無い。
「なんでお前なんだよ。不細工とは言わないけど、お前は普通の見た目だろ。運動が得意でも無いし勉強は出来るけど、それなら学年でもっと頭の良い奴が二ノ宮さんとまわれるはずだ」
「そうだな、俺の見た目は俺が一番自覚してるよ。勉強が出来るだけで認められるならどれだけ良かったか……」
勉強が出来るだけで愛梨と一緒に居られるのなら努力くらい、いくらでもする。
だが、事はそう簡単な話では無い。そうであるなら湊もこんなに苦労はしていないのだから。
「じゃあ何が違うんだ。俺達とお前で何が違うんだよ!」
「……それは」
行き場の無い感情をぶつけられ、言葉に詰まる。
実際、湊とここにいる人達に明確な違いなど無い。
ただ単に湊は運よく愛梨と一緒に住むことになり、それによって仲を深めることが出来たというだけだ。
だから、彼らの羨む気持ちは良く分かる。それは今現在湊が僅に抱いている、彼女と一緒に居ても文句を言われないであろう、顔立ちが整っている人に向ける感情となんら変わらないのだから。
(俺はそんな奴だ。だから上から目線の言葉なんて言えない)
なので彼らに対して自慢するつもりも、この状況に文句を言うつもりも無い。本来であれば湊もそちら側なのだ、ここで粋がるほど身の程知らずの良い性格はしていない。
だが、だからといって引き下がりもしない。それは湊を認めてくれた愛梨への失礼に当たる。
俯いている人の言葉など誰も受け入れないので、しっかりと前を向いて視線を合わせた。
「それは何も変わらない、たまたま俺は二ノ宮に認められただけだ」
「どうしてお前なんだ。お前もこっち側だろうが」
「ああ」
「じゃあ何が違うんだ! お前だけが受け入れられた理由を言ってみろよ!」
叩きつけるような叫びを正面から受け止める。
おそらくここに集まった人達は本気で愛梨に惹かれた人達なのだろう。そうでなければここまで大きい感情など持たないはずだ。
であれば誤魔化すことも、逃げる事もするべきでは無い。ここにいる人達を蹴落として彼女の隣に立つ以上、しっかり向き合うことが湊に出来る誠意だ。
「大した事はしてない。気遣って、想って、精一杯二ノ宮の心に寄り添っただけだ」
それは愛梨に最初に会ったときからずっと続けていたことだ。
どうすればあの狭い部屋でギスギスせず過ごせるか、今何を考えているのか、何を言うのが駄目で何が良いのか。
全てを満足させられた訳では無いし、怒られる事もあったが、それでも歩み寄りを止める事は無かった。
運が良かっただけなど重々承知している。けれど、頑張るのは自分自身で行ったことだ、それは自信を持って言える。誰にも否定させない。
湊の言葉がありきたりなものだった事で、彼らが悔しそうに歯噛みした。中には涙ぐんでいる人すらいる。
その人達へ掛ける言葉を湊は持たない、持つべきでは無い。
代わりに行き場の無い感情を、どうしようもない思いをぶつけられる事を是とした。
「六連のおこぼれをもらっただけの癖に!」
「何でお前が許されて俺達は駄目だったんだ!」
「大した事してねえじゃねえか! 何でそれで認められるんだよ!」
非難の嵐を無言で受け止める。決して顔は逸らさない、逸らしてしまえば愛梨の隣に居る資格は無くなってしまうから。
なのでしっかりと視線を合わせ、胸がズキリと痛むのを自覚しつつ、湊と同じ立場であった人達からの言葉を浴び続けた。
「悪い九条。言い過ぎた」
「いや、気にすんな。けど謝らないぞ」
「ああ、そうしてくれ。お前に謝られたら手が出るからな。文化祭、大変だろうけど頑張れよ」
「……ありがとう」
吐き出すものを吐き出した事で整理がついたのだろう。彼らは心なしかスッキリした顔で去っていった。
だが、まだ一人だけこの場に残っている。一番湊から離れた位置で、今まで何も言わず、ずっとこちらを不快そうに睨んでいた同じクラスの男子が。
こちらを苛立ちのこもった目で見つめているが、何も言ってこないので先に湊が口を開く。
「それで、さっきまで何も言わなかったのに、最後まで残ってるって事は何か言いたいんだろ?」
「……ふざけんな、ありえねえだろ」
「だろうな」
ぼそりと呟かれた言葉は湊がそう思われても仕方ないものだ。
短く肯定すると、彼が怒りを隠さずに声を張り上げる。
「ありえねえ! 意味が分からねえ! それだけで二ノ宮さんと親しくなれる訳無いだろうが! どいつもこいつも何で納得してるんだよ。お前のどこが良いんだ!? 運動はいまいち、顔も俺より整ってない、勉強が出来るだけじゃねえか!」
先程までの彼らは、あくまで同じ立場でもどうにもならないという思いを湊にぶつけていただけだが、目の前のクラスメイトは露骨に悪意を浴びせてきた。
ここまでの罵倒は今まで受けた事が無く、胸の痛みが酷くなる。けれど、必死にそれを隠して向かい合う。
「ああ、そうだな。俺は顔が良い訳じゃないし、運動が出来る訳でもない。でも、顔が良くなければ一緒に居ちゃ駄目なのか? 運動が出来なければ一緒に居ちゃ駄目なのか?」
「……それは」
湊の言葉に彼が気まずそうに眉を寄せた。
彼もそんな理屈が無い事は分かっているのだろう。だが、納得出来ないからと湊を貶めているだけだ。
であれば負ける訳にはいかない。傷ついてでも愛梨の隣に頑張ると決めたのだから。
その思いを込めつつ言葉を紡ぐ。
「誰と一緒に居るかを決めるのは俺達だ。俺達が一緒に居る事が許せないというなら邪魔すればいい、それでも離れるつもりはないぞ」
毅然とした態度で言葉を放つと、彼の顔が怒りを通り越して憎しみで染まった。
おそらく相当な事を言われるという確信がある。それでも逃げるつもりは無い。
「二ノ宮さんに受け入れられたからって調子に乗りやがって! お前みたいな冴えない奴が本当に受け入れられる訳無いだろうが! 何いい気になってんだよ、馬鹿じゃねえの!?」
相当鬱憤が溜まっていたのだろう、罵詈雑言と言ってもいいくらいの言葉が叩きつけられた。
あまりの暴言に顔を俯けそうになる。
(それは駄目だ、ここで顔を背けたら愛梨の隣に立てなくなる。だから逃げるな)
そう自分に言い聞かせ、顔を上げた。
彼はまだ言い足りないのか、眉を吊り上げながら言葉を続ける。
「誰がどう見てもお前と二ノ宮さんが釣り合うとは思わねえよ! 自分の顔を鏡で見てみろよ、理解してねえのか!?」
もう痛みが大きすぎて自分がどんな表情をしているのか分からない。
ちゃんと向き合えているだろうか。弱気な表情を見せていないだろうか。
泣きたくなりそうな気持ちを必死に押し込め、ぽつりと零す。
「……言いたい事はそれだけか?」
「チッ! 俺は認めねえ。九条、お前は絶対に二ノ宮さんに相応しくない、絶対にだ!」
動じない湊にどれだけ言っても意味が無い事が分かったのだろう。
彼は嫌悪感を剥き出しにし、吐き捨てるように言ってその場を去ろうとする。
ようやく終わってくれたと安堵でふらつきそうになる体を必死に立たせていると――
「話は終わりましたか?」
感情を押し殺した氷のような声が聞こえた。その声の持ち主はこの場に居るはずがなく、居てはいけない人である。
思わず声がした方を振り返ると、いつもであれば透き通った碧色の瞳を今は怒りの色に染めて、クラスメイトを睨んでいる少女が居た。
「……どうして、ここに?」
掠れた声が口から出た。
すると愛梨は彼から視線を外し、申し訳なさそうに湊を見つめる。
「帰る時に九条先輩が人気の無い所に連れて行かれるのが見えて、心配でついてきてしまいました。本当にごめんなさい」
覗き見をした事を気に病んでいるのだろう。愛梨が深く頭を下げた。
内容が内容なので尚更気まずいはずだ。
湊の事を心配してくれたのは分かるので、怒る事は出来ない。
「心配してくれてありがとな、俺は大丈夫だ」
「では、とりあえず九条先輩はそのままで。……それで、さっきから聞いていれば何ですか?」
「え、あ……」
胸の痛みで上手く表情を作れず、引き攣った笑みを浮かべた湊に愛梨は気遣わし気に微笑んだが、次の瞬間表情を変えてクラスメイトを睨んだ。
突然出てきた愛梨の、身を切るような言葉に彼は完全に硬直している。
その態度に彼女はますます苛立ったらしく、一層冷たい声を放つ。
「黙ってないで何とか言ったらどうですか? さんざん九条先輩を貶めて、馬鹿にして。何様のつもりなんですか?」
「それは、さっきの奴らも一緒で……」
確かに非難の言葉そのものは同じだろう。けれど、彼は根本的に勘違いしている。
それは愛梨も分かっているようで、彼女の目はますますきつくなった。
「一緒? いいえ、先程までの人達は九条先輩を羨み、妬み、でも現実を受け入れました。あなたは何ですか? 人を貶めるだけで現実を見ようとしない。……自らに関わる人全員を好きにはなれませんし、受け付けない人も居るでしょう、私もそうなのですから。けれど、あなたは届かないものに駄々を捏ねているだけです」
「……だって、おかしいだろ」
「何が? あなたの勝手な理想を私に押し付けないでくれませんか? 私が誰と居たいかは私が決めます、あなたの物差しで私を測らないでください。それと、私は他人を貶めて自分を良く見せようとする人は大嫌いです」
それは、目の前の湊を馬鹿にした彼を受け入れる事は無いという宣告だ。
その言葉に彼は目を見開いて愕然としている。
「何で、九条なんだ……」
ぽつりと呟かれた言葉に愛梨は呆れの目を返した。
「それをなぜあなたに言わなければいけないんですか? 見た目や能力だけでしか九条先輩を判断していない人に何を言っても無駄でしょう?……とはいえ、納得せずに後で問題を起こされても困るので、はっきり言いましょうか。性格ですよ、あなたとは違って九条先輩は優しいので」
「優しいだけなら俺だって……」
「へぇ……。先程までさんざん九条先輩を馬鹿にしていた人が優しいと? 笑わせないでくれませんか? 因みに、もしこれから私や九条先輩に嫌がらせをするつもりなら、私の持てる全てを使ってあなたを排除します。覚悟してください」
「あ、う……」
彼はもはや何も言えないようで、ぼうっとしたままふらふらと歩き出した。
愛梨はまだ言い足りないようで口を開こうとしたが、それを目で静止する。これ以上となるとやりすぎだ。
二人きりになったところで、ようやく沈黙を破る。
「怒ってくれてありがとな」
「当然じゃないですか。……そんな顔をしないでください、無理して笑う貴方は見たくありません。泣きたい時には泣いていいんですよ」
お礼を言う時にちゃんと笑顔を浮かべられなかったのか、アイスブルーの瞳が悲しそうに揺れた。
その言葉に心が揺れ、目の前の大切な人の温かさを感じたいと一瞬だけ思ったが必死に我慢する。
おそらく今求めてしまえば、湊は泣きついてしまうだろう。けれどここは学校だ。必死に理性を働かせて口を開く。
「……後でな。帰ろうか」
「はい、帰りましょう」
愛梨も湊の言わんとしている事をしっかり理解してくれたのか、特に何も言う事無く隣に並んでくれた。
会話無く学校を出て、夕暮れ時を歩く。
秋に近づいたことで少し肌寒く、いつも家で感じている温もりが恋しくなってしまった。
このままではおかしくなってしまいそうで、意識を逸らす為にお願いを口にする。
「なあ、愛梨。さっきの奴は抜きにして、あいつらを悪く思わないでやってくれ。俺とほんの少し立場が違っただけの奴らなんだ」
先程のクラスメイトは例外としても、彼らは湊と同じであった人達だ。湊が行き場の無い感情をぶつけたからといって邪険に扱わないで欲しい。
そう懇願すると、さまざまな感情のこもった苦笑をされた。
「はい、分かっていますよ。あの人達の想いは本物でした、それを悪く言うつもりはありません。ちゃんと私を想ってくれる人が湊さん以外にもいたんですね。……先程の人だけは絶対に許しませんが」
「本当に、ありがとな」
湊以外にもいるという発言に胸が再び痛みだすが、それを表に出す事はしない。
仮に愛梨の隣にこの先居るのが湊ではなくても良いように、湊が居なくても彼女が前に進めるように。他人に目を向けて欲しいという気持ちがあるから。
決して隣を譲るつもりは無い。だが、愛梨の意志で湊の傍からが離れるのは仕方の無い事だ。
そう沈んだ気持ちになっていると、ふわりと湊の好きな甘い花のような匂いが近くに来た。
「ええ、忘れません、決して。けれど、それで貴方が苦しそうな顔をするのは納得がいきませんね。何度も言っているでしょう? 私の一番大切な人は貴方なのだと。私、軽い女では無いつもりですが」
もう周囲には生徒が居ないからなのか、愛梨が湊の服の裾を摘まむ。
そんな事をされると胸の疼きが酷くなってしまうので、意識しないようにした。
「……ああ、そうだな」
「湊さんは強情で、意地っ張りで、優しすぎます。自分が一番辛いのに、どうして他の人の心配をするんですか。今日は覚悟してくださいね」
「むしろお願いしたいくらいだ。ごめんな」
やはり湊は弱い人間だ。いつかは起こってしまうと分かっている事でもこうして弱気になっているのだから。
あまりの申し訳なさに顔を歪めて苦笑すると、愛梨は湊を包み込むような柔らかな笑みを浮かべた。
「全く、どうして私を頼る事に負い目を感じるんでしょうかね? 罰として私が満足するまで癒します。逃がしませんよ」
「……」
何かを言うべきだとは思ったものの、傷んだ心では何も発せなかった。




