第76話 四人での下校
夏休み明けから一週間経ち、一真、百瀬と四人で帰る事にした。
互いの教室に迎えに行くことは一真達もしていなかったのでそれに倣い、今まで通り下駄箱で集合する。
そうして四人で帰っているのだが、当然ながら視線が多い。とはいえ悪感情よりは物珍しいというのが大半だ。
これが湊と愛梨だけならばもっと負の感情が増えると思うので、一緒に行動してくれる一真達には感謝しかない。
また、谷口がどのようにして湊との話を広めるかと心配したのだが、拓海に聞く限り「九条君は友達思いの人だ」と広めたようだ。
(別にあいつとは仲良く話なんてしてないけどなぁ……)
谷口とは割とギスギスした会話しかしていないので、そういう評価をされる事に違和感を感じる。
だが彼自身、周囲からの評価を落としたくなくてそう広めた可能性があり、流石にそれ以上の思惑となると湊には分からない。
陰口も気にしていたが、今まで愛梨との接触の時は必ず一真達が居るので、特に何も情報は入って来なかった。
(気にしても仕方ないな)
これからの事は分からないが、今は四人での下校を楽しみたい。
そう気持ちを切り替え、周囲の視線もあえて意識しないようにした。
だが愛梨はその視線の多さに申し訳なさを感じているようで、眉を下げている。
「すみません、私の所為でこんなに視線を集めてしまってます」
「気にすんな、二ノ宮と一緒に帰るんだからこうなることは予想してたさ」
「湊君の言う通りだよ、こんなの気にしなくていいからね!」
「俺も二人と同じだ」
「……ありがとうございます」
気に病むなという湊達三人の言葉に愛梨は苦笑した。
それにしても彼女と一緒に帰るというのは一度もしたことが無く、とても新鮮だ。
百瀬も同じことを思ったようで、愛梨ににこやかに話しかけている。
「愛梨と一緒に帰れるとは思わなかったよ」
「うん、私も。誰かと一緒に帰る事になるなんて思わなかったな」
百瀬は嬉しいようだが、愛梨の方は感慨深い声なだけで無表情と大差が無い。
あまり喜んでいない気がするので、無理をさせてしまっただろうかと心配になる。
そんな湊の内心を読み取ったのか、それとも顔に出ていたのか、愛梨がにこりといつもの家に居る時に近い笑みを向けてきた。
「嫌がっている訳では無いんですよ。随分変化したなって感じただけですから、気にしないでください」
「まあ、そうだな。前まで二ノ宮は友達なんて必要無いって言ってたくらいだからな」
「……もう、そんな前の話はいいじゃないですか」
冗談気味に愛梨と会った時の話を持ち出すと、恥ずかしいのかうっすらと頬が赤く染まった。
本当にあれから彼女は随分と変わったなと今度は湊がしみじみと思っていると、百瀬が悲し気に愛梨に尋ねる。
「えぇ、愛梨、私と一緒に居るのは嫌だった?」
「そういう訳じゃないよ。……というか分かってやってるよね?」
「えへへ、ごめんね! 愛梨とこういう会話が出来るようになったのが嬉しくって」
愛梨は百瀬と完全に打ち解けており、露骨な百瀬のボケに軽口で突っ込んでいる。
湊以外の人に対してもそういう態度を取れるようになったのは嬉しいことだ。
とは言っても愛梨の友達というカテゴリに入るのは並大抵の努力では出来ないと思うので、これは単に百瀬の頑張りの結果だろう。
良い幼馴染達を持つことが出来て良かったと思っていると、百瀬が溌剌とした笑みを浮かべた。
「そうだ、折角四人で帰るんだし寄り道しようよ」
「ああ、いいぞ。むしろ俺からお願いしたいくらいだ」
愛梨は多くの視線を浴びたり声を掛けられるのが嫌だという事もあり、家事を優先してくれている。
なので放課後はどこかに寄り道をしたり、遊ばずに家に帰っているはずだ。
今回の状況は寄り道するのに最適な状況だろうと思って百瀬の言葉に賛成の意を示すと、愛梨がふるふると首を振った。
「そんな気を遣わないでいいですよ、こうして視線を受けてもらうだけでも有難いですし」
「だからそんな事気にすんなって、皆承知の上だから。二ノ宮が行きたいか行きたくないかっていうだけだ、無理せず正直に言っていいから」
「そうだね、愛梨が本当に嫌だったら遠慮しないで断って欲しいけど、どうする?」
「……寄り道、する」
愛梨は単に湊達に気を遣っていただけのようで、おすおずと首肯した。
「よし。言質いただきました! じゃあ高校生が寄り道するのは定番のあそこだよね!」
百瀬が愛梨の手を引いて先導していく、その後ろを一真と一緒についていった。
四人で入った店は有名ハンバーガー店だ。値段も安くて喋るのにもってこいの場所だろう。
とりあえず食べ物だとまず一真と百瀬が注文をしているのだが、その光景も見つつ愛梨が物珍しそうに店の中をきょろきょろと見渡している。
彼女の性格的にこういう店は入った事が無さそうだし、その態度からして本当に初めてなのだろう。
「ただのチェーン店なんだから気負わなくていいぞ」
「それはそうなんですが、入った事が無くて……」
「そうだろうなとは思った。一真達の注文が終わったし、次は俺達なんだが大丈夫か?」
「は、はい、頑張ります」
湊達が話しているうちに一真達が注文を終えたので、愛梨との話を終えて注文しにいく。
愛梨と生活し始めてほぼファーストフード店に入る事は無くなったものの、偶にはこういう食べ物も良い。
一真達の注文のやり方を愛梨が見ていたので問題無いとは思うが、先に湊が頼んで見本を見せるべきだろう。
そう思って注文をしていると、その間彼女におっかなびっくりという風に湊の服の裾を摘ままれ、後ろからずっと見られていた。
「さぁ、次は二ノ宮だ、どうぞ」
愛梨が不安なのは分かっているので裾を摘ままれるのには何も言わなかったが、ずっとされるのは駄目だろうと少しだけ距離を取る。
何を頼むのかと後ろから眺めていたが、彼女は注文をせず湊の方を振り返った。
食べたい物が無いのかもしれないと思ったが、その顔は途方に暮れたようであり、眉を寄せながら声を発する。
「何を頼んだらいいか分かりません、助けてください……」
カウンター周辺が静寂に包まれる。
愛梨の言葉に引いたという訳では無く、弱々しく湊を頼る彼女のあまりの可愛らしさに周囲の人が思考停止してしまっただけだ。
当然ながら湊も固まっていたが、愛梨のお願いを叶えるために彼女の隣に並ぶ。
「こういうのは取り合えず普通の物を頼んだ方が失敗しないだろうな。という事でこれかな」
「は、はい」
「もっと食べたいなら追加すればいいけど、今日の夜飯ってなんだっけ?」
「オムライスにするつもりです」
「愛梨のオムライスは本格的で美味しいからな、じゃあ少なめの方がいいだろ。という訳ではい、これを店員に伝えるんだ」
「分かりました。えっと――」
愛梨が注文をしている間は念の為に隣に居たが、店員の男性に凄まじく羨ましそうな、かつそれと同じくらいの生暖かい視線を頂戴した。
注文をするだけでも妙に疲れ、出来上がるまで離れていた一真達と合流すると――
「お前ら、いちゃつきすぎだ」
「湊君、名前呼び戻ってるよ。愛梨は甘えすぎ」
一真と百瀬に二人して注意を受けた。
「……すまん」
「……すみません」
反論は一切できず、謝ることしか出来なかったのは言うまでもない。
「湊は甘々だし、二ノ宮さんは普段全く見せない態度で頼るし、あの瞬間を見られて話題になったらどうするつもりだ?」
「マジですまん」
よほど呆れたのだろう。一真がぶつぶつと正論をぶつけてきた。その隣の百瀬もじっとりとした目を向けてくる。
愛梨は湊の隣で頬を真っ赤に染めて縮こまっておりショート寸前だ。食べ物にも全く口を付けていない。
「唐突にいちゃつかれたら止めようが無いんだけど。もうお腹いっぱいだよ」
「いや、まあ、すまん」
「大事にならなくて良かったけどさ。本当に気を付けてね?」
「うん、気を付ける」
湊と愛梨が反省して大人しく注意を受けると、溜飲が下がったのか取り合えず満足したようだ。
とはいえ愚痴は止まっていない。
「なあ紫織。これ俺達が文化祭まで協力しなくても、こいつらが勝手に盛り上がって周囲を黙らせるんじゃないのか?」
「それは言っちゃ駄目。分かってるけど協力するって決めたんだから」
「だからごめんって、協力してくれ、頼むよ」
二人に協力してもらわなければ文化祭の件は破綻してしまう。
もちろん冗談で言っているのは分かっているので、手を合わせてお願いするとやれやれと首を振って一真が話題を変えた。
「分かってるさ。それで湊、これからはこうして四人で帰るけど、もう少し時間が経ったらお前達二人で昼飯を摂るし、放課後も二人で帰るんだよな?」
「ああ、流石に世話になりっぱなしは駄目だからな」
いくら毎日では無いにしろ毎回こうして二人に迷惑を掛けるのは駄目だ。これは湊と愛梨が頑張らなければならないのだから。
それは彼女も分かっており、多少頬の赤みが引いた顔を上げて湊の発言に頷いた。
だが、それを見た百瀬の顔が曇る。
「本当に気を付けてね? さっきのような雰囲気になるのはもちろんだけど、そこまで近づいてしまえばもっと嫉妬の視線とかがキツくなるからね」
「分かってるさ」
「はい」
「それで愛梨、そろそろ食べたら?」
「はい、そうしたいんですが……」
湊達は食べながら話しているが、愛梨は全く口を付けていない。
三人の食べ方を見ているのだから、まさか食べ方が分からない訳でもないだろう。
不思議に思って愛梨の方を見ると、彼女はますます頬の赤みを増してぽつりと呟く。
「……恥ずかしいです」
「ハンバーガーを食べるのに恥ずかしいも何も無いだろ?」
「大きく口を開けるのを湊さんに見られるんですよ? できればこちらを見ないで欲しいです……」
家で一緒に食事しているのだ、口を開けるところなんて何度も見ている。
にも関わらず今更見られるのが恥ずかしいというのは正直よく分からない。
「いや、家でも口を開ける時なんてあっただろ」
「こんなに大きく開ける事なんて無かったので……」
「まあそうだが。なら少しずつ食べればいいんじゃないか?」
「確かに、そうすれば良かったです」
湊の発言に良い事を聞いたと嬉しそうにはにかみ、ちびちびとハンバーガーを食べ始める。
だが、それを湊達三人が見て気まずい空気になった。
「こう、何だろうね、小動物を見てる感じかな。正直凄く可愛い」
「百瀬、言葉にするな」
「いや、でも言いたい事は分かるぞ」
百瀬の言う通り、愛梨の食べる姿は小動物を見ているようでとても可愛い。
まさかハンバーガーを食べるだけで周りを和ませる人が居るとは思わなかった。
「湊さん、これおいしいですね」
「……ああ、良かったな」
へにゃりと微笑む愛梨はハンバーガーに集中していたようで、先程の湊達の会話が聞こえていなかったらしい。
意外と俗っぽい物にも耐性があるのは有難いが、あまりこういう姿を広めたくないなと湊はひっそりと醜い感情を押し込めた。




