第75話 文化祭の出し物
「愛梨、ここに頭を乗せてくれないか?」
一真達との話し合いが終わり、家に帰って後はもう寝るだけの時間になった。
百瀬から聞いた情報の詳細を聞きたいので、にこやかな笑顔を意識して膝を軽く叩く。
すると湊が普段取らない行動だからか、愛梨が警戒してしまった。
「えっと、どうしてでしょうか? 私何もしてませんが」
「俺がやりたいからだな、駄目か?」
「……湊さんは普段そういう事をしません。何か企んでますよね?」
愛梨の真似をしてみたが駄目だったようだ。彼女の警戒レベルが一段と高まった気がする。
とは言ってもここで引くつもりは無いので、少々強引に行かせてもらう。
「そうか、愛梨は俺の膝枕は嫌か……」
露骨に沈んだ声を出すと、息が詰まったように愛梨が固まった。
三文芝居もいいところだが彼女には割と効果があったようで、おそるおそる近づいてくる。
「あの、痛かったり、酷い事しませんか?」
「それは絶対にしない、もしやったら全力でひっぱたいていいから」
普通ではない事が起きるのが完全にバレているので、愛梨の言葉には正直に応える。
そもそも傷つけたい訳では無いし、彼女が湊に詳しく言わなかった気持ちも分かるので、怒ってすらいない。
再び膝を叩いて催促すると、おずおずと頭を乗せてきた。
すぐに愛梨の頬を抑えて動けないようにする。
「やっぱり何かあるんじゃないですかぁ……」
がっちりとは固定していないので、愛梨が本気になれば湊の手からはあっさり逃げられるだろう。
こちら責めつつも逃げる素振りすら見えないのは、例えこんな状況でも信頼は揺らがないと言われているようで嬉しくなった。
とはいえ胸の温かさは押し込めて、かつ高圧的にならないように心掛けつつ問い詰める。
「なあ愛梨、俺が今日まで一度しかトラブルに見舞われず、愛梨が初日だけしか大事になっていないっておかしいと思わないか? 人が集まる愛梨と地味な俺がどうして同じ回数なんだろうな?」
遠回しな言葉だけで湊の言わんとしている事を理解したのだろう。
固定した愛梨の顔を見つめると、視線がふらふらと移動して一度も合わない。
「それは私の説明が素晴らしくて一度で済んだんですよ。凄いと思いませんか?」
愛梨の周囲への対応は刺々くはないものの、決して人間関係が良好とは言えない。
女子と話す時は多少警戒が緩むとはいえ、百瀬と会話する時よりも距離を取るはずだ。そして湊以外の男子となると、もはや分かり切っている。
そんな愛梨が全ての人を一回で納得させるような説明を出来たとはとても思えないし、本人からの言葉であっても周囲は納得しないだろう。というかネタはバレているので虚勢を張っているのが見え見えだ。
誇らしげな顔は可愛らしくはあるものの、埒が明かないので軽く脅してみる。
「……ほう、それは本気で言ってるんだな?」
「ええ、本気ですよ。まあ紫織さんもいましたからね。……あれ、紫織さん?」
自分が言った言葉で内通者に気付いたのだろう、愛梨の顔がさっと青ざめた。
「ようやく気づいたか。百瀬はお前の友達ではあるが俺の幼馴染でもある。百瀬伝いで隠し事が出来ると思うなよ?」
「酷い! 騙しましたね!」
「人聞きの悪い事を言うな、お前が黙ってたのが悪い」
「別に黙ってた訳じゃありませんよぉ、湊さんに甘えられたので何も問題無かっただけですって。そもそも湊さんだって先日の詳しい事を話してくれなかったじゃないですか」
それを言われると弱い。確かに湊も詳しく話さなかったし、それどころか頼ろうともしなかったのだ。
その結果強引に甘やかされてどろどろになったのだが、あれはこの際置いておく。
「……確かにそうだな。なら今度からちゃんと言ってくれよ、俺も言うからさ」
「はい、という訳で私は傷つきました。癒しを求めます」
「いや、どっちかと言うと痛み分けな気がするんだが……。まあいいか、分かったよ」
そもそもの発端は湊を非難した男子を怒ってくれた事を労う為なのだ、多少の理不尽は受け入れて愛梨の頭を撫でる。
すると彼女は先程の警戒など一瞬で消えて、へにゃりと蕩けた笑顔になった。
詳しくは聞いていないし、もう問い詰めようとは思わないが、お礼はしなければならないだろう。
「……ありがとな、俺の為に怒ってくれたんだろ?」
「そんなの当たり前です。『あの冴えない先輩のどこが良いのか』なんて言われたらそりゃあ怒りますよ。人の好し悪しは見た目が全てではないんですから」
それは何度も愛梨が言ってくれている事なので、顔の釣り合いを理由にして彼女から離れはしない。
そんな事など気にするなという朗らかな態度に心が軽くなった。
「だから、文化祭まで頑張りましょうね。もちろん、それからも」
「ああ、分かってるさ」
文化祭までに距離を近づけて一緒にまわる事がゴールなのではない。
湊が愛梨と外でも一緒に居られるように、苦しくても隣に立ち続けるというのがこの話の本質なのだから。
「ところで文化祭の出し物は決まったか? 俺達の方はお化け屋敷になりそうだが」
文化祭という言葉が出てきて頭の中に疑問が浮かんだ。
百瀬とはそういう話をしていないものの、湊のクラスがほぼ決まったのだから愛梨の方も決まっていてもおかしくは無い。
というより後三週間と少しなると、もう決めなければ凝ったものは出せなくなってしまう。
そして湊のクラスのお化け屋敷はメジャーなもので、特にこれと言った要素は無い。
愛梨の方はどうだろうかと思って質問したのだが、彼女の体がびくりと震えた。
「愛梨?」
「……喫茶店です。はぁ、思い出したく無かったですよ、憂鬱です」
心底嫌そうに思い溜息を吐くあたり、相当やりたくないのだろう。
愛梨の見た目であればホール係になるのは確定だし、そもそもそれを狙って喫茶店にした可能性がある。
そして、おそらくだが断りきれなかったのだろう。今の湊達の状況で悪目立ちをする訳にはいかないし、そもそも彼女の性格であれば強引に拒否というのはしない気がする。
だが、喫茶店というのは心惹かれるものだ。
「ちなみに服装とかは決まってるのか?」
「普通のウェイトレスですよ、凝ったのは流石に止めてもらいました。何ですかメイド服って、馬鹿にしてませんかね」
「まあ、ロマンだからなぁ……。男として否定出来ないところだ」
男なら一度くらいはメイドという物に憧れるのではないか。ましてや湊のようにサブカルチャーに寄った人であればなおさらだ。
とはいえ喜ぶのはほぼ男子だけというのが悲しいところだ。一部女子も喜びそうだがそこに突っ込むと話がややこしくなるので思考を切った。
「湊さんも良いと思うんですか?」
ぼそりと湊が呟いた言葉が気になったのだろう。
先程までの嫌悪感を剥き出しにした表情とは全く違い、興味深そうに愛梨が見上げてくる。
「まあ、憧れはするな。無理矢理させたいとは思わないけど」
ああいう服装はなかなか見た目を選ぶ。
愛梨であれば問題無く着こなすとは思うが、見世物のような服は好きではないだろうし、そもそも機会が無い。
着たくも無い服を強要するつもりは無いと首を振ってアピールすると、意外にも彼女はにんまりとした笑みを浮かべた。
「別に湊さんであればやぶさかではないというか、喜んでやりますけどね」
「そんな機会は訪れないだろうがな」
「……そんなにあっさり言わなくても良いじゃないですか」
おそらく湊をからかうつもりだったのだろうが、あっさりと対応してしまったのでムスッと拗ねられてしまった。
決して興味が無い訳ではないのでポンポンと愛梨の頭を軽く叩いて励ます。
「まあ、機会があったら見たいけどな。それに普通のウェイトレス姿も文化祭で見られるかもしれないし」
愛梨を一人で歩かせる訳にはいかないので、自由時間は湊が愛梨の教室まで迎えに行けるように調整してもらっている。
なので、タイミングさえ良ければ彼女のウェイトレス姿が見られるかもしれないと思うと心が弾む。
だが、愛梨の方は再び文化祭に引き戻されたのが嫌なのか、一瞬で顔を嫌そうに歪めた。
「私は見世物じゃないんですけどね……。どうせ来るのは男子が殆どでしょうし、最悪ですよ……」
その言葉に水をかけられたかのように思考が冷えた。
湊が愛梨のウェイトレス姿を見られるという事は、当然ながら他の人もその姿を見ることが出来てしまう。
そして大勢の人に声を掛けられるのだろう。その光景を想像してしまって湊も顔を顰めた。
「何とかホールに居る時間を減らす事が……できないよなぁ。なにせ愛梨をあてにしての喫茶店だろうし」
「まあ、誰に声を掛けられても応えるつもりはありませんがね。私が応えるのは貴方だけですよ、『ご主人様』?」
メイドは男のロマンという言葉から、湊が何を言われたら嬉しいかを判断したのだろう。
意地悪な笑顔から放たれた短い言葉だけで湊の心臓が跳ねてしまった。
だが、それはあまりに破壊力がありすぎる。メイド喫茶にならなくて本当に良かったと安堵しつつも、からかった仕返しはしなければと手を動かす。
「茶化すな。……嬉しいけどさ」
「いひゃいへふー」
もちもち、すべすべとした愛梨の頬を少しだけ引っ張りつつ、二人共笑顔を浮かべた。




