第73話 湊のこれからとあの人の今
「拓海、谷口がどういう奴なのか教えてくれ」
湊が谷口に呼び出された次の日、彼がどういう人なのかを尋ねるべく、湊は拓海に声を掛けた。
湊が呼び出された時は拓海も教室にいたので、特にその状況を説明する必要が無いのは楽でいい。
「いつかは接触してくるとは思っていたけど、思ったより早かったね」
拓海が渋い顔をしながら湊の質問に答えた。
その口ぶりからすると接触してくると確信していたようだ。
「俺に関わってくるって予想してたのか?」
「谷口は二ノ宮さんに接触しようとして一度断られてるからね。放課後遊びに行くどころか、学校でも話しかけないで欲しいって言われたみたいだよ」
「なるほど、それで俺に二ノ宮の情報を聞き出そうとしたのか」
どうやら谷口は前に愛梨に話しかけたが、友達関係すら断られたようだ。そして、次に搦め手を使おうとしたという所だろう。
愛梨は大勢の人から下心のある目を向けられ、それが嫌で男子に対して冷たい対応をしている。なので、彼もその一人なのかもしれない。
愛梨に話しかけれらた際の詳しい事を聞きたいと一瞬だけ考えたが、嫌な事を蒸し返す必要は無いと思いなおした。
湊が頭の中で昨日の事に納得していると、拓海が心配そうに眉を下げる。
「大事になってないから湊が冷静な対応をしたんだと思うけど、昨日は大丈夫だったかい?」
「……まあ、何とかな。そういう言い方をするって事は、谷口は何か問題があるのか?」
実際は少しだけ嫌味を言われたのだが、その愚痴を拓海に言っても話は進展しない。
昨日の校舎裏に行くまでの周囲の対応と拓海の言い分からして、何かある人間なのだろう。
胸の中の不安を抑え込み、彼の性格を予想しながら問い詰めると、拓海が一層苦い顔になった。
「表裏のある奴だね。自分の見た目が整ってるのは自覚してるけど自慢する事はしない。周囲への対応は柔らかくて顔の良い人から人気はあるけど、見た目が露骨に劣ってる人に対しては冷たい対応を取るよ」
「例えば俺みたいな平凡な奴に対してか」
「暴言を吐かないだけ雨宮よりはマシだけどね。選り好みが激しい奴さ。自分と一緒に居るのはそれにふさわしい人だっていう考えだよ」
「なんとも自信過剰な人だな。もしかして俺、目を付けられたか?」
その手の人に目を付けられると碌な事にならないと思う。
心配になって尋ねると、拓海は首を横に振って否定した。
「いいや、多分大丈夫だよ。自分のイメージを崩したくはないから嫌がらせはしてこないと思う」
「なら良かった。上履きに画鋲でも仕込まれたらどうしようかと思ったよ」
精神的なものなら湊が耐えればいいだけなのだが、肉体的な事は学業に支障が出るので流石に止めて欲しい。
もしそうなれば愛梨は激怒してくれるとは思うが、昨日ですら彼女に心配をかけてしまったので穏便に事を済ませたいと思う。
拓海の言い方からすると、そんな事にはならなそうなので安堵の溜息を吐く。すると、拓海が呆れた顔になった。
「今時そういう事をする人はいないと思うけどね。……湊さえ良ければ谷口とどういう会話をしたのか聞いてもいいかい?」
「念の為だが、言いふらすなよ?」
「当然だよ。単に心配なだけさ」
「じゃあ言うよ、まず――」
拓海に特に隠す事も無いので正直に打ち明けると、感心したような目を向けられた。
「湊に取り入ろうとしても無駄だって判断しただろうし、多分最後の言葉は負け惜しみかな」
「だったらいいんだがな、ああいうのは御免だ」
予想はしていたが、直接的では無いにせよ非難の言葉をぶつけられて、いい気分になどならない。
それが無くなるという事は、湊が谷口としっかり話したメリットがあったのだろう。
安堵の溜息を吐きながら愚痴を口にすると、拓海が心配そうに眉を寄せた。
「さっきも言ったけど谷口から何かされる事は無いだろうし、あいつが昨日の事を広めたら呼び出しは無くなるかもしれない。けど、その分今までよりキツい目線や陰口はあるかもね」
「……俺が二ノ宮との関係を独占しているように見えるってことか、別にそんなつもりは無いのにな。とは言ってもどうする事も出来ないのが苦しいところだ」
彼の話を断った事で、周囲からは「谷口のお願いすら断って、九条は二ノ宮さんと一緒に居たい身勝手な奴」と言われる可能性がある。
だが、声を上げて「そんなつもりなど無い」と発言したところで、湊が愛梨と一番親しい異性の友人というのは確かなのだから、説得力は無いだろう。
こうなると、谷口がどのようにして昨日の事を広めるかで今後の湊の評価が変わってくる。
やれやれと呆れながら言うと、拓海が苦い顔になった。
「確かに谷口が話を広げるの待ちではあるけど、仮に湊の事を酷評せずに『友達思いの良い奴』って言ったとしても、嫉妬の視線は変わらないよ?」
「それくらいなら構わないさ、覚悟してる。……にしても、羨むくらいなら二ノ宮と頑張って話せばいいだろうに」
「分かってるとは思うけど、それが誰も出来なかったから湊に注目があつまってるのさ。人の噂も何とやらって言うし、視線が辛かったり陰口が多くても、暫くすれば落ち着くと思うよ」
「そうなって欲しいもんだ」
そうして拓海と話しつつも、時間が経つことで周りが落ち着くことを願いながら休憩時間は過ぎていった。
そして放課後、視線の多さは変わらないものの、昨日のように呼び出される事は無かった。
今日は何事も無くて良かったと思いながら、バイト先に向かおうと下駄箱から校舎の外に出る。
すると、あまり出会いたくない人と目が合ってしまった。
あちらも湊と出会いたくなかったのだろう、顔に気まずさが表れている。
無視しようと思ったものの、どうやらバイト先への道と帰り道が一緒なようで、どうしても同じ方向に足が向かってしまう。
こちらをチラチラと伺っているので、仕方が無いと溜息を吐いて話し掛ける。
「雨宮、そんなに警戒するなよ。誰も取って食いはしないって」
「……俺の名前知ってるんすね」
「有名だからな、いろいろと」
「……そうっすね」
今の雨宮は初めて会った時のような気の強さは影も無く、明らかに覇気が無い。
あれだけ取り巻きが居たにも関わらず一人になっているので、おそらくだが見限られたのだろう。
自業自得だとは思うが、湊はそれを見てあざ笑うつもりなど無い。
彼から報復すらありそうだと思ったのだが、今の沈んでいる姿を見ると、そんな事をする元気も無いのかもしれない。
ちょうどいいので、あれからどんな事があったのか聞いてみてもいいだろう。
雨宮の傷口に塩を塗る行為だが、湊は迷惑を被った側なのでそれくらいの権利はあるはずだ。
「それで、あれから仲間外れにされたんだな」
「……です、皆離れていきました」
「だろうな。お前の性格だとそうなると思ったよ」
別に雨宮と仲が良い訳では無いし、なんなら愛梨を傷つけた奴なので、湊の口からあっさり非難の言葉が出る。
湊の包み隠さない言葉を聞いて、雨宮が顔を曇らせた。
「まあ、その通りですね。……正直、もっと怒られると思ってました。相当酷い事を言いましたから」
湊の見た目を馬鹿にした事は正直どうでもいいと思っている。
まさに今その問題に直面しており、雨宮に謝られても何の解決もしないのだから。
だが、少しでも罪悪感があるのなら、せめて愛梨に謝って欲しいと思う。
「お前に怒っても二ノ宮の傷は治らない。申し訳ないと思うなら二ノ宮に謝罪してくれ」
「そうですね、しっかり謝ってきます」
「……俺に報復しないんだな。お前をこういう状況にした張本人なんだぞ?」
これだけ歯に衣着せぬ物言いをしているのだ、文句の一つくらい言われる覚悟をしていたのだが、湊に怒りの感情をほんの少しですら向けてこない。
意外に思って尋ねると、雨宮は首を横に振った。
「怒りませんよ、あいつらに言われました。『いくら顔が良くても、お前の性格だと遅かれ早かれこうなった、もうついていけない』って」
「そう思ってたんならお前にそう言えば良かったのにな。甘い汁だけ吸ってトラブルが起きたらさよならって言うのは相当性格が悪いだろ」
友人の悪い所を注意せず、利用するだけして居なくなるというのはあまり良い友達付き合いとは言えない。
湊の文句に思い当たる節があるのか、雨宮が苦笑する。
「ホント、俺は何を見てたんでしょうか。金を持って、顔が良ければそれだけで良いと思ってました、その結果がこれです。友人だと思っていた人は離れ、女子は俺を目の敵にする。どうしたらいいんでしょうね」
「さあな、俺に分かるわけないだろ」
「……ですよね」
雨宮は途方に暮れたような声を出した。
傷つけた側が傷つけられた側に助けを乞うというのは変だし、雨宮を助けるつもりは無い。
だが、独りぼっちの姿を見るのは忍びないので、ほんの少しくらいの余計なお世話はしてもいいのかもしれない。
「俺の勝手な意見だがな、傷つけた人全員に謝ってきたらどうだ?」
「……酷い話ですが、名前や顔を覚えてない人も居ると思います」
「ホントに酷いな。だったら覚えてる女子に話を聞け、それで罵倒されるのはお前の今までの行動のツケだ、受け入れるしかない」
「はい」
「どうせ相当キツい言葉を言われるだろうから、それで心が折れたら話し相手くらいにはなってやる」
「……いいんですか? 俺、センパイと二ノ宮さんにあれだけ酷い事を言ったのに」
呆けたように雨宮がこちらを見る。有り得ない事だと思っているのだろう。
だが、湊は決して意外な事だとは思えない。
「お前があのままだったら死んでも話しかけたくは無かったがな。しっかり反省してるようだし、それなら話は別だ。……あれこれ言ったが、どうするかは自分で決めろ。俺に責任をなすりつけられても困るからな」
変わろうとしている人を邪険に扱うつもりは無い。
だが、仲良くしたくも無いので、ここら辺が落としどころだろう。
暗に「今のお前ならまだマシだ」と伝えると、雨宮が驚きに目を見開いた。
「……はい、ありがとうございます。きっとセンパイだからこそ二ノ宮さんはあんなに受け入れたんだと思います。俺が言うのは嫌でしょうが、二ノ宮さんの事、頑張ってください」
「あのなぁ、それをお前が言うか? そもそも言われなくても頑張るさ」
雨宮の言葉に呆れつつもしっかりと応えた。
ほんの一ヵ月程度だが彼は随分変わったと思う。それが良い方向に向かうかどうかはこれからの雨宮次第だが、決して悪いものではないだろう。
これだけ変わったのなら、いつか雨宮を誰かが受け入れてくれるのかもしれないと思った。




