第70話 四人での昼食
当然ながら、始業式の次の日から普通に授業が行われる。
夏休み前と変わらずいつも通りに授業を終え、昼休みになった。
学食を食べに行こうと席を立つと、一真から声が掛かる。
「湊、今日は紫織ともう一人来るけどいいよな?」
「来るも何も……。あぁ、そういう事か」
一真の顔がニヤニヤしているので、それで全て把握できた。
家で愛梨と話していたように、今日から彼女が昼飯を一緒に摂る事になっている。
既に一真達にも知らせているはずなのに、なぜ湊に確認を取るのかと疑問が浮かんだが、周囲には百瀬が連れてきたという事にするらしい。
ワザとらしく少し大きめの声で言ったのは、教室にいる人達に理解してもらう為のはずだ。
「分かった、ならさっさと行くか」
どこで集まるかまでは一真が話さなかったが、以前まで百瀬が合流していた時のように、食堂前の廊下だ。
かなり人が多い場所なので、愛梨を待たせすぎると人目についてしまう。彼女を奇異の目に晒させるのは忍びないので、さっさと移動した。
「おーい、こっちこっち!」
集合場所では百瀬と愛梨が待っていた。昼時というのもあってやはり人が多い。
ましてや今までこの場に居なかった愛梨がいるのだ。二人に近づくと、多くの視線が湊と一真にも向けられた。
とはいえいちいち視線など気にしてられないので、湊達はとっくに共有している情報を周りに知ってもらう為に話す。
「一真、湊君。今日から愛梨がお昼一緒だけど良い?」
「問題無いぞ。よろしくな、二ノ宮さん」
「俺もだ。よろしく」
「はい、よろしくお願いします。六連先輩、み――九条先輩」
愛梨はいつもの癖で湊の名前を呼ぼうとしたが、とっさに気付いて昔の呼び方に戻した。
反応してしまえば周囲から怪しまれるので、何も言わずに食堂へ向かう。
その際に彼女は湊にしか分からないくらい、ほんの僅かに頭を下げて謝罪してきた。
(気にすんな、バレてないから)
こちらも少しだけ首を横に振り心配するなと示すと、愛梨は安心したようにほんのりと表情を和らげて、湊の横に並んだ。
当然ながら食堂は賑わっており、結構な時間並ぶ事になった。
席は十分にあるため座れなくなるという事は無いものの、料理待ちの湊達に視線が突き刺さる。
一緒に居る百瀬が苦笑しながら周囲を見渡した。
「いやぁ、視線凄いねぇ。愛梨と二人で来る事も結構あったけど、今までで一番じゃないかな、これ」
「……私の所為で視線を集めてごめんね」
「謝らなくていいよ! 勘違いさせるような事言ってごめんね。私と一真の事なんて気にしなくていいから!」
「そうだぞ、二ノ宮さんも分かってるとは思うが、無視だ無視」
「はい、ありがとうございます」
一真と百瀬も見た目が整っているので、ある程度の視線には慣れている。
湊も一真達と一緒にいる事が多かったし、愛梨と二人で買い物に行った際に視線を浴びていたので大丈夫だと思っていたが、想像以上に凄まじい。同じ学生という事なのか、前に出掛けた時以上の無遠慮な視線を感じる。
あまりの居心地の悪さに顔を顰めていると、愛梨が外行きの仮面を着けつつも、心配そうに湊を見上げてきた。
「……九条先輩、大丈夫ですか?」
普段から愛梨を見てきた湊には、ほぼ無表情に近くても心の底から心配されている事が分かってしまう。
こんな事でへこたれる訳にはいかないと、無理矢理笑顔を浮かべた。
「気にすんな、大丈夫だ」
「ありがとうございます。……帰ったら、お礼しますね」
空元気が見抜かれることは分かっていたものの、湊にしか聞こえないような音量で、いつもの温かさを滲ませた声に固まってしまう。
こんな視線の真っ只中でどう反応すればいいか分からずにいると、湊達の番が来た。
さっきまでの話が有耶無耶になってしまったが愛梨は気にしていないようで、すまし顔で料理を受け取って席に着く。
そうして、初めての四人での昼飯が始まった。
「なあ、湊達っていつもそんな感じで飯食べてるのか?」
どうやら他の人は湊達を観察したいのか周囲には誰も居ない。なので、一真が遠慮無く今までのように話を持ち出した。
湊と愛梨は家での食事中ずっと喋ってはいないし、必要最低限の会話だけだ。特に変な所など無いと思うので質問の意図が分からない。
「ああ、こんな感じだな。何か変か?」
「変っていうか、通じ合ってるなと思ってな。何でほぼ会話していないのに互いに欲しい物を渡せるんだよ。二ノ宮さんに至っては湊の水が無くなるタイミングでそれとなく継ぎ足してるぞ」
「……全然気付かなかった」
五ヵ月以上一緒に生活していれば、食事中に互いの欲しい物くらいは分かる。
湊達からすれば当たり前だが、周りから見れば異常なのかもしれない。
愛梨も全く自覚していなかったようで、一真の言葉にほんの少しだけ頬を染めながら目を見開いている。
「通じ合ってるって……」
「二ノ宮落ち着け。平常心だ」
「は、はい、大丈夫です」
愛梨はここで頬を染めることは駄目だとしっかり分かっているので、すぐに表情を取り繕う。
そんな顔をさせてしまった事に申し訳なさを感じつつ、謝罪を口にする。
「でも二ノ宮が水を継ぎ足してるのに気付かなかった。ごめんな、無理するなよ?」
「いいえ、無理なんてしてませんよ。私がしたいと思ったからしているんです」
「ありがとな」
ほんのりと微笑する愛梨を撫でたくなったが、ここですると周囲から悲鳴が上がるので必死に我慢する。
代わりにお礼を言うと、百瀬が呆れた風な目を向けてきた。
「二人共、まだいちゃついたら駄目だよ? 愛梨は尽くしたいっていう気持ちが出てるし、湊君は普段そんな優しい笑い方してないでしょ? まあ、仲が良いのは嬉しい事なんだけど、今は抑えて」
「すまん、気を付ける。二ノ宮も外で飯を食べる時は気を付けてくれ」
百瀬の言う通り、少しずつ距離を近づけようとしているのに、いきなり今のような対応をするのは駄目だろう。
素直に謝って愛梨にも納得してもらおうとしたのだが、彼女は不満気に眉を寄せた。
「……でも、九条先輩のお世話をしたいです。これだけですら駄目なんですか」
「待て待て。俺が世話を焼かれる側なのか? ……いや、自分で言っておきながら否定できないな」
今までの湊の行動を振り返ると、世話されているという事を否定出来ない事実に悲しくなった。
だからといって愛梨の行動を許可する事は出来ない。
「二ノ宮、我慢だ。抑えてくれ」
「……分かりました、とりあえず今は我慢します」
「やっぱり今だけなんだな」
「当たり前です。貴方の傍に居るのは私なんですからね?」
「分かってるよ」
ほんの少しだけ顔を綻ばせる愛梨を見て、そう遠くないうちに家に居る時のようになるのだろうなと思った。
そこまで湊の事を大切にしてくれていることを表情には出さずに嬉しく思っていると、一真の微妙に不機嫌な視線が突き刺さる。
「おーい、いちゃつくなー。表情は取り繕ってるくせに、どうして会話だけでこんな雰囲気になるかなぁ……」
「一真、きっと言っても無駄だって。これはわたし達がしっかりしないとすぐにボロを出しそうだなぁ」
「紫織、俺達でこのバカップルを制御するぞ」
「任せてよ! ……でもこのバカップルの甘さはちょっとキツいかな」
「いや待てお前ら、誰がバカップルだ。しかも制御って……」
湊達は決して付き合っている訳では無い。
バカップルなどと呼ばれるのは有り得ないし、制御されずともそれなりの距離感を保てていると思う。
一真達を睨んで否定すると、じっとりとした目を返された。
「はぁ、自覚が無い奴は怖いねぇ……」
「おい、自覚ってなんだよ」
「いっそ鏡でも持ってきた方がいいか?」
「だから――」
そうして視線を受けながらも軽口を叩き合い、楽しいと言える時間を過ごした。




