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番外編3 悪魔の取り引き

愛梨視点です。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい、気をつけてくださいね」

「はいはい、分かってるよ」


 夏休みも残り数日となった昼下がり。いつものように彼を送り出して部屋に戻った。

 もう少しでこの生活も終わってしまうと思うと切なくなる。


「終わって欲しくないなぁ」


 それは先日の夏祭りの時に彼に言った言葉だ。

 何の用事も無く、波風の立たない穏やかな約一ヵ月の夏休み。

 実家に居る事しか出来ず、その事すら苦痛だった私にとっては、以前まで夏休みなど地獄でしかなかった。

 だが、この夏休みは苦痛など(ほとん)ど無く、とても幸せな日々だった。


「まあ、やりすぎた時もあったけど……」


 プールの時は明らかにはしゃぎすぎた。お盆の墓参りの時の行動は全く後悔していないものの、彼と買い物に出掛けた時は完全に失敗した。

 まさか彼が私以外の女子に褒められるところを見た瞬間、あれほど黒い感情が沸き上がるとは思わなかった。

 嫉妬、やきもち、独占欲。そんな感情など今まで経験した事が無く、完全に振り回されてしまった。

 その所為(せい)で大変な目にあったが、あれは私が原因であり、彼を責めるつもりは無い。

 だが、あの時のやりとりを思い出して頭が痛くなった。





「ねえねえ、九条先輩とどういう関係なの?」

「どうもなにも、友達だけど」

「嘘だー。さっきの態度、露骨すぎたよ? あれ嫉妬でしょ?」

「な!? ち、違う、違うから!」


 内心を正確に言い当てられたことで動揺してしまい、彼女達が黄色い声を上げた。


「二ノ宮さん可愛い! へぇ、九条先輩の事好きなんだ?」

「それは、その……」


 正直に応えることは出来ない。そうしてしまえば彼に迷惑が掛かる。

 だが、私の態度から彼女達は正確に判断した。してしまった。


「二ノ宮さんのそういう顔を見れるとは思わなかったよ! 正直意外ではあるけど、応援するね!」

「そうそう、九条先輩優しそうだし、二ノ宮さんを守ってくれたんだよね?」

「こう、先輩の見た目って大人しめではあるけど、別に悪くはないよねー」

「……九条先輩をあれこれ言わないで」


 彼が他人から褒められていると胸が締め付けられる。

 彼が悪く言われるとすぐに冷静でいられなくなる。

 そんな態度がますます彼女達を盛り上がらせた。


「ごめんね、九条先輩の事を否定するつもりは無かったんだ」

「なんだか親近感湧くなぁ。それに今日の二ノ宮さんは凄く可愛い!」

「えっと、あの……」


 私が感情を(あらわ)にするたびに彼女達は距離を近づけてくる。

 今までそんな事など経験したことが無いので、どう反応すればいいか分からなくなってしまった。


「夏休み明けから大変だろうけど、私達応援するからね! 困ったら何でも言って欲しいな!」

「私も! いつでも相談に乗るからね! それに、今日はデートを邪魔するのは悪いから、また今度話を聞かせて!」

「で、デート!? 違うよ!?」

「えー? 好きな男子と二人っきりでお出掛けなんてそれはもうデートだと思うけどなぁ」

「違う、ホントに違うんだから!」





 そうして、いくら否定しても全く話を聞いてくれなかった。

 彼と一緒に居る事が認められたみたいで正直嬉しかったが、彼女達は珍しい人達だと思う。

 なぜなら――


「そう簡単な話じゃない。きっと、大変な事になる」


 誰もが彼女達のように私と彼の仲を認めてくれるのであれば何も問題は無い。

 だが、そう上手くは行かないだろう。むしろ今までが順調すぎたくらいだ。


「湊さん、紫織さん、六連先輩、それに……。恵まれてるな、私」


 中学生の頃とは違い、たくさんの良い人達に恵まれた。けれど、これからは私達に悪意を向けてくる人が必ず出てくる。

 他人の人間関係など放っておけばいいものを。余計なお世話としか言えない。

 その原因であり、彼の好みでもあるこの容姿には嬉しいのか、悲しいのか、複雑に絡まり合っている感情を抱いている。

 人目を引く容姿だからこそ一緒に居るだけで彼に迷惑を掛けてしまう。だが、この見た目は彼にとって一番魅力的な姿だ。

 その事実が分かった時には顔から火が出そうなくらい恥ずかしかったし、嬉しすぎたのと彼のプライバシーを侵害した罪悪感で大胆な事をしてしまった。

 それに、あの時の彼の行動は――


「キス、しようとしてたはず」


 あの時の光景を思い出すと頬が熱を持ち、心臓の鼓動が落ち着かなくなる。もし名前を呼ばなかったらしてくれただろうか。

 結局強引に迫る事などせずに、物凄い勢いで謝ってきたので意気地なしと呆れてしまったが、そもそも彼は優しすぎる人であり、私の事を気遣ってくれているのは良く分かっている。

 その状況で煽ってしまったのだから、強く言うことは出来なかった。

 最終的に話が流れてしまったが、この前の夏祭りの際、彼は私の気持ちを汲み取ってくれた。


「嬉しかったなぁ」


 ああいう言い方をされれば彼の想いには気が付く。そもそもそれまでの日々で好意を持ってくれているのは何となく分かっていたし、キス未遂の時点でほぼ確実だった。

 そして、大変な目に遭うことが分かっているにも関わらず、頑張ると言ってくれたのだ。

 露骨な視線が集まるだろう、酷い時は非難の言葉を言われるかもしれない。別に見た目の釣り合いなどどうでもいいと思うが、第三者はそうもいかない。

 私にはそれが良く分かる。なにせ今まで整った見た目に相応しい行動と理想を勝手に押し付けられていたのだから。

 けれど、それでも傷つくことすら覚悟して隣に居たいと言ってくれたのだ。

 であれば、怖いものなど何も無い。

 もちろん疲れることは疲れるのでその時は甘えるし、彼が疲れたのなら甘えてもらうつもりだ。

 甘えて、甘えられて。そうしてお互いに離れられなくなってしまえばいいのにとすら思う。もちろん私は離れるつもりなど無い。

 その為に。そして、以前のお出掛けの際に口裏合わせの条件として出された事を今から果たさなければ。

 スマホを操作して耳に当てる。事前に連絡していたのですぐに繋がり、一番の女友達の声が聞こえてきた。


『こんにちは、愛梨!』

「こんにちは、紫織さん」

『じゃあ早速だけど、愛梨の気持ちを教えてくれる?』

「うん、私は湊さんが好き。見た目の釣り合いなんてどうでもいい。他人からの無粋な視線も言葉も気にしない」

『それが聞けて良かったよ!』


 紫織さんに条件として出されたことは、彼への正直な気持ちを教えてくれという事だ。

 そもそも私の彼への好意には随分前から気付いていたらしく、夏祭りの時には彼女の親が大盛り上がりしたのでゆっくり話している時間が無かった。

 なのでこんなに遅くなってしまったが、しっかりと伝える事が出来た。

 約束を果たせた事に安堵(あんど)していると、電話越しの声がより楽し気なものに変わる。


『ねえねえ、愛梨は湊君のどこが良かったの?』

「……それ、言わなきゃ駄目?」


 もちろん彼の良い所などいくらでもあるし、自慢したいという欲もある。だが、彼の幼馴染に伝える事には抵抗がある。

 あまり乗り気では無いので、この話は止めて欲しいと渋い声で応えると――


『言ってくれたら、代わりに湊君の昔の話をしようかなー』

「ッ!?」


 なんて悪魔の取り引きを持ち掛けてくるのだろうか。

 彼の良い所を話すとなると、とてつもなく恥ずかしい思いをするだろう。

 だが、その交換条件はあまりに魅力的すぎる。

 ぐらぐらと理性が揺れ、結局私は負けてしまった。


「……言う。言うから、紫織さんもちゃんと言ってね?」

『もちろん! 約束は守るよ!』

「えっと、まず、湊さんの優しい顔が好き。いつも私を気遣ってくれる優しい所が好き。近くにいると良い匂いがするし……ああ、そうだ。湊さんは私の匂いが良い匂いだって言うけど、絶対湊さんの方が良い匂いだと思うんだよね。それに、私が我が儘言ってもいつも『しょうがないなぁ』って感じで受け入れてくれるし、この前も私が湊さんのパソコンの中を勝手に見た事を許してくれて、髪を触ってもらって――」

『ストップ! ごめん、ストップ!』

「え? なんで?」


 彼女が話せと言ったにも関わらず、電話越しからの戸惑った声で話を中断させられた。

 まだまだ彼の良い所などいくらでもある、語り足りないくらいだ。

 なぜ止めるのかと尋ねると、呆れた風な声が聞こえてくる。


『まさかここまでのろけるとは……、砂糖吐くかと思ったよ。愛梨の想いは良く分かったから、次はこっちの番だね』

「もういいの?」

『いいの! もう十分だから! じゃあ小さい頃の湊君はねぇ――』


 彼女の話は興味深く、私の知らない彼の姿を知る事が出来て、とても貴重な時間だった。





「愛梨、何か今日機嫌良くないか?」

「そうですか?」


 紫織さんの話が面白かったので夜ご飯中に思い出していると、彼に(いぶか)し気な顔をされた。

 折角なので、からかってみようと口を開く。


「……夏祭り、りんご飴、紫織さん、泣かせた」

「はぁ!? ちょっと待て! お前それをどこから……、百瀬だな!?」


 ぼそりと呟いた言葉に彼が慌て始める。

 申し訳ないとは思うが、必死な表情が可愛らしくて笑みが溢れてしまった。

 

「ふふ、食べにくい物を頑張って食べようとしてるんですから、その顔を笑っては駄目ですよ?」

「もうしてないから! この前の時もやってなかっただろ!?」

「ええ、そうでしたね。でも、湊さんはいじわるです」

「勘弁してくれよ……」


 彼の困った顔が見れることが幸せだ。

 この人が傍に居てくれるなら何だって耐えられるだろう。そして、彼は傷ついても隣に立ちたいと言ってくれた。

 いつか、彼が外でも傍に居てくれるようになったら――


 この胸の中の、溢れそうなくらい大きくて、熱い想いを伝えよう。

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[良い点] からかうつもりがまさかの反撃になった点 [一言] さてさて、新学期どうなることやら
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