第65話 夏祭り
一真の家の近くの夏祭りは盆が過ぎてから行われるので、人こそ多いものの同じ高校の人に会う可能性は低いと思う。湊達の通う高校に近くも無いので尚更だ。
(それにしても、思ったより少ないな)
実際に会場を見てみると想像以上に人が少なかった。とは言っても賑わっていると言っていいくらいの多さではある。
昔はもっと多かった気がするなと記憶を引っ張り出していると、一真が湊の思考に答えを出した。
「だいぶ人が減っただろ?」
「ああ、昔はもっと多くなかったか?」
「盆過ぎてから行われるのなんてここくらいだからな。それに、隣町で盆前に大きな祭りがあるから、皆そこに行くんだろ」
「なるほど、でもむしろ有難いな」
「だろ? 感謝してくれよ?」
「はいはい、ありがとな」
出来る事なら同じ高校の人にバレたくは無いので、隣町での大きな祭りに人が流れてくれたのは好都合だ。
単に一真の家に近いというのも理由の一つのようだが、人が少ないという事が分かっていたのでこの夏祭りを選んでくれたのだろう。
自慢げに胸を張る一真に軽く返しつつ、だがしっかりと感謝を込めると彼がニヤリと笑った。
「四人で周るのもいいが、折角だから俺達は二人で周るよ。この人の量なら逸れて行方が分からなくなる心配も無さそうだしな。紫織、行くぞ」
「はーい。またね!」
「あ、おい!」
湊が声を掛けてもしらを切って一真達は行ってしまった。隣の愛梨を見ると、状況が掴めていないのかポカンとしている。
意図的に二人きりにさせられたと一真達の後ろ姿に感謝と呆れを混ぜ込んだ苦笑をしつつ、彼女に声を掛ける。
「愛梨、俺達も行こうか」
「は、はい」
愛梨に夏祭りの経験があるかは聞かなかったが、目をキラキラさせて辺りを見ているので、おそらく初めてだろう。
それにしては何かを買う事は無いので、相変わらずの物欲の無さだなとほんのりと苦笑する。
「何か買いたい物は無いのか?」
「見ているだけで楽しいですから、特には無いですね」
「遠慮なんてしなくていいんだからな?」
「とは言っても物品は管理が面倒臭いですし、生き物は論外ですからね。食べ物は相変わらず高いでしょう?」
「……物品と生き物に関してはその通りなんだがな。こう、現実主義というか」
愛梨の中での欲しい基準は日々の生活に役立つかどうか、というものらしい。
質素というか本当に物欲が無いなと思っていると、彼女が意地の悪い顔を浮かべた。
「それとも、あれが欲しい、これが欲しいと言った方が良いですか? お望みであれば言いますが」
「そんな事言いながら実際買うとなると遠慮するだろ? バレバレだ」
こういう顔の時は湊をからかっているだけであり、何度もされれば流石に慣れる。
そもそも愛梨は欲しくも無い物を買うような人ではないので、脅しにすらなっていない。
湊のあっさりとした態度が不服なのか、彼女がほんのりと不満気な顔になる。
「そんな私の事を見透かしたような対応をされるとは思いませんでした」
「どれだけ愛梨にからかわれたと思ってるんだ。悔しかったら我が儘を言って困らせてみろ」
「む、言いましたね? ではいっその事、屋台の食べ物を全部買ってもらいましょうか」
「確実に二人で食べきれないから残す事になるな。そんな勿体無い事をするのか?」
「……それは」
「さあ、次は何だ?」
湊が愛梨の我が儘を論破すると、彼女は頬を膨らませて不機嫌さを前面に出してきた。
「怒ってますよ」というアピールのつもりだろうが、本気で怒った際はこんな表情などしないのが分かっているのでむしろ微笑ましい。
全く動じない湊の対応に我慢の限界が来たのか、彼女が唸りだす。
「うぅ……、意地悪です。あしらわれている気がします」
「今回は俺の勝ちだな」
「……いいえ、これでどうでしょうか?」
良い事を思いついたとニヤリと愛梨が笑うと、湊と繋いでいる手を動かして繋ぎ方を変えた。
俗に言う恋人繋ぎになってしまい、彼女の細くてしなやかな指が湊を掴んで離さない。
いくら湊の態度に腹が立ったとしてもやりすぎではないだろうか。
「おい、これは止めた方が良いんじゃないか?」
「どうせ薄暗くて分かりませんよ、どのみち手を繋いでいる時点で一緒です。それとも、強引に振りほどきますか?」
湊が本気で抵抗すればすぐに愛梨の手は引きはがせるだろう。
だが、してやったりと楽しそうに笑う愛梨の手を離したくはなくて、溜息を吐いて彼女を見る。
「全く、どうなっても知らんぞ」
「はい、いいですよ」
さんざん注意しても全く愛梨は気にしない。
彼女にはどうやっても適わないのかもしれないと、湊は再び溜息を吐いた。
「それで、食べ物くらいは買っても良いんじゃないか?」
湊としても物品や生き物を買われても困るし、彼女も当然ながらそれを分かっている。であれば残りは食べ物しかない。
先程の件が有耶無耶になったので、空気を変えるために話を戻すと愛梨が悩ましそうに眉を寄せた。
「でも、高くないですか?」
「花火大会の時にも言っただろ? 値段で遠慮なんかするな」
「……ではお言葉に甘えて」
そう言って愛梨が買ったのはりんご飴だ。綿あめに引き続き、選んだ理由が透けて見える。
「家で食べれないからか?」
「はい、こういう物は家で作りませんから」
「愛梨が満足してるならいいんだが。でも確かりんご飴って……いや、止めよう」
「そこで切られると気になるんですが」
「まあまあ、とりあえず食べてみてくれ」
「はい」
湊が話を切った事は気になったようだが、愛梨は問い詰めず嬉しそうにりんご飴に噛り付こうとした。
だが、彼女の顔が曇り、口を飴から離す。湊にはその理由に心当たりがある。実際に経験したし、小さい頃の百瀬の表情と全く一緒だからだ。
「……食べにくいです」
「それが難点だな。祭りの時くらいしか食べないからって買うと、なんだかんだで困る」
「知ってたんですね。何で言ってくれなかったんですか?」
「折角愛梨が食べたいものを選んだんだ。俺が否定するのは悪いと思って言わなかったんだよ」
もちろん本心ではあるが、先程の愛梨への仕返しの意味も入っている。
表情に出したつもりは無かったものの、彼女は湊の内心に気付いたようだ。拗ねるような上目遣いでこちらを見つめた。
「いじわる」
「さあ、なんのことやら」
「……湊さんが私をいじめます」
「人聞きの悪い事を言うな。何も変な事はしてないだろ?」
「……ん!」
惚け続けると、りんご飴が目の前に突き出された。
綿あめの時と全く一緒であり、何をして欲しいかは分かるものの、前回のように千切る訳にはいかない。
そんな事は愛梨も分かっているはずだと彼女を見るが、ふくれっ面でそっぽを向かれた。
「食べないと顔に押し付けますよ」
「……その意味、分かってるよな?」
「はい、良いですよ。しっかり分かって言ってますから」
「なら遠慮なく」
愛梨が手に持っている飴を齧る。昔に食べた事はあるが、やはりやりにくい。
まさか湊が食べるとは思わなかったのか、彼女が目を見開いて硬直している。
「言われた通り食べたぞ、文句無いだろ?」
「……大胆ですね、本当に食べるとは思いませんでした。で、感想は?」
「食べにくい。さあ、次は愛梨の番だな」
愛梨の手からりんご飴を奪って目の前に差し出す。
先程の逆になってしまい、彼女が頬を朱に染めた。
「え、あの」
「俺に食べさせておいて自分は食べないのか?」
「……いいえ、食べます。食べますよ」
愛梨は覚悟を決めたのか、深呼吸をしてから噛り付いた。
食べている最中は恨めし気に湊を見つめていたので、言いたいことがあるのだろう。
しっかり食べ終えてから彼女が口を開く。
「本当に今日は大胆ですね。こんな食べさせ合いなんて外でするとは思いませんでした」
「こういう日くらいはな」
実際は愛梨を知る人からすればすぐに話題になるような事をしているのだ、何も大丈夫では無いだろう。
口の中に残るりんご飴の味はとても甘ったるく、今までの彼女との楽しかった日常と同じように、湊の心を溶かしていく。




