第62話 パソコンの中のものとは
「湊さん、パソコンを使っていいですか?」
夏祭りまであと数日となったある日の昼過ぎ、バイトに行く準備を終えた湊に愛梨が尋ねてきた。
「別にわざわざ確認なんて取らなくてもいいぞ。パスワードを忘れた訳じゃないんだろ?」
「はい、忘れてはいませんが、一応言っておかないとと思いまして」
愛梨は申し訳なさそうに目を伏せるが、そこまで気に病む理由が湊には分からない。
使いたいと言うなら使えばいいし、触らせないなどと言った覚えも無い。
「そんなに気にするな、好きに使ってくれ」
「ありがとうございます」
頭を撫でて励ますと、愛梨の表情が柔らかな笑顔に変わった。
話が一段落したので玄関に向かう。
「じゃあバイトに行ってくるよ。一応ウイルスには気を付けてくれ」
「はい、大丈夫です。そんな事にはなりませんから。いってらっしゃい、湊さん」
「……? まあいいか、行ってきます」
前回パソコンを触った時にはウイルスに怯えていたのに、「そんな事にはならない」という自信のある言葉には疑問を覚えた。
だが、学校で勉強をしているし、単に湊を安心させる為に言ったのかもしれないと思って外に出る。
「……ごめんなさい」
扉が閉まる瞬間に愛梨に小さな声で謝られたが、まだパソコンを使う事を気にしているのかもしれないと特に気にせずバイトに向かった。
「ただいま」
「お、おかえり、なさい」
特に問題も無くバイトを終えて家に帰ったのだが、愛梨の態度が明らかにおかしい。
完全に挙動不審だし、頬がうっすらと赤く染まっている。
「愛梨、どうした? 体調悪いのか?」
「い、いいえ、何でもないんです!」
「本当に?」
「はい!」
「……分かったよ」
バイトに出る前はいつもの調子だったが、体調が悪くなったのかもしれない。そう思って質問をしても「何でもない」の一点張りだ。
そこまで言うならおそらく聞かれたくない事なのだろうと、特に気にしない事にした。
愛梨の不審な態度は夜飯、そして風呂を終えても直らなかった。
普段なら何回も目が合うのに今日は一切合わないし、最近はずっと近い位置に居たはずの彼女は前までのように離れている。
ここまで来ると流石に見過ごせない。もしかしたら湊が知らず知らずのうちに何かしてしまったのかもしれない。
「なあ愛梨、俺が何かやったか? 嫌なところがあればちゃんと直すから」
「い、いいえ。湊さんは何もしてないです」
「でも、愛梨の態度が変だ。俺に言えないことか?」
「そういう、訳では」
「……いや、無理して言わなくていいんだ。強引に聞こうとして悪かった」
いくら信頼されているとはいえ言いたくない事はあるだろう。
無神経過ぎたと思って謝ると、愛梨がブンブンと首を横に振る。
「いいえ、湊さんは悪くないんです! むしろ、悪いのは私なんです……」
「えっと、どういう事だ?」
しゅんと露骨に愛梨が落ち込むが、今まで彼女が害になる事をしたことなど無い。
とはいえ原因がサッパリ分からないので尋ねると、今にも泣きそうに碧色の目を潤ませておずおずと話しだす。
「本当にすみません、湊さんを騙したんです」
「騙すってまた物騒な……。じゃあ具体的に何を騙したんだ?」
「私がパソコンを使って何をするか、湊さんは聞きませんでしたよね?」
「ああ、でも調べものだろう?」
愛梨がパソコンを使う理由などそれ以外に考えられない。
スマホではなくパソコンというのは引っかかったが、根掘り葉掘り聞くつもりは無かった。
湊の言葉に彼女の表情が更に曇る。
「調べものではあります、あるんですが……」
「なら騙してないだろ。にしても、何で調べものであんなに様子がおかしくなったんだ?」
「……本当に分かりませんか?」
愛梨は濡れた瞳でジッと湊を見つめてくる。そういう言い方をするということは、湊に心当たりがある事なのだろう。
彼女が挙動不審になるような調べもの、そして普通のものではないという遠回しな言い方。
最後に、ウイルスにかかるような事にはならないという言葉を思い出し、点と点が繋がった。
ドッと冷や汗が溢れて背中を流れる、まさかあれらを見たのだろうか。であれば湊が家に帰って来てからの変な態度も納得がいく。
「……もしかして、見たのか?」
湊の言葉にゆっくりと、だがしっかり愛梨は頷いた。
頭の中が真っ白になる。どういう対応をすればいいかなど思考能力を失った頭では考えつかない。
湊が完全にフリーズしていると、彼女が耳まで真っ赤になった顔でこちらを見つめる。
「銀髪、好きなんですか?」
「ぇ、あ、その……」
「パソコンの中の、ファイル、見ちゃったんです。銀髪、多かったですね」
「……いっそ殺せ」
愛梨の調べものとは湊のパソコンの中のそういうものだったのだろう。
別に見ては駄目とは言っていなかったし、そういうものがある事は彼女も知っていた。
だが、あれは暗黙の了解で触れない事になっていたはずだ。
趣味を完璧に把握された事実に、手で熱を持った顔を覆って項垂れた。
こんな状態で彼女を見る事など出来はしない。
「す、すみません。顔を上げてください」
湊を気遣う声が聞こえてくるが、お願いだから今は放っておいて欲しい。
「……無理、ちょっと待ってくれ」
湊の声におろおろと戸惑っているような音が聞こえたが、今はこの胸の動揺を収めるべきだと思って何も反応しなかった。
「それで、なんで見たんだよ」
結構な時間が経ち、ようやく顔が見れるようになったので尋ねた。
怒るつもりはないが、理由くらいはしっかり聞いておきたい。
「ごめんなさい。湊さんが私の外見を褒めたのって花火大会の時と、この前の買い物の帰りくらいじゃないですか」
「前にも言ったが、愛梨は外見を褒められるのが嫌だろうと思って言わなかったんだ」
微妙に話を逸らされている気がするが、外見の事については正直に応えた。
ただ、恥ずかしくてぶっきらぼうに言ったので湊が怒ったと勘違いしたのだろう、愛梨がびくびくしながら言葉を発する。
「確かに他の人に褒められるのは嫌というかどうでもいいんですが、今回は別というか……。怒ってますよね?」
「怒ってはいない。ちゃんとした理由を言って欲しい」
「……その、湊さんの理想の女の子ってどんな人なんだろうなって気になったんです」
怒ってはいないという湊の言葉に愛梨は安堵の溜息を吐きつつも、心臓に悪い事を言ってきた。
その言い方だと彼女が湊を意識しているように聞こえてしまう。
愛梨も自分が言った言葉が危ないものだと理解したのか慌てだした。
「あ、あの、一緒に住んでる人が気に食わない外見だと嫌でしょう?」
「いや、それを言うなら俺の外見の方が駄目だろう。……そもそも愛梨の見た目を気に入ってるって言わなかったか?」
湊の方から愛梨を褒めた時の事を蒸し返すのは凄まじく恥ずかしいが、今はそうも言ってられない。
二人のどちらの外見が万人に受け入れられないかと言われれば間違いなく湊だろう。
「湊さんの見た目は好きですし、確かに私の見た目を気に入ってるとは言ってくれましたが、でも私は――何言ってるんでしょう、私」
頭から湯気が出そうなほどに真っ赤になった愛梨が顔を俯ける。
余計な手出しはするべきではないだろうと見守っていると、持ち直したのか彼女は顔を上げた。
だが、真っ赤な顔は変わっていないし、瞳は潤んだままだ。
「……怒っていますか?」
「さっきも言ったが怒ってない。見るなとは言って無かったし、調べものっていうのは嘘じゃ無かったからな」
「……嫌いになりましたか?」
「そんな事で嫌いになるか」
怒るつもりもないし、嫌いにもならない。その言葉に嘘は無いものの、肝心の理由は愛梨の一杯一杯になった顔を見る限り聞けないだろう。
「……では、私の髪、触りますか?」
理由を聞くのは諦めて、銀髪好きがバレてしまった事はどうしようかと思考を巡らせていると、とんでもない事を彼女が言い出した。
「は?」
「どんな理由であれ湊さんのプライバシーを侵害したのは事実です。であれば私は罰を受けないといけません」
「いや、別に罰するつもりなんて無いんだが」
「なら湊さんの欲求を叶えてはどうでしょうか」
「欲求って……、言い方が悪いぞ」
「でも、銀髪が好きなんですよね?」
「……否定はしない」
「では――」
愛梨が湊のすぐ傍まで近づいてくる。ふわりと湊の好きな甘い花の匂いが香った。
彼女は肩が触れる距離に座って体をこちらに向けると、美しい銀髪を束ねて湊に差し出してくる。
腰まであるロングストレートはそれだけで湊が十分に触れる距離だ。
「どうぞ、湊さん、触ってください」
愛梨のはにかむような笑顔には羞恥と、そして湊の見間違いでなければ喜びが混じっている気がした。




