第61話 疑問
「買う物はネックレスと浴衣だけで本当に良かったのか?」
昼過ぎに家を出てからそれだけしか買っていないので、夕暮れにはまだ早い。だが、もう買う物は無いとのことで帰路についている。
確かに欲しいものは二つだけと言っていたし、他人の視線を受け続けるのは辛いので正直なところ有難い。
疲れが顔に出ていたのか、気遣わしげに愛梨がこちらを見る。
「はい、ウインドウショッピングをしたい訳では無いですし、他人の視線に慣れているとは言っても流石に疲れます。湊さんもお疲れでしょう?」
「……悪いな」
「いいえ、さっき言った通り私も疲れましたから。……どこに行っても視線を集めるのは本当に大変です」
「前に一真達と一緒に来た時は俺にあまり視線が来なかったからな、今日で実感したよ」
互いに苦笑しながら辟易する。
愛梨の見た目が文句無しに整っていることは自信を持って断言出来る。しかし、それが良い事ばかりではないのが改めて良く分かった。
何をしても見られ続けるのはまるで監視されているようで落ち着かないし、他人から勝手な願望を抱かれる。
今回の場合、愛梨は見目麗しい美少女であり、その姿を見たいという視線を受け、湊には愛梨と並ぶにふさわしい男であるべきという理想を押し付けられた。
こんなことを毎回されていたら、家から出たく無くなるというのも納得だ。
周囲の視線を思い出してげんなりしていると、良い事を思いついたというように彼女が声を発する。
「いっそのこと髪をバッサリ切ってしまいましょうか。そうすれば多少は視線が減りますかね?」
花火大会の時に聞いた話では、愛梨が髪を伸ばしているのは義務であり、趣味でもあると言っていた。
義務に関しては親の元から離れた時点で無くなっているものの、今日まで続けたのは習慣になっているのと、本当に趣味だからだろう。
他人の趣味に口出しする権利は湊には無いし、好きにさせるべきだとは思うのだが、確認がてら尋ねてみてもいいかもしれない。
「髪に関して俺の意見はあまり言いたくないんだが、いいか?」
「はい、どうぞ」
許可はもらえたものの、デリケートな話題なので慎重に言葉を口にする。
「嫌だったら答えなくていいからな。……髪を手入れするのは今でも苦痛か?」
「そうですね……。心底嫌だとは思ってませんが、別にこの長さに拘る必要な無いんじゃないかと思ってきました。銀髪でロングストレートだから見られるんでしょうし」
「まあ、否定は出来ないな」
殆どの日本人の髪の色である黒や茶色でも腰までのロングストレートというのはほぼ見ない。それが幻想的な銀髪となれば尚更だろう。
もちろんそれだけではなく、愛梨本人の整い過ぎている顔立ちや理想と言ってもいい体つきも原因の一つなので、視線が無くなるという事はありえないだろうが、確実に減るはずだ。
そう考えると、髪を切ってしまうというのは間違いなく対策になるのだろう。それが明確に分かってしまい、次の言葉が出せなくなる。
「どうしたんですか? 意見がそれだけという顔には見えませんが」
湊の態度が変になったことに気付いた愛梨が、首を傾げながら湊のしかめっ面を覗き込む。
しっかり手入れしてきた髪をこれから切るかもしれないのに、彼女は自分ではなく湊を心配してくる。
そんな優しい愛梨にこれから苦労を掛けてしまう自分の発言が怖い。
けれど、「次をどうぞ」と微笑みで湊を促すので今更何も無いとは言えず、おずおずと言葉を口にする。
「……髪、今のままの方がいいと思うんだが、駄目か?」
「この長さのままですか? 湊さんは長さに拘りは無いと思ってたんですが、どうしてですか?」
「本当に綺麗なんだ。長い銀色の髪が愛梨には一番似合ってると思う」
「……」
「悪い、困らせるつもりは無かったんだ。愛梨の好きなようにすればいい」
愛梨の反応が無くなったので、困り果てているのだろう。もしくは嫌がっているのかもしれない。
銀色のロングストレートが人目を引くから切った方が良いと分かっているくせに、自分勝手な感情でそれを否定したのだ。
隣を見るのが怖くて彼女から顔を逸らしていると、湊の手に柔らかいものが触れた。
「湊さん、こっちを向いて下さい」
愛梨が湊の手を掴んでくいくいと引っ張る。おそるおそる彼女の顔を伺うと、満面の笑みを浮かべていた。
「嫌じゃないのか? お前が苦労するのを分かってて言ったんだぞ?」
「嫌がる訳無いじゃないですか。なので正直に、ちゃんと答えてくださいね? 嘘や誤魔化しは許しませんよ?」
「……分かった」
今更この場で取り繕うものなど何も無い。
申し訳なさを、正直に応えることへの誠意に変えて返事をした。
「私の髪、好きですか?」
「ああ。見惚れるくらい綺麗で、大好きだ」
「ロングストレートがいいですか?」
「ショートやセミロングなんかよりよっぽどな。一番魅力的だ」
その言葉に何一つ嘘は無い。
こんなにも長く過ごしているにも関わらず、未だに慣れる事の無い輝くような美しい銀髪はとても綺麗で湊の好みだ。そして、それは今の長さでこそ映えるのだと思う。
完全に個人の趣味ではあるが、それを聞いた愛梨は蕩けるような笑みになった。
「では、このままにしますね」
「……いいのか?」
どうにでもなれとやけくそ気味に本音を伝えたのだが、現状の長さにすると言うとは思わなかった。
先程と正反対の事を言って本当に良いのかと顔を覗き込むと、愛梨は艶っぽく微笑んだ。
「いいんですよ。貴方が大好きと言うのならそれが一番なんですから。貴方の望む私で在りたいんです」
甘さを滲ませた柔らかい声が耳に届く。
その言葉に胸が苦しくなり、何を言えばいいのか、どんな反応をすればいいか分からなくなってしまった。
「ふふ、湊さんが私の髪を褒めてくれました。花火大会以来ですねぇ」
上機嫌に笑う愛梨が繋いだ手を前後に軽く振る。
子供のようにはしゃぐ彼女が愛おしくて、繋いだ手を離したくないと思ってしまった。
「湊さん、ネックレスを着けてくれませんか?」
家に帰ってきてから真っ先に言われた言葉がそれだった。
確かに約束は「外で着けるな」というものだったのだが、今着けたいとは思わなかった。
とはいえ愛梨の望みは叶えたいので、ピンクゴールドのネックレスを受け取ると、彼女がくるりと背を向けて髪をかき上げる。
元々の肌が雪のように真っ白というのもあるが、髪に隠れて全く日焼けをしていないうなじは非常に色っぽい。
湊が見惚れて固まっていると困惑した声が掛かる。
「あ、あの、着けていただけると……」
「……悪い」
固まっていた思考と手を動かして着けようとするのだが、緊張で手が震えてしまって上手く出来ない。
ネックレスが不規則にうなじを掠めるのがくすぐったいのだろう、彼女が妙になまめかしい声を上げる。
「湊、さん、意地悪、しないで。くすぐったい、です」
「わ、悪い! ……良かった、着けれた」
むずがる愛梨の声に心臓が拍動のペースを早めてしまって余計に手が震えるが、何とか着けることが出来て湊は安堵の声を上げた。
こちらに振り向いた彼女は涙目で湊を睨む。
「……私を辱めて楽しいですか?」
「違う! 上手く着けれなかっただけなんだ!」
愛梨を困らせるつもりなど無かったと湊は声を荒げた。
一応は信じてくれたようだが、彼女は納得などしていないような顔で湊をじっとりと見つめる。
「でも、くすぐったかったです」
「……ごめん」
「なので、湊さんにも同じことをしますね。さあ、後ろを向いて座って下さい。私の背だと立ったまま着けるのが大変なので」
謝っても済む問題では無かったらしい。悪戯っぽく微笑む愛梨が座れと湊に指示した。
立ったままでも問題無く湊の首に手は届くのだが、仕返しをするという言葉を聞く限り言い訳をしても無駄だろう。
大人しく座って背を向けると彼女が首筋を触りだす。
「どうですか? くすぐったいでしょう?」
「いや、全然」
残念ながら湊は首筋を触られてもある程度は平気なタイプだ。小さい頃に百瀬や一真とじゃれていた時の影響だろう。
湊の言葉にムキになって更に愛梨がぺたぺたと触るが、何もくすぐったくは無い。暫くすると拗ねたような声が聞こえてきた。
「……理不尽だと思います。何で私は駄目で湊さんは大丈夫なんですか」
「残念だったな」
「むぅ……。そうだ、これならどうですか?」
「いや、ネックレスを着ける為に後ろ向いたんだ――がっ!?」
本来の目的と明らかにズレてきているので元に戻そうと声を掛けた瞬間に、細くて柔らかいものが首に触れた。
未知の感覚のようでもあり、既に知っている感覚でもある謎の物体に思わず変な声を上げてしまった。
「愛梨、何だそれ!?」
「え、私の髪ですよ?」
「髪!?」
「はい、私の髪を束ねて先っぽで湊さんの首をくすぐってるんです。こんなところで髪の長さが役に立つとは思いませんでした」
実に楽しそうに愛梨はくすぐってくる。確かに髪の毛であれば自分の髪は首に触れているので知っている感覚なのだが、他人のものはまた別だ。
ましてや彼女は量が多いので感覚的には髪というより筆に近いのかもしれない。
おそらく、殆どの人が体験したことが無い事を湊は行われているのだろう。当の本人が気付いていないのが救いではあるが、あまりに倒錯的な行為ではないのか。
くすぐったいと言うよりは背筋がぞくぞくして、未知の扉が開いてしまいそうになる。
これ以上は後戻りが出来そうにないので、愛梨の方を振り向いて強引に中断させる。止めさせられたのが不満なのか彼女はふくれっ面をした。
「駄目ですよ、まだお仕置きが済んでません」
「今お仕置きって言ったな!? 本当に悪かったから、もう止めてくれ」
「分かりましたよ。でしたら湊さんも止めてくださいね?」
「俺はワザとじゃないんだけどなぁ……」
「何か?」
「いいえ、何でもありません」
あまりにも理不尽な言い分に文句を言おうとしたのだが、にっこりと笑う愛梨が怖くて反論出来なかった。
次は真面目に着けてくれたので、本当に助かったとホッと息を吐き出して向かい合う。
安っぽくてシンプルなシルバーとピンクゴールドのリングは写し鏡のように見え、とても尊く感じた。
「似合ってるぞ」
「ふふ、ありがとうございます。湊さんも似合ってますよ」
「ありがとな」
互いに褒め合うとむず痒い空気になって、二人で笑い合う。
簡単にこのネックレスは使えないだろう、なにせ外で着ける事は出来ないのだから。
そうなってしまえばアクセサリーに意味など無いと思っていたのだが、今では買って良かったと心から思える。
「湊さん、プレゼントの不安は消えましたか?」
「ああ、もう大丈夫だ。ありがとな」
「なら次はどんなプレゼントをしてくれるんでしょうね?」
「……ハードル上げるなよ」
「ふふ、すみません」
ただでさえ愛梨は普段から物を欲しがらないのだ。これ以上のものとなると、今の湊では何も思いつかない。
期待されても困ると少しだけ睨むと、彼女も次のプレゼントの難しさをしっかり分かっているようで、苦笑気味に謝ってネックレスに視線を移した。
柔らかい笑顔で、嬉しそうにそれを見つめる彼女を眺めていると、ふと疑問が浮かぶ。
(愛梨の俺への態度は信頼だけなのか?)
プールの時は男避けという大義名分があった。それでもやりすぎだと思う時はあったが。
墓参りの日は湊を慰めるという目的があった。これもこれでいくら信用しているとはいえ、膝枕などさせるだろうか。
そして今日、家で湊に触れて慰め、外では店員にカップルだと思われるような態度を取った。しかもペアアクセサリーすら買ったのだ。
髪の件についても自分が苦労する事を分かっていつつも、湊の望み通りの長さにすると言っていた。
行動だけでなく「大切な人」、「貴方だけ」という言葉や、それ以外にもドキリとさせられる言葉を言われた。
確かに愛梨に一番信頼されているという自負はある。だが、それだけであんな事を言うだろうか。
それらについて不満はこれっぽっちも無いとはいえ、いくらなんでもおかしい。
であれば、愛梨は湊の事を信頼以外でどう思っているのだろうか、という疑問が膨らんでいく。
(それを確かめるのか? 下手をしたら今の距離感が狂うのに? ……無理だろ)
湊は愛梨との生活を気に入っている。それこそずっと続けたいと思えるくらいに。
そして、彼女のそれらの態度の真意を確かめた結果、万が一にでも今の心地いい生活が壊れる事は嫌だ。
であれば、盆の時と同じく現状維持のまま何も尋ねるべきでは無い。
(忘れよう)
頭を振って疑問を追い出そうとしたが、いつまで経ってもそれは思考の片隅に残り続け、無くす事が出来なかった。




