第59話 外行きの表情
アクセサリーショップの次に行く店を愛梨から聞いておらず、隣を歩く彼女の先導に任せてモール内をゆっくりと歩く。
(分かってはいたが、視線が凄まじいな)
道行く人たちがチラチラとこちらを――正確に言えばその大半が湊の隣をだが――見る。中には見惚れるように立ち尽くす人もいたくらいだ。
改めて愛梨の容姿の良さを実感する。彼女はこんな遠慮の無い目線をずっと浴び続けていたのだろう、外に出たくなくなるのも納得がいく。
そして、隣を歩く湊への目線も感じる。眉を顰める者、驚く者、首を傾げる者などさまざまだ。覚悟はしていたので傷つく事は無いものの、不快感は感じてしまう。
おそらく「なんであんなに可愛い子の隣がパッとしない奴なんだ?」とでも思っているのだろう。互いの見た目が釣り合っていない事など湊が一番良く分かっている。
別におかしな服装や髪型をしている訳では無い、単に普通の服装、普通の髪型をしているだけだ。
前に一度だけ一真のワックスを借りて髪型を変えたが、似合っていなさ過ぎて大爆笑された。湊も似合っていないと思ったので二度とするつもりは無い。
どうあがいても改善出来ない事に辟易していると、申し訳なさそうな声が聞こえてくる。
「……すみません。視線が多くて嫌ですよね」
「嫌というか、見た目ってやっぱり大事だと思っただけだ」
正直に言うと愛梨が気に病むと思ったので、周囲を目だけで見渡しながら呆れ気味に誤魔化すと、彼女が不満そうに小さく口を尖らせた。
「まだ見た目の違いを気にしてるんですか? 他人が決めた顔の釣り合いなんて気にしないでください、怒りますよ?」
「分かってるよ。愛梨に怒られたくは無いからな」
内心ではまだ引きずっているものの、以前に「顔が全てではない」と言ってくれていたのを思い出したのと、今の言葉で少し元気が出た。
ならば、落ち込む姿など見せる訳にはいかない。こういう時くらい格好つけるべきだ。
そう決意していると、湊が冗談混じりで返事をしたのに満足したのか、愛梨が穏やかに笑った。
「ならいいのです」
笑顔自体は嬉しいものの、アクセサリーショップの時と同じように仮面が剥がれているので注意しなければならないだろうと口を開く。
「愛梨、表情が家に居る時のようになってるぞ。気を付けろ」
「むぅ、分かってますよ。でも、さっきの店でもそうでしたし、いくら人が多くても私の知り合いなんて――」
「あれ、二ノ宮さん?」
愛梨が湊の言葉を否定しようとした瞬間、女子の一団に声を掛けられた。間が悪いというか、本当に狙ったかのようなタイミングだ。
「こんにちは」
愛梨は声を掛けられた瞬間に外行きの仮面を張り付けた。そのあまりの変わりように苦笑する。
一番恐れていた事態になってしまった。とはいえ湊と一緒にいる理由はあるので大丈夫だろう。
彼女達は目を輝かせて愛梨に詰め寄る。話を聞いている限りだと同じ学年のようだ。
「奇遇だね! まさか二ノ宮さんと夏休みに会えるなんて思わなかったよ! 私服可愛いね!」
「ありがと」
「ねえねえ、折角だし、一緒に遊ぼうよ!」
「ごめんね、買い物の途中なの」
「買い物が終わった後でいいからさ!」
「えっと……」
彼女達のあまりの勢いに愛梨が押され始めており、困り果てた顔で湊を見る。
話の邪魔をしては悪いと思って会話に入らなかった
のだが、流石にここは手助けするべきだ。
「ごめんな、百瀬の代わりに俺が二ノ宮の買い物に付き添ってるんだ。また別の日にしてもらえると助かる」
愛梨と彼女達の間に割って入ると、多くの遠慮の無い、値踏みの目線が向けられた。
そして、一番前に居る女の子が訝し気に尋ねてくる。
「……私達が二ノ宮さんに話し掛ける前に一緒に居ましたね、誰ですか?」
その声色には露骨な警戒と敵対心がこもっており、友好的な会話は望めそうにない。
湊が非難されると思ったのか、愛梨が険しい顔をして口を開こうとしたので目線だけで咎める。
(止めろ愛梨、ここで感情的になってどうする)
湊を庇ってくれる事は嬉しいものの、ここで声を荒げても何も進展しない。
それどころか、愛梨がこれから学校で爪弾きにされる可能性すら有り得る。
なので、ここで問題を起こす事は絶対にしてはならない。
彼女は目線だけでしっかりと湊の意思を汲み取ってくれたようで、何も言う事は無く黙ってくれた。
とはいえ顔は納得していなさそうに顰められており、その瞳には不安が浮かんでいる。
心配を掛ける訳にはいかないと、毅然とした態度で目の前の女の子に向かい合う。
「九条湊、百瀬紫織と六連一真の幼馴染だ。今日の事を疑うなら百瀬に連絡してくれればいいから。よろしくな」
「……え?」
嘘など何もついていないので正直に話すと、湊の名前を聞いた瞬間に女の子が硬直し、みるみる顔が青ざめていく。
変な事を言ったつもりは無いが、発した言葉の何かがまずかったらしい。明らかに普通の状態では無さそうだ。
「えっと、だいじ――」
「すみませんでした!」
心配して声を掛けた瞬間に深く頭を下げられた。何が起こったのか全く分からない。
他の女子も一緒に頭を下げているので異様な光景だ。
周囲がざわめいており、悪目立ちしているので止めさせなければならないと思って声を掛ける。
「とりあえず頭を上げてくれ」
「……分かりました、本当にすみません」
顔を上げた彼女達は沈んだ表情をしており、嘘で謝罪した訳ではなさそうだ。
とはいえ湊には全く事情が分からないので尋ねるしかないだろう。
「まずは説明してくれないか? 何が何だか全く分からないんだ」
「はい。えっと――」
話を聞くと、彼女達は以前百瀬の口からは聞いていた、愛梨を男の手から守ろうと意気込んでいる人達のようだ。
今回の件は愛梨の学校での姿を見ていると休日に男と一緒に居るようには思えず、今もしつこくナンパされていたのではと心配して守ろうとした。というのが先程の敵対心剥き出しの理由らしい。
(にしても俺、百瀬と学校で一緒に居る時あるんだけどなぁ……)
そもそも一緒に歩いていたので知り合いだと思われてもおかしくなさそうだし、湊は昼飯時や放課後に一真も含めて百瀬と行動している時があるのだが、彼女達の言い分からして印象に残らなかったのだろう。
そもそも、ほぼ関わりの無い友人の更に友人の顔を覚えろというのが無茶な話かもしれない。
湊が愛梨と一番親しい友人になったという噂が出たのが夏休みという事もあり、登校日だけではそこまで広まっていないという事もある。
暗に地味で目立たないと言われている気がして少し傷ついたが、顔に出すと再び彼女達が謝りそうだったので心の中だけで悲しんでおく。
また、なぜ急に謝られたのかというと、湊の事を花火大会の時に愛梨を助けた人と百瀬が拡散していたので、彼女達からすれば愛梨を助けた人に対して無礼を働いてしまったという訳らしい。
そうして湊達は話を聞いている間、引き気味の苦笑をしていた。
「――です」
「話は分かった。とにかく、俺が二ノ宮と一緒に居る事に納得してくれたんだよな?」
「はい、九条先輩が言うなら信用できます」
先程まで何一つ信用しなさそうな態度だったのに、一瞬で信頼を勝ち取った事に複雑な気分になる。
とはいえ、ややこしい事態にならずに済んだのは有難い。
「なら俺から言う事は無いかな」
「本当にありがとうございます!」
ようやく笑顔になった彼女達を見て、大事にならなくて良かったと安堵の溜息を吐いた。
そして緊張が解け、壁も無くなったので湊も交えて再び愛梨との話に花を咲かせる。
「九条先輩、雨宮達から二ノ宮さんを守ってくれてありがとうございます」
「困っていたら助けるのは当たり前だろ。感謝される為にやった訳じゃない」
「優しいんですね、先輩って」
「……そうか?」
にこりと笑われて褒められるのは悪い気はしない。
本当に感謝されたくてやった訳では無いものの、ここまで素直に褒められるのはむず痒く感じる。
「……むぅ」
「二ノ宮さん、どうしたの?」
湊が話していると愛梨がなぜか不機嫌になってしまい、その不満気な顔を彼女達に見られてしまった。
しかし、質問された瞬間にいつもの外行きの表情をしたのは流石と言える。
「ううん、何でもない」
「……そう? それにしても意外だね。いくら九条先輩とはいえ二ノ宮さんが男子と出掛けるなんて思わなかったよ」
「九条先輩は信用出来るから、男避けを頼んだだけだよ」
愛梨の言う事は何も間違ってはいないのだが、その発言を聞いた彼女達のうちの何人かはニヤリと笑った。
「へぇ……。そうだ! 折角ですし、九条先輩も一緒に遊びに行きませんか?」
唐突に話し相手を湊に変え、妙に目を輝かせながら数人の女子が近づいてきた。
その瞳の奥には興味深い人を見つけたという好奇心が見え隠れしているような気がする。
「いや、それは――」
「駄目です」
彼女達の表情を薄ら寒く感じ、買い物の途中なので投げ出す訳にはいかないのを理由に断ろうとすると、愛梨が有無を言わせない声で流れを切った。
ジトっとした目でこちらを睨んでくるが、その目線を向けられる理由が分からない。
その態度を疑問に感じていると、彼女がつんとした声を響かせる。
「九条先輩は私と買い物に行く約束でしたよね? どうして鼻の下を伸ばしてるんですか?」
少しだけ嬉しく思ったものの、断じて鼻の下を伸ばしていた訳では無い。
「誰が伸ばすか」
「嘘つき、でれっとしたくせに。さっき優しいって言われて喜んだくせに」
「……そんな事無いぞ?」
女の子に褒められて喜ばない男はいないだろうと思ったが、第六感が「ここで認めると死ぬぞ」と伝えてくる。
一瞬だけ返事が遅れてしまい、普段から湊を見ている愛梨がそれを見逃すはずは無く、ますます不機嫌になる。
「どうして返事に間があったんでしょうか? 女の子なら誰でもいいんですか?」
「ああもう、とりあえず落ち着け」
「もう! 誤魔化しましたね!?」
「おい二ノ宮、頼むよ、な?」
「……えーっと、二ノ宮さん、とりあえず落ち着いて?」
愛梨が完全に暴走し始めたので湊が必死に宥めていると、彼女達のうちの一人が助け船を出してくれた。
「何? 今大事なところなん、だか、ら……」
言葉の途中で今がどんな状況なのか気付いたのだろう、
知り合いにいつも家に居る時のような表情豊かなところを見られてしまっているのを自覚して、愛梨の言葉尻が萎んでいく。
「あの、えっと、その、これは……」
「だから落ち着けって言っただろうが」
「……すみません」
パニックになりそうな愛梨に呆れ気味に注意すると、眉を下げて落ち込んだ。
女子グループには彼女の表情の変化が凄まじい衝撃だったようで、ほぼ全員が固まっている。
唯一固まらなかった人である、湊に最初に話しかけた女子が苦笑気味に愛梨に尋ねる。
「落ち着いた?」
「う、うん……」
「九条先輩、ちょっと二ノ宮さん借りて良いですか? すぐに返しますので!」
「いいぞ」
「……え?」
愛梨の表情が驚愕に彩られる。
まさか湊が許可するとは思わなかったのだろう。
「それじゃあすみません! 失礼しますね!」
「あ、あの、九条先輩!?」
湊が許したことで、すぐに愛梨は連れて行かれた。
離れ際に混乱した彼女から助けを求める目を向けられたが、笑顔で頑張れとエールを送ると途方に暮れた顔をされた。
(まあ大丈夫だと思うけどな)
彼女達の人となりを見ていたが、湊から愛梨を守ろうとしたし、勘違いが解けた瞬間に謝罪してきたくらいなのだからおそらく悪い性格では無いだろう。
なので、愛梨の仮面が剥がれても何も問題は無いと判断して彼女達の会話を見守っている。
(にしても、凄く盛り上がってるな。何話してるんだか)
彼女達は愛梨を中心として、湊に声が届かない位置ではしゃいでいる。偶に愛梨の顔が真っ赤になっているのが見えるので、何を言われているのか気になってしまう。
とはいえ首を突っ込む訳にはいかないので、本当に嫌そうにしていないかを確認しつつ一人のんびりと休憩する。
最近、愛梨の仮面は薄くなっているのではないかと思ったが、それでもあれだけ話せるのなら、外行きの表情にそれほど神経質にならなくても良いのかもしれない。
「それでは九条先輩、失礼します! にひひ、またね、二ノ宮さん!」
話は終わったようで、妙に元気になっている彼女達があっさりと湊と愛梨から離れた。一緒に遊びたいと言っていたが良いのだろうか。
尋ねようとしたものの、縋りつくような愛梨の目が「頼むから何も言わないでくれ」と言っているような気がしたので湊は口を噤んだ。
彼女達が嵐のように現れて過ぎ去っていくと、ドッと疲れが出てくる。
隣の愛梨もげんなりとしているので相当疲れたのだろう。
「愛梨、休憩するか?」
「……はい」
頬の赤みが引いていない愛梨を連れて喫茶店へ向かう。
「俺が見ても良い子達だったとは思うんだが、何か嫌な事されて無いよな?」
「嫌な事はされていませんよ。不快ではありませんでした」
「なら良し。心を鬼にした甲斐があったな」
これで愛梨が学校で過ごしやすくなってくれれば良い。彼女達の人となりを見た上で判断したが、愛梨が連れて行かれた価値はあっただろう。
湊が満足して笑みを零すと、唇を尖らせて睨まれた。
「何が良しですか。全く、私がどれだけ大変だったか。これだから湊さんは」
「……やっぱり嫌だったのか?」
「違いますよーだ。はぁ……。いやまあ、私が悪いんですけど、そうなんですけど、納得いきませんよ……」
愛梨が小さい声で不満を口にするが、湊を責めている訳では無いようなので暫く彼女の好きにさせた。




