第57話 お出掛け
「湊さん、今日はバイト休みでしたよね? 買い物に付き合ってくれませんか?」
特に用事の無い夏休みの朝、愛梨から言われる事は無いだろうと思っていた言葉が聞こえた。
確かに今日はバイトが無いが、彼女は出掛ける事が嫌いなはずだ。どういう風の吹き回しだろうか。
そもそも湊と外に出る際は百瀬がいなければ一緒にいる大義名分が無くなってしまう。
朝飯を食べている彼女はうっすらとした微笑で、その内心が分からない。
「いや、それは駄目だろ」
湊が駄目だしすると、「そんな事など分かっていますよ」と言わんばかりににっこりと微笑んで愛梨が話しだす。
「私と出掛ける為の理由が無いからですよね? 大丈夫ですよ、紫織さんに口裏合わせしてもらいましたから」
「どんな感じで?」
「紫織さんと六連先輩は用事で都合が合わなかったので、空いていて面識がある湊さんに男避けを頼んだ。どうです?」
「……文句無しだ」
隙の無い理由に何も言えず、呆れた目で愛梨を見る事しか出来なかった。一体いつの間に話を進めたのだろうか。
ただ誘うだけだと湊が許可しないという事と、彼女自身出掛ける際に一緒に居られる理由が無ければ駄目だという事を理解しているようで、先に外堀を埋めたのだろう。
そもそも彼女が百瀬と連絡を取り合っている事を知らなかったし、家に居ても電話をしている様子が無かったので、てっきり連絡先を交換していないものだと思い込んでしまっていた。
だが、それを怒るつもりも咎める気も無いし、その権利は湊には無い。むしろ積極的に他者と関わろうとしている事が嬉しいくらいだ。
そして、愛梨がそこまで手回しをして一緒に出掛けたいと言うのであれば、断るという選択肢は持ち合わせていない。
「分かったよ、じゃあ行くか」
「……本当に良いんですか?」
湊が許可すると、目を見開いて意外そうな顔をした。
口裏合わせをして出掛ける口実を作ったのは愛梨なので、その本人にそんな反応をされるとは予想外だ。
「理由付けは出来てるだろ、愛梨から言い出した事なんだし、何を気にしてるんだ?」
「確かに理由は作りましたが、周りからの視線はキツいですよ。本当に大丈夫ですか?」
愛梨が心配そうに湊を見つめてくる。どうやら周囲からの視線を気にしているようだ。
その大半は湊に対する値踏みと嫉妬の視線だと思うが、確かに二人きりだと凄まじい量になるのが目に浮かぶ。
だが理由も無く一緒に居る訳では無いので、後は湊の覚悟しだいだ。
そして、周囲からの視線で疲れることと、愛梨と一緒に出掛ける事が出来るのを天秤に掛けると、あっさりと彼女側に傾いた。
「俺が我慢すればいいんだろ? お安い御用だ」
「……ありがとうございます。あの、本当に嫌だったら言ってくださいね」
お礼を言うその顔は嬉しさと申し訳なさで半々の苦笑だ。
決して愛梨と一緒に出掛ける事が嫌なのでは無いと、頭を撫でて慰める。
「別に出掛けることが嫌なんじゃない。それに、俺の見た目はどうしようもないからな」
どうあがいても湊の見た目は変わらない。であれば、これから愛梨と二人で出掛ける際には必ず今日のような事になるだろう。
毎回毎回心配されるのは情けないので、気にしなくて良いようにと苦笑気味に言葉を放つと、彼女の眉が悲しそうに寄せられた。
「前にも言いましたが、私は顔の良さが全てとは思ってません。ですから、自分を卑下しないでください」
「……ああ、ありがとな」
あまり自分を貶めるべきでは無いなと思い、湊を気遣う柔らかい声に胸が温かくなった。
暗い空気を入れ替えるように、気持ちを切り替えて愛梨に質問する。
「じゃあ改めて確認だ、百瀬にはしっかり口裏合わせしてもらったんだな?」
「はい、今回の事は既に話しています」
「よし、なら準備して昼過ぎから行こうか」
「はい、本当に、ありがとうございます」
顔を綻ばせて笑う愛梨が見れるのなら、今日の視線の辛さにも耐えられるだろうと思えた。
昼になり、互いに準備をし始めたのだが、唐突に愛梨に呼ばれた。その顔は緊張からか少し強張っている。
彼女の表情に疑問を覚えていると、湊が買ったヘアピンをこちらに見せてくる。
「湊さん、ヘアピンを着けてくれませんか?」
「でも、愛梨はアイリスの花が嫌いだろ? そんなもの着けなくていいぞ」
アイリスの花が嫌いな理由は既に知っている。あの時は分からずにプレゼントしたが、とんでもない地雷を踏んでしまっていた。
そんなものなど着けなくていいと吐き捨てるように言うと、愛梨は悲しそうに目を伏せた。
「捨てませんよ、大事にするって言ったじゃないですか。確かにアイリスの花には今でも複雑な思いはありますが、湊さんがくれたものをそんなものと軽く扱いたくないんです。貴方がそんなことを言わないでくださいよ」
「でもそれは愛梨にとってトラウマだ、好きじゃないものを着けるのは苦痛だろうが」
「なので、これからこのヘアピンは湊さんが私に着けてください。貴方の心のこもったものを着けたいんです。そうすればアイリスの花も好きになれそうですから」
「……分かったよ」
ふんわりと微笑む様子からは無理をしているようには見えない。
覚悟を決めて愛梨からヘアピンを受け取り、絹糸のような細く綺麗な銀髪に通した。
しっかりと着けた事を確認した彼女は首を傾げて湊に尋ねる。
「どうですか? 似合ってますか?」
「ああ、似合ってるよ」
嘘偽りの無い感想を述べると、愛梨は嬉しそうに顔を綻ばせた。
だが、嫌いなものをプレゼントしてしまったという罪悪感が拭えない。
そして、湊が必ずヘアピンを着けなければならないという事実に独占欲が芽生える。こんなにも醜い自分がいるとは思わなかった。
自らの黒い感情に辟易していると、表情に出してしまっていたのか愛梨は湊の頬に触れる。
「湊さんは何も気にしなくていいんですよ。貴方がそんな顔しないでください」
どうやら愛梨は湊がアイリスの花を送った事に関して引き摺っていると勘違いしたようだ。
「違う、みっともない事を思ってしまったんだ」
「というと?」
「愛梨が身に着けるアクセサリーは、俺がプレゼントしたものだけっていう優越感を感じてしまったんだ。俺にそんな権利は無いのにな。……ホントにごめん」
あまりにもみっともない感情に耐えられずに俯きながら正直に話すと、愛梨は両手で湊の頬を挟んで目線を無理矢理合わせた。
嫌われたかもと思っていたが、こちらを見つめる表情は柔らかく、嫌悪感など欠片も浮かんでいない。
そのままジッと見つめ合う。湊を気遣うアイスブルーの瞳はあまりにも美しく、心臓の鼓動が高鳴ってしまい、そんな自分に嫌気が差した。
「いいんですよ。私の一番大切な人は貴方なんですから、優越感も、独占欲も感じてください。私が身に着けるアクセサリーは湊さんからもらったものだけですよ」
湊の心に沁み込んでくるような柔らかい声で肯定されれば、愛梨がどうしようもなく愛しくなってしまう。
そんな湊の内心を読んだのか、彼女は湊の両手を自分の手で包み込んだ。
優しさが、温かさが手から伝わってくる。本当に、どれだけ湊は信用されているのだろうか。
無防備な発言をしているのだが、今回は湊を慰める為なので注意することは出来ない。代わりに感謝を伝える。
「ありがとな、慰めてくれて。……今度から俺がちゃんとヘアピンをつけるよ」
「はい、よろしくお願いしますね」
名残惜しいが、これ以上していると買い物の時間が無くなりそうだったので、断腸の思いで手を離す。
愛梨も同じ気持ちだったのか、ほんのりと濡れた瞳で湊を見つめた。
「もうちょっとくらい、いいじゃないですか」
「もう十分慰めてもらったよ。ほら、出かける準備をしようか」
「はいはい、分かりましたよ。……でも、湊さんが元気になるならいつでもしますからね」
甘く、蕩けるような声に湊の決意が揺らぎそうになるが、必死に抑えて準備を再開した。
戸締りを終えて玄関に向かった。愛梨は扉を開けて外で湊を待っている。
彼女の服装は今まで見た事の無いシンプルな黒のワンピースだ。もしかすると夏休みの始めに百瀬と買いに行った服だろうか。
シンプルといえども多少のフリルもついており、綺麗さと愛らしさが絶妙に混ざっている。
普通なら少々あざといと感じるくらいなのだが、愛梨ほどの美少女となると全く違和感無く着こなしている。
感想の一つでも言わなければと思い、しっかりと扉に鍵を閉めて彼女を見た。
当の本人は恥ずかしそうに頬を朱に染めてもじもじしているので、湊の感想待ちだろう。
「可愛くて似合ってるぞ。百瀬と買いに行った服か?」
「ありがとうございます。そうですね、夏休みの始めに湊さんにリクエストされたものです。どうです? 貴方の望んだものを私が着ているのは」
「茶化すようなこと言うな。……まぁ、正直嬉しいが」
好きな子に自分の望んだ服を着てもらって嬉しくない男などいないだろう。
小さく、だがしっかりと愛梨に伝えると、彼女の顔が綻んだ。
「ふふ、じゃあこれからは服は全て湊さんに選んでもらいましょうか?」
「……勘弁してくれ。ほら、行くぞ」
「はぁい」
全ての服を選ぶとなると気疲れしそうなので遠慮したい。
強引に話を切って歩き出すと、上機嫌に愛梨は横に並んだ。




