第53話 お盆にやるべき事
「あれ? 湊さん、どこか行く予定ありましたか? 今日はバイト無かったはずですよね?」
「ああ、バイトは無いけどちょっと出かけてくるよ。夕方には帰れると思う」
「どこに行くか聞いてもいいですか?」
「うん? 墓参りだな」
湊が出掛ける準備をしているのに愛梨が疑問を覚えたようだ。
今日は八月十五日。世間的にはお盆と呼ばれる期間のうちの一日であり、バイトもたまたまではなくきちんと休む計画にした。
湊はお盆の一日と父の命日は墓参りをすると決めている。
聞かれて困ることではないものの、積極的に言う事でも無いので今まで黙っていたのだが、なぜか愛梨の目がすうっと細くなった。
「何でそんな大切な用事を黙っていたんですか?」
「俺にとっては大切だけど、愛梨は違うだろ? だから別に言う必要無いかと思ったんだ」
「……私をのけ者にするんですか」
「のけ者っていうか、他人の墓参りなんて興味無いだろ?」
会った事も無い人の墓参りに連れて行かされるのは苦痛だろうと思っての対応なのだが、愛梨の目が険しくなった。
別に不機嫌にさせるような事など言っていないだろうと湊が首を傾げていると、愛梨が外出の用意をし始める。
「何やってるんだ?」
「見て分かりませんか? 私も行きます。着替えるんでこっち来ないで下さいね」
着替えると言われれば玄関に行くことは出来なくなるし、不機嫌になった愛梨を放っておくつもりも無い。
仕方がないので離れつつも玄関のカーテン越しに声を掛ける。
「何で愛梨も行くんだよ、無理しなくていいぞ?」
「私が行きたいからです、駄目ですか?」
「駄目というか、別に愛梨に来てもらう必要は――」
「うるさいです。私が行くと言ったら行くんです」
湊の制止も聞かずに愛梨がぴしゃりと言い放ち、着替えを終えた。
あまりの急展開に呆然としている湊の脇をするりと抜けて、荷物を取る為に居間に戻った持った彼女が、再び玄関に向かう。
「ほら、何やってるんですか。行きますよ」
「……ああ、分かったよ」
最近よくある、愛梨に何を言っても無駄なパターンだろうと思い、湊は考えるのを止めた。
家を出て歩く事四十分。夏のうだるような日差しの中、両親の墓に着いた。
前に来た時は去年の秋なので半年以上期間が開いており、墓の周辺には雑草が生え、墓石は少し苔むしている。
これは掃除するのが大変だと辟易していると、愛梨が茫然と墓を見つめているのに気が付いた。
「愛梨、どうした?」
「湊さん、なんで、お墓に、名前が、二つ、なんですか?」
動揺しているのか、愛梨がつっかえながら疑問を口にした。
今にも泣きそうに顔を歪ませているので、彼女が気に病む必要無いと頭を撫でると、涙を滲ませたアイスブルーの瞳が見つめてくる。
そういえば父の事は伝えていたが、母の事は伝えていなかった。彼女の優しい性格上、気に病んでしまったかもしれない。
「ああ、言ってなかったな。俺の母さんも亡くなってるんだ」
「……ごめんなさい」
「なんで愛梨が謝るんだ、何も悪い事してないだろ。掃除するからちょっと待っててくれ」
流石にこの状態のまま挨拶だけして帰る訳にはいかないので、慰める為に愛梨の頭を一撫でしてから近くにあった掃除用具を持ってくる。
すると、彼女が湊の持っている掃除用具を奪い取った。
唐突な愛梨の行動に湊が首を傾げると「絶対に譲らない」と言いたげに彼女が告げる。
「私も掃除します。二人でやった方が良いでしょう?」
「そこまでやってもらうのは気が引けるし、来てくれただけで十分だよ。それに服が汚れるぞ?」
「むしろここまで来ておいて何もしない方が気が引けます。それに汚れると思って大丈夫な服を取り出しましたから」
そう言う愛梨の服装はキャリーバッグの中から取り出した薄手のシャツにジーンズとラフで動きやすい服装だ。
最近は割とおしゃれな服を着ているので地味な服は違和感がある。
とは言っても不思議と似合って見えるのは惚れた弱みなのか、単に愛梨が美人だからなのか。
「今更その服について言うのも変だと思うけど、ラフな服も持ってるんだな」
「前は外に出なかったので、地味な服だけで良かったんですよ」
「こう言うのは何だが、似合ってるぞ」
「……素直に喜べませんね」
「まぁ、そうだろうな」
周りの評価など全く考えない、動きやすいからと選んだ服を褒めるのは止めるべきだったかもしれない。
なんとも言えない空気に互いに苦笑し合って掃除を始めた。
真夏の炎天下の中での掃除は思った以上に辛い。ようやく終わると互いに汗だくだ。
「手伝ってくれてありがとな。正直俺一人だとキツかったと思う」
「でしたら、次からちゃんと言ってくださいね」
「善処するよ」
「もう」
愛梨にとっては赤の他人にも関わらず、次も一緒に来てくれるのかと思うと嬉しくなった。
二人で墓前に手を合わせて目を閉じる。愛梨にはやらなくてもいいと言ったのだが「一緒に掃除したんですから、やらせてください」と譲らなかった。
(父さん、俺、元気でやってるよ)
特に願う事は無いので湊の健康を報告してすぐに目を開けると、愛梨は目を閉じて真剣に何かを思っているようだ。
会った事も無い人に対して思う事などあるのかと疑問を覚えたが、聞くのは無粋だろう。
暫くして愛梨が目を開けた。
「ホントにありがとな。墓参りに来てくれて」
「いいえ、私も挨拶したかったので、こちらこそありがとうですよ」
「何で挨拶なんだ?」
「……ホントに湊さんは湊さんなんですから」
挨拶の必要など無いと思ったのだが、盛大に溜息を吐かれた。
それ以上特に墓に用事は無いのですぐに帰路についた。
帰り道、愛梨が最近よくやっている事である、湊の服の裾を掴みながら、おずおずと尋ねてくる。
「湊さん、話しづらいことだと思うんですが、聞いてもいいでしょうか?」
「父さんの事だろ?」
「はい、大丈夫ですか?」
「いいぞ、といっても別に大した事じゃないけどな。どこから話そうかな……」
「でしたら、どんな人だったんですか?」
湊が何から話すか迷っていると、助け船を出してくれた。
もう数年も前の事なので、思い出しながら口を開く。
「寡黙な人だったよ。必要な事以外は話さない人だったし、一緒に遊びに行く事も多くなかったな。だから、ハッキリ言うと父さんとの楽しい思い出っていうのはあんまり無いんだ」
父は昔から冗談を言うような明るい人では無かったし、アウトドア派では無かった。
だから、一緒に何かをしたという思い出はあまりなかったりする。
その事を意外に思ったのか、愛梨が目を驚きに見開いてこちらを見る。
「でも、墓参りに来たり、九条の姓に拘ってるということは、何か思い入れがあるんですよね?」
「そうだな、父さんからはよく言われたよ『自分の行動に責任を持てるようになれ』、『人を思いやれる人になれ』ってさ。今の自分がそうできてるとは思わないけど、いつか出来たらと思うよ」
「……いい人だったんですね」
羨ましそうに、寂しそうにぽつりと愛梨が呟く。自分の親と比べているのだろうか。
比べても仕方ないと思うので、愛梨の頭をとんとんと数回軽く叩いて彼女の気を逸らす。
愛梨は最初びっくりして目を見開いていたが、気持ちが伝わったのか、ふっと柔らかい微笑みになった。
「口うるさいところもあったけどな。基本は放任主義だったよ。そうするしかないって事情もあったからな」
「事情ですか? もしかして、湊さんのお母さんですか?」
「ああ、俺の母さん――ああ、あの人じゃないぞ――は俺を生んですぐに亡くなったらしくてな。男手一つで俺を育ててくれたんだ」
「……ッ」
愛梨が息を飲む。彼女にはそこら辺の事情を詳しく説明していなかったので、この際やってしまってもいいだろう。
「母さんは体の弱い人だったらしいんだ。俺を身ごもった時にガンにかかっていて、俺を生んで死ぬか、生まずに治療するかの二択だったみたいだ。……結果はまあ、ご覧の通りだ」
正直なところ、母親の愛情というのが湊には分からない。居なくて当たり前だったのだから。
だからこそ、盆と父の命日に一緒に墓参りを済ませてしまっている。
親孝行とはとても言えないのだが、かといって会った記憶も残っていない人にお礼を言いにくるという感情は湧かない。
そんな風に育ったから義母と上手くいかなかったのかもしれない、と今になって思う。
「だから、俺が物心ついてからは一人になる事が多かったんだ。父さんは働かないといけないからな、文句は言えなかったよ。多分、俺を構う事が出来ない代わりに言葉で伝えようとしたんだと思う」
父が湊に伝えたかった事を湊は全て理解出来ていない。理解できる日がいつになるかなど予想もつかない。
それでも父なりの愛情は伝わっていたし、義母と上手くいかなかった件を除いて、湊なりに親孝行できたと思っている。
「あの、亡くなった理由って、過労だったりするんですか?」
おそるおそる愛梨が尋ねてくる。湊を気遣ってくれているのだろう。
彼女の気遣いに胸が温かくなる。
「いいや、びっくりするぐらい健康だったよ、病気なんてほぼしないような人だった。死因は単純に交通事故だ。何の事は無い、飲酒運転の人が父さんにぶつかって即死だったというだけだよ」
父に事故が起きた事を知った時はもう後の祭りだ。
最後に話した言葉など覚えていない。多分何気ない会話だったと思う。
愛梨が無言になったのが気になったので隣を見てみると、彼女の肩が震えている。泣いているのだろうか。
「……ありがとな、愛梨。そうやって思ってくれるだけでも嬉しいよ」
「ごめ、なさ……。つらいの、みなと、さ、なのに」
「いいや、俺はもう整理をつけたからな。大丈夫だ」
もう父にも母にも会う事は出来ないのだ。くよくよしていても始まらない。
それに湊が落ち込むのを父は良しとしないだろう。盆や命日の時くらいは偲ぶが、割り切りはつけている。
なので、今更湊が泣くようなことは無い。愛梨が偲んで泣いてくれるだけでも報われるだろう。
ぐずる愛梨と一緒にゆっくりと歩いていると、湊の手に柔らかく、温かいものが触れた。
「一緒です。私が一緒にいますから、独りじゃありません」
「独りじゃない、か」
両親を喪い義母と上手くいかなかった湊と、母に捨てられ父と上手くいかなかった愛梨。どこか似たもの同士なのかもしれない。
(ああ、そうか。だから愛梨の人形のような無表情が気になったのか)
湊にはあの表情の裏に隠れた孤独が分かるから、分かってしまうからあんなにも意識していたのだろう。
しかも愛梨には湊と違って一真や百瀬のような幼馴染が居ない上に、人づきあいも上手くいかなかった。
外見や状況の違いこそあれ、抱えていたものは同じとは言えずとも似ているはずだ。
なぜ最初から愛梨のことを気にしていたのかが腑に落ちると、繋いでいる彼女の手の暖かさが改めて心に沁みる。
「愛梨、ありがとな」
他人を思って泣ける愛梨が、独りじゃないと言ってくれるこの子が、改めて愛しいと思った。




