第51話 湊の失言
「湊さん、これやってみたいです」
夏休みのとある一日、バイトに行く前に愛梨に見せられたゲームは据え置き機のFPSだ。
銃撃戦が彼女に合うか分からないので勧めていなかったし、正直こういうものに興味を持つとは思わなかった。
そもそもどういうジャンルかすら分かっていない可能性がある。
「とりあえず、どういうゲームかは分かるか?」
「いいえ、パッケージの裏を見ると、えふぴーえす? って書いてあるのは分かるんですが、いまいち内容は分かりません」
「それでもやりたいってのは度胸あるな……。まあいいか、思いっきり血の描写あるけど平気か?」
「多分大丈夫です」
内容が分からないものに愛梨が興味を持った事に対して、湊の口から感心の声が出る。
それに血の描写も大丈夫だと言ったので、結構好奇心旺盛なのかもしれない、と割と長い間一緒に過ごしておきながら初めて思った。
とはいえ自分では出来ると思ったが、いざやった結果駄目だったという事もありそうなので、注意しておいた方がいいだろう。
「よし、ざっくりと操作を教えるよ。気分悪くなったら言ってくれ」
「はい」
そうして愛梨に軽く操作方法だけ教えたのだが、もう少しで家を出ないといけない。
コツ等を教える時間は無さそうなので、据え置きのゲーム機の隣に置いているパソコンを立ち上げた。
急に湊がゲームと関係無い事をしだしたので、愛梨がきょとんと首を傾げている。
「湊さん、何してるんですか?」
「悪い、ちゃんと教えたいとは思うんだけど、もう少しでバイトに行かなきゃいけないから、全部を教える事が出来そうにないんだ」
「……すみません、無理言って」
湊の言葉に愛梨がしゅんと落ち込んでしまった。
言い方が悪かったのかもしれないので、首を振って愛梨に謝らなくていいという態度を見せると、湊の思いが伝わったのか朗らかな表情になる。
「いや、気にしないでくれ。興味を持ってくれるのは嬉しいから。で、代わりと言っては何だが愛梨に自分で調べてもらおうと思ってな」
「私がパソコン触っていいんですか?」
「ああ、操作は大丈夫だよな」
「はい、大丈夫だと思います」
「ならとりあえず、動画サイトとかの必要なサイトを開いておくよ。動画を見てもいいし、操作のコツ等を調べてもいい。
けど、それ以外を触るのは無しにしてくれ。ウイルスに掛かるのは困る。あとパスワードも教えておくよ」
「わ、分かりました」
「帰ってきたらちゃんと教えるから、そんなに怖がるな」
「……はい」
学校でパソコンの勉強も多少するので問題無いとは思ったが、ウイルスに掛かると言ったら愛梨がおどおどし始めた。
安心させるために愛梨の頭を一撫ですると、本当にもう出なければいけない時間だ。
「バタバタしてて悪いな」
「いえ、いいんですよ。ありがとうございます」
「いってきます」
「いってらっしゃい」
「ただいま……ってやっぱりこのパターンか」
バイトが終わって帰ってくると、予想していた通りに愛梨の返事が無かった。
ゲーム音はしているので、おそらく熱中しすぎて聞こえていないのだろう。
そのままなるべく足音を立てずに居間に行くと、愛梨が真剣な目かつ無表情でゲームをしていた。
(たった数時間でここまで上手くなるのか、これは凄すぎる)
邪魔をしては悪いと思い、愛梨の視界に入らない位置で彼女の動きを見ているが、数時間前は初心者だったとはとても思えない動きをしている。
というか普通に湊より上手いし、今やっている試合でもトップのスコアだ。
「上手いな」
思わず感嘆の声が出てしまった、それが失敗だった。
「湊さん、少し静かにしてくれませんか?」
愛梨が画面を見たまま凍えるような声で湊に言う。どうやら湊が帰って来たことには気づいているらしい。
花火大会の日にこういう声を聞いたが、あれは湊に対してでは無かった。いざ言われると恐怖で体が震えてしまう。
おそらく返事の声も駄目だろうと思って、無言で愛梨の動きを見る。FPSをする人の本気は怖いと思いながら。
「ふー。ごめんなさい湊さん、ちょっと集中してました。お帰りなさい」
しばらく身動き一つせずじっとしていたが、ゲームが終わって愛梨が湊の方を向く。
その顔はやりきったと生き生きしており、先程の冷たい声を出すようには見えない。
凄まじいギャップだなと思ったが、おそらく自覚していないと思うので触れない方がいいだろう。
「……ただいま。にしても凄いな、たった数時間でこの上手さになるとは思わなかった」
「最初は全然駄目でしたけどね。他の人の動き方やコツを調べながらやっていたら、いつの間にか出来るようになりました」
「それで出来るようになるのがおかしいんだけどなぁ」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ」
「出来るようになるものではないのか」という風に愛梨は首を傾げたが、それが出来るのはほんの一握りの天才だけだと思う。
尊敬半分、呆れ半分の返事を湊がすると、満足したのか愛梨がゲームを片付け始めた。
こちらとしても何かの拍子にあの凍えるような声を聞く可能性があったので正直有難い。
「もういいのか?」
「はい、楽しかったです。またやってもいいですか?」
「……ああ、いいぞ」
「ありがとうございます」
キラキラした笑顔でお願いされたら断れない。
湊は若干引き攣った笑顔で答えたが、許可がもらえて嬉しいのか笑顔の愛梨が気付く事は無かった。
「とりあえず、パソコンの使い方だな。といっても学校の物と殆ど変わらないけど一応教えるよ」
「お願いします」
そうして簡単にパソコンの使い方を教えた。ちなみに普段どうしてもパソコンを使う場合は湊が使っているし、そもそも調べもの自体簡単なものはスマホで出来る。
だが今回はサイトを調べるのが湊の方がいいと思ったのでパソコンにした。
「こんな感じだ、大丈夫か?」
「はい、ありがとうございます。でも私にパスワードと使い方を教えて良かったんですか?」
「別に良い。愛梨が悪さをするとは思ってないからな」
四ヵ月以上一緒に住んでいるのだ。今更愛梨が何かするとは思っていない。
湊がきっぱり言うと愛梨がほんのりと頬を朱に染めた。
「……確かにしませんが、そういうことではなくてですね。見られたくないものとかあるんじゃないですか?」
「別に無いぞ」
「えっちなものとか」
「……無い」
湊の部屋にはそういう本は無い。あるにはあるが、全てパソコンの中だ。
悪い事だとは思うが、湊とて思春期の男子高校生なのだ。真っ白で健全な人がいたら教えて欲しいくらいだ。
そして愛梨に使い方を教える際にそれらを避けるようにしていたのだが、どうやら気づかれている。
とはいっても「パソコンのここにあるから見るな」とは言えないので誤魔化すしかないだろう。
愛梨の言葉に動揺して返答が遅れた事を彼女は見逃してくれず、更に問い詰めてくる。
「掃除する時に本棚を見ましたが、湊さんってそういう本持ってないですよね」
「持って無いぞ」
「ということはパソコンの中にあるんだろうなと思ったんですけど。私に触らせませんでしたし」
「別に使い方くらい言ってくれたら教えたんだけどな。パソコンが無くても何とかなってたから教えて無かっただけだ」
「なるほど、では本当に無いんですね?」
「ああ」
「……まあそういう事にしておきましょうか」
完全にバレているようなので、愛梨の方から納得してくれるのは助かる。
だが、なぜ彼女の方からそういう事を聞いてくるのかと疑問が浮かび、つい口が滑ってしまった。
「……見たいのか?」
言った瞬間に失敗したと思ったが、出た言葉を引っ込めることなど出来ない。
湊の言葉を聞いた愛梨が、一瞬で顔を湯気が出そうなくらい真っ赤に染める。
「な、ち、違いますよ。何言ってるんですか!」
愛梨が瞳を潤ませ、声を張り上げて否定する。
視線があちこち移動しているし、体もせわしなく動いているので完全に混乱しているようだ。
どうにかして落ち着かせなければと思っているうちに、どんどん言葉が飛び出してくる。
「本当に違うんですからね! 見たいんじゃなくて、湊さんってそういう欲望が本当にあるのかと思っただけなんですから!」
「……何か馬鹿されてないか? 俺も男なんだからあるに決まってるだろ」
この夏休みの短い間だけでどれほど愛梨を意識したのか分からないくらいだ。
そういう欲望を見せると怖がるだろうし、傷つけたくないからと必死に隠しているのだが、当然ながら彼女は分かっていないようだ。
「じゃあ何でわ――、いえ、何でもないです……」
まくしたてるように湊に詰め寄っていた愛梨が急に静かになった。
とは言っても顔は真っ赤のままなので違和感が凄まじい。
「そこで切られると気になるんだが」
「何でもないです! 何ですか、もう……」
愛梨が再び声を張り上げて湊から背を向けた。
何がどうなったのか全く湊には分からないが、機嫌が悪いのは確かなのだろう。
宥める為に後ろから愛梨の頭を撫でると不満気な声が上がった。
「……そういうのずるいです。露骨なご機嫌取りじゃないですか」
「バレたか」
「あっさり認めましたね……。なら私の機嫌が良くなるまで撫で続けてくださいよ?」
愛梨が拗ねるような表情で湊に振り向いている時点で、本気で機嫌が悪い訳では無いのは分かっている。
深刻なものでは無いだろうと考えてご機嫌取りをしている事を白状すると、こちらを睨みながら続けろとねだってきた。
撫でる事を止めるつもりは無いので、言われた通りに手を動かす。
「仰せのままにってな」
そうして、可愛らしくへそを曲げる愛梨を撫で続けた。




