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魔法伯爵の娘  作者: 青柳朔
第四部
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第二章 己を知る為の(1)

 男子寮の談話室が賑わっているとき、ガルはそっとその場から逃げることにしている。

 年頃の彼らは雑誌を広げて楽しそうに話していた。彼らが見ているのは、それなりに肌の露出が多いものの、いかがわしいと没収されるほどではないものだ。

 やっぱり胸が大きいのがいいだの、いや足の細さがどうだの、いやいややっぱり腰が……と、とても女子生徒には聞かせられない論議をここで繰り広げている。


「あ! ガル! ガルは胸派? それとも足?」


 音を立てずに部屋に戻ろうとしたところで、顔見知りの生徒に捕まった。いつの間にか論議に参加していたらしいヒューと目が合って「あちゃー」という顔をされる。

 ガルはこういう会話が苦手だ。


 ――苦手というか、理解ができない。


 胸が大きかろうと足が細かろうと、その雑誌に写っている女性には欠片も興味は湧かない。さらに正直に言えば、どれも見分けがつかない。みんな同じ顔に見える。だって似たような格好で似たようなポーズをしているのだ。雑誌だから当然声や匂いによる判別はできないし、せいぜい髪の色が違うかなという違いしかない。

「あー……あんま興味無い」

「は? だっておまえ、彼女いるじゃん。興味無いなんて嘘だろ」

 ガルとアイザが付き合っているという誤解はすっかり広がっていた。本人たちが否定したところで「いやいやそんな馬鹿な」と笑われて終わるので近頃は否定もしていない。アイザがそれでいいと言うのでガルもそうしている。

 彼女がいるならなおさら、他の女なんてどうでもよくね? とガルは呆れ交じりに小さく笑う。

 ただ一人と決めた存在がいるなら、それ以外はすべて興味の対象外になって何がおかしいんだろうか。ガルにはそれがよくわからない。

 胸が大きくても足が細くても、それがアイザでないならガルには無意味だ。

「まぁまぁ、しかたないって。ガルはアイザ一筋だからさぁ」

 くだらない談義の輪に引き込まれそうになったところで、ヒューが助け舟を出してくれる。目で「早く行け」と合図された。

「一筋って言っても好みくらいあるじゃん」

「ガルはまだお子様だからな~」

 ヒューは援護してくれているのだとわかりつつ、勝手に人をガキ扱いすんなと言いたい。言いたいが、ここでガルが乱入すると逃げられなくなる。

「……そういうことでいいよ。じゃあ俺、部屋に戻るから」




 ガルは一人部屋なので、部屋に戻りさえすれば煩わしい話題からは離れられる。

 最初はたまたま他の部屋はいっぱいだったからと説明されたが、あとから獣人であるガルを気遣って一人部屋にされたのだとわかった。

 獣人は人間より嗅覚や聴覚が優れている。感覚の合わない他人との共同生活は苦痛だろうと学園側は考えてくれたらしい。もともと小さな村とはいえ人間の村で育ったガルにはあまり必要のない気遣いだったが、こういうときはありがたいなと思った。

 人間とズレているのは聴覚や嗅覚だけではない。根本的なことが合わない。

 年頃の男子というのは女性に――もっと直接的に言えば女性の身体に興味を持つものらしい。いや、ケインのように談話室の談義に参加したがらないタイプもいるから、一概にそうとは言えないが、ルテティアの騎士団連中にはそういう店にも連れて行かれたし、一般的にはそう考えても間違いではないのだろう。



 そのズレを明確に認識したのはヒューの一言だった。以前、ヒューとケインの部屋に行ったときに突然ヒューが聞いてきたのだ。

「おまえって性欲あんの?」

 それは親しき仲でもあり気安い友人だからギリギリ許されるかもしれないが、ケインは目を丸くしたあとに「何聞いてんの!?」と声を上げていたのでギリギリアウトかもしれない質問だった。あまりにも包み隠さず聞いてきたのでガルも多少驚きはしたものの、まぁ男同士なんてこんなものだ。

「は? 当たり前じゃん」

 なんでそんなことを聞くんだと思いながら答えたガルに驚いていたのはヒューだけではなくケインもだった。なんで二人がそんなに驚くのかガルにはわからなかった。

「性欲という言葉すら知らない可能性を考えていたのにあっさり認められてしまった……」

「いやおまえ、人のこと何歳だと思ってんの」

 ガルは十六歳になった。さすがにもう何も知らない子どもではない。何しろ男子寮にしろルテティアの騎士団にしろ、男ばかりの集まる場でそういう話題はよく耳にするものだ。

「でもおまえ、アイザ以外興味無いじゃん」

「そうだけどそれが?」

「いや、だからそれ。ちょっと変じゃね?」


 ――変?


 ガルは首を傾げた。ガルのなかではちっとも変ではない。

 だって特別なのはアイザだけだ。それ以外はどうでもいい。好きとか特別とかいう感情は、そういうものなのだと思っていた。

 しかしヒューが言うことには、好きな子が一番なのは当然だし、好きな子に触りたいのも、まぁちょっといかがわしいことをしたいと考えてもそれはまったくおかしくないが、他の女性をまるっとまとめて欠片も興味が湧かないというのはちょっと変らしい。

「別に好きな子じゃなくても、ちょっとした仕草とかにドキッとするもんじゃん。特に俺らの年代は」

 そのままヒューは大きい胸の子を見たらいいなぁと思うじゃんそういうもんじゃんと語っているが、ガルにとっては心底どうでもいいので聞き流す。

「……ケインも?」

「えっ!? ま、まぁ……うん。僕は好きな人がいるわけじゃないから参考にはならないかもしれないけど、ヒューの言ってることも間違ってないんじゃないかな」

「ぶっちゃけ好きな子じゃなくてもやることはやれるじゃん? じゃなきゃ娼館なんて商売成り立たないだろ」

 言われてみると確かにそうだ。

 ガルは連れて行かれても迷惑にしか感じなかったが、考えてみるとおかしい。しかもおかしいのはガルのほうだ。

「でもそれって好きな子とか恋人に対して『不誠実』ってことになるじゃん」

「まー……恋人や夫婦なら浮気かもしれないけど」

 ヒューは苦笑いで言葉を濁す。

 好きな子がいるのに違う人間とそういうことをするんだろうか。少なくとも娼館はそういう場所だ。

「……ん? まてよ。ガルのそれって、もしもアイザに振られたらどうなんの?」

「振られるって?」

 ヒューの問いにガルはきょとんと目を丸くした。

「いや振られる可能性考えてねぇのかよ!」

「夫婦でも離婚することはあるでしょ? そういうときってどうするの?」

 噛み付くようにツッコミを入れるヒューを押しのけてケインがやんわりと問いを重ねた。いやガル自身、振られるとか離婚とか言葉の意味がわからなかったわけではないのだが。

「アイザが俺のこと好きじゃなかったらって話? だとしても俺はずっと好きなままだから問題なくない?」

 例えばアイザがこのままガルに恋することがなかったとしても、恋仲になったあとでそれが冷めてしまったとしても、ガルの気持ちは変わらない。ガルからアイザへの思いが変わることはないんだから、そこは問題にする必要がない。

「いや重っ……」

「ガルがアイザのことを好きじゃなくなることだってあるんじゃないの?」

 ヒューが頬を引き攣らせているが、ケインは丁寧にまた問いかけてきた。

「ないよ」

 その問いに、ガルはきっぱりと言い切る。

「絶対にない」

「……いやだから重いって……」

「これが獣人の恋愛感覚なら、種の生存としてちょっと困ることにならない……?」

 いやだから獣人は減っているんだよね、とケインは自分で納得いく答えをすぐに出している。

「ガルのその感覚は、きっと獣人特有のものなんだろうね」

「……うん、たぶん」

 誰かから教えられたわけではないのでわからないが、ガルとヒューやケインの明確な違いはそこにある。獣人と、人間。見た目はほとんど変わらないのに、感覚的なものが違う。

 おそらくこれはレグの言う『つがい』への感情なのだと思う。だとすればつがいを持たない獣人は、ガルとは違う考えになるのだろうか。

「納得した。談話室とかでガルがたまに居心地悪そうにしていたのは、周りがガルには理解できない話をしていたからなんだ」

「俺はケインも困っているような顔していたから、俺が変だとは思わなかった」

「いや僕も苦手だけどさ、ああいう話を堂々してるの……」

 ケインのように兵士科の学生にしては大人しい性格をしている生徒はああいう話には巻き込まれにくい。しかし話の輪に無理やり参加させられることがないだけだ。

 ケインがその場にいても状況によればその手の話題はすぐにあがるし、簡単に盛り上がってしまう。

「テキトーにノリで誤魔化せばいいんだけど、おまえらはそういうのも苦手そうだよなぁ」

 ヒューの苦笑いにガルもケインも頷いた。思ってもいないことを口にしたくない頑固者のガルと、嘘はいけないと考える真面目なケインには『テキトーに誤魔化す』がなかなか難しい。


「俺がいるときはフォローしてやるけどさ、巻き込まれないのが一番だろうな」


 ……そういうわけで、ガルはヒューとケインという協力者を得たわけだ。



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