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魔法伯爵の娘  作者: 青柳朔
第四部
112/115

第一章 精霊の呪い(5)

 ――悪趣味なことだな、と高貴な精霊は呟いた。


 そこは静謐な森の姿から一変して、災禍を撒き散らす呪いの地へと変貌を遂げている。青々とした葉は精霊の血に汚れ、豊穣の大地からは死臭がする。

 学園の隣の森には異変らしい異変はなかった。しかしアイザの話を聞いたルーは嫌な予感がして、国境付近の森まで足をのばしたわけである。こちらの森も、マギヴィルの隣と同じように精霊の気配の強い、ノルダイン屈指の精霊の住処となっている。

 音もない声がひたすらに呪詛を吐き続けていた。それは森へじわじわと毒のように広がっていく。その広がり具合からして、半年は経っているだろう。悲鳴。断末魔。それらは森の記憶であり、今もなお繰り返し繰り返し叫ばれ続けている。我らを殺した者を許すなと。災禍あれ、災禍あれ、と。

 それは並の精霊であれば瞬く間に飲み込まれてしまうほどの呪詛だ。

 目を閉じ、祈りを唱え、そしてその一帯を炎によって焼き尽くす。

 炎は破壊であり浄化でもある。呪いを壊し、燃やし、灰とする。その灰はやがて新たな命を育む糧になる。

 炎が消えた一帯に、ルーが跳躍し一歩踏みしめる。一歩、また一歩。そのたびに緑が芽吹いて、みるみるうちに緑が生まれた。

 もとよりルーは大地と緑の属性を強く持つ精霊だ。焼き尽くすよりも、育てることを得意としている。



 男子生徒と、回収した呪われた薬草は一度学園に戻ってセリカに引き渡した。これから教師たちからより詳しく一件について聞き取りがされるだろう。

「お疲れ様。本当に助かったわ」

 男子生徒本人は売りさばいた薬草が呪われていたなんて夢にも思っていなかったらしい。近頃粗悪品の混入に関してはもしかしたら、と思って残り少なくなった薬草を今日すべて手放そうと思ったのだと言っていた。


「気分転換よ。商業区に戻って買い物しましょう。あ、でもその前にランチね」


 そのまま寮に戻っても良かったのだが、クリスがそう言ってアイザを引きずって連れ出したので必然的にガルもついてくる。

(……知らない男からもらったって言ってたな)

 その男は旅人だったらしい。大きな荷物は邪魔になるからと言って対価も求めずに男子生徒に薬草を渡したのだという。

 ただ手放すだけなら自分で売りに行けばいい話だ。男子生徒が男と遭遇したのもこの商業区らしいし、ますます怪しい。

 ――まるで、それらが呪われたものなのだと知っていたかのようではないか。


「アイザ」

 名前を呼ばれてアイザは顔を上げる。


 いつの間にやら商業区に戻って来ていて、さらにどこかの店に入っていたらしい。メニューを片手にクリスが呆れた顔をしている。

「これ以上は私たちの手には余ることよ。あとは大人に任せればいい」

「……わかっているよ」

 ずっと黙り込んだままだったアイザが何を考え込んでいたかなんて、クリスやガルにはお見通しなんだろう。

「大人っつってもどこが動くんだろうな」

 アイザの隣に座ったガルがメニューを渡してきた。ガルはもう決めてしまったらしい。

(たぶんもう呪われたものがマギヴィルに出回ることはなくなるだろうけど、ことがことだからノルダインが動かないといけないかもしれない)

 同じようにその男から呪われたものを受け取った生徒がいるかもしれないが、それは教師たちが聞きだして炙りだすだろう。そもそも始まりが半年も前のことだ。受け取った生徒がいても既にほとんどが手放されているだろう。

 アイザはおすすめのランチセットに決めて、注文をする。

「犯人がおそらくもう国外に出たっていうのが痛いところよね」

「たぶん情報は他国にも共有されるだろうな」

 問題をどこまで危険か判断するのは国による。おそらくルテティアではそれほど問題視されないだろう。国に存在する精霊は少なく、魔法使いもいない。精霊に由来するものを使って魔法薬を作るような人間もいない。被害という被害はないはずだ。


 ――その男は旅人だったらしい。


 淡い金の髪に、月白の瞳。妙に印象的な、浮世離れした男だった、と。

 男子生徒はそう言っていた。どこにでもいるような風貌の男ではない。金の髪はまだしも、月白の瞳は極めて珍しい部類だ。

(……会ったことが、あるんだよなぁ……)

 それも、ちょうど半年くらい前の話だ。

 しかもその人は、精霊が見えているようだった。精霊が見えていたのなら、見えていない人間よりも遥かに容易に精霊を殺すことはできる。

 名前はそう、確か――。


(イディオ)


 たった一瞬の遭遇でも、アイザの記憶には残っている。妙に印象的という言葉に素直に納得してしまえる男だった。

「アイザ、ぼーっとしてないで早く食べてよ」

「え?」

 目の前に置かれた食事に、アイザは目を丸くした。

 考え込むと周囲が見えなくなるのはアイザの悪い癖だ。あたたかいうちに食べなければお店の人にも申し訳ない。

「言っておくけどこの後のほうがハードスケジュールだから。服を見て、アクセサリーを見て、靴を見るから」

「……どれかひとつに絞らないか?」

「次の休みも買い物に付き合ってくれるっていうなら譲歩するけど?」

 いや、来週の休みもクリスに振り回されるのはきつい。二週連続はアイザの心の体力がついていかない。

「……わかった」




 結局アイザは夕暮れまでクリスに連れまわされてへとへとになったのだった。

 同じように付き合わされたはずのガルがけろりとしていたことが意外だ。彼の買い物なんてひとつもしていないのに、少し楽しげな様子すらあった。

 普段着のワンピースや、アイザでも抵抗なく使えそうな青いリボンのバレッタ。戦利品はそう多くない。靴は特に欲しいものがなかったので買わなかったが、なぜが奥に連れて行かれて足のサイズをはかられた。あれはなんだったんだろうか。

 クリスも今日はアイザのものを選ぶことに集中していて自分のものはほとんど買っていなかった。

(……というか、買っても使わないかもしれないからかな)

 クリスが『クリスティーナ・バーシェン』でいるのはもう残りわずかな時間だ。女物の小物を今買っても使う機会はそうない。

 アイザがマギヴィル学園に通い始めてそろそろ一年が経とうとしている。この一年はいろいろなことが多すぎて、もう三年くらい経った気分だ。

 たくさんの人と出会ったし、別れもあった。変わったことは多いけれど、自分が変われたかどうかはあまり自信がない。魔法は前よりもずっと、うまく扱えるようになったと思うけど。

 先に夕食を食べ終えたガルが向かいの席でじぃっとアイザを見ている。

「アイザ、まだ何か考えてんの?」

「……いや」

 アイザの夕飯はまだ半分近く残っていた。偽物騒動に加えて午後はクリスに買い物に振り回されてへとへとのはずなのに、食欲はあまりない。腹の奥に重い何かが詰まっているような心地がして、食が進まなかった。

「いや、うん。……何かごちゃごちゃしてて頭の整理が追いついてないのかも」

 クリスの卒業のこととか。

 偽物騒動の犯人である青年のこととか。

 これからのこととか。

 考え出すと止まらなくなる。答えは未来にしかないからだ。今どれだけ考えても、今のアイザには何も出来ない。でも思考は止めることが出来なくて何度も立ち止まっている。

 素直にアイザが吐き出すと、ガルは目を丸くしてきょとん、としていた。

「……ガル?」

「え、あ、うん」

 アイザが首を傾げ声をかけると、ガルは目をぱちぱちさせたあとに曖昧に笑った。

(ガルのことだから、ごちゃごちゃ考えたって仕方ないって言われるかなと思ったんだけど)

「まー……俺もいろいろ考えたりするけどさ、とりあえず飯はちゃんと食いなよ」

 だからそれ早く食べちゃいなよ、とまだ残っている夕食を指さすガルに、その通りだなとアイザは頷いた。

「うん……って、え?」

「え?」

 アイザが驚いて思わずガルを見つめると、ガルはなんのことだと言うように首を傾げている。

 いやだって、とアイザはガルのセリフを思い返した。ガルらしくない言葉を聞いた気がする。

「考えたりって……ガルが? 大丈夫か? 熱でもある?」

「アイザ、何気にめちゃくちゃひどいこと言ってんだけど自覚ある?」

 頬杖をしながら苦笑いでガルが言う。確かに失礼だったなと思いつつ、ガルも本気で怒っているわけではなさそうだった。

 でも、そうか。

「……ガルでもいろいろ考えてるのか」

「考えてるよ、そりゃね」

 ぽつりと呟かれたアイザの言葉にガルはさらりと答える。

 つくづくガルは変わったなと思う。出会ったばかりの頃の彼はもっと単純で本能的だったのに、長期休暇の前後でだいぶ変わった。成長したと言っていいんだと思う。

「……そのうちアイザにも話すよ」

 微笑みながらそう告げるガルに、アイザは小さく頷いた。



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