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魔法伯爵の娘  作者: 青柳朔
第四部
109/115

第一章 精霊の呪い(2)

 翌朝。

 まだ朝早くの食堂は比較的空いている。休日はのんびりと二度寝する生徒も多く、この時間帯だと利用している者は少ない。

「……ってことで、わたしは今日商業区のほうに行ってくるな」

「タダ働きするとか、ほんとお人好しにもほどがあるわよね……」

 はぁ、とため息を吐き出すクリスがアイザの向かいに座り、隣にはもぐもぐと口の中いっぱいに食べ物を詰め込んだガルがいる。クリスには既に昨夜のうちに話しているが、改めて呆れているらしい。

 ごくん、と口の中のものを飲み込んでガルは口を開いた。

「俺も行く」

「言うと思った」

 もはやガルとのこのやり取りもアイザは予測済みだ。むしろ笑顔でいってらっしゃいなんて見送られたら晴れた空が一変して大雨になるに違いない。

「ガルがついてきても暇だと思うけど?」

 遊びに行くわけではないのだ。既にセリカからはまわる店のリストも渡されているし、少なくともアイザは半日は潰れるつもりでいる。念のために言っておくものの、これがガルにはまったく効果のない発言であることも、アイザは知っていた。

「ついていかなくても暇だし。それならアイザと一緒にいる」

 しれっとした顔で会話しているが、それを聞いているクリスはすっかり呆れた――というよりも、お腹いっぱいという顔をしている。

「ほんっっとあんたたち……いや、言っても無駄か……」

 はー、とため息を吐き出しながらクリスは音を立てずにスープを飲む。

「偽物騒ぎは早く解決したほうがクリスも助かるだろう?」

「……そうね、それなら私もついて行こうかしら」

 同意したかと思えばクリスはにっこりと微笑んでそんなことを言い出した。思わずアイザは「え」と声を零す。

「なんでそうなるんだ……? クリスは実験とか論文とかやることあるんじゃ……」

「私、休日はちゃんと休む主義なの。それに事件が解決しないうちにいくら実験したって意味ないじゃない」

「それもそうだけど……」

 ガルとクリスが揃っていると些細なことで喧嘩するから、間に挟まれるアイザはいろいろとめんどくさいのだ。

 しかしこうすると決めたら絶対に曲げないのもまたクリスという友人である。

「ガルもそれでいい?」

「俺は別に気にしないけど」

「ちょっと。そっちに確認をとって私にはないの?」

 むう、とクリスは頬を膨らませる。可愛い女の子そのものの仕草にアイザはすっかり慣れているので騙されない。

「だってクリスはガルがついてくるって言ったあとに言い出したんだから、ガルがいることはわかってるだろ?」

「……そうだけど。めんどくさいことは早く終わらせて買い物しましょ。アイザの服とか」

 クリスの突然の発言にアイザはぎょっとする。予想外すぎる。

「待って。なんでそうなるんだ」

「いつも言ってるけどアイザの服装って地味なんだもの。もう少し可愛い格好すればいいのに」

 だから買い物に行くの、と断言される。

 繰り返すようだがこうすると決めたら絶対に曲げないのがクリスだ。

「……似合わないから嫌だ」

「私がアイザに似合わない服をすすめると思う?」

 うう、とアイザが最後の抵抗を試みるが、クリスにはばっさりと切り捨てられる。

「……思わない……」

(だってクリスだし……)

 彼のプライドにかけて、アイザに似合わないような服は絶対に選ばないはずだ。

 しかしそれはつまり、それまでアイザは着せ替え人形になるということである。

「はい、決まり。荷物持ちもいるしちょうどいいわ」




 朝食を食べ終えて、それぞれ一度部屋に戻る。鞄を取りに戻っただけのつもりだったアイザはクリスに肩を掴まれ髪を編み込まれた。

「……いやなんで?」

 今日はいったい何度なんで? と言っているのかわからなくなってきた。

「出かけるなら少しはこういうところも気を使え」

「いやでもガルが待ってるんじゃ……」

 お互いに荷物をとってくる、と言って別れたのだ。アイザはすぐに玄関ホールに戻るつもりだったし、ガルもそうだろう。

「あれは少しくらい待たせておけばいい」

 いつも下ろしたままの髪がクリスの手によって器用にまとめられ、青いリボンを飾られる。

(本当に器用だなぁ)

 クリスはこうしてたまにアイザの髪をいじるのだが、どうやったらこんな髪型にできるのかアイザはさっぱり理解ができない。クリスは慣れれば誰でも出来ると言うけれど、アイザには一生無理だろう。

「よし、まぁ及第点か」

「それはどうも……」

 服装は朝のままだが、髪型を変えたことでクリスも納得できる見た目になったらしい。小さな斜めがけの革の鞄を持って、玄関ホールに向かう。




「ごめんガル、待たせたよな」

「いいよ別に」

 急いで階段を下りてガルのもとに駆け寄る。

「アイザが可愛くなったんだから待った甲斐があるでしょ?」

「アイザはいつも可愛いんだよ」

 自分のおかげだと言いたげなクリスにガルが睨みながら言い返す。

「……喧嘩するなら置いていくからな」

 もはや会話の内容につっこむ気力もなくて、アイザは釘を刺してからすたすたと先に歩き始めた。

「そういえば、ルーは? 精霊関係なら一緒にいるんじゃねぇの?」

 それとも見えなくなってる? とガルがアイザの隣に並びながら首を傾げる。

 学園内ではいらぬ注目を集めてしまうので、基本的にルーは姿を消している。しかし午前中ということもあって人は少ないし、こういうときはアイザの保護者という顔でついてきているはずなのだが。

「ルーには、学園の隣の森の様子を見て来てもらってるんだ」

「なんで?」

「あそこはノルダインでも精霊の多い場所だから、今回の問題に関わる異変が起きてるかもしれないし」

 あの精霊の呪物。もはや呪物といっていい代物だと思う……は放っておくと危険だとアイザは思った。その通りのことをレオニやセリカに告げると、確かな同意を得られるほど。

「……精霊があれほどの呪いをかけるのは、死の間際らしい」

「へ。精霊って死ぬの?」

「そりゃ死ぬでしょ」

 間の抜けたガルの疑問に、クリスが呆れたような顔をする。

「人より長命だし、そもそも普通は目に見えないし、死ぬって思えないかもしれないけど精霊だって命に限りはある。あの呪いは、精霊が殺されたときに発するものだって……ルーが」

 昨夜、ルーに偽物の話をするとそう説明された。精霊だっていずれ死ぬ。しかしそれは精霊にとって恐れることでも忌むべきことでもなく、ただ世界の一部に戻るだけだという認識なのだ。

 だから自然に死を迎えた時に呪いは刻まれない。精霊が呪いを発するのは、殺された時だけだ。

「いや、殺されたって……誰に?」

「人間に」

「……出来るわけなくない?」

 ガルの疑問はもっともだ。人間が精霊を殺すなんて、出来るはずがないと思うのが当然だった。

 しかし精霊同士は殺し合いなどしない。彼らは明確に序列があり、序列に従って知性にも差がある。そして何より、精霊たちには殺し合う理由などない。

 だから精霊が殺されたということは、必然的に人間がやったと考えるのが自然なのだそうだ。

「わたしみたいに、精霊が見える人間が、精霊を殺す道具を使えば可能なんだよ」

 アイザの返答が、小さくなる。

 精霊の瞳。精霊を見ることができる稀有な目。それはアイザにとっては既に慣れたものになりつつある。調整ができるようになったからといえばそうだが、精霊が見えることに不便はない。

 精霊を害したいと思ったことも、ない。

「……黒晶石っていう石があるんだ。精霊が嫌う、精霊殺しの石。たぶんそれを使った武器を持っているんだろうな」

 光水晶は精霊が好む石であり、魔力を貯める性質があるが、黒晶石はその逆だ。精霊が嫌い、魔力を吸いとる石。当然魔法使いにも嫌われていて、一般にはあまり知られていない。黒晶石がとれる国でも採掘や輸出に制限がかけられているほどだ。


「アイザ」


 名前を呼ばれ、同時に手を握られる。

 その瞬間に強ばっていた肩がびくりと跳ねて、アイザは自分でも何が起きたかわからずにきょとんとした。

「また変なこと考えてただろ」

「え……」

 変なことってなんだろう。

 ガルがなんの話をしているのかわからず、アイザは言葉を詰まらせる。

「精霊が見える誰かが精霊を殺していたとして、それはアイザじゃないし、アイザはこれからも絶対にそんなことはしない」

 ガルの金の目が、アイザを見下ろしていた。

 見下ろされている、ということをまざまざと感じて、アイザはぼんやりとガルはまた背が伸びたのかなと思った。並んでいたはずの肩は、もうはっきりとわかるほどの明確な差が出来ている。

「アイザ、聞いてる?」

 む、とした顔でガルが繋いでいない方の手でアイザの頬をつねる。

「……聞いてるよ」

 ちゃんと聞いていた。聞いていたから、まったく関係のないことをぼんやりと考える余裕ができたのだ。

(……すぐに自分と誰かを重ねるの、わたしの悪い癖だよな……)


 もしも、という想像をしてしまう。それもたいてい悪い方向の想像だ。

 とっくの昔に自分の足元は泥に浸かっていて、その場所から動くことはできなくなっているんじゃないか。変わることなど出来ないんじゃないか。

 どれだけ眩い方へ手を伸ばしても、この手は届かないのではないだろうか。


 アイザが目を伏せたところで、またぐにっと頬をつねられる。

「いひゃい」

「戻ってきた?」

 少し怒ったような顔でガルが聞いてくるので、アイザはこくこくと頷いた。見透かすような金の瞳がじとりとアイザを見下ろしたあと、頬から手が離れていく。



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