7. 欲しい物がありませんでした
そんな街中の集合住宅……アパートの一室が騎士様の家だった。
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壁掛けの時計をチラリと見る。今日は領内の商会の集まりに用があると言って出て行った。侯爵なのに働き者だ。だけど、そろそろ帰ってくる頃だろう。今日はここまでが、一番キリが良い。王子殿下の方を見ると、また顔が怖かった。新聞とかでは人間不信だと書かれていて、民の間でもそうと有名だけど、この反応を見る限りそうとは思えない。
「……何も求めずに言われるがままになって、よかったのか?」
「はい?」
「君は、利用されるだけされた。慰謝料もだが、何か対価を貰うべきだろう」
どう考えても、共感して同情している。本来ならありがたいことなんだろうけど、ここまで生まれが違うと、少々理解してもらうのにも疲れる。
「質の高い衣食住をいただいておりましたが」
「……君にとって当たり前でないことは、わかっているが。それ以上の働きをしたはずだ」
実際、ガネル商会との商談を取り付けてきたのは当主様にも褒めていただいた。奥様の介護も効率化して、面倒を見る側も、見られる側も以前より楽になった。話が出来ない人たちではなかったし、身の程をわきまえたお願いなら聞いてくれただろう。
「では、何を求めれば良かったのでしょう?」
そもそも、欲しいものがないのだけれど。
例えば、お金は腐らないと聞く。手っ取り早く慰謝料をもらったとして、何に使えばいいだろう。
村に帰って、そのお金で暮らす? 過疎村で、物々交換が主流と言っても過言ではないのに? 一生分のお金をもらったとして、働きもせずに暮らす女なんて、最初は受け入れられても、時がたてば後ろ指を指される。身に余る金を持てば、やっかまれる。
じゃあ、お母ちゃんとクリフを呼び寄せて、街に家を買うか。街はそんな優しいところじゃない。街の人々は、良くも悪くも無関心だ。母さんが咳き込もうと、クリフが転ぼうと、知ったことではない。だったら、たとえ生活のレベルは低くとも、幼馴染の家の力を借りて、長く親しんだ村で過ごしていた方がいい。
「何も、求められるものなどなかったのです」
平民で、村娘で、身の丈に合った欲しいものなんて、村のみんなと同じくらいの衣食住と、家族の幸せだけ。それの何がいけないのだろう。
この言葉だけで、王子殿下は察しがついたらしい。さすが、国中からお妃様を娶るように願われているのを、政治的実力で黙らせているだけある。
「……憎くはないのか?」
「もちろん、思ったこともあります。でも、他人を恨んで自分が幸せになることなどないでしょう」
これだけ転々としてきて、いろんな人に同情された。やり返してやれ、そんな奴らは不幸になってしまえばいいと言われた。でも、そんなことして何になるだろう。彼らにだって家族が、従業員が、関わっている人たちがいる。彼らが不幸になって、私がスッキリした後の代償が大きすぎる。魔王になる気はない。
「高潔だな」
「現実主義なだけです」
生活にゆとりがあれば、もっと感情的になれたかもしれない。でも私は村娘だから。
「今に不服はありません。今は、母や弟が幸せに暮らしている。私も健やかに過ごしている。傷ついたのは過去の事です」
王子殿下は、やっと理解してくれたようだった。面倒だったけど、これで下々のことがわかってもらえるのなら、安いものだろう。
「……残念だ」
「何がですか?」
「もっと早く出会えていたら、宮廷の仕事を斡旋していた」
王子殿下が考え込む。まさか本気で斡旋しようとしているのだろうか。こんな村娘の話を真面目に聞いて、咀嚼して、自分なりに落とし込む王子殿下のためならば、働いてもいいかもしれない。いろんな階級を経験している分、できることは多いだろう。……けど、さすがに勘弁してもらいたい。環境が変わるというのは、人が思うよりも大変なのだから。
「ご冗談を。婚約破棄されていなければ、私は今あなた様の前にいません」
そう告げた時、ちょうど侯爵が帰ってきて、応接間に入ってきた。話に集中していたからか、まったく気づかなかった。
「では、失礼します」
しっかりとカーテシーをして、部屋を出た。そっと、息を吐く。
「……人に願っても、手に入らないものもあるし」
そういえば、商会の集まりがあったということは、ガネル商会のつながりで元婚約者様も来ていたのだろうか。
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「侯爵領に来ると、いつも思うんだよねぇ」




