35. 寝耳に水です
「はい?」
話についていけなくて、オスカー様の方を見る。目を逸らされた。これは知っていたということだ。後で問い詰める。
「クリフももう十五歳よ。学舎は卒業したし、立派な大人。私も元気になったし、王都には薬屋もたくさんある」
「う、牛はどうするの」
「売ったわ」
売っ……。先祖代々続いて来た村での家業を?
ううん、ちょっと待って。
「まずは王都を見に来たんじゃないの!?」
「ここまで来るのがどれだけ大変だと思うの。二度手間なんてしたくないし、もう覚悟は決めて来たわよ」
お母ちゃんは当たり前のように宣った。心なしか体が大きく見える。
もはや体調が良くなる兆しの見えてきた三年前から考えてたんじゃ……。
「ここら辺で場所を変えましょう」
「ちょっと!?」
くるっと方向転換して、大通りから細道へ、今日来たばっかりなはずのお母ちゃんが一番前に立って進んでいく。古い店に着いて、隠し扉の中に案内された。家具とか部屋の質からして、王侯貴族の密会所と言ったところだろうか。座って息を吐いてから、我に返る。
「……で、どういうことなの?」
「そのまんまよ。商会からは慰謝料を、騎士のツテであの人の実家への紹介状を貰ってきたから、何も心配しなくていいわ」
「たしかに村にいないならお金は必要だけど……」
お母ちゃんがボロボロなウェストバッグから書状を出す。
さすがは自分以外の家族が死にかけていた時に男の人でも危険な山を登って降った女。行動力の化身。
「クリフはブランドン家の騎士見習いになるわ」
「え?」
「あんたもよ」
またしてもオスカー様の方を見た。冷や汗を垂らして必死に目を逸らしている。これはおそらく、お母ちゃんに脅されて口止めされてた。
「今までの記録は公式から全て消され、あんたは正式にブランドン家の娘として王子殿下に嫁いだことになる」
身分が必要なのはわかる。ノース家では下位すぎるのも、ブランドン家が侯爵にも匹敵するほどの力を持っていることも。でもまさか、お母ちゃんがお父ちゃんが貴族だったって知っていたなんて。
「どうし……」
階段を降りてくる音がして、入ってきたドアが開く。警戒したものの、見慣れた金髪に胸を撫で下ろした。
「久々にここに呼ばれたと思ったら……これはまた凄いね。彼女が不安がるから早く帰りたいんだけど」
「手短に済ます」
侯爵はやれやれという風に肩をすくめた。
これは、私と王女様のこれからの話らしい。
「今回結婚するために障害になるのがあの国だ」
「まさか、本当に戦争する気じゃないよね?」
「目障りだが、それほどの価値はない」
王女様の出身国は、精力的に領土を広げようとしているものの、我が国からは微妙に離れているし、目立った産業もない。内部争いが激しく、国教も違う。
「あまつさえ布石代わりに王家に血筋を送り込みたかったようだが、思い通りにはさせない」
侯爵の婚約者だった頃は気づかなかった。他国に王女を嫁がせるとは、そういうことだ。
「もうすでに蜘蛛は送り込んだ。あの国は内部から叩いてこちらの言う通りに動く者に首をすげ替える」
「「うわぁ……」」
とはいえ、つい侯爵と同じ反応をしてしまう。蜘蛛というのは我が国の隠密である。
つまり、属国のように扱うくせに、めんどくさいことは新しい統治者に全部丸投げするつもりだ。
「そのタイミングでお前に下賜する」
侯爵は完全に引きながら話を聞いていた。身分を強化する理由。お母ちゃんはこれからどうするのか、クリフの扱いについても情報の共有が済んで、侯爵が伯爵家への根回しをしてくれることになった。なんでも弱味を握っているらしい。
……王宮に戻った時には、なんだかドッと疲れていた。買ってもらった髪飾りを見つめる。
「休日って一体何ですか?」
「すまない、警戒されると思った。その、アンナの母君にだな……」
「それは察しました」
まだどこか守らなければいけないイメージがあったのは事実だけど、まさか強硬手段に走るなんて。
「デートも途中だった。今度やり直そう」
別に、そんなのはいつだっていい。
「お母ちゃんって、こういう人だった……」
呆れつつ、改めて理解する。
その強さを持っていても衰弱してしまうほど、お父ちゃんを愛していたのだと。
私より早く死なないと言っていた。でも、私だって少女じゃない。そんなのは理想だと知っている。
もしオスカー様が死んだら、私はどうなってしまうのだろう。




