31. 私の願いです
「おはようございます、オスカー様」
「……おはよう」
「その、離してくださいませんか?」
低くて掠れた音が、耳に響く。朝起きると、オスカー様に抱きしめられていて、いつも離してもらえない。ベッドの傍を見ると、たくさんの本が積み上がっていた。何をしているのかは知らないけど、また夜更かしをしていたらしい。眉間の皺をつつくと、むず痒そうな顔をした。
「オスカー様」
「……様はいらなぃ」
「オスカー、起きて」
やっと起き上がったところでベルを鳴らして、支度を始める。
ここ数年で劇的に生活が変わりすぎて、よくわからない気分だ。朝早くに起きて牛の面倒を見る生活から、朝遅くに起きてメイドに顔を洗う水を持ってきてもらう生活に変わり。
「慣れないものですね」
昔は紐で括っていただけの髪が、高級なブラシで梳かされて、綺麗に結われるのだから。
当たり前にオスカー様は慣れている様子だけど。
「侯爵邸とあまり変わらないだろう?」
「あの時は仕事だったので」
そういう立場の人を演じているという感覚があった。でも今は立場が変わったのだと思う。
シャツのボタンを留められながら、オスカー様が口元に手を当てる。考えている時のクセだ。
「……そもそも、事情が違えばこういう生活だったかもしれないんだが」
こういう生活とは、一体?
メイド……オスカー様が信頼しているはずの老齢な女性を下げる。何か聞かれたくない話らしい。
オスカー様はまだベストも着ていない状態のまま、ソファに座った。横を叩いて、隣に座るように誘う。誘われるがままに座って、少しもたれかかった。
「アンナには姓がないな?」
「書類上ではノースですけど」
「そこは置いておく」
結構重要な事なのに置かれてしまった。まあ田舎者に姓はありませんが。あなたの妻として、血筋がない分家柄は大事で……。
「アンナの父君の名は、レオだな?」
「そう、ですけど……」
なんでお父ちゃんの名前が? 妻にする前に調べたのだろうけど。
「彼のフルネームはレオ・ブランドン。伯爵家の血筋だ」
「……はい?」
王家直属の騎士だったっていうのは聞いていたけど、爵位まであったなんて聞いてない。てっきり気に入られていたとかそういうのだと思っていたのに。
「ブランドン家は王家直属の騎士の家系で、彼は現ブランドン伯爵の弟に当たる」
嘘だ。ブランドン家は、侯爵家で見たリストの中では大貴族の中でもかなり上位にいたはず。力持ちだけどお調子者で、凄く強いのに虫がダメで、嫌いって言っただけで号泣するお父ちゃんが……そんなに偉い貴族なわけ……。
「賊の討伐中に行方不明になったまま、死亡扱いになっているが」
お父ちゃんだ。
つまり私は半分貴族の血が流れていて、もしお父ちゃんがお母ちゃんを王都に連れ帰っていた場合、貴族として育てられていたという事?
「やはり知らなかったか」
「由緒もへったくれもない村娘だとばかり思っていたので……」
そういえば、お父ちゃんは貴族は重い責任の代わりに贅沢をしているのだと言っていた。最も責任が重い王子の嫁なんてやめとけ、とも。
あれは、実際に自分が貴族で知っていたからってこと?
「貴族の……王族の生活は、嫌か?」
色々と思い返していたのを、オスカー様は勘違いしたらしい。
「えっと……」
「王妃になりたくなければ、逃げる道もある」
この目は、本気だ。私が嫌だといえば、どんな手を使ってでも逃がしてくれて、平民の生活を作ってくれるのだろう。
……でも。
「オスカー。私は、好きな人と結婚したかったの」
淡い眠りから醒めるたびに、今まで色々なことを無視していたのだと自覚した。労わられた言葉を思い出すたびに泣きたくなって、私の気配で起きたオスカー様に大丈夫だと抱きしめられる。腕の中でオスカー様の匂いを感じるたびに、罪悪感よりも多幸感が上回る。
「たとえ貴方が貧民に落ちたとしても、私はあなたの妻で居続けるでしょうね」
お父ちゃん、王子の嫁なんてならないでって言ってたけど、好きな人が王子だったんだから、しょうがないでしょ。何度婚約破棄されたって耐えてきたんだから、王妃にだってなれる。
「だから、そんな顔しないで」




