30. 狼煙
予想だけで終わらせるつもりはなく、実際に試したこともあった。
『アンナとあいつは、政略結婚だろう』
『はい、そうですが……』
『アンナ、僕は君のことが──だ』
『……今、何と?』
やはり、アンナには聞こえていないようだった。場所を変えてみたりした。応接間から始まり、庭、往来の多い侯爵邸の廊下でも。アンナだけではなく、誰も聞こえていないようだった。
『なんでもない』
ただ、僕はそう告げるしかない。
このクソみたいな物語が終わった時、アンナから強制力が消えたとしたら。全てを思い出すのだろうか。それとも、この世界自体が消えるのか。
どちらにせよ、この悪夢を、さっさと終わらせよう。
今だけは、形式に則ってやる。ウィリアムが有責な形で、婚約破棄させよう。また傷つくだろうが、アンナ自身のせいで傷つくよりはマシだ。世界が消えたとして、傷が残るのは僕だけだ。
『王女のことが好きなんだろう』
ウィリアムに好きな人ができるのは知っていたが、誰かは描かれていなかった。王女だったのは幸いだ。政界の勢力図は動かないし、下賜という形を取れる。
『ああ、そうだね』
ウィリアムはあっさりと認める。動揺の色は見えない。
『でも、関係のないことだ』
こいつは貴族らしい貴族だ。政略結婚を厭わない。そしてそれは、責めることではない。貴族の間では、結婚と恋愛は別なのだから。
『愛人にでもするつもりか?』
『いいや? ただこのまま、君がどうにかしてくれるまで慰め役でいるだけさ』
しかしさすがに、か。そもそも使用人に好かれている相手を選んだと聞いた。恋愛よりも、アンナを手放すデメリットの方が大きいのだろう。こいつは理性的で、自分よりも民が優先な男だ。僕はそこが気に入っている。
が、今回ばかりはアンナの幸せを優先させてもらう。
『お前は、誰の臣下だ』
『もちろん貴方のお父上ですよ、オスカー第一“王子”殿下』
僕はまだ国王ではない。結婚を拒み、王子のままでいる。こいつにも散々迷惑をかけてきた。だから、嫌味も甘んじて受け入れよう。
『ウィリアム、アンナとの婚約を破棄してくれ。どちらにせよ傷つくのなら、お前が悪いことになった方がマシだ』
『……最低だなぁ』
『アンナが理解してくれたら、全て話す』
思い出さないようなら僕が略奪したのだと。思い出してしまったのなら、ありのままに全てを。どれだけ罵られてもいい。どちらにせよ、守る。
ウィリアムは大きなため息をついて、席から立つ。僕の前で立膝をついた。
『御意』
こうして、アンナは婚約破棄された。城にやってきて、僕によって署名させられた。謎の強制力によって婚約状態なんかにさせるつもりはなく、他人に任せずさっさと出して帰ってきた。ラストは変わっていなかったことに安堵していたところで、アンナに胸ぐらを掴まれた。
そして、アンナを取り巻いていた操り糸のようなものが、切れて消えていく幻覚を見た。全ての糸が切れてたと同時に、アンナは倒れた。一応毒を疑ったが、やはり違うと言う。
眠り続けては起きるのを繰り返している間待つしかないのは、キツいところもあったが、起きる時間が伸びていること、表情が豊かになっていくところを見るに、強制力のない世界に順応しようとしているのだと結論づけた。
「結婚式は、まだいいのですか?」
「準備には時間がかかるからな」
もちろん進めるつもりはあるが、嘘だ。この物語は、結婚式で、民の噂話で終わる。
「ゆっくり休むといい」
強制力が、今切れてくれて、好都合だ。ここからが、反撃だ。
最初はさっさと終わらせて、元の世界に戻ろうとしていた。こんな最悪な世界が大嫌いだった。元に戻っても、おとぎ話なんて二度と読まないと誓っていた。
────だが今は、アンナを幸せにするまで、帰るつもりはない。何があろうと、アンナを看取ってからだ。
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