28. アンナ
『私の身の上話を、聞いてくださいませんか?』
作中では村娘としか描かれず、しかし耐え忍ぶ姿はリアルに描かれていた娘。
初めて、名前がアンナだと知った。淡い茶色の髪と赤い目の、二十二の女の子だった。
物語の人間味のない女ではなく、生きてきた人間だった。
『このように、私はただの村娘なのです。あなた様や侯爵を害する理由がありません』
しかし、それにしても都合が良すぎた。幼馴染を殴っているように、本来気が強いはずだ。なのに、目の前の彼女からは怒りが感じられなかった。
『その幼馴染は救いようがない』
『……会ったこともないのに、断定なさるのですか?』
逆に、怒りの混じった声だった。今までの話通りなら、幼馴染に惚れてないはずだ。庇う意味がわからない。
『彼は村の稼ぎ頭でした。私の感情だけで動いて、何になるでしょう』
泣き寝入りする性格に見えない。だが、彼女が言わんとすることはわかる。自分の感情よりも村が優先ということだ。そしてこの怒りは、環境を優先しなくていい僕への怒りだ。
『置かれた環境で必死に生きてきた。ただそれだけのことです』
物語の強制力によって動かされているのか、元からそういう人間なのか、まだ判断が付かなかった。序盤の話しか聞いていないし、また来る必要がある。
『そこまで気にいるとは思わなかったよ』
『気に入ってはいない』
帰り際、ウィリアムに絡まれた。呑気なものだ。自分が物語に巻き込まれているとは知らないのだから。
次に聞いたのは商人の話だった。また酷い扱いだった。何より、アンナに不信感が湧いた。
『……何も求めずに言われるがままになって、よかったのか?』
『はい?』
『君は、利用されるだけされた。慰謝料もだが、何か対価を貰うべきだろう』
なぜそんな都合よく動くのか。やはり主人公として動かされているのか。
間の読みが正しければ、身分が低い者は欲が浅いということなのだろうが、理解できるかといえば別問題だ。だが、これ以上聞いてしまえば、確実に関係性が悪くなる。
一番わからないところは、彼女は最終的に僕と結ばれるはずなのに、それほどにまでは好感度が高くないところだ。そして僕も、彼女に惹かれてはいない。
『……憎くはないのか?』
『もちろん、思ったこともあります。でも、他人を恨んで自分が幸せになることなどないでしょう』
過去よりも、未来を見る。実に主人公らしい。
『高潔だな』
『現実主義なだけです』
だが、臣下として欲しい人材ではあった。強制力が働くのかはわからない。人間か主人公かはまだわからない。だが、彼女には結婚よりも仕事の方が似合うと思った。
まだウィリアムに破棄されていない以上、騎士の話が最後だった。
随分と酷い話だろう。彼女は婚約者として献身的に接してきたのに、自分の価値観で正当化している。
『……どうして、穏やかな顔ができる。許せないくらいの扱いだろう』
『身分が身分ですから、許すも何もなかった……という話が、聞きたいわけではないようですね』
『好きな人と結婚したかったから、ですかね』
主人公ではなく、アンナなのだと、この時に思った。
一番しっくりくる理由だった。これだけ傷つけられても、酷い扱いをされても、望みが消えないことにどこか安心していたから、耐えてきたのだ。
『愛する人との生活が幸せなものだと、私は知っています』
強制力が働いている部分は、確かにある。だが、アンナでなければ、この物語は成立しなかった。
この醜い世界で唯一、美しい人だと思った。
好きな人と結婚したい。愛する人と幸せに暮らしたい。この世界では叶いづらい願いだが、誰もが思うこと。
そして今、僕も思ったこと。彼女が僕を想ってくれなければ、叶わないこと。




