26. ある男の独白
童話。民話や神話、伝説をわかりやすい物語にした、寓意性のある話。
多くは親が子に話す教訓じみたものであり、世界各地で似たような話が見受けられる。倫理観や価値観、善悪の判断について教える短い話は、現実に似ていて、しかし空想の世界には、不完全な部分が多く存在する。
現代において様々な規制が入ってはいるが、いわゆる民俗学に近い部分があり、大人でも楽しめる。
「この世界は、不完全だ」
……かつては僕も、その楽しんでいる大人の一人だった。
普通のサラリーマンだった。そこそこな大学に入り、そこそこに就職活動に励み、そこそこな企業に就職した。仕事もそれなりだったが、大学時代から付き合っていた彼女と別れたばかりで、休日が暇だった。SNSを見る限り、友人は皆、仕事や家庭で忙しいようだった。昔は展覧会やイベントに行っていったが、働き始めてからは情報が入りづらくなっていた。今までずっと、付き合おうと言われたら付き合ってきただけで、恋愛に積極的になれるとは思わなかった。
何もすることがなくてスマホをいじっていると、一件のリマインドが入っていた。
『ああ、そうだ。本を返しに行かなければ』
通勤中に読んでいる専門書は、区の図書館から借りていた。普段は買い物ついでにネットで予約したのを取りに行くだけで、駅に設置してあった返却ポストに返していたが、うっかり返却し忘れていた。
久々に図書館の中を歩くと、特定のジャンル以外の本を読まなくなっていたことに気づかされる。せっかく暇なのだからと、試しに文庫を手に取った。民族・風習の棚にあったものだ。おとぎ話というのは、案外面白い。とはいえ借りるつもりもなく、その場でパラパラとめくった。
『なんだ、これ』
酷い内容だった。日本の昔話と西洋がごちゃ混ぜになっている。妙にリアルで、それなのに不完全さはおとぎ話のまま。一話の時点で読むのをやめた。文庫でこんなことを思ったのは初めてで、戻す前に背表紙の出版社名を見ようとする。見ようとした、はずだった。
『は?』
瞬きの間に、目の前の景色が変わっていた。メイドらしき人が、僕を抱き上げる。あまりのことに声を失うが、まずは状況を理解しなければと、どうにか正気を取り戻した。子供の時の視線に新鮮さを感じながらも、よく観察した。
十七世紀から十九世紀までのフランスやイギリスの文明レベルがごちゃ混ぜで、ところどころ妙に現代的なところもある。しかし、アンティーク好きの部屋にも見えない。ここで、過去に飛ばされたという可能性を捨てる。
『オスカー第四王子殿下は、大人しくあられますね』
『そうね。王妃殿下に似たのかしら』
メイドとの会話からわかったのは、目の前にいる人が乳母であること。隣にいるのが乳兄弟であること。
そして、僕が王太子殿下であること。
ここで、本の世界に入ってしまったという最悪な想定をしてしまった。一話しか読んでいないが、確か西洋世界観でわらしべ長者の女性版だったはずだ。婚約破棄をされ続け、最後は王子と結ばれる。耐え忍んだ者が最後に大成するというわかりやすい話。
まだ判断材料が足りない。だが、もし予想があっていたのなら、僕や僕の家族の立ち位置は、主人公のご褒美枠なわけだ。最近広告でよく見るザマァではないようで少し安心する。ようやく脱力する。
『あら、お疲れかしら』
まず大人の精神で子供の生活をするのが辛かったが、それ以上のことがあった。
僕は油断していた。どこかまだ現実味がなかったのだと思う。おとぎ話の世界観で、人が本当に生きているというのは、非常にタチが悪かった。
初めて飲んだ毒は、かなりキツかった。神童と呼ばれるようになった年には、僕は第一王子殿下になり、兄弟は誰もいなくなっていた。友人は友人でなく、唯一信じられるのは妙にませた乳兄弟のみだった。
『何を憂いているのかな?』
『……さあな』
『殿下は、はぐらかすのが下手だよねぇ』
王子の立場を利用して、色々と試した。
世界の残酷さと強制力は、凄まじかった。




