18. 王子殿下は仰いました
「ええと、なぜこちらに?」
「悪いか?」
「いえ、そのようなことはないのですが」
もしかして、わざわざ探しに来たってこと? 王子殿下が? こんなところまで?
しょっちゅう侯爵家に来るのは何故なのだろうとは思っていた。もしかしてこれって、人間不信な分だけ心を許した相手には距離が近いとかではないだろうか。そうだとしたら、不味い。
「何かご用ですか?」
「用がなければ話しかけてはいけないと?」
「滅相もございません。少々お待ちください」
ああ、これは、うん。
今すぐ侯爵を問い詰めたくとも、今日も出かけている。領内の権力者との狩りだと言っていた。私が相手をするしかない。
「紅茶は何にしますか?」
「……アンナが好きなものを」
「へ?」
急に名前を呼ばれて、驚いた。王子殿下が小さく首を傾げる。無意識なのだろうか。
「どうかしたのか?」
「いえ、メイドに指示を出してから行きますので、先に応接間にお戻りください」
「別にそれくらいは待つ」
王子殿下が腕を組んでドア枠にもたれかかる図は非常に絵になる。メイドだけでなく料理長までもがキュンとしていた。……料理長、あなた子供が成人しているほどいい年のおじさんですよね??
「んん!」
いや、私こそ職務を果たそう。混乱していてはいけない。茶器を運ぶための台を持ってきたメイドに、どのカップを使うのか、お茶菓子はどれにするのかの指示を出す。紅茶缶が入っている棚の背が高いのが、最近の困り事だ。
「それで、あの紅茶で……」
「これか?」
背後に立たれて、ものすごく驚く。王子殿下が紅茶の缶を取ってくれた。慌てふためきながらもそれを受け取って、メイドに渡すけれど、メイドも固まっている。
「……なんだ?」
「村育ちなものでして、背後には警戒しがちなのです」
「そうか。警戒心が高いのはいいことだな」
嘘です。ただ、人間不信な王子殿下が背後にいたから驚いただけです。距離感がおかしいです。
どうにか応接間に移動して、紅茶をお出しする。いつも一口も飲まないのだけれども。
「ありがたくいただく」
「え?」
飲んだ? 殿下が、紅茶を?
「お嫌いなのでは?」
「知らない人間が入れた紅茶には大抵毒が入っているからな。前に飲んだ時は一ヶ月ほど生死を彷徨った」
世間話のような軽さで話しているけれど、王族怖い。どうにか話題を変えなくては。
「お、王子殿下は、婚約者候補の方などいらっしゃらないのですか?」
人間不信で有名だけれど、王子殿下が婚約者候補もないなんてあり得ない。もしそんなお方がいるのなら、この距離感は咎められる可能性がある。
「候補同士で争って事件になったから、全員候補から外した」
「事件……」
「嫉妬に狂った奴が刺したりな」
ローズヒップティーが血の色に見えてきた。飲む気が失せる。
「アンナこそ、あいつから聞いたが、契約ではしばらく婚約者のままらしいじゃないか」
ええ、あなたが結婚しないせいで。なんて口が裂けてもいえない。
「そうですね。しかし、王子殿下にお妃様候補がいないのは、弱みになるのではないでしょうか?」
「なんともない。僕以外に王位を継ぐものはいないからな。……知らなかったのか?」
新聞はよく読むし、淑女教育も受けた。今は侯爵邸の書庫の本を読み漁っているけれど、そういえばどこにも載ってないし、聞いたことがない。
「残っていた兄弟や遠縁の者もいたが、俺が生死を彷徨っている間に全員いなくなっていた」
泥沼すぎる。これは話題に出さないようにしているだけだ。
「結果として、王位に興味のなかった僕がなった」
唯一の血筋だから、結婚しなくとも継承権第一位のままだし、いまだに暗殺計画も続いていると……。
「それは……人間不信にもなりますね」
「君が言うか」
綺麗な青色の目を丸くされても。確かに他人に振り回されてはいますが、私は人間不信ではないです。
「ああ、そうだ。僕のことは名前で呼ぶといい」
ふと思いついたようにそう仰る。いや、名前で呼ぶといいって……。
王子殿下のことが、わからない。




