16. 社交界は大変でした
「チッ」
王子殿下は……普通に人の前で舌打ちをした。こちらをジロジロと見て、凄く警戒してきた。これは慣れるも何もない。とにかく私は怪しいものではないのだと、害はないのだと証明しなければならない。だから私は申し出た。
「私の身の上話を、聞いてくださいませんか?」
ただ警戒心を解くだけのつもりが、妙に食いつかれて、まるで童話かのように、王子殿下に今までの婚約破棄遍歴を語らされた。
そして同時並行で舞踏会にも出席していた。まずは婚約者ということをお披露目せず、養子となった家の令嬢として。だったけど、今までパートナーを連れてきたことなどない侯爵が連れてきたとなれば、言われなくともわかることで。
「お手を」
「はい」
呪ってやるとばかりの視線、何なら殺気のようなものまで浴びた。これは不味い気がする。
侯爵の完璧なエスコートを受けて美しく踊りながら、小声で尋ねた。
「……あの、この視線は無視してもよろしいのですか?」
「君の判断に任せよう」
無視してもいいし、対処したいならどうぞ。どちらにせよ都合が悪かったら手を回すから、ということだ。本当になんていうか、いい性格をしてらっしゃる。
踊り終えて、挨拶の場になれば、それはもうたくさんの家の当主と令嬢がやってきた。貴族のリストの一覧は覚えているし、踊っている最中に聞いて顔の照らし合わせはしておいたけど、活用する暇もないほどだった。
「この度ノース家の養子となりました。アンナ・ノースと申します」
ノースという家名を聞いて、彼らはすぐに侯爵家の末席だと気づく。社交界で見たことも聞いたこともない上に、養子。娘を侯爵に嫁がせたいと考えていた当主たちは根掘り葉掘り聞きたいという欲を見せるが、その雰囲気を感じ取られて手玉に取られ、ただ食い物にされて去る羽目になっていた。えげつない。
対して令嬢たちは、顔が怖かった。扇子で顔の半分を隠していても、眉間の皺でわかる。
「今度、我が家のサロンにいらしてくださいな」
と、リスト通りなら社交界トップのご令嬢に、額に青筋を立ててそう言われた時には、ギッタギタにしてやるからなという副音声まで聞こえたものだった。
「では、良い夜を」
適当なところで去って馬車に乗り、扉を閉めた時。それはもう情けない声が出たものだった。
「うわあぁぁぁ……うぅぅえぇぇ」
「ご苦労様。明後日は何も予定を入れていないから、村にでも帰るといいよ」
「そうさせていただきます……」
自分に非がない状態で加害性のある視線やら言動を受けるって、とてつもなく疲れる。私が何か粗相をしてしまったならまだいい。でも、ただ侯爵の婚約者であるだけで、それを受けなければならなかった。受け止める場所がないのに、受けないということもできない。
もう何もしたくないくらいに、疲れた。
「サロンには行くのかい?」
「誘いの手紙がくるでしょう……」
「私が握り潰すこともできるよ」
「いえ、早めに摘んでおきます」
握りつぶしてもらったところで、後回しにしているだけ。悪化する可能性もあるし、大変でもどうにかするしかない。
「貴族って、大変なのですね」
「おや、君は普通の平民よりもわかっていると思っていたのだが」
「わかっているつもりでしたが、想像以上でした」
貧困に苦しむ我々平民からすれば、お貴族様は憧れだ。幼い女の子は王妃様に憧れ、男の子は騎士になって武功を立てて一代貴族になることに憧れる。飢えに苦しまず、煌びやかな世界で優雅に生きている彼らの生活は、喉から手が出るほど欲しいもの。
でも私は、お父ちゃんから聞いたことがあった。ある夜、寝る前に語ってくれたおとぎ話は、平民の少女が王子様に惚れられて結婚する話だった。
『……めでたしめでたし』
『お父ちゃん、アンナも王子様と結婚したい!』
『っぐは。……アンナ、よく聞いて欲しい。そもそも貴族ってのは重い責任の代わりに贅沢してるんだ。だから最も重い王子の嫁になんてならないで、いやお嫁になんていかないでお父ちゃんとずっと一緒にいよう!』
『ちょっとあなた、何馬鹿なこと言ってるの』
あの頃の私は小さくてよくわかってなかったけど、お父ちゃんが死んで、家を支えなくちゃいけなくなった時、ふと思い出して理解したのだった。
*
「いやぁ、そもそも、君と会ってくれるかすらわからなかったからね」
侯爵はニコリと笑って逃げた。今までで一番いい生活をしているけれど、一番めんどくさい相手だ。
「まったく」
夕食まで時間があるし、今日の授業はもうない。自室に戻って、天蓋付きベッドに横になった。思い出すだけで疲れる人生だ。
「まさか、本当に王子殿下と関わるほどの身分になってしまうなんて」
……そういえば、今までのことを語り終えてしまったけど、次に突然きた時は何を話せばいいのだろう。




