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異界の古代魔道士  作者: 焔場秀
第二章 東国動乱
69/73

第六十四話 決別の先の...

 桐也が王城の中庭で巨漢の傭兵と対峙していた頃。

 その隣に設けられた庭園では、二人の騎士と魔道士が異質な戦いを繰り広げていた。


『ファイアフォース』

 飛翔体は六つ。

 不規則な軌道を描きながら飛来する炎の玉を全て受け流し、次いで飛んできた巨大な岩石を前方に跳躍して回避する。

「ふっ……!」

 狙うは“魔道具”発動後の僅かな隙だ。

 魔剣を水平に構えたロベリアは、庭園の端で杖を掲げるローブの男に一瞬にして詰め寄った。

「これで終わりだ!」

「そうはいきません」

 横一文字に閃く黒の長剣。しかし、その手に肉を断つ確かな手ごたえを感じない。

 切り裂いたのはローブの男の残像。しかも余計に性質たちの悪い、反撃効果付きの物理威力系魔道具を使われていた。

 ローブの残像が消え、代わりに十数本の槍がロベリア目掛けて突き出される。

「ちっ……!」

 間一髪。槍が頭を貫く寸前に地面に伏せてかわし、後から突き出された槍を剣で受け流して後方に飛び退った。

 さらなる追撃を警戒し、剣を構え直していつでも動ける体勢を取る。

「おかしいですね。今のは回避不能の貫通確定魔道具だったのに……それを避けるなんて反則ですよ」

 ロベリアの一撃を避けた男が、木の陰からロベリアの視界に現れた。

 全身黒尽くめの、魔道士の男。顔はフードに覆われて見えないが、ロベリアはその人物をよく知っている。

「それはこっちの台詞だ、アインハルト。魔道具発動後の反動の隙を突いて攻撃したのに、よくも悠々とかわしてくれたではないか。あの状況でまだ挽回する余裕があるとは思わなかった。さすが、お父上お抱えの宮廷魔道士だったことだけはある。不本意だが褒めて遣わそう」

「賜りましょう。しかしながら、殿下に褒められてもまったく嬉しくございませんな」

「ふん、偏屈魔道士めが。せいぜいその言葉が、人生最後の嫌味とならぬよう気を付けることだな」

 そう言って不敵な笑みを零すロベリアだったが、彼女の表情には焦りの色が見え隠れしていた。

 とはいえこの皇女、アインハルトに苦戦を強いられて焦っているわけではない。むしろこの男に足止めされた影響というべきか、一人先に行ってしまったキリヤ王子の安否が心配でならなかったためである。

(この男は帝国の裏切り者だ。許すわけにもいかぬし、ここで倒せるのならそれに越したことは無い。しかし――)

 ロベリアは横目で、庭園と中庭を繋げるトンネルの入口を一瞥した。


 慌てた様子のキリヤが、ロベリアを残してあの通路を潜ったのが少し前のこと。ロベリア自身すぐさま彼を追いかけようとしたのだが、キリヤがトンネルに入ったと同時に特殊な魔術障壁を張られて足止めを余儀なくされたのだ。

 施した人物に関してはもはや言うまでも無い。今現在ロベリアと対峙しているこのアインハルトという魔道士による仕業だ。

 あそこを突破するためには、まずこの男を排除するしかないだろう。だが、あまり戦闘を長引かせればキリヤの身が危険に晒されてしまう可能性も高くなってしまう。それだけはなんとしても避けたいというのがロベリアの本心だった。

(塞がれている通路はあのトンネルだけ……。わざわざここで奴を長期戦に持ち込まずとも、撤退して城を迂回し、キリヤと合流できる別の道を探す手もありだ)

 ただ、それはそれで新たな危険も出てくる。

 キリヤは城内で単独行動中であり、いわば敵にとって格好の獲物だ。仮にここで身を引いたとして、アインハルトが必ずしもロベリアを追撃するとは限らない。彼女を見限り、すぐさまキリヤに狙いを変えたらどうする。キリヤがますます危険に晒されるだけだ。

 どちらの行動も、キリヤの危険が迫るという点については危ない賭けだ。しかしこうして考えている時間も、一刻を争う事態であることを思えば無駄な時間の消費でしかない。

 ロベリアは深呼吸して逸る気持ちを落ち着かせた。

(考えても埒が明かぬのならば、取るべき行動はただ一つ)

 ロベリアは地面を蹴り、一瞬にしてアインハルトに肉迫した。

 迎え撃つ暇さえ許さぬ瞬速の間合い詰めであったずだが、やはりこの時も、アインハルトは魔道士らしからぬ動きでこれを回避する。

 しかしロベリアの押しも無駄ではない。上段からの縦一文字斬り、そこから流れるような動きで刺突攻撃、返しの手で放つ袈裟斬り。反撃の隙を与えぬ連続攻撃によって相手を防戦一方に追い込む。

(――片付けるべき問題は目前の敵。まずは速攻でこの魔道士を倒す!)

 剣を振り続けること十数撃目。回避に徹するアインハルトが、ついに反撃に打って出た。

 ローブの裾から懐に手を入れ、中から手持ちサイズの小箱を取り出す。あらかじめロベリアを誘い込む算段でもつけていたのだろう、庭園の……中でも特に木立が密集する場所に入り、植えられた一本の木を盾にしてロベリアの一撃を防いだ。

 とはいえ高速で斬撃を繰り出すロベリアの前では、植物の障害物など切れやすい紙にも等しい。時間稼ぎにもならないほんの短い遅延。常人には瞬きにも同じ隙であり、しかしアインハルトはこれを最大の好機として利用する。

『フラッシュエレメンツ』

 魔道具の小箱をロベリアに向かって投げつけ、彼女が丁度振り下ろした剣の刃に打ち当てる。小箱は一瞬して粉々に砕け散り、中から眩い閃光を放つ球体が飛び出した。

「ぐっ……!」

 あまりの眩しさにロベリアは反射的に目を閉じて片手で顔を覆う。

 形勢逆転の瞬間だった。少なくとも、アインハルトはそう直感していた。  

(これでとどめです……)

 隠し持っていた杖を取り出し、顔の前で構えて発動の合言葉を唱える。

 杖の頂点部分に填められた赤い魔石が鈍く光り、次の瞬間巨大な炎の柱がロベリアを巻き込んで地面から噴出した。

 狭い庭園に火柱が上がり、そのあまりの熱気に火元を逃れた植物でさえ自然発火を起こして燃え上がる。

 『ヘルバーン』と呼ばれる、地獄の業火を模した火炎系魔術だ。巻き込まれればまず身体は肉片一つ残らない。たとえ巻き込まれずとも、金属を溶かす程の熱気が周囲の空気を燃やし、範囲内にいる物質を焼き尽くしてしまう。人間が生き残れる可能性はゼロだ。 

 この魔術の影響を受けないのは行使者であるアインハルトのみ。もはや風流な雰囲気を醸していたかつての庭園の姿は見受けられず、炎の地獄と化した燃え盛る庭園にローブの魔道士が一人佇むだけ。

 ロベリアの遺体は見当たらない。恐らく炎に焼かれ完全に燃え尽きたのだろう。アインハルトはそう思い、同時に自分の勝利も確信して、立ち去るべく火の海に背を向ける。

 ――それが、致命的な判断だとも知らずに。

「……ッ!!」

 彼の身に感じたのは僅かばかりの殺気。

 戦闘後の戦意の高揚で気が高まっていなければ、あるいは見逃していたかもしれない、そんな小さな気配の接近。

 気付いた時にはもう遅い。アインハルトが体勢を整える寸前に、その僅かな殺気は確かな殺意をもって彼の身体を貫いた。

「ぐっ……む……!?」

「……油断大敵。お前は少々、自分の力を過信している節があるようだな」

 アインハルトの視界の下方で、黒身の刃が炎に照らされ黒光りする。

 聞き覚えのあるこの声は、間違いなく今し方消し去ったはずの皇女のもの。

「一体……どうやって……」

 ――どうやって、あの魔術を回避した?

 心臓を貫く魔剣の刃を見下ろしながら、アインハルトは背後に取り付いた銀髪の女に苦しまぎれの問いを投げかける。

 対して皇女は自慢げになることもなく、ただこう返答した。

「私の身体に“魔人”の血が流れていることを忘れたのか?」

 しばしの無言。ローブに覆われたアインハルトの両肩が小刻みに上下する。       

「そうか……ククク……嗚呼、そうでしたね。……貴女は半魔人種ハーフサタンだ。人間ではなく、ましてや魔人でもない……決して相容れぬ両種を肉親に持つ、グルセイル帝室の忌み子。その人外の身体は……冥府の業焔ほのおさえ、懐柔するというのですか……」

「…………」

「ククク……面白い。素晴らしい……わざわざ身体を張った甲斐があったというもの、良い情報を得られましたよ。……巨人監獄タルタロスの最終形態を見られないのは残念ですが、命には代えられませんからねぇ……」

 その言葉を合図にするかのように、突然、アインハルトの身体が風船のように収縮を始めた。    

 またトラップ系の魔術の類か。異変に気付いたロベリアが魔剣を引き抜いてアインハルトから距離を取る。刺し傷から血は流れ出ず、かわりに紫色の煙がもくもくと溢れ出た。

「な、なんだこれは……!?」

「私の肉体を構築していた魔力源、とでも言っておきましょうか。ああ、心配せずとも毒瓦斯ガスではありませんよ。この煙を吸ったからといて死ぬわけではない。まあもっとも、私を殺すという貴女本来の目的は達成できそうにありませんが……」

 ロベリアの目の前で、アインハルトの身体は空気が抜けたように段々と萎んでいく。

 肉体を構築していた魔力源? 一体何のことだ。今まで戦っていた魔道士は最初から偽物だったのか。しかし、心臓を刺し貫いた時の感触は確かに人間のもので……。

 ロベリアは今見ている光景がにわかに信じがたかった。

 唖然とした。そして同時に、裏切り者を討つ絶好の機会を逃してしまったことに、悔しさと怒りが湧き起こってくる。

「おのれアインハルト! 貴様逃げる気か!」

「他にどんな行動があるというのです? 私は貴女との戦いに負けた。されど、ここで大人しく殿下に命を差し上げるつもりもない。ならば取るべき手段は一つでしょう」

「減らず口を…! それでもグルセイルに仕えた魔道士か! 潔く私に討たれろ!」  

 剣先をアインハルトに向けるロベリアは、まだ戦う気力を持て余している様子だった。戦意満々の戦皇女の姿に、帝国の元宮廷魔道士は呆れのため息を零す。

「やれやれ……貴女という人は本当に、面倒を通り越してある意味尊敬致しますよ。そもそも、私に構っている暇が、貴女にはあるんですか?」

 その言葉が答えであったかのように、ロベリアの表情に変化が訪れる。

 その脳裏に思うのは、同行者であるキリヤ王子の安否か。行き先を塞ぐ邪魔者が消えた今、中庭に続くトンネルの道は再び開かれている。彼女がキリヤの身の安全を最優先するというのなら、こんなところで倒せるかどうかも定かではない魔道士の相手をしている場合ではないはずだろう。

「キリヤ王子……彼は確か、前ガレス王の隠し子でしたね。数少ないヴァレンシア王家の血族が、貴女の保護下を離れたが故に取り返しのつかない大怪我でも負ったらどうなるでしょうか。ましてや死なせてしまったとあっては、その責任は護衛者であるロベリア様……引いては帝国の責任に繋がります。国際問題になれば戦争も已む無し。対ヴァレンシア戦を掲げる一部の過激派は大喜びでしょうが……果たして、貴女のお父上はそれを良しとするかどうか」

「っ……くそッ!」

 効果は絶大だった。

 いや、アインハルトの政的脅迫が通用したかどうかはわからない。しかしそれでも、ロベリアがキリヤという人間に対して何らかの価値観を抱いていることはアインハルトも察していたのである。     

 キリヤの話題を口に出した途端、ロベリアは血相を変えて踵を返した。

 彼女の行く先はもちろんトンネルの奥だ。目にも留まらぬ速度で走りぬけ、瞬く間にアインハルトの視界から消えて居なくなる。

「フ……魔人の力を有する者とて、精神は年相応。私情に駆られ動くところはまだまだ未熟であるか」

 誰もいなくなった燃え盛る庭園で、煙と化す己の仮の肉体を眺めながら、アインハルトは怪しい笑みを浮かべる。

「その甘さが吉と成るか凶と出るか、私は密かに見守るとしましょう。もっとも、この廃都を無事生き延びることができればの話ですが……ククク……」

 不気味な笑い声を最後に、アインハルトの身体はローブだけを残して完全に消失した。

 死んだわけではない。彼の本体は、今もこの世界のどこかで生きていることだろう。

 この男が再びロベリアの前に姿を現すのは、これからまたしばらく後の話である。


               ==============  


 時間は少し遡る。

 キリヤとロベリアがアロンダイト王城への潜入に成功していた頃、その本城の“玉座の間”では、ガードナとヴィヴィアンが数日ぶりの再会を果たしていた。

 無論、それは決して感動を誘うものではない。いや、確かにヴィヴィアンの心を動かしたという意味ではあるいは感動の類でもあるのだろうが、二人がそれを喜ばしいと感じているとするなら、大間違いも甚だしい。

「ヴィヴィアン。よくぞ戻ったな」

 広間の最奥。王の椅子に座るガードナが部下の名前を呼ぶ。

 かつてのランスロット王アロンが座して以来、腰掛の役目を失っていた玉座だ。その荘厳たる椅子にかつての上司が堂々と腰を下ろしている……その意味がわからないヴィヴィアンではない。

「閣下……」  

 別れてたったの三日程度。ヴィヴィアンにとって長いようで短かったその激動の合間に、ガードナの姿は一変していた。その芝居がかった言葉を聞かなければ、本当に本人かどうかの判別すらつかないほどに。

 あまりにかけ離れた風貌に驚き、それゆえ次にかける言葉も思いつかず、ヴィヴィアンは口を閉ざして黙ってしまう。  

 何か、話さなければならない。むしろ話すべきことは山ほどある。彼に全てを聞いてもらわなければ……彼女は自分の責務にけじめをつけることができない。

 沈黙に包まれる王の広間。その静けさを最初に打ち破ったのはヴィヴィアンでもなければガードナでもなかった。

「ふむ……例の侵入者が罠にかかったようです。この場はお邪魔なようなので、私はそちらの対処に向かうとしましょう」

 柱の影に隠れていたのだろうか。突如ガードナの脇に魔道士の格好をした人物が出現し、不意を突かれたヴィヴィアンが動揺する。

 気付けなかった。恐らくずっとそこにいたのだろう。魔道士はガードナに耳元で何事か囁くと、聞き手の確認を待たず消えるように姿を消した。

 その影のような人物こそ、グルセイル帝国皇帝の右腕と名高いアインハルト宮廷魔道士であるなんて、詳細を聞き及んでいないヴィヴィアンが知る由も無い。とはいえガードナとの一対一の対話を望むヴィヴィアンにとっても、正体の知れない部外者には一刻も早く退去してほしいと思っていた。アインハルトの気配が消えるのを、ヴィヴィアンはただひたすら黙って見守る。

 ようやく二人だけの空間となった広間。またしても重々しい沈黙が流れたが、今度こそはガードナの方からそれを破った。

「街を襲わせた最初のゴーレムには、捕捉した人間を問答無用に攻撃しろと魔術呪縛を掛けていた。原動力となる“魔力玉”を装着したその瞬間から効果が発動する仕組みだったのだが……見たところそれを遂行した君自身は生きているようだ。一体どうやってあの兵器の攻撃を逃れたのか、私に教えてくれないか?」

 その質問はあくまで確認だった。

 ヴィヴィアンが生きていたことを残念に思う様子もなく、だからといって生存していることに機嫌を悪くしているわけでもない。

 彼にとってヴィヴィアンの帰還は限りなく不可能に近いものであり、それを無事達成させた彼女のこれまでのいきさつを、知ろうとする単なる興味本位でしかなかったのである。

「…………」

 わかっていたとはいえ、こうも正面きってそんな冷めた態度を見せられると、さすがに胸に響くものがある。

 腐っても上司と部下の間柄なのだ。せめて動揺して欲しいと思うのが、ヴィヴィアンの本音であった。

「……思わぬ助けがありました……その“方たち”に救われて、今の私があります」

「方たち? というと……あの暗殺者アサシンだけではないのか。ふむ……その者は君の知り合いかな?」

「……言えません」

 彼の身の安全のために名乗ることはできない。まだこの街に残っている可能性もある。いや、たとえ街を出ていたとしても、今のガードナなら気の赴くままに彼の身に危害を加えるかもしれない。

 ヴィヴィアンが返答を拒むと、ガードナは苦笑を浮かべて目を伏せた。

 その反応にどんな意図があるのか。一片たりとも気を抜けないヴィヴィアンは、全身を強張らせて玉座の男を凝視する。

 少しの間を経て、彼は口を開いた。

「なるほど……君はその者を命の恩人として信用したようだな。そして、しばらく共に行動していた」

 まるで実際に見聞きして話をしているかのような、ガードナの台詞にヴィヴィアンは戦慄する。

「一体何を仰って――」

「私がただ何も察せぬまま、王様気分でずっと椅子に座っていたとでも思ったのか? ここから城下の様子を探ることなど、今の私には赤子の手を捻るのにも等しいよ」

 ガードナの声色は随分と落ち着いている。誇張とは思えぬその口調から、嘘を吐いているようには思えない。

「より詳しく言うなら、君がゴーレムの難を逃れて再び街に入った時から。私は“君たち”のことをずっと監視していたのだよ」

「…………」

 これは、こちらの真意を聞き出すための誘導尋問か。ヴィヴィアンは悟られないためにも、ガードナの言葉を肯定するような発言を避けるしかなかった。

 あえて何も知らない風を装い、相手のペースに飲まれないようにする。

 だが次の彼の発言が、その行動全てが無意味であることをヴィヴィアンに思い知らしめた。

「マルシル・ランクス。道化を名乗るその少年は、ヴァレンシア所属の諜報魔道士で間違いないな。工作員としては優秀だが、情報の秘匿と隠密行動には致命的な欠陥がある模様。君らとの同行の際も、何度か正体を晒しそうになったことがあった」

「ど、どうして……その事を……」

 もはや誤魔化す余裕すらない。

 ガードナは知っていた。ずっと監視していたと言っていた。それは一体、どんな手段で?

 動揺するヴィヴィアンの様子を面白がって、ガードナは低く笑い声を漏らす。

「ふふ……だから言ったではないか。今の私には全てが理解できるのだ。下界の人間の行動の全てが、まるで呼吸をするかのように私の中に入ってくるのだから」

「下界ですって? 失礼ながら閣下は……神にでもお成りになったつもりですか……!」

「“つもり”ではない。私は正真正銘『神』になったのだよ。この世の生命を超越する者としてな」

 身に纏うローブを払い、ガードナは座っていた玉座から立ち上がった。

 初めて動きを見せたガードナに対し、ヴィヴィアンも後退りして警戒を強める。彼女の利き手は自然と後ろ腰へ。そこのホルスターに収められた魔道拳銃をしっかり握る。   

 ガードナは言葉を続けた。  

「故に私は、その役目を遂行せねばならないのだ。『神』としての役目……世界の再創造を」

「再創造? 閣下、貴方は何を――」

 その時、彼が被っていたフードが取り払われて、隠れていた面の全貌が露わになった。

 魔道灯の明かりに照らされるガードナの顔を目の当たりにして、ヴィヴィアンは話すべき言葉を失う。


「“古代魔道士エンシェントウィザード”の伝説……それを知らぬお前ではないだろう、ヴィヴィアン」


 あれに立つ男は、本当にあのガードナか。声は似通えど、その顔立ちはあまりに本人とかけ離れていた。

 後ろに掻き上げられた髪は真っ白に染まり、野望に満ち溢れていた精悍な顔つきには生々しい刺青の紋様で埋め尽くされている。その姿から『生命力』という言葉を当てはめようものなら、それは彼の身体に立ち込める禍々しい魔力の瘴気とでも言うべきだろう。

 それは人間に許された姿ではなかった。彼はもはや人間ではなかったのだ。その規格外な容姿に、ヴィヴィアンは目が釘付けになってしまった。

 何より彼女が目を引いたのはガードナの左目……その目の色である。

「漆黒の……瞳……」

 闇夜の空のように、暗く深い色の瞳――

 この大陸に……いや、世界中を捜し回っても、生涯のうちにお目にかかれるかもどうかわからない、選ばれた者だけが有する色。

「まさか……そんな……有り得ない。あってはならない……」

 何かの見間違いかと思った。でなければガードナのトリックであろうと。

 悪い冗談だと、一蹴できればどれほど楽であったか。しかし、ヴィヴィアンは否定できなかった。この街を覆う見たこともない結界や、その中を蠢く無数のゴーレムたちの存在が、彼女の見る今の上司の姿を認めていた。

「まだ信じられぬか。ならばもう一度言おう……私は神の権現として生まれ変わり、神話の証言者としてこの世界を睥睨している。もはや国という力の障壁など恐れるに足らん……この古代魔道士エンシェントウィザードの能力が、私を大陸の覇者として導いてくれるだろう」


(古代魔道士? 閣下が……大陸の覇者?)

 あまりに大仰な内容だった。度が過ぎて現実味がない。

 乾いた唇を舐めて、ヴィヴィアンは震える声で言葉を紡ぐ。

「意味が……わかりません。閣下は閣下です。私の尊敬すべき諜報員で……この小国を裏で操るお方のはず……」

「そう……私は諜報員“だった”。帝国の鼠として他国を這いずり回り、時に命を賭して危険を冒す影の存在…。名誉も恩恵もない、歴史に名を刻めぬ憐れな存在だ」

 ガードナは過去の自分を吐き捨てた。それはつまり、諜報員としてのガードナを尊敬する、ヴィヴィアンの感情でさえ蔑ろにしたのだ。

「…………」

「私は馬鹿馬鹿しくなった。お国のために、出世の保証さえされないこの役職を淡々と続ける自分に嫌気が差したのさ。こんな不平等な世界の有り様は自分の未来はおろか、人類のためにもならない。ならばいっそ、世界の秩序そのものを破壊して作り直せばいいと。誰も不幸にならない、新しい世界を」

 ガードナはローブの懐に手を入れると、中から分厚い本を取り出した。

「そして奇跡が起こった。この街の地下墓地には、巨人戦争ギガントマキア以前に作られた“ストーンゴーレム”が保存魔術を施されたまま残っていたのを私は突き止めたのだ。何故そこにあったのか、どんな経緯で地下に保管されていたのか定かではない。私がこの本を国王の私室で発見し、地下のあの石像が古代兵器ゴーレムだと知ってからというもの、あの石像は私にとって唯一無二の女神だった」

 古代に書かれたというその古びた本には、魔道士の素養のない人間が『古代魔道士』になるための方法などが記されていたという。

 本が書かれた時代は、その内容や書籍の材質から推測して恐らく『巨人戦争ギガント・マキア』末期。記載によれば、人間側が巨人側のゴーレム軍団に為す術なく惨敗を繰り返していたらしく、本にはその戦況の様子が事細かに綴られていたようだ。

「この本を書いた人物こそ当時の古代魔道士なのだろう、と私は考えている。でなければただの人を賢者の使徒に生まれ変わらせようなど、我々の想像の域を超えている。恐らく人間側に味方して巨人族と戦っていた古代魔道士は、ゴーレムの圧倒的な強さに己の敗北を予感していたに違いない。勝ち目のない戦を勝利に導く手段として、この“使徒”は古代魔道士そのものを増産させる手段を思いついたのだと……」

 ヴィヴィアンの表情がみるみるうちに青ざめていく。

 ガードナはまるで報告書を読むかのようにぱらぱらと本を捲りながら、言葉を続けた。

「しかし……しかしだ。その方法はあまりにも多大な犠牲を強いるものだった。そもそも人と古代魔道士ではその体在魔力に大きな固体差があり過ぎる。魔道士が新たな魔術の習得に何年もの歳月を費やすのと同じく、内包する魔力を増大させる手段も一筋縄ではいかない難航なものばかりだ」

 地道な方法では一生修練を続けても完成には及ばない。ならば、それを簡略化させる発明的な“手段”が必要だ。

「結果、時の古代魔道士が導き出した方法が生贄転生の禁術であったということだ。多くの生命の命と引き換えに、その生気に溢れた魔力を被検体の中に取り込ませるんだよ。勿論その過程には精密な手順があるのだが、今更語るまでもないだろう」

 段々とピースが当てはまっていく。

 疑問だらけだった彼のこれまでの行動が、一つの大きな罪へと成り代ろうとしていた。

 多大な犠牲……そこから導き出される予測は――

「捕虜にしたヴァレンシア国民……彼らの存在は私にとって実に大きな進展となった。八千人という多くの命が失われたが、それもこの世界を創り変えるための些細な犠牲だ」

 八千人。ヴァレンシア国民。

 そのキーワードはヴィヴィアンも思い当たる節がある。そればかりか、それに関わった当事者の一人と言ってもいいほどに。

 十年前のことだ。ランスロット軍によるヴァレンシア侵攻戦の後、占領したヴァレンシア領に住んでいた住民を皆捕虜としてランスロットに連行したのである。

 その数は最大でおよそ八千人。軍事行動だけでかなりの出費を強いていただけに、八千人もの大人数を養う金が小国のランスロットに用意できるはずがない。ヴィヴィアンは軍大臣たちと捕虜の処遇について話し合い、結果ヴァレンシアに優位的な条件を要求することで、引き換えに捕虜を返送することで決まったのだが……。

 それを寸でのところで引き止めたのが当時副宰相のガードナであった。

 彼は捕虜の引渡しについて反対し、捕虜のヴァレンシア国民八千人を強制労働させたいと意見してきたのである。とはいえ、事実上ランスロットの為政者であったガードナの発言なので、それは意見というより決定権を有した命令に近い。

 察しのよい者なら、ここで何を企んでいるのか疑うようなものだろう。だがランスロットの権力者たちにとって、ガードナは国主のいなかった小国で唯一国を動かせる人物でもある。そこに置く信は一個の意見に左右される程度の低いものでもなく、この時は満席一致でガードナの望み通りに叶ったのだ。

 ――捕虜八千人を強制労働へ。会議でのその告知は当然ながら政府関係者たちを動揺させた。労働力が不足しているランスロットでさえ、そんなに多くの働き手を欲するほど困っていたわけではない。何より彼らを生かすための衣食住をどう解決するつもりか。他国から金銭の援助を受けているわけでもなく、ただでさえ戦争で経済が圧迫されている状態だというのに、これ以上余計な食い扶持を増やされてはたまったものではない。

 反対は多数に及んだ。しかしガードナはそれらを一蹴し、自分の意思を強行したのである。

 結果どうなったのか……ランスロット王国の財政に大きな変化はなかった。

 財政どころか、強制労働されているはずの捕虜の姿さえ街中に見当たらないではないか。

 当然である。何故なら捕虜たちは皆、最初から強制労働などされていないのだから。

 全ては今この時のため。ガードナは、捕らえたヴァレンシア住民八千人を“生贄”として利用したのだ。

「……殺したのですね、彼らを。貴方は私利私欲で八千人もの捕虜を密かに亡き者にした」

 ヴィヴィアンは壇上のガードナを睨んだ。

 この感情は怒りか恐怖か。それとも、長年共にして彼の陰謀を見抜けなかった自分への恨みであろうか。

 ガードナは薄ら笑いを浮かべてヴィヴィアンを見下ろす。

「それも今更だな。開き直るつもりはないが、ヴァレンシアと戦端を開いてからというもの両国の犠牲者は増える一方だったではないか。それを傍観して私についてきたのは他ならぬ君自身だ。賛同こそすれ、君に私の計画を批判する資格はないと思うがね」

「…………」

 ヴィヴィアンは押し黙った。

 そう。それだ……彼女にとって一番の弱みといっていいのが、ガードナを責める立場ではないということ。

 今までガードナの謀略に嵌り命を落とした人たちは数多く、そのほとんどをヴィヴィアンは傍観するだけで否定することはしなかった。

 彼女にとってそれが正しい判断だと思っていたからでもある。ガードナに信頼してもらいたい。ガードナに必要だと思われたい。そのためにはどうしたら良いか……決まってる、彼の言うとおりに自分の役目をこなすしかない。

(私には、自分の意思というものが欠落していた。あの時彼に拾われた瞬間から、私を生かした恩人のあの人のために全てを尽くそうと心に誓い、そして……その忠心に漬け込まれまんまと利用された)

 裏切られたと思った。今までの努力がふいになり、全て白紙に戻されたようなそんな絶望感を味わった。

 それでもあきらめなかったのは、執拗なぐらいの責任感と、ヴィヴィアンにさり気な助言をくれたあの“傷の男”のお陰だ。

 再びガードナと合間見えた理由も、それらが彼女を後押ししたからなのだと。

「確かに私は、閣下の……ガードナ様のご計画をこれまでずっと支持してきました」

 ヴィヴィアンは慎重に言葉を選びながら、その上で素直な気持ちのままを伝えるために口を開く。

「それもこれも、ガードナ様の役に立ちたいがために。ガードナ様にとって私が、必要な存在であると認識していただくために。だから……私は、私が自覚する如何なる罪悪にも非情に徹して、ガードナ様の配下として今まで生きてこられたのです」

「……そうだ。君はいつだって私の右腕として大いに役に立ってくれた。そしてその手腕は、今後も私の傍で振るわれるべきだろう」

 ガードナは伸ばした手をヴィヴィアンに差し出した。  

「惜しくも一度手放した臣下、再びこうして顔を合わせることができたのも偶然ではあるまい。さあ来るがいいヴィヴィアン。私と共に新しい世界を作ろう」

 差し出された手を、ヴィヴィアンはじっと見つめる。

 彼はあの小雨の朝に出会った時と同じ、穏やかな表情をしてヴィヴィアンを見下ろしていた。

 惨めな死を待つだけだった幼い時の彼女を救った、優しさに包まれたあの時の彼のままに。

 そしてその表情が、全て嘘偽りで塗り固められていたこともよく知っている。


 「行けません」

 こうべを上げ、ガードナの顔を見上げる。

 スラムの路地裏で放ったあの言葉を、十数年越しの決別を伴ってガードナに伝えられる。

「私は貴方と行きたくありません。これが、私の本心です」

 彼の眼差しは、穏和から冷徹へ。

 自分を拒むもの全てが敵であるかのような、そんな淡白な反応でヴィヴィアンを睨む。

「それが、お前の答えか?」

「……はい」

「愚かな。ここで私につかずして、お前はこれからどうするというのだ? 自らが犯した罪を自白し、のこのことその身柄をヴァレンシアに差し出すのか?」

「必要とあらば、その覚悟もあります」

 ヴィヴィアンは即答した。

 その迷いのない返答に、ガードナは眉根を顰める。

 ヴィヴィアンは続けた。

「私はガードナ様の部下である以前に、グルセイル帝国の諜報員です。その信念は今も変わりません」

 いつだったろうか。似たような台詞を別の人間に言ったことがあった。そのときは、単に自分を正当化するための強がりでしかなかったが、今なら確かなら意思として言える。

「ガードナ様が帝国を裏切るのであれば、部下である私が責任をもって貴方の思惑を止めるまで」

 手を伸ばすガードナに対して、ヴィヴィアンが差し出したのは協力を望む握手の手ではない。

 彼女の手に握られた黒い鉄器を見下ろし、ガードナは剣呑な表情を浮かべた。

「……何の真似だ?」

「帝国参謀省、現地派遣諜員情報将校、ガードナ01ゼロワン特務官。貴方を国家反逆罪の容疑で逮捕します。大人しく拘束されるというのであれば危害を加えません。しかし抵抗するのであれば――」

 ヴィヴィアンは鈍く光る鉄器の――魔道拳銃の銃口をガードナの眉間に合わせた。

 引き金に手を添える彼女の目に狂いはない。いま指を引けば、銃の弾倉に充填された魔力弾が発射され、ガードナの頭を吹き飛ばすことになる。

「――特別措置法に則り、貴方をこの場で射殺します」

   

 ピンと張り詰める空気がとにかく心地悪い。

 銃を構えて相手を威嚇しているこの状況が、それを口頭ではっきり伝えた自分が、とにかく無力で仕方がない。

 こんなことをしたところで大した脅しにもならないことはヴィヴィアンにもわかっている。彼は絶対に、こちらの要求に従わないだろう。

 一瞬の静寂……そして、広間にガードナの笑い声が響き渡った。

「ハハハハ……! これは傑作だ! お前が私を射殺するだと? ろくに銃さえ握ったことのないお前が……ククク……ハハハハ!!」

「わ、私は本気です…! 帝国の諜報員として、貴方を殺す覚悟があります!」

「またそれか。帝国帝国と……お前は何かに縛られていなければ生きて行けないのだな!」

 異変が起きたのはその直後だった。

「ぐっ……!」

 突然、身体が言う事を利かなくなったのだ。

 手が足が胴体が首が、身体の間接に至る身体の機能が完全に動かなくなってしまった。

(かなしばり……!?)

 ガードナの魔術の効果だと知った時にはもう遅い。指の一本にまで動かすことが叶わなくなったヴィヴィアンには、拳銃を発砲する威力さえ残されていなかった。

「十三年前……思えばあのとき、腹を空かせたお前を拾ってやったあの頃からそうであった。あの失墜の街の、そのふざけた法に縛られていたお前は自ら抗うのをやめ、冷たい地面に顔を押し付けられたまま商人の暴行を黙って受け止めていたのだ。自分から変えることをやめた無気力の少女……あの瞬間からお前は、誰かに支配されるだけの哀れな操り人形に堕ちてしまった」

 玉座を設える壇上を下りたガードナは、動けなくなったヴィヴィアンの方へ歩みを進める。

「いや、あるいはそれ以前から。お前は一人では何もできなかったのではないか。考えたことはあるか? あんな街さっさと抜け出し、隣街の孤児院に保護される可能性を。着物を売って食料を買うための金を作れるのなら、それを旅費に回して少しでも先に進む可能性を……お前は考えたのか」

 やがて目と鼻の先まで近づいたガードナは、険しい表情を浮かべるヴィヴィアンの顔を片手で掴んだ。

 闇より深い黒目に覗き込まれて、ヴィヴィアンは恐怖のあまりのどの奥で小さな悲鳴を上げる。

「全て法に従ったが故の不自由だろう。通行証を持ってないから街を出れなかったなどと、そんな理屈をまだ少女だったお前の口から聞いた時は耳を疑ったぞ。法を守るためなら死んでも良いというのか? ふざけるな。ならば飢えを凌ぐために、お前が犯した窃盗はなんだというのか!」

「……ッ!」

「私は感心していた。夢も希望もないあの死んだような街で、法を破ってまで必死に生きる糧を得ようとしたお前の意思と行動を。……だからこそ私は、地獄の底からお前を救い出したのだ。お前ならあるいは、将来私の役に立ってくれるかもしれないと」

 だが……と、ガードナは続けた。

 ヴィヴィアンを掴む手の反対側、何も持っていないもう片方の手に魔力が急速で集中する。

 最初は風が吹くような感覚。次第に白色を伴い可視化され、緑、青と段々その濃さを増していく。

「――だが、結局は私の思い過ごしでしかなかったようだ。そこまで帝国の法を大事にしたいというのならば、私はもはやお前を求めはしない。人の定めに縛られた者など、私の傍に不要だ」

 魔力の塊は、やがて最高濃度の黒色へ。それが変形を始めたかと思うと、次の瞬間には長さ一メートル程の小振りな槍に変化していた。    

「さらばだヴィヴィアン。帝国の犬に成り下がった愚か者とはいえ、今までよくぞ私の下で働いてくれた。せめてもの情けだ、苦しまずにあの世へ逝くがいい」

 掲げられた槍が、ヴィヴィアンの心臓目掛けて勢いよく振り下ろされる。

 そこに躊躇の二文字は存在しない。本気に殺しにかかってきたガードナの意思は本物で、身動きできないヴィヴィアンには回避する余裕はなかった。

 しかし、その槍が身体を貫く寸前――


 ギィン!!


 脇から飛び込んできた短剣の刃が、槍に当たってその矛先をずらした。

 強制的に軌道を変えられた槍はヴィヴィアンの身体をギリギリで掠り、勢いを殺がぬまま大理石の地面に深々と突き刺さる。

「まったく、つくづく世話の焼ける…!」

 すぐ耳元で声がしたかと思いきやその直後、ヴィヴィアンとガードナの間に黒い影が飛び出した。

 それは刹那の出来事。影は大きく揺らぎながらガードナの目の前で短剣の刀身を何度も閃かせる。

 刃の軌跡はいずれもガードナの皮膚を傷つけることはなかったが、その一瞬の隙がヴィヴィアンの身体を拘束する魔術の効果を消し去るまでに至った。

 力が抜けたように地面に崩れ落ちるヴィヴィアン。そんな彼女を守るようにガードナの前で立ちはだかるのは、身体をマントですっぽり覆う赤毛の男。

「怪我はないか、ヴィヴィアン」

 顔こそこちらに向けることはしなかったが、その面に生々しい傷が走っていることをヴィヴィアンは知っている。

 我が身を気遣う口数少ないその言葉も同じ。今まで幾度も彼女の危機を救ったその暗殺者アサシンは、両手に持った短剣ダガーを逆手に構えて悠然と立っていた。

「まったく……姿形は変わっても、その性格だけは相変わらずってか」

「ふん……何が言いたい」

 後ろに退いたガードナも、ヴィヴィアンを仕留め損なったというのに涼しい顔をして新たに現れた男と対峙する。

 そんな余裕の出で立ちに、“傷の男”は普段の仏頂面をさらに不快そうに歪めた。

「あんた、俺が広間に隠れていたことに最初から気づいていただろう。ヴィヴィアンを殺ろうとした時、わざと大仰な仕草をして隙を作ったのも、俺を誘い出すためだな?」

「クク……はて、一体何のことやら。そんなことより“ジン”よ、お前には地下墓地の監視を命じていたはずだが……誰の許しを得てこの場所に足を踏み入れている?」

「ジン……?」

 聞き慣れない単語に、ヴィヴィアンは首を傾げる。

 二人だけにしか理解できない合言葉か何かだろうか……そんな風に解釈するものなら自分は相当察しが悪いのだろうと、ヴィヴィアンは心の中で気持ちを整理する。

 まさか、そんなはずあるわけがない。改めてそれが“傷の男”の名前なのだとわかると、彼女はもう一度、その名前を口に出して呟いていた。

 ジンと呼ばれた暗殺者の男が、苛立たしげに舌打ちする。

「誰もなにも、俺の意思でここにきた。ついで言うと、後ろで尻餅ついてるあんたの部下を手助けするためだ」

「ほう……ヴィヴィアンのためにな。……余程の物好きがいたものだ。今の彼女を助けたところで、お前にとっては何の利得にもならんというのに」

「ああ、知っている」

 さすがにそこで同意されると、ヴィヴィアンとしても落ち込みたくなる。

 だが次に彼が口にした言葉が、年甲斐もなく彼女の心臓を跳ねさせた。

「だがそれでも、俺は彼女を守ると決めた。報酬金で雇われただけのアサシンとしてではなく、彼女の仲間として、彼女に仇名すやつらを倒す」

「闇の住人の分際が…! 騎士を気取って女の機嫌取りか。クク……面白い。ならば見せてみよ。お前のその覚悟が口先だけか、私が直々に相手をして確かめてやろう!」

 

 爆発。

 そんな表現が相応しく思えるほどの魔力の本流が、ガードナの身体の中から濁流のようにあふれ出す。

(これが古代魔道士の力……)

 敵わない。自分ひとりの力では、到底。

 そうヴィヴィアンは予感し、しかし逃げることもできるはずもなく、ヴィヴィアンは立ち上がって“傷の男”――ジンの隣に並ぶ。

「もう大丈夫なのか?」

「……ええ、ご迷惑をおかけしました。いつでもいけます」

「ふっ……今度は足を引っ張るなよ」

 ジンにも、ヴィヴィアンが足手まといであることに気づいているはずだ。しかしあえて何も言わないのは、彼女の戦う覚悟を彼が知っているからだろう。

(私は逃げない……絶対に、あの人を止めてみせる)


 そして、影に生きる両者の戦いが始まった。


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