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異界の古代魔道士  作者: 焔場秀
第二章 東国動乱
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第六十話 巨人監獄

 街の上空を覆う巨大魔法陣によって朝の陽光を受け付けないアロンダイトは、一夜経過した今も不気味な暗闇に包まれたままだった。

 街を取り囲む外壁には血管のようなまばらな網目が侵食し、まるで生き物のように脈打っている。

 俺はそのグロテスクな光景に吐き気を催しながらも、先を行くロベリアの後をついて歩いていた。

「しかし驚いたぞ。よもやキリヤ殿が守護妖精の使い手だったとはな。腕の立つ魔道士というのは、召喚術にも精通しているものなのか?」

 血管みたいに蠢く壁を躊躇いもせずに触りながら、壁伝いに歩くロベリア。時折頭上を警戒する以外特にアクションを見せないので、いきなり話しかけられると逆に戸惑ってしまう。

「さ、さあ、どうだろうか」

 俺は後ろを振り返った。そこには、モノクロのゴシックドレスを着た双子の少女が固まった状態でこっちを向いていた。挙動不審な俺の反応を面白がって遊んでいるのだろう。“だるまさんが転んだ”に勤しむその子供らは、俺もよく見覚えのある人物である。

「腑に落ちない返事だな。実際、貴方は彼女らに指示を出して私達をこの場所に瞬間移動させたのではないか?」

「この能力を体験するのはまだ三回目なんだ。今更言うのもなんだが――」

『マ~マ~の~キッチンで~』

 俺が前に視線を戻すと同時、後ろで少女の歌声が響く。この声はロッタだな。ボーイッシュな方の。

 いちいち相手にするのも面倒なので、俺は無視して言葉を続ける。

「実際、あの子たちの転送術でここに飛ばされると確信できなかった」

『ええ~~ひどいっ! ボクの魔術が信用ならなかったってこと!?』

「ぐふっ」

 突然両肩と背中に衝撃が圧し掛かり、俺は前乗りになって息を詰まらせた。

 何が乗ってきたかは明白だ。すぐさま振り落としてやろうかと立ち止まり、しかし妖精相手には拒絶反応が起きないことを思い出して考え直す。

「なるほど…帝国軍の野営地から脱出するのはある種の賭けだったというわけか。まあ何にせよ、キリヤ殿のお陰で誰にも見つかることなくここまで来ることができた事には変わりあるまい。改めて礼を言う」

 ロベリアが俺を振り返って微笑む。

 作り物じゃない本物の微笑だ。なんだか心苦しくなって、俺は彼女から目をそらして足元を見下ろした。

 と、いつの間に移動したのだろうか。ロッタの片割れであるアネッタが俺のローブの裾を掴んで上目遣いにこちらを見上げていた。

 相変らず無口で大人しい白髪の少女に俺の口元も自然と緩む。まずいと思って再び顔を引き締めようとした解き、背中に張り付いたロッタが待ってましたとばかりに茶々を入れてきた。

『ねぇねぇお兄さん。アネッタね、お兄さんに召喚されるのずっと楽しみにしてたんだよ?』

「え?」

「ほう…」 

 張本人の俺はともかく、何故かロベリアまで興味を示す反応を寄越した。

 そんなに大層なことだろうか。疑問に思いつつアネッタを見ると、彼女は凍りついた表情で両目を大きく見開いていた。あれ?

『でもマリーお姉さまが先にお兄さんに召喚されて、アネッタ拗ねちゃってね。“次はアネッタが行くもん!”って城の中で大騒――』

 うおっ、アネッタがロッタに飛び掛った。

『ロッタのバカ! 違うもん! アネッタそんなコト言ってないもん!』

『ククク……この愚妹め。お兄さんの前だから照れているのだな! そぉら、秘密をバラされたくなければボクを捕まえてみるがいい!』

 そして追いかけっこを始める仲良し姉妹。姉を捕まえようと必死な妹の状況を利用して、ロッタは遊びの中にスリルを加えたようだ。そもそもこんな場所で遊ぶこと事態、子供としてどうかと思うが。まあ妖精だし深くは突っ込まないで置こう。

「一応私達は隠密行動中なんだがな。こんなに騒がせて大丈夫か?」

 ロベリアの懸念はもっともだ。俺だって同じ状況でこんなに大騒ぎしようものなら魔術使ってでも止めていただろう…相手が妖精でなければ。

 デュルパンの王城でマリオネットから聞いた話、妖精というのは実体を持たない記憶思念に意思が宿った集合体であり、それ以外の種族に姿を見える行為は本来有り得ないらしい。

 その点だけ見ればピロに似ているのだろうか。姿を『見せない』というより『見えない』と言った方が正しいかもしれない。デュルパンの守護妖精たちは自分の意思で人間たちに『姿を見せて』いるのだろう。

 マリオネット曰く、これでも人間にわかりやすく解釈して説明した方らしい。実際はもっとややこしい定理や仕組みがあるらしいが…つまるところ、彼女ら双子妖精も、自分たちの勝手で俺たちに姿を見せているということだ。俺たち以外の者には双子の姿を見ることも声を聞くこともできない、と思う。多分。

 そのことをロベリアに一通り説明したら、彼女は疑いもせず納得してくれた。結構強情に疑うかと思っていたので意外だった。やはり、『不特定転送魔術オールテレポテーション』とかいう転送術のお陰だろうか。転送陣を用いない瞬間移動を実際に体験して、妖精の未知の能力に感心している部分もあるのかもしれない。

 とにもかくにも、俺たちが帝国軍の野営地を抜け出してこんな所にいる原因ないし理由を一通り確認した方がいいだろう。

 そもそもの動機は、野営地でロベリアが持ちかけたある提案がきっかけだった。


「私は、私と帝国を裏切った不忠の者どもを許してはおけない。キリヤ殿、どうか私に力を貸してはくれないだろうか」

 裏切り者の討伐。彼女はそう言って俺に協力を願い出た。

 なんでも帝国政府の重鎮が作戦中に謀反を起こし、皇女や軍の指揮官たちを謀ったらしい。

 その重鎮の名前はアインハルト。帝都の宮殿に仕える宮廷魔道士で、ロベリアの補佐として従軍していたという。

「司令官補佐が、許可なく自軍を離れることは許されてはいない。ましてや味方に損害を与えた上なら尚のこと」

 帝国軍本隊の野営地で、待機していた指揮官数名が意識不明の状態で昏倒していたらしい。幸い指揮系統に大きな被害はなかったらしいが、この事件が原因で風評による帝国軍の士気低迷が懸念されるとロベリアは話していた。

「将校たちはいずれもしばらくして目を覚まし、大事には至らなかった。後で彼らに事情を聞いたところ、アインハルト殿にしてやられたと皆口を揃えて報告してくれたよ。何が目的で私の部下を傷つけたか知らないが、この代償は必ず払わせてやるつもりだ」

 まあ要するに、俺にアインハルト討伐の手助けをしてくれと頼んできたわけだ。もっとも向こうも無償で助けてくれるとは考えておらず、代わりにセレスの救出を手伝いたいということで交渉は成立した。


「それで…その裏切り者がアロンダイトにいるという証拠は?」

 追いかけっこに興じる双子妖精を尻目に、俺は気になっていた質問をロベリアに投げかける。

 丁度下水用の小川を跨いでいた彼女は、上を見上げて城壁を指差した。

「市外の草原で偵察部隊と共に街を監視していたら、城壁の上に奴が現れたのだ。同行していた兵士たちにも確認させたから間違いない。頭上に両手を掲げて何か叫んだあと街の中に入って行った。あの巨大な魔術円陣が街の上空に出現する少し前のことだったからな、何か関連性があると思うのだが…」

「そのアインハルトという人物が、あの円陣を召喚したと?」

 俺が推測すると、彼女はこちらを振り返って頷いた。

「可能性としては考えられる。もっとも、あの大規模な魔術はとても人の手に負えるものじゃないようだから、奴は術を発動するための何らかの手段を弄したと考えるのが妥当だろう」

「…………」

 あの巨大な魔法陣を構成するための下準備は既に済んでいた? アインハルトという人物は、簡素な手段でそれを解放したに過ぎないと。

 武装集団の襲撃と魔術陣の発動。同時ではなかったにせよ、その連鎖的な発現は明らかに俺たちの行動を妨害するものだった。

 事実、街に閉じ込められて防戦一方になったヴァレンシアの救援部隊は、武装集団の集中攻撃にほとんど成す術を失っていた。一気逆転を可能とする魔道士が魔術を無力化されたことが何より犠牲を拡大させる原因となったのである。

 幸い俺の膨大な魔力を利用して脱出口を切り開くに至ったが、武装集団の銃撃に晒された救援部隊の殿は壊滅。同じく殿部隊に同行していたセレスも囚われの身となってしまった。


 ――魔術を使えない俺の力量なんてたかが知れている。そんな状況下で、本当にセレスを救えるのか? 力量といえば、このロベリアという皇女の戦闘能力も未知数だ。魔剣とかいうファンタジックな魔法剣を腰帯にいて、俺より堂々とした立ち居振る舞いをしているが、本当に俺たち二人でセレスを救出し、尚且つ武装集団を殲滅することができるのだろうか。

 最初はお嬢を助けたい一身で彼女の提案を了承したもの、落ち着いて考え直してみればやはり懸念が心中から離れない。そしてその懸念は、アロンダイト市の外壁門に着いてから底知れない不安に変わった。

 

「中央突破!?」


 皇女のとんでもない作戦内容を、俺は思わず大声で繰り返していた。

 場所はアロンダイト市西部の中央大門外部。街内部に入るための入口をひたすらに歩いて目指していたところここに辿り着いたというわけだ。

 俺の見間違いでなければ、この大門は昨夜ヴァレンシア救援部隊が突入したアロンダイトで一番大きな門であったはず。

 そう、それはつまり、ここは一番監視の目が集まりやすい目立つ場所であって――

 この門を突破して中央通りを駆けると言い切ったロベリアの作戦は無茶苦茶であると俺は訴えたい。

「うむ。正攻法にはもってこいの出発地点だろう? もっとも実行者は私とキリヤ殿の二人だけだが」

 二人だけだから問題なんだろう!

 てっきり下水道などの排水溝を利用して街中に潜入するのかと思えばとんだ誤算である。

 一体何を考えているんだ。

「あの……ここを突破したら、恐らく大勢の敵に捕捉されると思うんだが……」

「?だろうな」

「そうなったら、戦うしかなくなる」

「当然」

「ゴーレムもいるのでは? 見つかったらまとめて消し炭にされてしまう」  

「そうなる前に私がゴーレムを倒す」


 ああ、駄目だこの人。奴の恐ろしさを全然理解していない。

 後ろでひひひと笑い声を上げるロッタを無視して、俺はドヤ顔の皇女様に真正面から向き合った。

「ロベリア皇女。あなたは知らないと思うが、ゴーレムというのは生身の人間が叶うような相手じゃない。装甲は鎧兜よりも堅くて、魔術も一切効かないんだ。おまけに上空を自由自在に飛び回って、銃で地上から狙い打つのにも一苦労。そんなチートな石像を一体どうやって――」

「ちーと?」

「ああ、いや。規格外な化け物を倒す算段でもあるのかと……」  

「ない。しかし、私は倒せると信じている」

 

 えぇ……そんな信条だけで俺たちの命運を左右するなんて……。


「何を戸惑うことがある。事実キリヤ殿も、女像のゴーレムを倒したではないか」

「あれは、ダメ元で守護妖精の力を借りたら結果的に倒してしまっただけで……」

 横目で双子妖精を窺う。アネッタが不思議そうに首を傾げ、ロッタ興味津々に目を見開く。気まぐれな性格っぽいのに、なかなかしぶとく俺たちに付いてきてるな、この二人。

 もしかして、セレス嬢救出にも力を貸してくれるのだろうか。

「なあ、二人とも。ゴーレム討伐に力を貸してくれたりとかは――」


『『それは無理』』

 即答しやがった! しかもこの時に限って声を合わせるなっての! 

   

 ロッタが残念そうにため息を吐く。

『面白そうだから、お兄さんたちに協力したいのは山々なんだけどさ。魔術円陣だっけ? あのおっきな輪っかがボクたち妖精の具現化を阻害してるみたいなんだよねー。その証拠に――』

 地面を蹴って空中に飛び上がったロッタは、そのまま浮遊してアロンダイトの城壁のすぐ近くで停止した。

『ほら、こんなことになっちゃうの』

 ロッタが城壁に手をついた瞬間である。突然彼女の小柄な身体がコマ切れに歪み始めたのだ。

 それはまるで壊れたテレビの映像のようで、かちかちと姿が掻き消えては頭身が伸びたり縮んだりと不安定な状態を繰り返している。

 ――明らかに正常ではなかった。 

 

「ふむ。どうやら妖精の助力を得ることは叶わぬようだな。仕方あるまい、予定通り中央突破で参ろう」

「そんな予定初耳なんだが…」

「なら今決めた。さあ、時間は限られているぞ王子。さっさと行こう」

 勇敢なお姫様はとことん派手な登場がご所望らしい。それとも戦いに飢えているだけなのか。

 ロベリアは早足で俺の脇を通り過ぎると、全長五メートルはある巨大な門の前で仁王立ちで立ち止まった。

 え? マジで正面から行くの?

『そんじゃ、頑張ってね~』

 少し離れた所で、妖精のロッタが俺に手を振っている。

 その隣では、やはり双子の妹のアネッタが、姉を真似してこちらに手を振っていた。

『頑張って。きっと大丈夫だから』

 その根拠のない自信が杞憂にならないことを願うよ、心の底から。

 こうなったらもう、何を言っても無駄だろう。俺は仕方なく……というかほとんど嫌々ロベリアの隣に並んだ。

 絶望を滲ませた俺の口が流暢に動く。

「……先に言っときます。魔術を封じられた今の俺なんて戦力外も甚だしいのであしからず」

「わかっている。ゴーレムの相手は全て私に任せていただこう。王子は後ろで私の剣舞をぜひともご覧いただきたい」

「勝算があるのか?」

「……銃の鉛弾がゴーレムの装甲を打ち抜いた、と先刻キリヤ殿が申されていただろう。魔力が無理なら――」

 

 ウィイン。


 腰に佩いた長剣もとい魔剣を引き抜いたロベリアが、左足を後ろに引いて剣を上段に構えた。

 何やら嫌な予感がして顔を引きつらせる俺には目にもくれず、ロベリアは鋭く引き締まった表情を正面の門に向ける。

 直後、今まで感じたこともないような物凄い覇気が、俺の全身を容赦なく打ち付けた。

 まるで俺の底なしの魔力のように、得物を構えた彼女の身体から闘志のような気がとめどなく溢れ出ている。それは目に見えるものじゃなかったが、確かにすぐ傍で感じることができた。

  

「己の力で押し切るのみッ!」

 

 吹きすさぶ風が皇女の銀髪をさらい、赤い瞳を覆い隠す。

 刹那―― 


 ズッバァァァァン!!!


 耳をつんざく破砕音と共に、ロベリアの剣が縦一文字に振り下ろされた。

 いや。正確にはロベリアが振り下ろした魔剣が、堅牢な城壁門を粉々に打ち砕き盛大な音をぶちまけたというべきか。

 反応する余裕もなかった。斬撃から破壊に至るまでの時間はほぼ同時。普通の人間が見れば剣の振り下ろしと門の粉砕が同時に発生しているように見えたに違いない。それほどまでに、常軌を逸していた。

「…………」

 言葉を失い、呆然と立ち竦む俺。

 神がかった斬撃速度もそうだが、剣で虚空を切り裂いただけで城門を破壊せしめたこの女性の怪力も人間離れしている。有り得ない。どれだけ有り得ないかというと、俺がまだ昨夜の悪夢の続きを見ているのではないかと錯覚してしまう程に。

「よし。これで道は開けた」

 そう言って、彼女は俺と目を合わせる。

 先ほどの涼しい表情はどこへ行ったのやら、今この瞬間俺を見つめるロベリアは恐ろしいぐらいの真顔をしていた。生に執着せず、死をも顧みない戦士の双眸。命をかけて戦いに望む者とは、皆こんな顔をしているのか……。


「自分の力を過信しているわけではないが、私の力の片鱗を間近で目撃してうろたえなかったのは貴公が初めてだ……」

 え? いや、俺も十分にうろたえてるんだが。如何せん思考が現実に追いついていないというか。むしろ現実が現実じゃないっていうか。

「なるほど。戦士としての器量は十分だったというわけか」

 何がなるほどなのでしょう。俺にはさっぱりリカイデキマセン……。

 俺から視線を逸らしたロベリアが前方に視線を戻す。

 城門の粉砕によって轟々と煙を上げる街の入口。ぽっかりと空いたその突破口の付け根部分から、何やら紫色の帯びのようなものが放出している。そいつは互いに結びつきながら網目を構成し、外周から中心に向かってゆっくり集束を始めた。

『入口を封じようとしてる』

 そう言葉を紡いだのはロッタである。

『空の魔術陣が外部の介入を察知したんだよ。魔力で頑丈な網目を作って、出入り口を封鎖しようとしてるの。まだ街と完全に同化しているわけじゃないから修復能力はイマイチだけど……急いだ方がいいよ』

 言葉を継いだのはアネッタだ。

『街中のゴーレムたちが一斉にこっちに集まってきてる。気配がするの……このままだと、ゴーレムに見つかるのも時間の問題…』

「皇女」


 俺はロベリアを呼んだ。

「承知している。わざわざ向こうから出向いてくれるのだ。迎え撃ってくれよう」

 や、やっぱりそうなるのね。いや……この際セレスの元まで辿り着ければそれでいい。皇女は自分に任せてくれと勝利を確信したのだ。だったら俺は、その無謀な自信を最大限利用させてもらうまで。 


 ロベリアが地を蹴り、その鎧に覆われた体を一気に前へ押し出した。

 その加速たるや常人を超越し、見る見るうちに街路の奥深くへ遠ざかる。剣技だけでなく、身体能力でも彼女は俺を遥かに凌駕していた。

 もはや懸念するに及ばないだろう。彼女なら、たった一人でゴーレムを倒せるかもしれない。そんな期待を抱きながら、俺は皇女の遠く小さな背中を追いかけるのだった。



             =======【ガードナ視点】=======   


 側頭部に鋭い痛みが走った途端、ガードナはアロンダイトを覆う結界が何者かに破られたのだと悟った。

 いま彼の精神は、街上空に展開する魔術円陣と一体化状態にある。ガードナの肉体や精神への影響はそのまま魔術円陣にも反映され、同じく魔術円陣の異常もガードナの精神に影響するのだ。

 計り知れない量の魔力の供出が行われるため、常人が同じ事をすれば肉体が滅ぶ前に精神が完全に壊れてしまう。古代魔道士エンシェントウィザードの力を体現し、半無尽蔵の魔力供給を可能にしたガードナだからこそ維持できる魔術といえよう。

「ほう……不完全な封鎖結界とはいえ、巨人監獄タルタロス格子こうしを破る者がいるとはな……」

 ガードナはそう呟き、背後を振り返った。

 そこには、目深のフードローブを着込んだ魔道士が一人。その男はまるで暗がりに溶け込むかのように、部屋の影からガードナの方をじっと見ている。

 不気味なことこの上なかった。その魔道士が帝国の宮廷魔道士でもなければ、即刻この広間から追い出していただろう。

「アインハルト殿は、何か心当たりございませぬか? 例えば、血気盛んな陛下の娘御が貴公を追ってこの街にやってきたとか?」

「…………」

 

 アインハルト呼ばれた影――魔道士は何も言わない。

 ただじっと、何かを見定めるようにガードナを注視している様子だった。

 今日の未明に合流してからずっとこの調子だ。話題を持ち出して話しかけても、返ってくるのは無言か、せいぜいあって相槌くらい。此度の“計略”で色々と功を労してくれたこともあり、それなりの感謝の印も込めて気を遣ってやっているのだが、今のところその尽くが無視されている。いくら相手の方が上司といえど、無反応を徹底されてはガードナも面白くなかった。

(まあいい。“準備”が全て完了すれば、この男ももはや用済み。いらぬ野心を抱かれる前に消しておくか……)

 

 ガードナは内心舌打ちをして、黙したままの影から目を逸らした。

 次に彼の視界に入ってきたのは、宙に浮遊したまま制止する巨大な十字架。そこに磔にされた一人の少女を認めて、彼は愉悦に顔を歪ませた。

「ほほう……まだ意識があるか。並の魔道士であれば体内の魔力を枯渇させて死に絶えているところだが、君はなかなかに優秀のようだな」

 その拘束された少女――セレス・デルクレイルは、表情を苦痛に染めながらも挑戦的な笑みを浮かべる。

「……や、やっぱり、ランスロットを貶めた原因は、帝国の差し金によるものだった、のね……。これは、良い情報だわ。ここを出て真実を公言すれば、あんたの国は…ただじゃ、済まないでしょう…」

「ここから抜け出せるのならな。クク…もっとも、その拘束を脱してグルセイルを非難したところで、この大陸の命運など既に決したようなものだが…」

「……どういう…ことよ……?」

 セレスの震える瞼が、怪訝そうに細められる。

 ガードナはその顔を満足げに眺めた後、踵を返して窓際へと歩み寄った。

 昼間であるにも関わらず、広間の窓から見下ろした街は夜中の暗闇に覆われたままだ。これも全て、例の魔術円陣――“巨人監獄タルタロス”の効果によるものである。行使者に膨大な魔力の供給を要求する代わりに、特定広範囲を行使者の制御下に置く魔術結界。だが、この“巨人監獄”の本質はそんなありきたりなものだけではない。

 ガードナは首だけ後ろに振り向かせ、十字架に力なく吊るされたローブの少女を見やった。

「千年前の悲劇の再現、と言えばわかるかな?」

「千年前の悲劇……それって……まさか…」

 セレスの不審な表情が、みるみる驚愕に埋め尽くされる。

 ガードナは今度こそ身体ごとセレスの方に向き直ると、両手を広げて狂気的な微笑を浮かべた。

巨人戦争ギガント・マキア……大陸全土を戦火に陥れた、史上最悪の大戦さ」

 

 ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ……。


 耳障りな稼動音を轟かせ、鳥形の“アイアンゴーレム”が大窓のすぐ傍を飛翔する。

 これから侵入者を撃滅しに行くのだろう。巨人監獄と共鳴しているガードナには、王城上空で旋回していたゴーレム数体が城下の方に降下していくのが手に取るようにわかっていた。

 通過時の風圧で窓ガラスがガタガタと震える。しばしの沈黙のあと、先に口を開いたのはセレスであった。

「アンタ……どうかしてるわ。狂ってる……」

「誤解しないでもらおう。私は何も、この大陸の滅亡を望んでいるわけではない。大陸国家という新体制の形成。ゴーレムの軍隊は、その大きな野望の体現にどうしても必要不可欠だ」

「はっ……どっちでも同じことよ。結局…アンタのやり方は……大勢の犠牲者を出すことを前提に成り立っている、じゃないっ…! それにその目――」

 セレスはガードナの顔を睨み付けた。

 明らかに左右非対称の目の色。彼の左目は、夜の闇のような黒い色をしていた。

「一体、どんな“禁術”を使ったの?」

 黒眼は、古代魔道士エンシェントウィザードのみが有するものである。“賢者”の神託もないただの人間が宿せるものじゃない。

 『人が生み出した神秘と万能の魔道術も、神の膝元に及ぶことなし。捧げるべき代償はそれ相応である』。魔道学の祖エリュマンが残した言葉だ。すなわち、人の成せるこの世の魔術にも限界があり、それを越える力には等価の代償を支払わなければならないという意味である。

 街一つを支配し、古代兵器のゴーレムを複数体従えることが出来る魔術となると、その発動には多大な代償と労力を犠牲にしたということだろう。そしてその力の発現を可能にしたのが古代魔道士の力によるものなら、ガードナの黒眼は一体どんな非合法の上に確立し、どれほどの犠牲の元に完成したというのか。

 ――いや、大体察しがついた。セレスは朦朧とする頭で等価の代償を計算していく。

「十人……いいえ、百人……。人間の生命力を全て吸い尽くしても足りないほどの魔力が百人分。それだけあって、ようやく術式の構成に踏み切れるぐらい、なんじゃない?」

「…………」

「詠唱中の術式安定補助。人体に与える負荷をなるべく押える必要があるから……同時に発動可能な継続効果のある回復魔術の術式構成とその維持。人体と媒体の同期。それらに必要な魔力だって、どれも桁違い……」

 ガードナを睨みつけるセレスの表情が、より一層険しくなる。


「……その眼を生み出すのに、“一体どれだけの人を殺したの”……?」


 遠くの方で爆発音が鳴り響いた。

 ゴーレムが外敵に対する攻撃を始めたのだろうか。しかし、広間を支配するこの二人には些末な出来事でしかない。

「……これはこれは、驚いたな。まさか、魔術の特性だけで手法を見破ってしまうとは……いやいや恐れ入った! なかなかに賢いお嬢さんだ」

「侮らないで……これでも、大国に仕える…宮廷魔道士なのよ……」

 ガードナの顔から怪しげな笑みが消えた。

 つまらなそうに眼を細めて、セレスの顎を鷲掴む。

「ぐっ……!」

「少し訂正しよう。頭は冴えるが賢いわけではなさそうだ。私の皮肉に対して真面目に戯言を述べ立てるところはまだまだお子様であるらしい」

「そのお子様の戯言に突っかかるアンタに、言われたくないわ……!」

 セレスの反論にガードナの双眸がカッと見開かれる。

 ――殴られる! そう思って反射的に目を瞑ったセレス。しかし、彼女の耳に届いたのは頬を打つ乾いた音ではなく、ガードナの高らかな笑い声だった。 

「ククク……怖がらずとも殴りはしない。子供の挑発に乗るほど、私も伊達に年を取っているわけではないからな」

 相手に乗せられたとすぐに察した。普段のセレスならすぐに文句の一つや二つ言い返していたところだが、拘束され魔力を吸われ続ける彼女にそんな気力はもはや残されていなかった。

 悔しさに歯噛みする力も出せぬまま、だらりと重たい頭を下ろし、細く非力な自分の身体を見下ろす。 ――自分にもっと抗う力があれば……。

 逃げれずともいい。せめて、魔力供給という道具のような扱いから解放されるなら……なんだっていい。これ以上、こいつの悪事に利用されたくない。こんな奴の役に立って生き永らえるくらいなら、いっそ――


『そうやって自分で自分を傷つけて、何もかも背負いこもうとするんじゃない! 見ていて痛々しいんだよ、馬鹿!』


 ――え?


 突然セレスの脳裏に、ある少年の言葉が再生された。

 それは、自分を一人の人間として認めてくれた言葉。

 寡黙な彼が、叱咤してでもぶつけてくれた、精一杯の本音。


『俺に居場所をくれてありがとう、セレス。そしてこれからは、俺が君を助ける立場でありたい』


 ――そう約束してくれた黒髪の少年は、優しく微笑んでいた。


(もし、叶うなら……)


 セレスの瞼が徐々に閉じられる。

 

(もう一度、あなたに……)


「キリヤ……くん…」

 

 頬を流れる一筋の涙。

 そして、彼女の身体から魔力の放出が止まった。 

六十話目です。



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