第五十六話 顔に傷のある男
あのフレンチ紳士、本当に石像を倒してしまったようだ。
一体どんな手品を使ったのか知らないが、マリオネットの瞬間移動で別の場所に移り、再び空を見上げたときには既にゴーレムは跡形もなく消え去っていた。驚愕と安堵が同時に広がり、俺はひとまずため息を吐いて心を落ち着かせる。
まだこれで終わりじゃない。ゴーレムは少なくとももう一体残っているし、住民の避難も完了していない。ともかく、生存者の捜索を急がねば……。
そう、急がねばならないのだが――
「じゃじゃ馬セレスッ! な、なんでお前がこんなとこにいるんだよっ!」
「それはこっちの台詞よ! どこかで見たことあるツンツン頭だと思ったら、まさかアンタだったなんて……!」
場所を移して早速、第一村人らしき少年を発見した。生存者がいたことは喜ぶべきことなのだろうが、この空回り感はなんなのだろう。
「おいコラッ! 出会って早々人の髪型にケチつけてんじゃねぇ!」
「何よ! それ以外に相応しい表現があるっての!? そっちこそ、じゃじゃ馬なんて酷いあだ名つけて何とも思わないわけ!」
――お、おい。セレス?
「うっさい噴水頭! どうでもいいから俺の質問に答えろ! なんでお前がここにぶへしっ!?」
「その失礼極まりなく勝手に動く嫌味な口を切り落としてやろうかしら? あたし自身のことはともかく、この髪型を馬鹿にするのだけは絶対に許さないわよ……」
「お、お前だって俺の髪型に…ぐぅ」
「あぁ? 何か言ったかしら-?」
「ナ、ナンデモアリマセーン」
「…………」
あれは、本当にセレスなのだろうか。
同年代ぐらいの少年の頭を地面に押さえつけて声を落すセレス嬢は、それはもう冷や汗を掻くぐらい怖かった。まさに“お嬢”だ。それもお家柄の良い方のお嬢様じゃない。極道に通ずる武家屋敷の“お嬢”に似た何かを感じる。
『人の気配があったのでお二人をここにお連れしたのだけれど……まさかセレスさんのお友達が一緒だったなんて。嬉しい偶然ですわね』
マリオネットが本当に嬉しそうに微笑む。いや、すまん…俺には彼らが友人同士のスキンシップをしてるように見えない。
だが、お嬢の知り合いであるのはどうも間違いなさそうだ。相手もなんか頭蓋骨固め喰らってるし……あぁ、あんなに締めたら完全に堕ちちまうな。
「だ、誰ですか貴方達!」
と、そろそろ俺も止めに入ろうかと考え始めた時、鋭く上がる制止の声があった。
黒のレディーススーツに身を包んだ女性が、瓦礫の影から姿を現してランプを掲げる。この少年と一緒にいたのだろうか。無論のこと、かなり驚いているようで第一声が上擦っている。年は二十代後半くらい。前髪は真っ直ぐに切り揃えられており、その下から覗く切れ長の目が俺たちを油断なく睨みつけていた。
「お、おぅ…ヴィヴィアンの姉御! 頼む! 俺をこの暴力女からお助け――グフッ!」
「ご迷惑をおかけしてます。こいつやっつけたらすぐに安全な場所へお連れしますので、しばらく待っていてくださいね?」
顔面を地面に押し付けて少年を黙らせたお嬢が、淀みない笑顔を女性に見せる。それがあまりに愛想良かったので、警戒する女性も思わず戸惑いの表情を浮かべた。
「あ、あの、貴女方は一体……それに、マルシルさんと面識があるようですが」
「認めたくないけど、一応仲間です。なんでアロンダイトにいるのかわからないけど、出会い頭に悪口言ってきたのでただいま性根を叩きなおしてるんですよー」
《キリっち、セレスさんマジですよ。破顔してるのに目が笑っていません……》
――ああ、ブチ切れてるな。
単に悪口だけでボコボコにするのか? まるで今までの積年の恨みを晴らす勢いだぞ。
「仲間? というと、皆さんは暗殺者裏組合のギルドメンバーなのですか?」
また聞き慣れない単語が出たぞ。ん? ちょっと待て……アサシンだと? え、暗殺者!?
一瞬何かの冗談かと思ったが、質問した当の本人は至って真面目な顔をしていた。一体少年がどう関与すれば、俺たちの身元がアサシンになるというのか。
もちろん、それはお嬢に組み伏せられている少年が暗殺者になるのだろうが、彼の知人であるセレス嬢は要領を得ない顔をしている。
「マルシルが暗殺者裏組合のギルドメンバー? え……アンタまさか――」
「ちげーよ! 俺がそっちの性分じゃないことぐらいお前にもわかうだろうが。ったく、どいつもこいつも勝手に話を進めやがって…!」
あれ、本人も否定しているぞ。一体誰が真実を喋っているんだ?
完全に蚊帳の外であるマリオネットは髪を弄りながら首を傾げてしまっているし、言いだしっぺの堅物そうな女性も面食らったような顔をしている。
その時――
「っと!」
「あ……ああっ!!」
一瞬の隙を突いて、少年がお嬢の拘束を抜け出した。
「こら逃げるな!」
お嬢がすかさず捕まえようと手を伸ばす。しかし少年はそれを巧みにかわすと、飛びのいて俺たちから距離を取った。
「この際だから正直に全て話してやる。いいかお前ら、耳ほじってよーく聞けよ!」
お嬢の掌握圏を脱して調子に乗った少年が、仁王立ちになって悠然と腕を組む。それから俺たちを順番に眺め、誰も動かないことを確認して満足そうに頷いた。
「よし! ようやく聞く気になってくれたようだな! 聞いて驚くな! 俺はなぁ――」
「ヴァレンシア王国魔道士団諜報課所属の“自称道化”のマルシル……」
「っ!?」
聞いたことのない男の声だ。
声の出所に視線を送ると、魔道灯の明かりに入らないマントを被った人影が立っているのが見えた。表情は見えないが、声音や身長からして男で間違いないだろう。
《いつの間に……》
――ピロ、お前も気付けなかったのか。
《……ええ。気をつけてくださいキリっち。小生の監視センサーを騙すなんてただ者じゃないですよ》
――監視センサー?
《はい。キリっちの頭身を媒介に……い、いえ、何でもありません》
聞き捨てならないことを聞いたような……。まあいい、後で問いただすことにする。
俺は意識を切り替えて、新たに現れた男を睨みつけた。
口を開くまで存在に気付けなかったほどの隠密能力。その気になれば奇襲を仕掛けて一人や二人殺すことも容易かっただろう。今は戦う気がないとはいえ、警戒するに越したことはない。
「こ、この野郎……俺の決め台詞先に言いやがったな……! しかもっ、“自称”とか余計なもんつけやがってッ!」
名乗ることができなかった少年は、不満で仕方ないのか地団駄を踏みながら男に突っかかった。しかし相手は反応するどころかまったく微動だにしない。仏頂面を浮かべてたまま、こちらをずっと見つめている。
――ん? 俺を見てるのか?
「ちょ、ちょっとマルシル。この人だれ? アンタの知り合いなの?」
不安を隠せないお嬢が、肩を怒らせて腹を立てる少年に問う。
「知り合いたくなかったけどな! 任務の最中に偶然出会って、まあ色々あって一緒に行動してるんだよ……」
「そうなの? じゃあ彼は味方なのね」
「違う」
男は即答した。
相変らず視線は俺の方を向いたまま、口だけ動かして話し出す。
「緊急事態で仕方なく協力関係を築いているだけだ。その小僧は仲間でも何でもない」
「ケッ! ああそうかよ。俺だってお前のこと仲間なんて認めねぇ!」
そっぽを向きふて腐れる少年。対して、男はノーリアクション。
二人は知り合いで間違いないようだが、その関係性はかなり陰険で刺々しいようだ。
気まずさに顔を引きつらせるお嬢が、今度はスーツ姿の女性を指差す。
「そ、それじゃあ、あの女の人は?」
「…………」
「あ? ああ、そこのおっさんと同じで任務中に会ったんだ。そんで一緒に行動してる」
「任務、任務って……結局アンタここで何してたの?」
ズコーっという吹出しが出てきそうな勢いで、少年がずっこける。
「諜報の仕事に決まってんだろ! ミー姉に頼まれたから、ランスロットの潜入捜査!」
「ふーん……ハリトン様直々の依頼だったの。なるほど、納得した」
「納得するトコおかしくね!?」
「だってアンタ、ハリトン団長の命令だったら何でも聞くじゃない」
「何でもじゃねーよ!! マ、マジで面倒な仕事なら渋る時も――」
「渋った挙句、嫌々言いながら結局仕事請けるんでしょ?」
「…………」
「ホント、ぞっこんよね~」
「うっせぇ! お前だって陛下にぞっこんじゃねーかよ!」
「誰が! いつ! あんな! 変態に! ぞっこんですってー!?」
再び始まった口喧嘩。ああもう、キリがないじゃないか。
しかし、あの言葉の暴力の中に突っ込んで仲介する勇気は俺にない。口論が終わるまで待つのも気まずいし……どうすればいいんだ?
《なにウジウジ悩んでいるのですか。ほら、事情をちゃんと説明して同行を求めるのですよ》
あ、そうだった。市民の保護と同行の要求をしないと……。
作戦前にアレンさんに言われた建前の挨拶を頭の中で反芻する。生存者を見つけたら、まず無事を確認する。次にこちらの所属と目的を明かして相手の警戒や不安を取り除き、今度は怪我をしてないか確認、か。
――よし。や、やってやる……!
テンパる頭でどこまでできるかわからないが、こちらから行動を起こさないことには進展はない。
意を決して、俺は足を踏み出した。
=======【ヴィヴィアン視点】=======
(い、一体なんだというの……)
目の前で繰り広げられる魔道士同士の喧嘩に、ヴィヴィアンはただただ傍観に徹するばかりだった。
何の前触れもなく、突如現れた謎の三人組。うち二人は魔道士で、もう一人が紅いドレスを纏った貴族と思われる金髪女性だった。
まだそれだけなら、貴族街から逃げてきた貴族令嬢とそれに付き従う専属の魔道士とでも取れたかもしれない。しかし、聞き手になって話を聞くうちに、ヴィヴィアンの疑問は警戒へと変わった。
曰く、マルシルの正体はヴァレンシア王国の諜報員であり、ランスロットでの潜入捜査中だったこと。
曰く、謎の三人組はマルシルの仲間であるということ。
今のところ理解できる真実はこれぐらいだろうか。なにぶん状況の整理が追いつかず、冷静に物事を受け止められなくなってしまっている。元凶であったゴーレムの破壊に次ぎ、現実味のない現象がこうも立て続けに起こると人間誰しも混乱してしまうものだ。
何より敵国の魔道士と二日間も共に行動していたなんて、今までよく生きていたと自分の身の危険を省みざるを得ない。マルシルが暗殺者でなかったことに「やっぱり」と納得し、と同時に本職が諜報員であるということにヴィヴィアンはかなり驚いた。
今思えばそれすらも自分の落ち度だったのかもしれない。そういえばマルシル本人が直接身分を明かした場面は見たことないではないか。いや、あるにはあったが、そのこと如くが“彼”によって阻止されていた。
ヴィヴィアンは傷の男に視線を向ける。寡黙で仏頂面なこの男は最初から知っていたのだ。知った上でヴィヴィアンにマルシルの正体を隠していた。命の恩人である魔道士が敵国の諜報員などという残酷な出会いにならないために。
(優しいんですね……)
無愛想な彼にもちゃんと善意な人間らしいところがあった。今ここでマルシルの正体を自ら明かしたのも、仲間と合流して正体を知られると悟ったからだろう。彼はヴィヴィアンを騙し偽った果てに、己でけじめをつけたのだ。
「隠して悪かった」
ふと、男の低い声が風に乗ってヴィヴィアンの耳に届いた。
手元の魔道灯を掲げて男の顔を照らす。彼の機嫌の悪そうな目は、とある一点をじっと睨みつけたままだ。
「何故、隠していたのですか?」
聞くまでもなかったが、彼の口から直接聞きたかったのでヴィヴィアンは訊ねた。
男は一拍置いてから口を開く。
「……ヴァレンシアの諜報員を、アンタが生かしておくとは思えなかった。あの小僧の正体が露呈していたら、アンタは証拠隠滅のために小僧を殺していただろう」
ヴィヴィアンは無言で肯定した。
殺さなかった、と言えば嘘になる。一世一代の作戦実行を賭けて緊迫していた“あの時”、敵側、または部外者に情報が晒される事態は非常にまずい。口封じのために殺すこと以外、他に手段はなかったはずだ。
しかし今は違う。街が滅び、作戦がふいになり、上司を裏切った今の自分に、マルシルを殺す理由はない。
「命令しろ、ヴィヴィアン」
ゾクゾクっと鳥肌が立った。あれほど頑なに『アンタ』呼ばわりだった彼が、初めて自分の名前を口にしたのだ。
「ここにいる奴らを全員殺せと、俺に命令しろ」
「それは、どうして……」
「恐らくあの小僧は俺たちの正体に気付いている。帝国の密偵だと奴らに知られればお前は捕まり、戦犯者の烙印を押され処刑されることになるだろう」
ああ、その通りだ。今でこそ彼らは行方不明の市民と勘違いしているかもしれないが、正体がはっきりすればどうか。
ランスロットを仇国だと憎むヴァレンシア人のこと、その全ての元凶が目の前にいるとわかれば、あらゆる手段でそれを捕らえようとするだろう。場合によっては、その場で殺されるかもしれない。
けれど――
「そんな命令、できません」
ヴィヴィアンは拒んだ。
「私は諜報員です。人を欺き、裏を制して事を為してこそ真価が問われるというもの。邪魔者を殺し尽くして得た立場なんて冗談じゃありません」
「死ねば元も子もない。それはお前もわかってるだろうが」
彼の声色は荒々しい。それほどまでに自分のことを案じてくれていると思うと、ヴィヴィアンは素直に嬉しくなった。嬉しいからこそ、同時に彼のその優しさが胸に染みる。
「ここが死地となるのなら、所詮私もその程度の諜報員だったということです。安心してください、あなたに報酬を渡すまで死ぬつもりはありませんから」
「別に、俺はそういうつもりで――」
しかし、彼は最後まで言葉を続けなかった。
突然口を噤むと、はっとしたようにこちらへ険しい視線を向ける。
「? どうかしましたか?」
「動くなッ!」
いきなり鋭い警告を放ち、彼は腰を落として身構えた。
ただ事でない彼の行動にヴィヴィアンは驚く。そして同時に彼女は気付いた。傷の男が睨みつけているのは自分ではなく、その隣に立っていた漆黒の人影であるということに。
「あの………」
漆黒の人影――闇に溶け込むその魔道士は、低い声で語りかけてくる。
ヴィヴィアンは全身の毛が殺気立つのを感じた。まったく気配を感じさせずに至近距離まで接近する隠密移動。そして、自分たちなど脅威にもならないといった様子の、落ち着き払った声色。
「……少し、良いですか?」
五感が、肢体が、危険だと警報を鳴らす。
一体、いつ、接近を計ったというのか。いや、自分は気づいていたずだ。彼と話している間も、ずっと注意は向けていた。それなのに、何故――どうして。
「あなた方は……この街の生存者ですね?」
ああ、終わったと、ヴィヴィアンは直感的に察した。
その質問に対する答えに否定は含まれていない。つまり、肯定。殺されるべき、対象の確認。
「…………」
だからヴィヴィアンは沈黙で返した。返答など最初から有してはならない。答えたら殺される。
額に浮き出た汗が、頬を伝って顎に滴り落ちる。甘かった。最初から甘かった! マルシルたちの騒ぎに気を取られすぎて、一番警戒すべき相手を野放しにしてしまった。彼らはヴァレンシア所属の魔道士だと、たった今理解したばりではないか。魔道士だから、皆がみな潜入捜査に属するのか。いや違う。中には暗殺者のように非情な人殺しに徹する者もいるだろう。ヴァレンシア侵攻作戦の元凶となった人物、それを排除するために密かに送り込まれた刺客が。
その時――
「……ッ!?」
仮面の下で魔道士が嗤った。
まるで感情が篭っていない、冷酷な微笑み。嘲りのそれとは次元の違う、無に等しい微笑を。
あのガードナでさえ、こんなにも邪悪な表情を見せたことがあっただろうか。いや、そもそも邪悪と解釈していいのかも判らない。あるいはそれ以上。自分以外の存在は全て手の内であると主張するかのような、完全覇者の顔。
そう考えると、ヴィヴィアンは上着に潜ませてある魔道拳銃がただの鉄の塊に思えてきた。隙なんて見当たらない。万が一隙を突いて銃弾を放つことができても、それがこの魔道士に通用するはずがないと。
「あなたは、一体……」
なんとか言葉を絞り出し、魔道士との会話を試みる。
かくして、相手の返答は――
=======【キリヤ視点】=======
お嬢と知り合いらしいので、マルシルという名の少年に色々訊ねようかと思ったのだが……やめておこう。押しが足りない俺が割り込んだところで、きっと取り合ってくれないだろう。そもそも俺の存在に反応してくれるかどうかも怪しい。
――仕方ない。気は進まないけど、他の二人に話しかけてみるか。
進路を阻む邪魔な瓦礫を迂回して、スーツ姿の女性に近づく。向こうからこっちに気付いてくれると思ったが無理だった。もう一人の仏頂面の男との会話に集中しているようで、俺の存在に気付いてくれない。
――あ、いや。
顔に傷のある男と目が合った。お、ようやく気付いてくれたか。
これで話しやすくなるとほっと安堵のため息を吐いた瞬間――
「動くなッ!」
いきなり怖い顔をして警告された。何故……。
そのただならぬ様子の声に驚いた女性も、こちらの方に視線を向ける。そして俺と目が合った途端、彼女の表情が固まった。
「…………」
「あの………」
反応がないので、俺から声をかけてみる。しかし、まったく応答してくれない。そればかりか、知的を帯びた切れ長の目が徐々に恐怖と驚愕に染まっていく。いや、驚きたいのはこっちだよ。そこまで吃驚することないだろ。
「……少し、良いですか?」
さすがに傷ついて、声にも覇気が漲らなかった。だが、せっかく会話を試みたのにこのまま黙っているわけにもいかない。俺は喋った勢いに任せて続けざま言葉を発した。
「あなた方は……この街の生存者ですね?」
見たところ外傷はないから、怪我人ではないのだろう。無事であるのは確認できたし、次は身元の確認だ。
「…………」
寂しいなまた無言で返された。何だ一体何がいけない?
《キリっちのことを恐れているのでは? ほら、見た目がアレだから初対面に強烈だし》
アレとか言うな! くそっ、やっぱりそうなのか。俺のこの奇妙な恰好に怯んで声が出ないと? ちくしょう! じゃあ何を話したって一緒じゃないか。ああ、話しかけるんじゃなかった……。
《落ち込んでる場合じゃないでしょう。ほら、笑顔笑顔。営業スマイルで第一印象を挽回するのですよ》
笑顔か……人前で笑顔を見せるのはちょっと嫌だな。しかし、相手に好印象と取ってもらうために必要なことなら仕方ないか。ええい、もう自棄だ!
ガチガチに固まった頬の筋肉を持ち上げ、何とか笑顔を作ろうと唇の端を曲げる。自然に笑うのとは違って、愛想笑いというのはこれがまた結構難しい。
――どうだピロ。俺、上手く笑えてるか?
《見えませんよ。当然でしょう、小生はキリっちの視界を介して世界を見ているんですから》
それもそうか。じゃあ相手の反応はどうだろう。
「…………」
とても好印象には見えない氷のような表情をしていた。だが、同時にどこか吹っ切れたような雰囲気も感じる。全てを諦めたというか、自分が馬鹿馬鹿しく思えてきたような――
「あなたは、一体……」
と、その時。今まで固まって動かなかった女性が初めて言葉を発した。
蚊が鳴くような掠れた声だったが、口を利いてくれたことに変わりない。俺の質問が完全に無視されていることもこの際大目に見よう。なるほどこれが笑顔効果か! 未だに物凄く警戒されているが、とりあえず第一関門は突破した。さて、ようやくこれで本題に入れる。えーと……こちらの所属と目的を話すんだったな。
「自分たちはあなた方を救いにきた者です。とある事情から少人数で行動していますが、他にも仲間がいて――」
俺が説明を終えるより先にピロが意識に乱入する。
《ちょ、ちょっとキリっち、それでは漠然とし過ぎですよ。もっと具体的にですね……》
具体的? ああ、そうか。そ、そうだな、わかった。
「――いや、仲間といっても、数人規模ではなくて……。800人程の騎兵隊が手分けして住民の捜索に当たっています……ですので、安心してください」
何を安心すればいいというのか。まずい、言ってる俺自身わけがわからなくなってきた。これじゃあ話し相手もちんぷんかんぷんだろう。
恐る恐る反応を窺ってみると……
「なるほど……徹底、しているのですね……」
スーツ姿の女性は納得するように頷いていた。まだ緊張が解けないのか、その動作は相変らず挙動が目立っている。しかし俺のグダグダな話を一発で理解するとは……見た目からして頭も良さそうだし、インテリ系の職業に就いているのだろうか。
「ご理解、いただけましたか」
「……ええ。よくわかりました」
「そうですか……」
頭の回る人がいて何より。ホントに助かった。
安堵して小さく笑みを浮かべると、目の前の女性が肩を震わせて後退った。あれ?
=======【ヴィヴィアン視点】=======
「自分たちはあなた方を救いにきた者です。とある事情から少人数で行動していますが、他にも仲間がいて――」
救う? それは、悪行に手を染めた自分たちを粛正すると、そういう意味か。そういえば聞いたことがある。怪しい宗教に身を投じる信教者のなかには、罪人を滅することを世の善行と考える者もいるらしい。この魔道士の言う『救い』というのも、恐らくその類なのではないか。ランスロットを陥れた自分を殺すことを世のためと思っているのかもしれない。だとすると余計に性質が悪い。なにせ人殺し事態を正義と信じているのだ。こちらがいくら説得しようと、あるいは命乞いをしてもきっと赦してはもらえまい。もはや自分たちの粛正は確定事項なのだ。
(他にも仲間がいるというのは私も想定済み。となると、その者たちはガードナ様の暗殺に……)
しかしヴィヴィアンが抱いた予想とは裏腹に、次に魔道士が話した内容は絶句を誘うものだった。
「――いや、仲間といっても、数人規模ではなくて……。800人程の騎兵隊が手分けして住民の捜索に当たっています……ですので、安心してください」
「……ッ!?」
八百!? そんな…馬鹿な……。まさか、大隊規模の軍隊も追随しているなんて……。有り得ない。ランスロット軍部は壊滅状態ではあるが、国境砦の守備戦力は今も尚健在だ。特にヴァレンシア方面の砦には五百人の警備隊が詰めていたはず。たかが八百人の手勢で砦を突破するなんて不可能だ。
こちらの動揺を誘うための虚言? だが、さっきの銃声のこともある。本当にヴァレンシアの一個大隊がこの街に到着しているのなら、帝国軍によるアロンダイト占領が一気に難しくなってしまうだろう。
(それに、住民の捜索とは一体…)
見つけ出して保護するのだろうか。いや待て、そもそも敵国の民を助ける義理がない。目的は……報復の虐殺か。
「なるほど……徹底、しているのですね……」
……憎き敵は徹底的に滅ぼす。領土の一部を奪われ、『賢王』と謳われた国主を失い、さらには大国の威信を傷つけられたヴァレンシアはすでに我慢の限界だったのだろう。此度のリディア侵攻が引き金になって、本格的な報復攻撃が始まってしまった。それはもう……何者にも阻むことはできない。
「ご理解、いただけましたか」
黒の魔道士がヴィヴィアンに確認する。その問いかけの意味はほとんど、相手の云を肯定するものだった。
「……ええ。よくわかりました」
突きつけられた絶望を前に、ヴィヴィアンはゆっくりと返答する。
「そうですか……」
ただ一言。魔道士はただ一言呟いて、そして――
「…ッ!」
あの殺人的な微笑を浮かべた。
(殺される…!)
ヴィヴィアンは直感的にそう悟った。「聞きたいことには全て答えた。だから次はお前が死ぬ番だ」と、その狂気の笑みは語っている。
――逃げなくては……。
ヴィヴィアンは後ろに一歩後退った。
――自分の責務にケリをつけるまで、まだ死ねない!
ヴィヴィアンは魔道士の肩越しにアロンダイトの王城を見上げる。対魔術用の結界が施された王城は、ストーンゴーレムの激しい攻撃下にあっても無傷で残っていた。ガードナは今もきっとあそこにいる。彼の暴走を止めるまで、自分は死ぬわけにはいかない。
(だから……――)
彼女は物言わず立つ傷の男に視線を送った。
彼と目が合い、同時に頷き合う。言葉は必要ない。刻一刻と迫る死を待つか、一か八かその運命に抗うか……答えはもう既に決まっている。
「まだ、あなたに殺されるわけにはいきません」
「え………」
導き出した答え。それは、限りなく往生際が悪くて……。
「私は、自分の犯した不始末を片付けなくてはならない。これだけは、誰にも譲れない」
覚悟を決めた台詞を言い終えるや否や、ヴィヴィアンの隣を一陣の風が通り過ぎた。消える魔道灯。辺りが完全に暗闇に落ち、佇む彼女の身体を温かい何かが包み込む。
『真なる闇よ、光知らぬ人の子に奇跡の道を示せ……“シェードマント”』
傷の男の声が耳元で聞こえて、ヴィヴィアンは反射的に腕を振り上げようとした。だが寸でのところで押し込まれ、腕の自由を束縛される。これは……抱きしめられているのか。
そう思い至った途端、ヴィヴィアンの顔はカアッと熱くなった。そして、その羞恥の熱さを上回って冷たい感情が彼女の心に流れ込む。
死、孤独、絶望、無念、葛藤、憎悪……それは、傷の男が胸に潜ませる負の感情。ヴィヴィアンの知らない、寡黙なアサシンの残酷な一面。
そして、二人の男女が闇に解けた。
「起きろ、――――」
頭が痛い。耳鳴りも酷く、瞼が重く目も開けられない。
「起きろ、ヴィヴィアン!」
何とか呼びかけに応えようと、瞼を無理矢理こじ開け視界に光を差し入れる。
景色は最初真っ白に。やがて徐々に色を取り戻し、視界に映る全貌がはっきりとした。
「ここは……王城の」
豪華なシャンデリアや装飾が目立つ天井。大理石の床。銅製の巨大な両開き扉。
見間違えようがない。ここは、“アロンダイト王城の大玄関の間”だ。
「どうして……私。管理局前の大通りにいたはずなのに……」
「“シェードマント”の能力だ」
整理のつかない頭のまま身を起こすと、傍で屈む傷の男が自分の着込む黒いマントを持ち上げた。
「シェードマント? それは、ただのマントではないのですか?」
「魔道具で出来ている。陽の光が差さない闇夜に一度だけ、闇属性の魔力を用いて瞬間移動を可能とする。無論、移動先とを繋ぐ媒介が必要になるがな」
そう言って、男は手元の白い石を左右に振った。
「媒介には、月の光を吸収させた魔力石を使う。王城には、ガードナへの定期報告に何度も足を運んでいたのでな。移動地点に石を設置して、時々利用していた」
なるほど。では、さっき魔道灯の明かりが消えたのも、完全な暗闇の下で効果を発動する必要があったから。意図的に消したということか。
「あの時私は、あなたのマントに包まれていたのですね……」
何気なく呟いた一言。だがそれは、傷の男を明らかに動揺させた。
「あ、ああしなければ、二人同時に移動するのには困難があった。別に、他意はないぞ?」
「ええ、わかっています。助けていただいてありがとうございます。またあなたに命を救われましたね」
ヴィヴィアンが素直に礼を言うと、男は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「ふん、俺が助けた命だ。感謝しているなら生きて償え」
「死を招く暗殺者が言う台詞とは思えませんね。でも、嬉しいです……」
男は何も言わない。だがヴィヴィアンには、その沈黙だけで十分だった。
しばらくお互い沈黙のまま動かずに、静かな時を過ごす。これが最後の穏やかな時間になってしまうかもしれない。それが惜しくもあったが、自分のやるべきことを思い出してそれを戒める。
やがて、ヴィヴィアンは口を開いた。
「……そろそろ行きます」
「…………」
「あなたはここで待っていますか?」
「……乗りかかった船だ。最後までお前に協力してやる」
「本当に、よろしいのですか……?」
ヴィヴィアンの最後の確認に、傷の男は踵を返して答えた。そのまま玄関広間を横切り、壁際に続く螺旋階段の前で立ち止まる。
言葉は不要。その背中は、ヴィヴィアンについて来いと語っているようだった。
(寡黙な上に無愛想。それなのに頼もしいなんて、なんか……ずるいですよ)
ヴィヴィアンは立ち上がる。
決意の先にあるのが失敗でも成功でも、彼とならばどうでもいいような気がする。そしてもし、生き残ることができたその時は――
「……あなたの心の闇を取り払うお手伝いをしたい……」
「何だ?」
「いいえ、何でもありません」
彼と肩を並べ、ヴィヴィアンは覚悟の一歩を踏み出した。
明けましておめでとうございます。
今年も『異界の古代魔道士』をどうぞよろしくお願いしますw




