第五十三話 生存者
前回同様、残酷な表現があります。
閲覧の際は十分お気をつけください。
村の場所は、俺たちが休憩に使った林からそう遠くはなかった。馬を走らせば十分強、歩いて三十分の距離に当たる。
今までの草原ばかりの地形とは異なり、森林や小山の目立つ丘陵地帯だ。問題の村は、そのなだらかな丘に沿ってひっそりと存在していた。
「…………」
――いや…かつては村だったと、形容する方が的確か。
「こ、これは……!」
「なんてことだ……」
ランスロットの兵士たちが苦悩の呻き声を上げる。戦馴れしてるはずのアレンさんでさえ固唾の飲む始末だ。
――事前に報告がなければ……俺はこの光景を現実として許容できなかっただろう。正直想像以上だ。これは…あまりに酷い。
「ぐっ……うぅ……!」
村の様子を目の当たりにした魔道士の一人が、口元を押さえてその場で蹲る。一人だけじゃない、戦場に身を置く兵士たちでさえ、その惨事に激しい吐き気を催していた。
「生存者の、捜索を……」
――何だ? 誰が何を言っている?
今にもぶっ倒れそうな掠れた声だ。低すぎて、いまいち聞き取れない男の声……これは、俺が喋っているのか?
「殿下……?」
「まだ生きている人がいるかもしれない……早く、助けなければ……」
――村の惨状は地獄だった。
血だまりに身を沈める村人の遺体が、道の脇で不規則に転がっているのが数多く見受けられる。立ち並ぶ家屋のそのほとんども焼失しており、全焼を逃れた家も壁に飛び散った血糊で見るに堪えない。
綺麗な死体など皆無だ。皆凶器によって殺されたのか、遺体は全て無惨に切り裂かれた生々しい傷や打撲痕が幾つも見つかった。口から血を流して倒れる者。胴体の一部が欠如した者。火に焼かれて全身ただれた者。
女性はみんな例外なく服を剥ぎ取られ、ほぼ全裸の状態で息絶えていた。わざわざ理由を問われるまでもない。女性たちは強姦の対象にされ、襲撃者と思われる男連中に犯された後に殺されたのだ。
「………っ!」
中には十五にも満たない幼い少女もいた。
少女は襲撃者たちに無理矢理犯されたのだろう。そして、何度も抵抗したのだ。
彼女の頬には、何度も平手打ちされたときにできたのだろう痣がくっきりと残っていた。その目はかっと開かれて虚空を見つめ、上げられた小さな両手がそのまま硬直して固まっている。
そしてその隣には、娘を助けようとして手を伸ばしている父親らしき男性……複数人によって殴られ蹴られ続けたのだろう。全身泥まみれで顔も形がわからないほど腫れ上がり、腕や足もありえない方向に曲がっている。
――この親子は最後まで抗っていたはずだ。いつか助かる時が来ると信じて、計り知れない絶望のなか必死に戦っていたんだ。
しかし、二人の願いは潰えてしまった。
赤黒い液体に濡れる父親の首元がそれを証明している。
首を貫いたと思わせる刀傷……。
娘が陵辱されているところを見せられながら、必死に娘を助けようと手を伸ばす父親に、あざ笑いながらとどめを刺す連中の姿が頭の隅を過ぎる。
「……――ったれ!」
村人を殺した奴らの正体なんて知らない。だが、こんな残酷な事を平気で実行できる野郎の顔など大体想像がついてしまう。
「くそったれ……!」
彼女らにはまだまだ先があっただろう。たくさん青春して、楽しい事や苦しい現実を知って、大人になっていくはずだった。
俺よりも年下の人間が……俺の妹とそう年も変わらない純心な少女の未来が、欲望むき出しの悪漢たちによって無惨に砕かれてしまった。
激しい怒りに身体が熱くなる。いつしか俺の心は、村の惨状への恐怖よりも村を滅ぼした連中への怒りで溢れかえっていた。
=======【オランド視点】=======
「まだ生きている人がいるかもしれない……。早く、助けなければ……」
この凄惨な光景を前に、真っ先に声を発したのはキリヤ王子だった。
注意して耳を傾けなければ、よく聞き取れない小さな声。しかし、しんと静まり返ったこの場ではそれさえも耳障りに聞こえる。
端を発して兵士たちに指示を飛ばしたのは、先発隊の指揮官であるアレン・キムナー中佐だ。
「生存者の捜索を急げ! 軍医殿は、兵士たちと共に倒れた村民の生死確認を!」
「ま、待ってください! 付近にまだ襲撃した連中が残っているかもしれない! 万全を期すべきです!」
「た、確かにその通りだ。では、生存者の捜索班と村落周辺の護衛を手分けしよう。ダリス! 騎兵隊員三百を連れて村の外の警護を」
「はっ! 了解です!」
慌ただしく動き始める人の群れ。果たして彼らは、隊長の命令にもっともな意義を感じているのだろうか。
すでに気付いているはずだ。こんな酷い有様では、生存者など絶望的であることに……。
地平線の山脈に腰を据えた太陽が、血のように赤い夕焼けを見せる。
日暮れの大地は真赤に染まり、広場に並べられた遺体に暗い影を落していた。
昼間、ヴァレンシア兵士たちによって村中から回収された村民たちである。
「―――以上が、遺体の損傷具合と死因の推測です。現在のところ、見つかった村民の遺体は全部で133体。ほぼ全員が、死後半日以上経過していました」
「……となると、村が襲撃にあった時刻は昨日の夕方から今日の早朝いかけて、か……。ご苦労様でした軍医長。馬車でゆっくり休んでください」
「すみません中佐。では、失礼致します……」
中佐への報告を終えた軍医長が、他の医師たちを連れて馬車の方へ引き上げていく。
オランドはその後ろ姿をを無感動に見送った後、再び広場に視線を戻した。血糊がこびり付いて黒く変色していた地面は、魔道士たちの働きもあり綺麗に整えられていた。ランスロットの魔道士では不可能だったろう。さすが魔道大国の魔道士といったところか。
「…………」
広場の遺体安置所には、膝を抱えて座る宮廷魔道士の少女の姿も見受けられた。さっきまでキリヤ王子と行動を共にしていたのだが、いつの間にか戻ってきていてずっとあの調子である。彼女の暗く沈んだ視線の先には、三体の子供の遺体が寄り添うように横たえられていた。
「オランド殿」
部下の報告に一段落つけたキムナー中佐が、オランドの元に歩み寄る。
「胸中お察しします……。ですが、我々は急ぎの身。残酷なようですが、これ以上の長居は――」
「わかっています。……わかっていますとも。王都には、助けを待つ住民がもっとたくさん苦しんでいる。死者への無念で足を止めてはいられない」
「オランド殿……」
「申し訳ない中佐殿。少しだけでいい……彼らを弔う時間をくれないか? 同じランスロット人として、村人の冥福を祈りたい…」
できることなら埋葬してやりたい。だがこの人数の墓を造るとなれば、一日二日で終わらないだろう。今優先すべきはアロンダイトの住民の救助。死者と生者を天秤にかけた場合、もっとも重いのは生ける者なのだから。
目を閉じ頭を下げ、心からの黙祷を捧げる。
悲惨な最期を迎えた彼らに、せめて死後の世界だけは幸せになってほしい。この村人たちに罪はなかったはずだ。だから、安らかに眠ってくれ……。
………………。
…………。
「……キリヤ殿下?」
全身を包む温かい感覚に、オランドは目を開けた。
ふと足元を見下ろす。糸のように細い何かが、淡い光を放って地面の上をゆっくり漂っている。
「これは……?」
見たところ魔力の残滓のようだが、自然に発生したものにしては動きが不自然だ。
オランドは顔を上げた。似たような魔力の光が、さまざまな形を成して広場を中心に漂っている。発生源は広場の中央で佇むキリヤ王子か。彼が空に掲げた両手から、水の雫のような魔力が噴き出しているのを視認できた。
(……一体何をするつもりだ?)
魔術を行使する動作にしては、印を結ぶ仕草がない。呪文の詠唱も、それに伴う魔法陣の出現もなかった。
オランドの胸中を不安が過ぎる。
そういえば王子は、この村に入ってからずっと様子がおかしかった。もっとも、この現場で平静を装う方が無理のある話だが、常に冷静沈着な彼らしくもない。
(まさか、自棄でも起こすつもりか……?)
考えられなくもないだろう。戦争を忌み嫌い、誰よりも強くこの作戦に意味を見出していたのは彼自身だ。この虐殺を皮切りに、精神に異常をきたすこともあり得なくはない。
オランドは警戒した。彼だけでない。周りでキリヤ王子の様子を見守るヴァレンシア兵士たちも、不安な表情を浮かべている。しかし、彼を止めようとする者は皆無だった。
(何故誰も動かない……?)
オランドが疑問に思うのも束の間――
「リバースシェル」
静かに唱えられた完了呪文を合図に、世界は光に包まれた。
=======【キリヤ視点】=======
《行使の合言葉は……リバースシェル》
ピロの台詞を繰り返し、想像を具現化する。
俺の手から溢れ出した光はさらに輝きを増し、導かれるように広場へ向かって飛んでいった。細かな光の粒子が広場に安置された遺体に付着し、少しずつ集まりながら傷ついた身体を覆っていく。百体を越える遺体に魔術を行使するのは並大抵のことではないが、戦場でぶっ放した狂気に比べれば大したことはない。
――いくら俺でも、死んだ人間を甦らせるなんて事はできない。なら、せめて……。
遺体は光の繭に閉じ込められ、蠢いたかと思えば人の型を形成して変化した。
再生作業にそれほど時間はかからない。やがて遺体を覆った繭に亀裂が生じ始め、眩い閃光を発しながら崩れていく。繭を構成していた魔力の粒子は空気中で霧散し、跡形もなく消え去った。
「……い、遺体が……」
向い側で様子を窺っていたオランド隊長が言葉を漏らす。その顔は驚愕に染まり、広場に横たわる遺体を凝視していた。
ざっと広場に集まる面々を見てみると、皆同じような状態で佇んでいる。現実の光景に理解が追いつかないのか、その表情はどれも締まりがない。
「キリヤ君……一体、何をしたの……?」
ただ一人。俺の正体を知るセレス嬢だけは、努めて冷静な口調で俺に尋ねた。もっとも、その惚けた顔は隠しきれていなかったが……。
「肉体再生魔術、というものを使った。繭の中に人を閉じ込めて、強制的に時間後退させるのだそうだ。俺も詳しいことはわからない……」
「か、感覚だけで使ったの……!?」
正確には、ピロが魔力をコントロールして俺が魔術を想像して発動させたんだが……こんな事説明しても信じてくれそうにないから口外はしない。元々規格外な能力だ、その気になれば生きた人間の身体を若年化させることも不可能ではないだろう。
つまり、リバースシェル(ピロ命名)という魔術を使って遺体の時間を遡らせたわけだ。彼らが虐殺される昨日の夕方より以前……まだ安穏とした生活を送っていた平常な身体に――。
「……せめて、遺体の状態を綺麗にしておくことくらい問題ないだろう」
「キリヤ君……」
遺体の状態を綺麗にだって? ハッ、一昔前の俺だったら思いもつかない発言だなちくしょう! いつから俺は、こんな偉そうな言葉を吐けるようになったんだ……。
「……あなたのせいじゃないわ。だから……そんなに悲しまないで」
「…………」
まるで俺の心を見透かしたような慰め。そうか、お嬢は相手の態度で心情がわかるんだったな。しかし少し読みが外れたな。今の俺は猛烈に腹が立っているが、悲しんでは――
「悲しんでなんかいない……」
「嘘よ……だって泣いてるじゃない……!」
「っ……!」
金槌で殴られたような衝撃。
言われて初めて気が付いた。両目からとめどなく溢れる涙が、顎を伝ってローブに滴り落ちている。
――一体いつからだ? 俺は……いつから涙を流していた?
《……殴殺された父娘の死体を発見した時からなのですよ、キリっち……。あなたは怒りで感情の整理がついていなかったかもしれませんが、ずっと嗚咽を漏らしていたんです。……傍に付き添っていたセレスさんが何度もキリっちを慰めていたのに気付いていなかったでしょう……?》
――セレスが…!?
そういえば、必死に俺に語りかけてくる声があったような……駄目だ、記憶が曖昧で思い出せない。
ただ、一つだけ俺にも理解できることがあるとすれば、それは泣き顔を広場の皆に見られてしまったことだろう。本当に情けない。仮にも『総司令』なんて肩書きを持っている俺が、部下の前で間抜けを晒すとは……。
俺は素早く後ろを振り返ると、仮面を外して目元の涙を拭った。幸い俺の近くにはセレス嬢しかいなかった。黒目を見られて正体がバレるなんてことはないだろう。
「済まなかった、セレス。その……俺の傍にいてくれたと」
「……いいえ、お気になさらないでください。キリヤ殿下の御身をお守りすることが、私の役目なんですから」
「セレス……?」
いきなり何だ? えらく他人行儀な口調じゃないか。
再び仮面を付けてお嬢に向き直った時、その理由がわかった。
「……あなたは」
いつの間に接近したのだろうか。俺が涙を拭いて後ろを向いている隙に、お嬢の隣にランスロット兵士と思わしき男性が立っていた。
お嬢の急な口調の変化も、彼を見越してのことだったのか。
「キリヤ王子、あなたは何故……」
「……?」
「……何故、そこまでランスロット人に尽くしてくれるのですか?」
兵士の質問は簡潔だった。だからこそ、簡単に返答できない内容でもある。
彼はこれまでにないくらい真剣な表情を浮かべて、仮面の奥の俺を見つめていた。納得のできる理由を話してくれるまで諦めてくれそうにない――そんな強い意地を感じる。
――だが生憎俺も、その答えを完璧に把握しているわけではない。
よって、
「……償い、だろうか……?」
頭を捻ってようやく導き出した答えは、あまりに安直でわかりにくいものだった。
兵士の顔が鈍器で殴られたかのように歪む。恐らく俺は、彼にとって見当違いな返答をしたのだろう。今更言い換える気も起きないから、黙って兵士の言葉を待つ。
「……砦でも、貴方は捕虜に打つはずだった縄をお許しになってくださった。それも……王子の償いの一つであると?」
「いや、それは単に俺の願いでした。戦う意思のない兵士を拘束するのはさすがに駄目かと」
「……は?」
「誰かに恨まれるのは嫌だったので……。縄で拘束されていれば、それを黙認した俺は恨みの対象になってしまうから」
要するにヘタレなのだ。
学生時代、俺は他人のご機嫌を取ることで自分の居場所を得ていた。誰かに恨まれて、手痛い仕返しをされるのが怖かったから。もっとも、それが原因で“親友”と呼べるようなマブダチは一切いなかったが……。
「つまり自身への風当たりを恐れたと……そう仰るのですね?」
「はい」
「っ……失礼ながら、王子は“お父上”の死に復讐の念を感じておられないのですか? こんな事を申すのは不本意ですが、本来憎まれる立場にあるのは我々――」
「バーズ、もうよせ」
厳しい表情を浮かべたオランド隊長が兵士の言葉を遮る。
「隊長……し、しかし……!」
だがオランド隊長はお構いなしだ。隊長は部下の傍に近づくと、こちらには聞こえない小さな声で話を始めた。
「お前はヴァレンシア王国との協力関係を拗らせたいのか? 今一番優先すべき重要なことは何だ? 言ってみろ」
「……アロンダイトの住民の救助、及びその保護です……」
「ああその通りだ。そしてその両方の役目を成すためには、ヴァレンシア王国軍の協力が必要不可欠になのはわかるだろう」
「……すみません」
「お前の心配はもっともだ。だが、少なくともキリヤ王子は俺たちを蔑ろにするようなお方ではない」
「な、何故そう言い切れるのですか…!?」
バーズと呼ばれた兵士が横目に俺を見る。
敵意のある視線ではなかったが、疑惑と困惑が混ざったその瞳は決して俺のことを認めてはいなかった。参ったな……魔術で遺体を修復するのはさすがにまずかったかもしれない。衝動的に行使してしまったとはいえ、死者を冒涜する行為であれば大変だ。
――だが、
「本当にキリヤ王子が私情と国益目的で同行しているのだとしたら、村民の死に涙を流せると思うか?」
「……っ!」
隊長が一言二言呟いたのをきっかけに、兵士の顔色は一変した。
疑惑から驚愕へ。まるで欠けていた重大な記憶を思い出したように、表情が驚きに包まれる。
「あの方は根本から違う。たとえ同じ高貴な出自であれ、農奴の存在さえ汚らわしく思うランスロット貴族とは何もかもな。物言わず遺体の修復をしてくれた時、俺はそう確信した」
「…………」
バーズは完全に黙してしまった。
オランド隊長が上手いこと説得してくれているようだが、一体二人で何の話をしているのか少し気になるところではある。
こっそり聞いてみようか。いや、辞めておこう。変な誤解を与えて、事態が余計に悪化したらそれこそ俺に責任を押し付けられかねない。
その時だった――
「殿下! 旅団長!」
副官のダリスさんが、村の奥から馬を走らせて現れた。
確か彼は、アレンさんの指示で村周辺の警護を任されていたはずだが……。慌てた様子でどうしたのだろう。まさか敵がやってきたのか…!?
ダリスさんは俺たちの元に辿り着くなり、馬を急停止させて身を乗り出した。
「馬上より失礼致します! 私のみでは判断しかねましたのでご報告を……!」
「どうした!? 敵襲か!」
軍人モードに移行したアレンさんが、鋭い眼光をダリスさんに向ける。
柔和な青年が突如変貌したことによって、事情を知らないランスロット兵士たちが驚きに目を見張った。だがそんな彼らの反応よりもっと驚くべきことが、ダリスさんの口から告げられることになる。
「この村の生存者と思わしき少女を発見しました! 東の森の入口付近です……!」
ダリスさんの報告を聞き終わるや否や、俺たちはすぐさま少女が見つかったという現場へ急行した。
もう生存者はいないと諦めかけていた時にこの朗報である。俺は逸る気持ちを抑えきれず、気付けばダリスさんに尋ねていた。
「カーレイ大尉、その少女の容態は?」
「衰弱気味ではありますが、目立った怪我は確認できませんでした。ただ――」
急に口ごもるダリスさん。
不安が胸を過ぎる。ただ、何だというのか。
「――酷く錯乱していて、保護を目的に近づく騎兵隊員に攻撃的な態度を取っている状態です。わめき声を上げながら、農作業用の鎌を振り回しておりまして……」
男手が数人集まれば取り押さえるのは容易だろう。だが、強制的に無力化すれば少女への精神的な負担に繋がる。ダリスさんは、それを考慮して俺たちに判断を仰いだのか。
「そうとわかれば話が早いわね。あたしがその子を説得するわ。同世代なら、向こうも警戒を解いてくれるかもしれないし……それが無理でも、スリープの魔術を使って眠らせることができるから」
アレンさんの馬に乗っていたお嬢が早口で申し立てる。
うん、それが一番効果的だろう。胡散臭い感丸出しの俺が話すよりずっと良い。
東の森は、村の丘を越えた先にあった。
外れに建てられた家屋の焼け跡よりさらに向こう、街道も獣道もない自然のままの森林まで馬を飛ばす。ピロによると、その森は魔獣の分布地帯らしい。まったく人の手が加えられていないのも、魔獣に襲われるのを警戒して人が寄り付かないからか。
「見えました! あそこです!」
ダリスさんが馬上から前方を指差す。
目を凝らすと、丁度森と草原の境目辺りに人だかりができていた。遠目からでもわかるあの白銀の鎧。間違いない、ヴァレンシア軍の騎兵たちだ。
……そして、大柄な彼らを牽制するように両手を振り回す小柄な少女が例の生存者だろうか。
近づくにつれはっきりとその姿を窺い知ることができる。……確かに手元には、鎌と思われる小型の得物が握られていた。
「近づいたら殺してやるッ! 殺してやる!!」
喉から無理やり搾り出すように声を張り上げる少女。
その剣幕たるや凄いもので、騎兵たちも怯ませる程の迫力がある。
「おお、殿下! お待ちしておりました!」
「中佐殿! あの少女なのですが……!」
俺たちの到着に気付いた兵士たちが、安堵の表情を浮かべて駆け寄ってきた。アレンさんがその内の一人から状況説明を受けるのも束の間、お嬢が馬から飛び降りて少女の元に急行する。俺も遅れを取るまいと彼女の後を追った。
身長や容姿から察するに、少女の年齢は13か14歳といったところだろう。服装は刺繍入りのワンピース一着のみらしく、それも所々擦り切れてボロボロになっている。逃げる過程で紛失してしまったのか、靴も履いていなかった。
「ねぇ、あなたこの村の人よね? お姉ちゃんたちね、あなたを助けにきたの。話を聞いてくれるかな?」
まずは妥当に、セレス嬢が地面に膝をつけて少女を説得する。相手が応じるかは別として、お嬢の口調には寛容的な優しさが含まれていた。少女の目線より下になって話しかけるのも、警戒を解くための手段なのだろう。
「…………」
それに対して、少女は沈黙で返した。
ひとまず話を聞く気になってくれたのだろうか。兵士たちの間で感嘆の声が上がる。
「……ずっと一人だったの? とても怖かったわよね。でももう大丈夫よ、悪い奴はもういなくなったから、あとはお姉ちゃんたちがあなたを守ってあげる。だから、手にあるものを下ろして頂戴」
「…………」
静寂とただならぬ緊張。
少女は喋らない。お嬢の要望に応える素振りさえ見せなかった。
――おかしい。なんだこの沈黙は……。あの少女は本当に、お嬢の声が聞こえているのか?
《……気をつけてくださいキリっち。彼女まだ正気に戻っていませんよ》
――は? なんだって……!?
ピロの警告を聞き、俺はすぐさま黙したままの少女を凝視した。
ほつれた青い髪。興奮して赤く染まった頬。そして――
「っ……!?」
――セレスを見下ろす少女の双眸に光はなかった。
==============
恐怖の夜が終わって眩しい朝がきても、兄は戻ってこなかった。
森に木霊していた村人たちの悲鳴はいつしか途絶え、傭兵たちの怒鳴り声も聞こえなくなっている。
「にい…さん……」
肌寒い大木の洞に身を横たえたまま、ラナはひたすらに兄の帰りを待った。
傭兵の残党狩りを恐れて仮眠すら摂れない極度の緊張の中で、少女の身体は確実に疲労で衰弱していく。空腹と喉の渇きに激しい頭痛と吐き気を覚え、その場で嘔吐した時もあった。
それでも、ラナはその苦痛を懸命に堪えた。太陽が真上に昇り、再び空が真赤に染まっても……ずっと……。
――そして。
「あ……」
薄暗い木々の合間を縫って、淡い光が彼女の瞳に届いた。
村の方角から漏れる暖かい光。ラナは直感的に思った、もう危険は過ぎ去ったのだろう。
――あの光は、自分を呼ぶ兄の合図なのだと……。
「行かなくちゃ……」
まさかその光が、キリヤの放った魔術の残滓とは知らず。のそのそと立ち上がったラナは、洞から這い出して“光”の元へと歩き出した。
やっと兄に会える。そう信じ込んで、無我夢中で森の出口へ向かう。
もう少し……もう少しで……。
ダダッダダダッ…!
しかし、森を抜けたラナの視界に映ったのは、慣れ親しんだ村の光景ではなかった。
「……ぁ……ぃや…!」
迫り来る大きな馬。鎧の男たち。腰で光る得物。
しまった! 失態だった! 傭兵たちは村を去ってなどいなかった!
あの光は自分をおびき寄せるための餌だったのだ!
三十頭に及ぶ馬の軍団が、少女を半円に取り囲む。今から森に逃げても到底間に合わないだろう。絶対に助からない。自分は兵士たちに嬲り殺されるのだ。
「君はまさか…この村の生存者か…!?」
「おお、良かった……まだ生きている者がいたんだな!」
「まだ子供じゃないか……。可哀想に……とても怖い思いをしたんだろう」
男たちが口々に何かを喋る。一体何を話しているのか。頭を覆う兜で顔が隠れているから、表情で判断することもできない。まさか、誰が自分を痛めつけるか仲間内で相談でもしているのだろうか。
恐怖と絶望に、ラナは思わず尻餅を突く。すると、その拍子に足が何か硬い物に触れるのを感じた。手探りで手元に引き寄せて見てみると、刃が錆びた小振りの鎌が一本。
(こ、これ……兄さんの秘密基地にあった草刈鎌…!)
無意識の内に掴んで持ってきたのだろう。護身にするには些か心もとない刃物だ。
「お嬢さん、我々はヴァレンシア軍救援部隊の者だ。ランスロットの首都を目指す途中、異常を聞きつけてこの村に立ち寄った」
しかし迷ってはいられない。今は少しでも生き残る手立てを見つけなければ……。兄との約束を破るわけにはいかない、こんなところで死ぬなんてまっぴらだ。
「……どうした? もしや、何処か怪我をしているのか?」
そうこう考えている間に、傭兵集団の一人が馬から降りてラナに歩み寄ってくる。髪を全て剃り上げた褐色肌の男だ。
(こないで……!)
「……るな……!」
「……ん? 今なんと――」
「来るなァ!」
ビュン!
「っ……!?」
覚悟を決めて鎌を振り抜く。
「やめろ! 何をするんだ!」
男が腰の剣に手を添える。
その瞬間、ラナの頭の中で枷が外れた。
=======【キリヤ視点】=======
――まずいッ!
本能的にそう感じた俺は、咄嗟にセレス嬢の元へ走り出していた。
「セレスッ!」
俺の叫び声に驚いたお嬢が後ろを振り返る。だがそれと同時に、沈黙を保っていた少女の方も動いた。
「ぁぁああああ!」
鬼気迫る叫び声を上げ、少女が地面を蹴る。その手に握られるのは古錆びた鎌。殺傷力は決して高いとは言えないが、無防備な魔道士一人に致命傷を与えるくらい十分過ぎる凶器だった。
「ぇ………」
間の抜けたお嬢の声。振り上げられる得物。魔術でどうにかできる隙はない。ならば――
――ちくしょうが!
気付けば、俺は身代わり覚悟でお嬢の前方に飛び出していた。
「キリヤ君!?」
「っ!!!?」
しかしなんと運の悪いことか。少女の凶器を素手で受け止めようと眼前に両手を差し出したつもりが、飛び出した拍子にローブの裾を足で踏んでしまい、前屈みになってしまった。
――最悪だ。
湾曲の刃がスローモーションで俺の頭上に落下してくる。死を覚悟した直前というのはえらくゆっくりとしたもので、異常なほどの無音がとにかく恐ろしくて仕方がなかった。
無論、そんな間も刹那でしかなかったが……。
ガギンッ!
「ぐっ……!」
幸か不幸か、鎌の刃は俺の仮面を掠めるだけにとどまった。
少女が正気でなかったことと、得物の刃渡りが短かったことが幸いしたのだろう。俺の顔面に深い抉り傷が刻まれる事態だけは避けられたようだ。
しかし――
《あわわ…仮面が…!》
直撃を免れたとはいえ、少女の渾身の一撃は俺の仮面を弾き飛ばしてしまった。
隠していた黒目が少女の目の前に晒される。
「……ッ!」
「……っ!?」
絡み合う視線。高鳴る心臓の鼓動。
局面だけ見れば学園ラブコメにありがちな青春の1ページだが、境遇と現状がそれを許さない。
「…あ……あぁ……」
目を見開き、崩れ落ちる少女。
彼女は瞳にいっぱい涙を溜めて、俺を凝視ながら唇を震わせた。
「ごめっ……ごめんなさい、兄さ――あたし……兄さんに……!」
「え……」
その直後。
それまで狂気に支配されていた少女は、ぷつんと糸を断ち切られたかのように地面に伏した。




