第十九話 キリヤの過去
ある一人の兵士が大声を上げてくれたおかげで、俺は今まさに不機嫌の最高潮を迎えていた。
再び寝ようと試みても、騒然となったこの部屋ではとてもじゃないが神経質な俺には睡眠欲を起こさせない。後は気を失うのを待つしかないか……。
ああ~くそ! 気を失うのを待つってどこの悲劇キャラだ俺は!
「陛下。こちらも直ちに軍を発しましょう! とにかく時間がございません。悠長に会議をしている場合ではありませんぞ!」
「何を馬鹿な!? 作戦も立てずに出兵すると申されるのか? そんな無茶な戦争は聞いたことがない!」
「だがこうしている間にも、リディア陥落のときは刻一刻と迫っているのだぞ! リディア側が篭城に徹してくれておれば、こちらも軍議の一つや二つはできたはずであろうに……」
「嘆いていても仕方ないだろう。今俺たちが何より優先すべきことはリディアの救援と東部領土の奪還。この二つの任務さえこなせれば、後の細かい作戦なんてどうでもいいんだよ」
ああ眠い。ああうるさい。ああ頭痛い。
「なんと!? 陛下は任務さえ達成できれば、兵たちの犠牲はどうでもいいと仰せですか!」
「そんなわけあるか。俺は兵を無駄死にさせるような戦はしない。兵士たちは皆、俺とキリヤで守ってやるよ」
あ? なんか呼んだか?
「よし! そんじゃ、大まかな兵分けを即行で終わらせる。グレン、今東部に動員できる兵士はどれくらいだ?」
兵士? ああ、宮殿の改築工事でもするのか……。
俺、柱壊したからな。あんなに太い柱一本消えたら、そりゃ建物も不安定になるわ……。
「は…。現在東部戦線に配置されている兵士はファーボルグ将軍率いる第六師団およそ一万。さらにリディア王国方面に駐留する第八旅団五千を加えれば、東部作戦に動員できる兵士は約一五〇〇〇人です」
作戦って何だ? 修復工事するのに戦術なんて必要ないだろ。
さすがに不審に思った俺は、俯いていた顔を上げた。
そのとき数人と一瞬目が合ったが、別に咎めるつもりはない。この仮面がダサイと思うのは、俺だって同じだからだ。
取りあえず、アレクに現在の状況を話してもらおうと声をかけた。
「……おい」
「はっ。何でしょうか?」
「…………」
しかし応答したのは、浅黒い肌をした厳つい顔の男、グレンだった。
灰色の髪から覗く二本の角が、その男が人間でないことを証明している。しかもその角が、グレンの厳つさをさらに醸し出していているから怖いのなんの。つーかまんま鬼だな……。こんなのに睨まれたら泣く子も黙るんじゃないか。
まあいい……。俺は気になることが聞けたらそれでいいからな。
結局そのまま話し相手をグレンさんに切り替え、俺が今一番聞きたいことを言った。
「……いつ崩れるんだ?」
――――この宮殿は? と最後まで言いたかったが、生憎と睡魔のせいで思うように口が動かない。仕方なく、相手のわかる範囲でまとめたつもりだが、どうだろう…理解してくれたか……?
柱一本なくなっただけでこれだけ大騒ぎになるんだから、宮殿自体も相当深刻なはずだ。俺はそのことを考慮して、柱の支えなしではどれだけ保つか、という問いをできるだけ省略してこの宮殿は「いつ崩れるのか?」としてみた。
グレンさんは最初、何を言っているのかわかっていないような表情をしていたが、すぐにはっとして表情を引き締めた。
「遅くて今日の深夜。早ければ……恐らく、昼中に決着がつくかと……」
「……!?」
な、何だってえええええ!!!!
お、おい嘘だろっ!? マジか!? 今日中なのか!? 今日中にこの建物崩れるのか!? だったら何で逃げないんだよこの人たちは! 呑気過ぎるだろっ!
そういえばさっき、「とにかく時間がございません」ってかなり慌ててた人いたよな? まさしくその通りじゃねぇか! 「何を馬鹿な」って反対した奴誰だよ!? お前の方が大馬鹿だろうが!?
お、落ち着け俺! まず、とにかく、一旦、一度、落ち着こう! そうだ、崩れるっていっても早くて昼間なんだ。今はまだ大丈夫、大丈夫、大丈夫……。
よーし冷静な俺復活! まずは今の話し合いについて整理してみよう。
たぶんこの人たちは、壊れた柱を修復又は復元とかするために、宮殿が崩れる前に東部の…たぶん山の中に入って柱に合う岩でも集めようとしている。しかし人手が足らず、多くの兵士さんを資材収集に派遣するつもりだったが、予想以上にこの建物の軸の維持が限界だと知り、みんなかなり焦っている、とそういうことか?
先に避難したほうがより安全な気もするが、それでもこの宮殿はこの人たちにとって住まいなんだろう。柱を木っ端微塵にしたの俺だし、こんな重大事態を見過ごすほど俺は無責任じゃない。衣食住の提供してくれたアレクへの恩返しも兼ねて、ここは一つ俺も協力すべきだな……。
よし! そうと決まれば急いだほうがいい。
「? どうしたキリヤ? 何処に行くんだ?」
部屋を出て行こうとする俺を不審に思ったのか、アレクがこちらに気づいて聞いてきた。
ちっ、わざわざ答えなくてもわかるだろう。
俺は扉の前に立ち止まって振り返り、仮面越しにアレクを見据えた。
「決まっている。この面倒事を片付けに、だ……」
器物損害による建築物崩壊の危機という面倒事を……。
「……っ!?」
途端、皆が皆それぞれ顔を変えて俺を凝視した。
驚愕した顔やら感心した顔、中には笑みさえ浮かべてる奴もいる。
「…………?」
あれ? 俺なんか凄いこと言った?
い、いや、まあいい。早いとこ終わらせて俺の罪を晴らそう。
扉を開けてそのまま部屋を出る。だがしかし……。
「待てキリヤ!」
アレクのいきなりの呼び止めに、俺は再び立ち止まった。
何だよ! 用件ぐらい一回で済ませろっての!
「連れて行く兵士はどうするつもりだ? まさか、お前一人で乗り込むなんて言わないよな?」
当たり前だ。東部がどっちなのかもわからないってのに……。
それに、柱建築の資材ってどれくらいの量になるのかもわからない。数十人程度の兵士じゃ、一日で持って帰れそうにないし……。
っていうか素人の俺に聞くなよ!
「勝手に決めてくれ。後は任せる……」
「へ? ……お、おいキリヤ!」
俺はアレクを無視して部屋を出た。
しつこいという理由もあるが、何よりあいつの声は頭に響く。ひどい言い方だが、今の俺にとって、アレクは存在自体が害悪となりうる危険人物なんだ。
「待ってキリヤ君! 管理局の転送陣まで案内したいから、あたしも一緒に行くわ」
「……!?」
またしても突如として俺の隣に姿を現したセレス嬢。
俺の『影行動』を軽く凌駕するその気配のなさは、アレクを出し抜くよりも難しい危険人物なのであろうか。いやそうに違いない。
「ああ! 今あたしのこと鬱陶しいとか思ったでしょ?」
「…………」
お嬢……あんたは神だぜ……。
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キリヤが部屋を後にし、それに続くようセレスも出て行った小会議室では、大臣その他官僚たちがアレクの次の指示を待っていた。
しばらく呆然とキリヤが出て行った扉を見つめていたアレクだったが、すぐに場を取り繕うように苦笑する。
「はは……ったく、ほんと愛想のない弟だよ、あいつは。いくら人前が苦手だからって、勝手に決めろなんて部屋を飛び出すか?」
しかし、その言い方はファーナグには納得いかなかった。
「失礼ながら陛下。キリヤ殿下が部屋をご退出された理由は、もっと別な理由からなのではないでしょうか?」
「別な理由?」
アレクが首を傾げてファーナグに視線を寄越す。
何もすることがない他の者たちも、皆ファーナグに視線を向けていた。
ちょうどいい。この際はっきり言ってしまおう。キリヤが何故部屋を後にしたのか、ここに集まった大臣たちに伝えるいい機会だ。
「私が先ほど、キリヤ殿下とお話していたことはご存知ですか?」
「あ、ああ。内容はよく聞き取れなかったが、キリヤはなんて言ったんだ?」
「『いつ崩れるのか?』……ということをお聞きしました」
「崩れる? ……崖がか?」
アレクは腕を組んで考え込み、他の者たちもそれぞれ頭を捻る。
その様子にファーナグは情けないと思った。仮にも政を担う政治家が、さっきまで軍議の席で「時間がない」と議論していたではないか。その関連性から見れば、キリヤが言いたかったことぐらい容易に検討がつくはず…。
「まさか……」
そのとき、アレクの背後に控えていたアルテミスが声を上げた。
確かに軍人である彼女ならば、わからないこともない。
「『崩れる』とは……リディア軍の前線の、ことでしょうか?」
「然り。つまり殿下は、ランスロット軍とリディア軍が武力衝突したとき、リディア軍の前線はいつ崩れるのかということを端的に問うておられたのですよ」
アルテミスが目を見開く。
「その意味を逆手に取れば、リディアの前線はいつまで保つのか、ということになります。……もしや殿下は、リディア軍がランスロット軍に瓦解する前に決着をつけるおつもりでは……!」
「なっ!? それは不可能です! ランスロット北部からリディア南部までには山脈が横たわっているのですよ! 千人単位、いや、もしくは一万単位で動く軍勢を、戦場まで進軍させるにはかなりの時間を有するでしょう……。とてもではないが、強行軍のランスロット軍を援軍到着までリディア軍が持ち堪えれられるとは思えません」
一人の官僚の声に、ファーナグは苛立ちながらも返した。
「だからこそ殿下はこの場を後にしたのだ。我らの惨めな議論に……嫌気がさしてな……」
“惨めな”の部分を強調して、ファーナグは全員に聞こえるように声を張った。
それに自分が含まれていることも否定はしない。何故ならこの会議室に集まった時点で、この場の者たちは皆大馬鹿者なのだから……。
ファーナグは再び視線をアレクに戻した。
アレクは目を細め、ファーナグの視線を逸らすように俯く。
しかし構わず、軍務大臣は国王に言った。
「本当はこの場に集まるべきではありませんでした。早急にリディア救援に向かうべきだったのです。 ……恐らく殿下は、一刻も早くリディアの民をお救いになりたかったのでしょう」
キリヤは他者を避けているようだったが、彼にも前王の血が流れている。民を思う気持ちはアレクに劣らないだろう。
戦争を“面倒事”と言ってのける冷徹な心を持ち、無謀なことにでも怯まず挑む不屈の精神。
それは国を担う者としては早期の滅亡を招きかねないが、王を影から支持する立場としてはこの上ないほどに心強い存在となる。
言うなれば軍師。内政軍事両方に影響を及ぼす国の実質的権力者だ。
キリヤは権力者の理想の姿と言っても過言ではないだろう。
「陛下。リディア軍が動いた今、ヴァレンシアに選択の余地は残されていません」
――――――どうか我らにご命令を。
ファーナグは席から立ち上がり、アレクに向かって深々と頭を下げた。
他の大臣たちもそれに続き、アレク以外全員席を立つ。
「今更だな……」
顔を上げたファーナグに映ったのは、アレクの不敵に笑った顔だった。
「俺は戦うぞ? 戦って、キリヤよりも凄いというところを見せ付けてやる!」
――――は?
聞き捨てならないことを聞いた気がして、ファーナグは呆気になりながらも聞き返した。
「へ、陛下? 今、なんと仰られたのですか?」
「何って……戦うって言ったんだが……?」
「それは、一種の比喩表現と捉えてもよろしいのでしょうか?」
だがアレクは眉を顰めて、
「比喩? 何言ってんだ。俺も兵士たちと一緒に戦うんだよ」
はっきりと、アレクはそう言った。
これは陛下なりの冗談のつもりなのだろうかと、アルテミスに目で確認を取ろうとしたのだが……。
「では、陛下。王都の守りは私達近衛騎士団にお任せを」
「おう! 頼んだぜアル!」
「アルテミスです」
騎士団長は至って冷静に言葉を返していた。
「本当に……陛下自らご出陣なさるのか……?」
ファーナグの後ろからそんな呟きが聞こえた気がした。
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「……おいセレス。この街の管理局とやらは、ここだけにしかないのか……?」
「当たり前じゃない。街一つに管理局一つ。これ、昔から今までずっと決まってることよ?」
セレス嬢に連れられ、宮殿の裏口から抜け出し、舗装された石畳の道を下って路地に入り、いくつか怪しい店の前を怯えながら通り過ぎてやっと開けた場所に出たと思ったら、そこはなんと俺とセレス嬢がグィアヴィアの街からこの王都イグレーンに転送されたときに利用した転送陣が管理されている魔道管理局の傍だった。
二度と来ないと誓ったのに、よもやあくる日にまた訪れることになろうとはな。
もしかしたら昨日のとは違う別の管理局なのだろうかと思い、セレス嬢に聞いてみたが魔道管理局は
一つの街に一箇所だけにしかないらしい。こんな大きな街なのに一つしかないなんてなんと不便な……。
「何故……一つしかないんだ……?」
俺の呟きに、お嬢はさも不思議そうに首を傾げた。
「キリヤ君の住んでた街には……その……極東の島国には、管理局ってたくさんあったの?」
管理局ねぇ……。
魔道管理局なんてファンタジックな建物はなかったが、水道の管理局や発電所の管理局ってのは結構あったんじゃないか? よくわからないけど……。
「まあ……一つだけというのはなかったな……」
「ええっ!? ホントに!?」
目を丸くして驚くセレス嬢。
い、いや、そんなに驚くこともないと思うが……。
こっちの世界にもあるだろ? 魔道関係以外で何か管理する場所とか物とか……。
「一度行ってみたいわね。キリヤ君の住んでた国……」
どんなところなのかしら? セレス嬢は振り返り、下方に伸びる街並みの遙か先を見据えた。
どんなところ、か……。
退屈過ぎるほど平和の国には違いないな。そして……
「――――俺にとっての地獄だ」
そう…人口密度の高い都市部に住む対人恐怖症の俺にとっては、人の群がるところは地獄以外の何者でもない。だから高校進学の際、俺はなるべく人の少ない都市郊外の学校を選んだ。
「地獄って……あなたの生まれた故郷でしょ? どうしてそんなこと言うの?」
俺の呟き声を聞いたのか、セレス嬢は再び視線を戻して非難めいた顔を俺に向ける。
確かにお嬢の言いたいこともわかる。自分の生まれた故郷を拒絶して嫌う俺は、どこかおかしいのかもしれない。だがな、俺にもそうなった理由がちゃんとあるんだよ。
「俺は殺されかけたんだ……それも、実の妹にな」
「……っ!?」
忘れもしない。あれは去年の夏休みの最中、一年で一番暑い日のことだった。
暑さのあまり冷房の効いた自室でダベっていた俺は、突如妹の乱入によってその平穏が破られてしまった。そのとき俺が妹に何と罵倒したのかはよく覚えていない。ただ、そのときの妹はいつも違いどこか挙動不審で、たぶん俺は「どうかしたのか?」のようなことを聞いたんだと思う。その後、俺は妹からプールに行かないかと誘われたのだ。正直これには俺も目を剥いて驚いた。確かにその日は息苦しいくらい暑かったが、まさか実の兄を誘ってまでプールに行きたがるとは思っていなかったのだ。そのときの妹の顔は茹でタコのように真っ赤になっていたから、たぶん暑さに参っていたんだろう……。
結局断ることもできず、俺は妹に連れられて最近リニューアルしたばかりの大型遊水施設にやってきた。
しかし、そこで悲劇が起こってしまった……。
予想通り大混雑していたプールに、妹は颯爽と飛び込んで入水したものの、俺は人の数に勢いを削がれていた。いつまでも入らない俺に我慢を切らしたのか、戻って来た妹が俺の手首を両手で掴み、なんとプールへ放り投げたのだ。俺の身体は見事に開けた場所に着水したはいいものの、それからは四方八方を埋め尽くす人ごみに埋もれ、例の発作があろうことか水中で起こってしまった。その後のことはまったく記憶にないが、妹曰く俺はそのまま溺れて意識を失ったらしい。助け上げられたはいいものの、あのまま水底で埋もれたままだったら俺は間違いなく溺死していただろう。
あの事件以来、俺は妹の誘いは極力避けるようにしている。無論、水遊びなんか一度もとしていない。
「俺はあの日のことを、生涯忘れない……」
「…………」
そうだ。いつか妹に復讐するためにも、俺は元の世界に帰らなければならない。
よし! そのときはあいつの晩飯の中に大量のタバスコをぶっ掛けてやろう。辛いものが大の苦手な妹なら、絶叫して転げ回るに違いない。
===============
「――――俺にとっての地獄だ」
地獄と、キリヤはそう言った。
何故そんなことを言うのか?
自分が生を受けた郷里を否定し、地獄と罵るキリヤに、セレスは初めて彼に対して怒りを覚えた。
「地獄って……あなたの生まれた故郷でしょ? どうしてそんなこと言うの?」
仮面で覆われた顔では、口元でしか感情を読み取ることはできない。
それでもキリヤは僅かだが、その口を小さく歪めた。
「俺は殺されかけたんだ……それも、実の妹にな」
「……っ!?」
セレスの思考が一瞬にして凍りつく。
それはかつて経験したことがないほど強烈な言葉だった。
(妹に殺されかけた……って、そんなっ……そんなことって……)
――――あまりに残酷過ぎる。
胸が苦しい。
他人のことなのに、それがまるで自分のことのように重く心に圧し掛かってくる。
いったい彼の過去に何があったというのか?
確かキリヤは貴族ではなかったはず。本人がそう言ったのだ。間違いないだろう。
では何故……何故身内に…それも血の繋がった妹に殺されそうにならなければならない?
もしキリヤが王族なのなら次期継承権を巡って権力争いに巻き込まれる可能性は十分にあるが、それは男兄弟の間で起こることがほとんどだ。兄と妹の間で起こる継承権争いなんて聞いたことがない。
ではやはり、兄であるキリヤが妹に憎まれていたと考えるのが妥当だろうか。
(でも……でもあたしには納得できない。血を分けた者同士が殺しあうなんて、理解できない)
セレスに兄妹はいない。だが、アレクとアプロディーナがとても仲の良いことは知っている。だから彼らを見ているだけも、自分は幸せな気持ちになれるのだ。
セレスはキリヤの顔を注視した。
その口元は小刻みに震えが起こり、頬は若干強張っている。
キリヤは怒っていた。それも一時の感情の爆発なんかとは比べ物にならない、長い年月を掛けて染み込んだ“憎悪”という名の怒りに……。
その表情の影に時折、恐怖が見え隠れしていた。
それはセレスがキリヤに対して初めて感じる感情だった。
普段はとても感情の起伏が小さいキリヤが、初めて見せた大きな情動だった。
「俺はあの日のことを、生涯忘れない……」
セレスは強く拳を握った。
何も言えない。言えるわけがない。
キリヤのような悲惨な体験をしたならばともかく、至って普通の人生を歩んできたセレスに、キリヤを慰める言葉なんてあるはずがなかった。
(けど、ここで目を背けたら、あたしはまた逃げることになる。そんなの、絶対に嫌……)
せめて、彼に何があったのか知りたい。
彼の過去に何があって、どういう経緯で古代魔道士として生きる覚悟を決めたのか、セレスは知りたいと思った。
キリヤと記憶を共有すれば、少しでも彼の心の痛みを和らげることができるかもしれない。
また役立たずになんてなりたくなかった。
何があってもキリヤを信じると決めた自分は、もう後には引けないのだ。
「ねえ、キリヤ君?」
「おいお前ら! そんなとこで何し…ぐふっ!」
「陛下! 人目をお気になされますようにとあれほど言ったではありませんかっ……!」
キリヤに話しかけたセレスだったが、それは唐突に現れた者たちによって遮られてしまった。
===============
俺が妹への復讐方法をあれこれ考えていたとき、背中を預けていた扉が内側に向かって豪快に開けられた。
途端、俺の身体は支えを失い、後ろに転倒しそうになるが……。
「おいお前ら! そんなとこで何し…ぐふっ!」
中から現れたアレクが偶然俺の背後にいたおかげで、俺は奴の腹に肘打ちを食らわせることによって何とか体勢を取り戻した。
「陛下! 人目をお気になされますようにとあれほど言ったではありませんかっ……!」
「ちょ……陛下ぁ!? 何で管理局の中から出てくるの!?」
いきなり大声を出したセレスが、悶絶するアレクに詰め寄る。
「だ、だからっ! 陛下と呼んではいけませんって! 他の人に気づかれてしまうではありませんか!」
アレクの傍でセレスよりも大声で注意するのは、真紅の軍服に身を包んだ目の細い青年だった。
見たことない人だ。アル姐さんの部下だろうか。
「誰よあんた!?」
お嬢が知らないなら違うか。
「え? い、いや、僕はファーボルグ将軍の――――」
「あ~いてぇ! いてぇぞキリヤ! 何も出会い頭に殴ることはねぇだろ!」
痛みに腹を抱えつつ、アレクは上目使いで俺を睨んだ。
いや……毎度ながら扉を開け放つお前が悪いだろ。
「なっ!? で、ではあなたがキリヤ殿下!? し、失礼しましたっ! 僕……いえっ、私は、ファーボルグ将軍に殿下をお連れするよう命ぜられた、第八旅団旅団長のアレン・キムナー中佐であります!今回の東部作戦に置かれましては殿下の采配をぜひとも拝見したいと、将軍閣下は首を長くして待って……ではなくっ、興奮して夜も寝られなく……ってあれ? これも違うなぁ……」
「…………」
結局何が言いたいんだ? 要するにこの人は仕事のためのお迎えか何かだろう?
東部作戦だなんて少し大げさなんじゃないか? まあ宮殿の存亡が懸かっている以上、本腰入れて取り組まないといけないのは事実だが。
「ではキムナー中佐。早速案内を頼む……」
仕事は早ければ早いほうがいい。
さっさと終わらせてこのわだかまりを取り除かないとな。落ち着いて復讐案も考えられない。
「はっ、了解です! では、向こうに東部陣営行きの転送陣が置かれていますので、まずはそこまで参りましょう! ……お二人もお早く!」
「「あたし(俺)たちはおまけか!」」
同時にツッコミを入れた二人だったが、ハモッてしまったのが気に入らなかったらしい。
互いににらみ合って牽制し、天敵を罵倒する。
「真似しないでくださいよ陛下。虫唾が走ります」
「奇遇だなぁ。俺も同じことを思っていた」
「ええそうですね。奇遇を超えて神の奇跡ですよ、きっと」
「ああそうだ。俺は神を超える男だからな。お前に奇跡が降りかかるよう神に頼んでおいた。有難く思え」
「ええ~陛下あんなペラペラした書き物に頼んだんですか~」
「“紙”じゃねぇよ!! 神様だ! か・み・さ・ま!」
「あれ~おかしいですねぇ? 陛下は神を超える男なのに、どうして神様って、様付けなんですかぁ?」
「理解力の足りないお嬢のために丁寧に教えてやったからだよ」
「ムカッー! 何よ色魔キザ男!」
「黙れじゃじゃ馬娘ッ!」
「軽薄男ッ!」
「幼女体型ッ!」
「ボサボサ頭!」
「噴水頭ッ!」
「噴水あたまですって!? ひ、ひどいっ! いつもエマが時間掛けて結ってくれるのにっ!」
くっ……頭に響く! うるさいっ!
「引き離せ……!」
俺は発光する手の平を喧嘩する二人に向けた。
瞬間、アレクとセレス嬢は弾かれたように尻餅を突いて倒れこむ。
「きゃ…!」
「うおっ!」
威力を最小限に弱めたから怪我はしないだろう。ただし尻は痛いだろうが……。
「おおっ! 何ですか今の魔術は!? 詠唱もなしに魔術を発動するなんて……」
隣で中佐さんが目を輝かせて興奮する。っていうかあんたも喧嘩止めろよ。
「あんたたち喧嘩してる場合か? こうしている間にも、人が命の危機にさらされているんだぞ?」
あのデカイ建物が崩れたら、中にいる人たちはかなり危険だ。俺のせいで人が死んでしまったなんてことになったら、俺は自虐して元の世界に帰れなくなる。
「あっ……」
「そう……だったな」
ようやく状況を理解したのか、セレス嬢とアレクは表情を引き締めて立ち上がった。
「悪かったお嬢。少し言い過ぎたようだ」
「セレスです陛下。あたしの方こそごめんなさい……」
こ、この二人……喧嘩も唐突だが、認めるのもあっという間だな。喧嘩するほど仲がいいと言うが、この二人は“喧嘩した後仲がいい”って感じだぞ?
「あ、そういえば陛下に聞きたかったんですけど、何でここに一人でいるんですか?」
セレスのその問いは、俺も聞きたかったことだった。
いつもアル姐さんと一緒にいそうなのに、今はどうやら一人のようだ。中佐さんは別の場所から転送してきたからアレクと一緒にここへ来たわけではないのだろう。じゃあ何で?
「いや~実は僕もびっくりしたんですよ。将軍閣下から殿下をお連れするよう頼まれて簡易転送陣からここにやってきたら、目の前に陛下が仁王立ちで待ち構えてたんです。何か嫌な予感がして事情を聞いたらですね……」
そこで中佐さんは困った顔でアレクに視線を移した。
何か偉そうに腕を組んでたアレクはその後を引き継ぐ。
「俺も今回の作戦に参加することにした。高みの見物ももう飽きたからな」
「…っということらしいです、はい」
頭を掻きながら苦笑する中佐さんと、不敵に笑うアレク。
それに疑問を抱く俺と、隣で愕然としているセレス。
「え? さ、参加するって……その……それは……はあああ!?」
うわっ、びっくりした! 何だよいきなり!
「はは……。やっぱりそういう反応になりますよね……はぁ~」
中佐さんはがっくりと肩を落とし、お嬢は何か言わなければ気がすまないのか口をパクパクと開いていた。
「…………?」
ダメだ。この二人のリアクションだと何が言いたいのかさっぱりわからん。
十九話目終了…
十八話目と同時に投稿しました。
遅くなってすみません。どうしても区切りをつけたかったもので……
では、また次話で…




